京都府生涯学習スポーツ情報

京都府eラーニング塾
  「“かぐや姫の里”京田辺」(第1回〜第3回)

  京都府発見講座2012年3月26日(月)開始

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日本最古の物語『竹取物語』。
“かぐや姫伝説”発祥の地とされるまちは日本全国に存在しますが、本講座では『古事記』をはじめとする数々の史料や出土品をもとに、京田辺とかぐや姫伝説のつながりについて解説します。
講師 小泉芳孝(日本民俗学・郷土史研究家)
提供団体 京田辺市
時間 27分00秒
 
NHKニュース報道されました。
その時の映像です。



 
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・京都eラーニング塾「“かぐや姫の里”京田辺」(第1回)
  京都府発見講座 2012年3月26日(月)開始
 http://spogaku.pref.kyoto.lg.jp/movie_info.html?id=198 クリック放映中
・京都eラーニング塾「“かぐや姫の里”京田辺」(第2回)
  京都府発見講座 2012年3月26日(月)開始
 http://spogaku.pref.kyoto.lg.jp/movie_info.html?id=199 クリック放映中
・京都eラーニング塾「“かぐや姫の里”京田辺」(第3回)
  京都府発見講座 2012年3月26日(月)開始
 http://spogaku.pref.kyoto.lg.jp/movie_info.html?id=200 クリック放映中
       
      京都eラーニング塾
        講師 小泉芳孝


上記のインターネット放送「“かぐや姫の里”京田辺」
    (第1回〜第3回)

http://spogaku.pref.kyoto.lg.jp/movie_info.html?id=198&mode=slow
http://air.pref.kyoto.jp/bizlatweb/contents-information.do?id=D85sWm2Jdp8
http://spogaku.pref.kyoto.lg.jp/movie_top.html?cat_id=1
http://spogaku.pref.kyoto.lg.jp/movie_info.html?id=198 
   クリック放映中!!

 
 山本駅の碑

『竹取物語 現代考
   原文・注釈・現代語訳・解説付き


京田辺の史跡探訪 歴史散歩コース



※ご注意

 このビデオ収録は、2010年の10月頃撮影したものです。その後の調査により作者は空海説となり、かぐや姫の誕生シーンも「イエスキリスト」の復活とオーバーラップしているなど、博物館の研究員らによって解明してきております。
 故に、博物館にお越しになり常設展の冊子『竹取物語 現代考原文・注釈・現代
語訳・解説付き
』2012年2月1日発行(博物館のみで販売)をお読み頂きたく思います。
 その他、古事記1300年とも関連して、日本古代史のナゾが解明しつつあり。
現在では、「徐福伝説地」展や「卑弥呼の邪馬台国」展を開催していて場所が判明しつつあります。
   
講座は全て無料です。動画再生ソフトは、下記をクリックしてダウンロードしていただけます。(無償)

コース分けについて

竹取物語の原稿と写真   2010年5月28日 18:32  1回目講座@.pdf へのリンク 
Microsoft PowerPoint - 1回目〜3回目までの講座
1 
時の帝は、かぐや姫に宮仕えを断られ「竹取りの翁の家は、山本の近くにあるので狩りに行くような姿で姫を見よう」といわれた。その山本とは、『続日本紀』巻第五の和銅四年(711)条に
 四年春正月丁未 始置都亭驛 山背國相楽郡岡田驛 綴喜郡山本驛 
 河内國交野郡樟葉驛(以下略)
とあり平城京に通じる主要官道の都亭驛として綴喜郡に「山本驛」を新設されたことを伝える所である。ここに古代駅制の「山本駅」と言う駅家が存在していたことから京田辺が有力であると考えた。地元に保存されている『山城国綴喜郡筒城郷朱智庄佐賀庄両惣図』と『筒城郷佐賀荘全図』には、近鉄三山木駅の南に「大筒城佐賀冠者殿旧館地」と記されている場所があり近年の発掘により山本駅があった所と考古学上からも実証された。
 「大筒城(おおつつき)」は、継体天皇の「筒城宮」であり山城国のことで、京都府綴喜郡の「綴喜(つづき)」である。「冠者殿」とは、元服して冠をつけた男子で宮仕えした人である。この大筒城佐賀冠者殿旧館地が竹取翁の家のあった付近ではないかと思われる。
 日本全国に沢山存在する「山本」 と言うのは、「山の麓(ふもと)」 という意味であるが、『竹取物語』の出来た頃の本来の「山本」は御神体山の麓を指す。古くから信仰の対象となった京田辺市の甘南備山は、富士山に似た山で神仙思想溢れていて天女伝説を兼ね備えた地域である。甘南備山は、平安京の朱雀大路を決定する際に南の基準点とされていたことからも京田辺が有力であると考えている。

2 
 現存する『竹取物語』の最古本(天理図書館所蔵)では、竹取翁の名前を「さかき」とある。その他の本では、仮名の「さるき」を写字の際に意味を成さないため「さぬき」にしたということで「讃岐神社」とされているが、「さかき」説の方が古本に記されていることから採用した。
 翁の名前が「名をば、さかきのみやつこ(造)となむいひける」とあるところから 「さかき」(榊)つまり「神に仕え」「朝廷に仕える人物」を題材にしたと考えている。つまり半官半民の両方を受け持った人物であり「竹の呪力」をも兼ね備えた翁である。
 京田辺市三山木の『延喜式内佐牙神社本源紀』には、酒造用水を守護する男女二神の佐牙弥豆男と佐牙弥豆女の酒殿神がみられ、唐国から酒を造る曽保利と曽々保利という二人が渡来したと記されている。「佐牙(さが)」は「サケ」「酒」である。また興戸の延喜式内酒屋神社は酒を製造した場所とされ、三山木の山崎神社や飯岡の咋岡神社も酒に関係があり、「さか」は「酒」に通じていることから「さかき」であろうと思われる。


3 
 隼人は、六世紀頃に薩摩半島南部から畿内の各地に移住して大和朝廷のさまざまな儀式に奉仕した。大隅隼人と阿多隼人が京田辺市の大住に移住したのは、正倉院文書から確認することが出来る。これら隼人は、都(奈良・京都)を防衛したり朝廷や貴人の警護、諸儀式などに使う竹細工をし、さらに呪術として隼人舞を舞うなどしていた。物語の中で「かぐや姫」が羽衣を着て昇天する場面では、「隼人」が帝から遣わされた兵士として姫の屋敷を守る役目で登場している。
 隼人が移住した大住の延喜式内月読神社では、毎年秋の祭りで隼人舞が奉納されている。月読神社の祭神は、かつて神体山の甘南備山から月読神を降臨させ祭りを行っていたことから天孫降臨神話の伝承が見られる。竹の呪力と竹製品を作る技術の両方を兼ね備えた隼人は、月信仰の神仙世界を彷彿とさせ京田辺が竹取物語の里と言えよう。

4 
 我が国の最も古い歴史書とされる『古事記』上巻に、第九代開化天皇のひ孫「迦具夜比売命」の名を見つける事ができ、『竹取物語』の作者は、『古事記』に実在している人物の「迦具夜比売命」をモデルとしたと考えられる。この迦具夜比売は垂仁天皇の妃となり、その子の袁邪弁王なる御子の名も歴史の中に記載されている。迦具夜比売命の曾祖母の名を竹野比売(たけのひめ)、その父の名を「大筒木垂根王」とされていて「大筒木」の「筒」は竹、「垂根王」は「竹の根」で月を連想した王と言える。また曾祖母の名「竹野比売」も竹に通じている。
 一方、迦具夜比売命の父であった大筒木垂根王の「筒木」は、山代の継体天皇「筒城宮」に通じ、京田辺市に縁の深い人物であったと考えられる。『旧記 普賢寺之遺跡』によると、大筒木垂根王の古墳は、普賢寺御所内の山頂にある大居谷古墳だと記されている。
 以上の点から翁は山本駅長か、佐牙神社の太夫、大住隼人の関係者のどれかをモデルにしたと考えられる。


   
竹取翁博物館場所:〒610-0313京都府京田辺市三山木直田10 代表者小泉芳孝
  JR片町線「JR三山木駅」東へ徒歩3分  近鉄京都線「三山木駅」東へ徒歩2分 Mail koiy@leto.eonet.ne.jp
  
TEL・FAX 0774-62-2522 携帯 090−6961−9391 HP http://taketori.koiyk.com/
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