ピンぼけブログ館

 
   
 

2012.07.27

山背古道を歩いてきました。(その3)竹取翁博物館を見学

7月15日に、南山城散策シリーズの第3弾で、山背古道・奈良街道・歌姫街道を散策してきました。
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寿宝寺をでて、三山木駅前の竹取翁博物館に入りました。ここは、「竹取物語の舞台は京田辺だった」という説に基づいて、竹取物語をはじめ、京田辺市、さらに全国・世界各地の民族・民芸品などが集められています。

まず入館すると、「どのていど竹取物語のことを知っていますか?」とたずねられました。

わたしは、「粗筋は知っている。その舞台は奈良か京都の乙訓かと思っていた。田辺が舞台とは知らなかった。」と答え、次に「お時間はありますか?」聞かれたので、「ぶらぶら歩いているので予定はない。」と答えました。

そうすると、「一時間程度かかりますが、ここの展示品について、説明させてください。」ということで、館長さんみずからが説明してくださることになりました。

ここからは、なかなか専門的な話や一般に言われる定説を離れた仮説も出てきます。興味のない方は、読み飛ばしてください(^^)
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最初に、竹取物語とはどんな話かとの解説があります。

源氏物語に「日本で最初の物語と紹介されている。」、「原本は伝わらず、成立の時期も、作者も不詳である。写本は古くて室町時代、完全なものだと安土桃山時代のものがある。」、「登場人物の五人の貴公子の名前が壬申の乱に活躍した人物らしき貴族に似ているので、時代背景は奈良時代初期ともいわれる。」

ここまでは、歴史や古典の時間で習って知っておられる方も多いでしょう。

ここから、だんだん専門的になります。

まず主人公のかぐや姫ですが、モデルは、古事記に垂仁天皇の妃としてでてくる迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)ではないかとして、系図が掲げてあります。

姫の父は大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)といって、筒状の木が竹の特性を表し、垂根も竹の根っこの様子に似ています。また筒木がこの付近の地名、綴喜(つづき)にも通じるとされています。

物語も単なるおとぎ話の粋を超えて、
・竹から生まれる異常生誕説話(外国にも竹からうまれる話はあるそうです。)、
・三ヶ月で大人になる急成長説話(これは、竹が竹の子から三月で親竹になるのをイメージしている。)、
・竹取の翁が金持ちになる致富長者説話、
・五人の貴公子に在りそうもない宝物を探しに行かせる求婚難題説話、(このエピソードが物語の見せ場でしょう.)
・天皇からも求婚も断る帝求婚説話、(玉の輿を断るなんてモッタイナイ(^^ゞ
・月の世界へ戻る昇天説話(羽衣伝説)、
・富士山名前の由来を説く地名起源説話

とあらゆる要素が揃っている、創作物語であることが展示品から説かれていきます。

ここまで読んで疲れた方は、遠慮なくエスケープしてくださいね(^^ゞ
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「かぐや姫の舞台が京田辺」というだけでも、かなり驚きますが、次の特設コーナーでは、「その作者はずばり弘法大師空海だ。」
として、空海の生い立ちから遣唐使として足取りなどが展示されています。

ここからは、わたしの個人的な見解ですが、五人の貴公子は天武天皇の朝廷のブレーン、つまり体制側の人間です。それを婚約の品を取りに行かせ、みな失敗して死んだり笑いものにされたりしている、つまり暗喩で体制批判を行っている藤原政権に批判的な人物の筆ではないかと思っています。

空海は、嵯峨天皇のブレーンですし、藤原氏ともそれほど粗略な関係とは思えません。筆のすさびにしろ昔物語を書くような人物には思え無いのですが・・・・・・

その他、いろいろな根拠をあげて竹取物語の舞台は京田辺説を説明していただけました。

もっとすごいのは、「邪馬台国は徳之島(鹿児島県奄美諸島)だ。」というコーナーです。

館長さんの説明では、「魏志倭人伝を読むとこういう結論になる。九州本島やまして畿内などでは決してない。」とのことです。

さらに秦の始皇帝の命令で徐福がやってきた仙人の島も徳之島だということです。

わたしは、邪馬台国については深く調べたことがないのでなんともいえませんが、なかなかユニークな説だと。感想を述べるにとどめておきます。

さらに一休寺や月読神社の大住隼人の舞など、京田辺の文化財をいろいろと説明していただきました。

この間一時間以上、ずっと立ったままの鑑賞です。最後に館長さんをはじめ学芸員さんの研究成果をまとめた本を勧められました。なかなか立派な本ですが、定価がかなり高くて(笑)、遠慮しときました。

わたしは、歴史も国文学も大好きですから、異論はあるにしても楽しく拝聴できましたが、普通の人ではちょっとお勧めしにくいようなディープな個人博物館の探訪記でした。
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帰りに、これから行くと面白い文化財の所在地なども教えていただきましたが、暑いので近鉄興戸駅付近の天井川だけ回りました。ここでは府道八幡木津線(歌姫街道)の前後の天井川を切り下げる工事をしてました。長い年月に高くなった堤防は、まるで小山です。水害防止の観点からは仕方ありませんが、この地方の地形の特色がまたひとつ消えていきます。
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天井川をくぐる電車の写真を数枚撮って、興戸駅から帰途につきました。
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コメント

こんにちは〜o(*^▽^*)o竹取の翁博物館と竹取物語について・・・面白かったです〜happy01
なかっちょさんの 説明がとても分かりやすくて、楽しくさらっと文章が入ってきましたwink
この時代のお話は、とても好きなので、博物館に行って館長さんのお話を聞いてみたいところですが、たぶん、私では ちんぷんかんぷんでしょう( ´艸`)プププ
私の場合 好きなだけで 歴史に詳しいわけではないので・・・
たんに この時代を背景にした小説や漫画を読むことで楽しんでます。coldsweats01 ((w´ω`w))
また、なにかいいお話 ありましたら教えてくださいねhappy01

>> mik さんへ

こんにちは。

下手な解説を読んでいただきましてありがとうございます。
ここはなかなか骨があって、「かぐや姫」のおとぎ話を
聞きに行くつもりでいくと、えぇ〜〜〜coldsweats02
になるかもしれません。

いまは、「あさきゆめみし」とか「からくれない」とか「おんみょうじ」
とか、アニメや劇画ドラマで、平安朝を取り上げた作品が
多いですね。

いきなり原作を読んでも、むつかしいので(笑) まずは
マンガから入っていくのは良いことだと思いますよ。

こんにちはhappy01
すごく興味深いお話でしたが、
竹取物語の舞台が京田辺とは、身近すぎて意外でした。
日差しのきつさ・・・と言うよりも、歴史の奥深さにクラクラと目眩が・・・(笑)

>> slowmotion さんへ

こんにちは。

すごいでしょ。よく個人の力でこれだけの資料を収集されたものだと
感心しました。しかも集めるだけでなく、分析されたもんです。

ここに紹介した以外にも、土蔵を改造した収蔵庫があって、
そこにもお宝がいっぱいでした。

もし行かれる時は、倒れないように気付け薬をもって
いきましょうhappy02

こんばんは。社会で習った天井川は、関東にないので、珍しい写真を見ることができました。
ありがとうございました。

>> キハ58さんへ

おはようございます。
ようこそ おいでくださいました。

天井川は、京都府の南部の木津川の流域と滋賀県の湖東地方
に特に多いです。

電車や車で通過しているだけでは、あまり気がつかないのですが、
こうやって教えてもらってからじっくりと見ると、その特徴がよく
わかりますね。

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

>> 職務経歴書さんへ

楽しんでいただけたようで、よかったです。
またお越しください。

 
   
   

2012.07.25

山背古道を歩いてきました。(その2) 玉川から寿宝寺へ

7月15日に、南山城散策シリーズの第3弾で、山背古道・奈良街道・歌姫街道を散策してきました。
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蟹満寺をでて、さらに古道を北に向かいます。途中の集落にはこんな光景が点在しています。

また天井川をひとつ越えます。ここで道は二手にわかれます。山際を行く山背古道と井出の集落に入っていく奈良街道です。

山際の道も見るものが多いようですが、暑くなって来たので(^^)、町なかへの道を通ります。(この日の京田辺市の最高気温は35℃を超える猛暑日でしたsweat02)
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奈良線に沿って商店街の続く奈良街道を歩くと、やがて玉川に着きます。川沿いの玉川寺に参ります。

本堂は閉まってましたが、すき間からご本尊様に手を合わせました。
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ここから国道24号線の玉川橋まで川沿いの遊歩道を歩きます。点在する歌碑にも詠まれるように、ヤマブキの里として有名なところです。

春の桜と山吹が咲き乱れるころが一番良いそうです。まだ少しですが山吹は咲き残っていました。
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写真を撮っていると、中学生くらいの男の子が「こんにちは」と挨拶して通り過ぎていきました。部活帰りの息子くらいの年頃です。この付近の学校はなかなか教育が行き届いているようです。感心しました。
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しばらく遊歩道を行くと、木津川堤防上の国道24号線の玉水橋交差点に出ます。ここからは全長500m近くもある長い橋で木津川を渡って京田辺市に入ります。

川沿いにはサイクリングロードが整備されてて、晴天のもと川風に吹かれながら疾走する自転車が何台も通り過ぎて行きます。

通り過ぎると言えば、田んぼの彼方の高架線行く、近鉄やJRの姿も見えます。
しばらく、新興住宅地のようなところを歩くと、ほどなく寿宝寺の山門が見えてきました。
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このお寺には国宝の十一面千手観音様がおられます。案内を請うと、「住職は法事で出かけておりますので、私が案内させていただきます。」と奥様らしき方が収蔵庫に案内していただけました。

観音様は、高さ181cmと等身大です。千手といっても実際に十数本程度しか腕のない観音様も多いそうですが、このお寺の本尊は、本当に左右に500本づつ千本の腕をもたれています。持ち物のない手には、目が印されています。この目で衆生の様子を常に観察されておられるのだそうです。

観音様に対面した時は、収蔵庫の扉が開いて日の光が差し込んでいます。そのためお顔は厳かで睨み付けられているような感じになります。

ところが扉を閉めて部屋が薄暗くなると、お顔は柔和で慈悲に富んだ優しいお顔に変わります。その変化は早変わりのトリックを見てるみたいです。

「昔は、やさしいお姿に接するため、夕方にお参りした。と伝えられます。」とのお寺の方の説明に納得しました。
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収蔵庫をでると、ちょうど住職様も帰ってこられて本堂にもあげていただきました。

バス通りから一歩入った旧道は、奈良街道と歌姫街道をむすぶ旧道です。
このお寺の付近は、古代の山本驛(宿場)の跡とされ、当時の山陽・山陰・東山(東海)・北陸の各街道の奈良の都をでて最初のそして各地への分岐点の宿場として栄えたのだそうです。
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(次回は、竹取物語博物館を見学します)
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コメント

情緒あるとこですね。きっと、私はこういうとこに行ったら帰れませんねo(*^▽^*)o
のんびり歩いて散策してみたい街道です。
ありがとう なかなか行けない癒し空間です(*^ー゚)bグッジョブ!!

>> まぶちょんさんへ

こんにちは。

暑さにまけてパスしましたたけど、この街道には卑弥呼がもらった
三角縁神獣鏡?が出土した古墳や、奈良時代の橘諸兄大臣の別荘や
平氏追討の狼煙を上げた以仁王のお墓なんかが点在してます。

たまに車が通るけど、暑い盛りに歩いている人は少ないです。
春秋の気候の良い時分の散歩をお勧めしますcoldsweats01

とてもいい感じの道が続いていますね。
こんなところ歩いたら、わくわくしてどこまでも行けそうです。
寿宝寺の観音様、とても不思議なんですね。
もしも意図的に作られているとしたら、すごいことですよ。
こうしたいわれを教えていただけるのも、ありがたいことですね。
そういうのもじっくり見て回ってみたいものです。

>> みつひろさんへ

この付近は、奈良と京都の両方の影響を受けているので、
素朴な中にも、みやびを感じさせる風景が続いています。

観光客も、個人で回っているひとがほとんどで、どこも
バスツアーを見かけることもありません。

観音様の造形は、写真でお見せできないのが残念ですが、
薄暗くなったお堂に浮かび上がる慈悲の相には、おもわず
手を合わしてしまいます。

昔の人は、自然光だけでこれだけの演出を長い時間かけて
体得されたんでしょうね。

光と影の芸術、カメラ好きにもたいへん参考になりました。