"かぐや姫の里京田辺竹取翁 博物館 芳泉作
 2012年2月オープン!! (京阪奈学研都市町づくり・交流会)
  展示品:竹取物語の舞台となった山本駅跡や筒城宮、月読神社
     「かぐや姫」に関連するもの。日本や世界の民俗・考古資料等。
  特色:古民家を再生利用!! 土蔵や古材生かした内装!!
  設立目的: 国民の教育、学術、文化発展に寄与する。
Taketori okina Museum

全日開館として全て予約制(電話)により開館へ (2014年10月24日〜)
竹取翁博物館は、2013年2月1日に開館して2年半となり当初目的を達成しました。
今後は開館日を全日として全て予約制(電話)にします。但し、本館入口左にあるインターホン両方を押して頂き館長が館内にいる時は、見学可能です。なお、お盆と年末年始は休館させて頂きます。

 他に、訪問される小学生迄の方はご両親または先生と一緒にお越し下さい。出来ない時は両親か親権者等の「承認書」を持って来て下さい。また、博物館の記録用として写真を撮らせて戴きますのでご協力お願いいたします。

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京都通信メルマガ )HTML■  ★ Vol.103
 ★総編集長:竹取の翁・かぐや姫☆    ○2006/8/3
   ●発行推定部数700部突破! Web含めると推定読者数十万人以上 ! 
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■ もくじ
 『特別寄稿』 関西の私大名門・同志社大学
 
   京都の同大が「同志社小学校開設
    
同志社大学の歩み
    
同志社大学京田辺キャンパス


同志社大学の情報 Information of the Doshisha university 
京田辺キャンパス KYO-TANABE Campus 


創立者、新島襄は、キリスト教主義にもとずく知徳平行教育を強調。名誉欲や利害だけでは駄目とした。
新島は,キリスト教主義にもとずく知徳平行教育を強調。知識のみに片寄った教育を受けたものは,己の名誉欲や利害だけで働く利己的な人間になりがちだ、と新島は考えた
。他人の不幸や迷惑を顧みないというのだ。キリスト教の教えにもとずく徳育を新島が強調したのは、知識教育の片寄りを正すためであった。明治初期の日本において、彼
は抜群の国際人であった。そうあらしめたのは、10年におよぶ外国人社会での生活体験と、キリストの教えに忠実だったことによる・・。               
 新島と共に同志社をつくった人J.D.デイビスは、死に臨んで、”My Life is My Message”(私の生涯が私の遺言です)。この言葉は、田辺校地の
デイビス記念館のロビーに刻まれている。また、キャンパスの正門を入ったところにある同志社の大学教育のシンボルとなる石碑。「良心之全身二充満シタル丈夫ノ起り来
ラン事ヲ」という新島襄のメッセージが刻まれている・・。                                              
ラーネット記念図書館: 初代学長をつとめたD.Wラーネッドを記念する図書館。正面玄関上に刻まれた”Learn to Live and Live to Learn”(生
きるために学ぼう、そして学ぶために生きよう)は彼の愛誦句。                                     
デイビィス記念館: 新島襄の片腕となって同志社英学校の設立に貢献したJ.D.デイビィスを記念する総合体育館兼講堂。”My Life is Message”(
私の生涯が私の遺言です)の言葉が正面ロビーに掲げられている。                                      
新島記念講堂(礼拝堂):全同志社共同の礼拝堂として女子大校地内に1988年9月に竣工した。多目的に使用できる設備を整えている。
理化学館 正面玄関上に、J.N.ハリスの言葉も”SEEK THROUGH YOUR VACATION TO SERVE GOD AND HUMANITY”(
天職による神と人類への献身)の言葉が刻まれている。

京都の同大が「同志社小学校開設
 学校法人同志社理事会、評議員会で、「同志社小学校(仮称)」の開設が決定した。
 1875年に同志社英学校を創設した新島襄の「基督主義ノ学校ハ幼稚園ヨリ大学ニ至ル迄実ニ必要ノモノト信スレドモ、当時我輩ノ力尚微々タリ、尽ク之ニ着手シ得サルベ
シ」の遺志により、2006年4月に開校されます。
 創立 125周年を契機に、小学校設立を検討し「私学」同志社の特色ある教育理念に基づく初等教育から大学までの一貫教育を目指すべく同志社全学園の総力をあげた大事
業です。
同志社設立の理念である「国際主義」教育を実践するため、英語を取り入れた教育など、知育、徳育、体育のバランスのとれた教育を目指されています。

同志社大学の歩み
1843(天保14)年 上州安中藩江戸屋敷で新島襄誕生
1870(明治3)年  アーモスト大学卒業。
1875(明治8)年  官許同志社英学校開校。京都府知事槇村正直の賛同を得。
            上京寺町通丸太町上ル松蔭町18番地を借りた校舎。教員は新島襄とJ.D.デイヴィス。生徒8人。
1876(明治9)年9月 今出川校地へ移る。
1877(明治10)年4月 同志社分校女紅場を開設。
1890(明治23)年1月23日 新島襄永眠。東山若王子山頂に葬る。
1948(昭和23)年4月 新制大学開校。神・文・法・経済学部が開設。
1986(昭和61)年4月 田辺校地開校。4月から全学部第1部1・2年次生の授業開始。
          文学研究科社会福祉学専攻博士課程(後期課程)、国文学専攻博士課程(後期課程)開設。
       5月 女子大学短期大学部開校。
1994(平成6)年3月 田辺校地理化学館ほか11棟(工学部棟)および紫苑館、恵道館竣工。
       4月 工学部知識工学科、機能分子工学科、物質化学工学科を新設。
           機械工学科を機械システム工学科に、機械工学第二学科をエネルギー機械工学科に学科名変更。
           工学部および工学研究科、理工学研究所を田辺校地に統合移転。

同志社大学の特徴
 立命館の猛追にあえぐ、眠れる伝統校。だが、本当は早慶上智なんて呼称じゃなく早慶同と言ってもいいほどの名門大学だ。素晴らしい伝統があり、関西には有力OBが多いので、今の受験生にとっては超オトクな大学といえる。少なくとも就職で立命館に劣るということはない。ミッション系なのにバンカラな校風がたまらん。地名ではなく「同志が集う」という校名も素晴らしい。
★立地・設備
 本部の3・4回生が過ごす今出川キャンパスは京都御所の隣。重要文化財の赤レンガ建築が建ち並ぶ。ここに行くとキャンパスの美しさと恵まれた立地に目を奪われる。1・2年がすごす田園都市の京田辺キャンパスは同志社の凋落に多大な貢献をしたが、学内設備は実に良い。工学部だけここに4年間過ごす。現在先端技術会社からの寄付により正門前に立派な校舎が建設中である。どちらのキャンパスにも同志社女子大が隣接している。
★研究・教育
神学部…この大学の魅力は、ミッション系なのに京都の持つ得体の知れない力があるところ。神学部は多くの一般学生に関係はないものの、同志社のアイデンティティーの源。
文学部…ミッション系らしく看板。ただ、社会学、社会福祉、新聞学、産業関係学の4専攻を持ち、本来なら学部に昇格できるほどの規模の社会学科を内包していたり、哲学、教育、心理、美学及び芸術、文化史、国文学を全部文化学科にひっくるめたりしている。
法学部…真の看板学部。卒業生の1割が大学院に進学、4年間今出川で過ごせるコースがある、立命館の法学部よりもはるかに司法試験合格者が多いなど魅力満載にも関わらず、広報の宣伝下手が裏目に出ているが多くの法曹界に就職している。
経済学部…関西経済界の重鎮。ただ、関西は伝統的に京大、阪大、神大の経済という大きな壁がある、しかし関西経済界に籍を置く経営者が多く絶大な威力を発揮している。就職には困らない学部。
商学部…経済学部が放棄したマルクス経済学をいまだに教えている、金融、貿易に関する科目が多く、実学を学べる。関西で就職するには悪くない学部だろう。公認会計士の分野では立命館など足元にも及ばず、京大すら圧倒していて関西ではナンバーワン。しかし「遊びましょう」という商学部らしい?噂がある。
工学部…医学部がないだけに理系は光っている。京田辺移転で拡充され立派な設備が整えられた。理工学部に改組しなかったのが悔やまれる。スパルタ教育で一単位でも落とすと4年間の内に単位が取れない為に留年組みが続出している。注意が必要である。
大学院…総合政策科学研究科、アメリカ研究科という独立大学院を持つが、誰も知らない。
★学生活動
 サークルは結構ある。田辺の部室棟の汚れ方は関西随一であるらしい、学生の活発さが表現されていて素晴らしい。でも今出川のボロボロの別館は新町校舎の学生会館に建て直されてしまった。大学紛争当時には、学生会館は赤ヘルのアジとであった。現在の学生は誰も知らないけれど。学園祭「同志社EVE」は模擬店ばかりで文化系サークルの参加が少なく、アカデミックさに欠ける。立命館以上に活気のない大学になっていることはほぼ間違いない。残念である。
★就職
 おそらくOBだらけの関西では無敵。しかし自分が何がやりたいかが重要である。大学の名前に頼りすぎると駄目。

同志社大学京田辺キャンパス   〒610-0394 京田辺市多々羅都谷1-3
 同志社大学京田辺キャンパスは、伝統に培われた風格のある今出川キャンパスの継承と、自然環境のに留意して1986年に開校されました。現在は、文科系学部の1,2年次生と、工学部・大学院工学研究科全学生の約12、000人の学生が学んでいます。東西1、200m、南北800mの敷地があり総面積79万m2(隣接の同志社女子大・国際中高を含めると100万m2)ある。
 正門正面にラーネッド記念図書館があり、その西に特別教室棟や食堂それに福利厚生施設などある。
学生が共通に使用する施設群を中央軸に、南に事務管理棟・教室棟・学生の文化活動のためのボックス棟が、北には研究棟・工学部棟群・キリスト教文化センターなどがある。
 校地の西には、ポーツが可能な体育施設が配置され総合体育館や体育研究室棟がある。南には合宿棟・ボックス棟やテニスコート、北に硬式野球場やゴルフ練習場がある。西端は陸上競技場と各種グラウンドがある。
 キャンパスの出入口は、正面・北門・南門・西門の4か所あり。女子大学校地内に全同志社共用の礼拝堂、新島記念講堂がある。
路線バスは、「三山木」からが近くて便利であるが近鉄「新田辺」からの便もある。
 2007年3月22日からは、近鉄三山木駅とJR三山木両駅間の駅前広場に路線バス専用の乗り場が開設されました。
これにより同志社京田辺キャンパス間の奈良交通路線バス(三山木〜同志社大京田辺キャンパス間)が増便され大変便利になりました。
駅前広場は、6500uでこれまで1カ所だったバス乗り場が4カ所となり、またタクシー乗り場や自家用車送迎場なども設けられました。
これにより駅前広場の本格的な運用が開始されたことになり周辺の開発も積極的に進められようとしています。

全日開館として全て予約制(電話)により開館へ (2014年10月24日〜)
竹取翁博物館は、2013年2月1日に開館して2年半となり当初目的を達成しました。
今後は開館日を全日として全て予約制(電話)にします。但し、本館入口左にあるインターホン両方を押して頂き館長が館内にいる時は、見学可能です。なお、お盆と年末年始は休館させて頂きます。

 他に、訪問される小学生迄の方はご両親または先生と一緒にお越し下さい。出来ない時は両親か親権者等の「承認書」を持って来て下さい。また、博物館の記録用として写真を撮らせて戴きますのでご協力お願いいたします。


『竹取物語』発祥の地は "京田辺(その3) 『竹取物語』かぐや姫サミット(その2)
稲作民俗の源流メインHP」へ  TOK12「かぐや姫メインHP」へ  番外編 


竹取翁博物館場所:〒610-0313京都府京田辺市三山木直田10 代表者小泉芳孝 (竹林庵芳泉翁)
  JR片町線「JR三山木駅」東へ徒歩3分  近鉄京都線「三山木駅」東へ徒歩2分 Mail koiy@leto.eonet.ne.jp
  TEL・FAX 0774-62-2522 携帯 090−6961−9391 HP http://taketori.koiyk.com/ 

  ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。  『竹取物語』研究 代表:小泉芳孝 yk 
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