竹取翁
博物館Taketori okina MuseumTHEME PARK 国際かぐや姫学会 入館者の方へ 現在会員1千名あまり 「活動報告」竹取翁博物館に併設 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto kyotanabe-City かぐや姫の里京田辺 全日開館として全て予約制(電話)により開館へ (2014年10月24日~) 竹取翁博物館は、2013年2月1日に開館して2年半となり当初目的を達成しました。 今後は開館日を全日として全て予約制(電話)にします。但し、本館入口左にあるインターホン両方を押して頂き館長が館内にいる時は、見学可能です。 なお、お盆と年末年始は休館させて頂きます。 他に、訪問される小学生迄の方はご両親または先生と一緒にお越し下さい。出来ない時は両親か親権者等の「承認書」を持って来て下さい。 また、博物館の記録用として写真を撮らせて戴きますのでご協力お願いいたします。 右側のYouTube 等をクリックすると「詳細説明」が御覧頂けます。 |
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国際かぐや姫学会に国際支部「大和撫子かぐや姫倶楽部」誕生 竹取翁博物館 2014.11.3
邪馬台国と竹取物語の古代歴史談義 ①~⑥竹取翁博物館「国際かぐや姫学会」。2013.12.29 「国際かぐや姫学会」取材報告 この和尚さんは、40年ほど前からイスラエルのユダヤからやってきた人たちと共に、寝食を共にして古代の歴史を調べられた方である。日本人の超古代史を良く知る方として大変有名な方であり、世界三大文明のチグリス・ユーフラテス川沿いに発展した「シュメール文明」にも詳しく、また、旧約聖書や新約聖書の中身にも大変詳しい方である。 第一回目の今回は、国際かぐや姫学会として数回にわたり、かぐや姫に通じる大変重要で興味のあるお話を、京田辺市の歴史に大変詳しく『京田辺の史跡探訪』という本を出版され、竹取翁博物館の学芸員でもある小泉会長と共に対談形式で伺うことにした。 取材は国際かぐや姫学会が2013.12.27と29 に収録したものである。 邪馬台国論争に終止符!! やっと決定しました。 卑弥呼の邪馬台国「徳之島説」の賛同者紹介!! 吉田氏紹介- 筒木の「竹取物語の舞台」説は正しく賛同する! 『古事記』の「大筒木垂根王」と「大筒木真若王」の「筒木」は、継体天皇の筒木宮であり山城国のことである。「迦具夜比賣命(かぐや姫)」の「竹取物語の舞台」が京田辺市であるという貴方の説に賛同します。語源研究の第一人者。京都大学文学部卒業。専攻:国語国文学。京都府立女子短大教授、大阪外国語大学名誉教授など歴任。姫路独協大学名誉教授。現在: 日本語語源研究会代表、京都地名研究会代表理事。 著書:『日本語語源学の方法』『古代日本語をさぐる』『古代日本語を歩く』『京都滋賀 古代地名を歩く』『ことばのカルテ』『埋もれた万葉の地名』他多数。 益田氏紹介- 現在::奈良県除福研究会 会長、近畿鹿児島県人会相談役、NPO法人「龍田・三室山桜の会」会長、職歴:1932年徳之島生れ。大阪経済大学卒業。ネジ製造会社勤務工場長、益田捻子(株)ねじ製造、徳之島興産(株)〔うこん製造・販売) 勤務。著書:『夢に見た邪馬台国は徳之島』著書(平成13年9月)で竹取物語の難題に出てくる子安貝から除福の来たところが徳之島であり、その後に邪馬台国が徳之島になったと発表された。著書:『夢に見た邪馬台国は徳之島』徳之島興産(株)、『徐福物語: 弥生の使者』南島文化研究所、『徳之島特攻隊物語』南島文化研究所、『西郷隆盛と徳之島』浪速社 他多数。 小泉氏紹介- 現在:竹取翁博物館 館長 博物館学芸員、大筒木出版代表、かぐや姫学会・かぐや姫の里を考える会・かぐや姫学会会長。城南郷土史研究会会員。職歴:1947年京都府生れ。近畿大学法学部卒業・佛教大学文学部史学科卒業。京都放送勤務、専攻:日本民俗学・郷土史・古代史。京都民俗学談話会会員、京田辺市郷土史会理事、京都地名研究会常任理事歴任。著書:『稲作民俗の源流-日本インドネシア-』『竹取物語 現代考-原文・注釈・現代語訳・解説付き-』『京田辺の史跡探訪-歴史散歩コース-』『マスコミ一代記 -昭和・平成-』。共著『京都の地名検証』『京都の地名検証2』『京都民俗』『筒城』他多数。 伊(勝)氏紹介- 現在,徳之島伊仙町観光協会会長、職歴:1956年徳之島生れ、自称、清和源氏嫡流源為朝之子孫。法政大学文学部哲学科卒業、同大学大学院博士課程修了、神戸大学発達科学部数理情報論コース中退、専攻:郷土史・古代史。1986年以来、滋賀県で塾の経営と歴史研究、現在1999年帰郷、塾の経営と歴史研究。著書:『新生日本の夜明けin徳之島伊仙町』Ⅰ 万世一系のイスラエルダビデ王家発見、Ⅱ 邪馬台国女王卑弥呼発見。 |
古代歴史談義 ①~⑥ YouTube動画 ① http://youtu.be/ior8fzI89tY YouTube動画 ② http://youtu.be/au97g_ORqEA YouTube動画 ③ http://youtu.be/uYpWM1AjmC4 YouTube動画 ④ http://youtu.be/AbEEp5DQk7Q YouTube動画 ⑤ http://youtu.be/kw3w1bKX0Fw YouTube動画 ⑥ http://youtu.be/GX6oayMDRko 「国際かぐや姫学会」 かぐや姫サロン&カフェ
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「竹取物語かぐや姫サミット」盛大に開催!!
かぐや姫美術館の山口館長「本命は京田辺が発祥地」と断言!2014.2.2 「竹取物語かぐや姫サミット」には、かぐや姫美術館の山口館長さんが広島から参加頂きました。(上の写真右側)その時に7市町で「かぐや姫サミット」の地域間交流しているが、本命は京田辺市が発祥地だと断言された。山口様は、京田辺舞台説を15年ほど前に聞いて見に来られ「きっちりとした説をお持ち」だとびっくりしてお帰りになられていた。そのご縁で山口様が収集された「竹取物語の古本」の写真を今回の「」家具やコメサミット特別展示物として提供して頂き会場で皆さんにみて頂きました。
また、大阪・徐福友好塾主宰 代表鳥居貞義様(上の写真左側)からは、 「2周年おめでとう御座います。今後末永く続く為の基盤が出来たこととして誠に意義深いことと存じます。 (中略) 神話はどのような時代背景で生まれ、どのように伝搬したかが研究の対象となります。
そのためには、竹取翁博物館のような施設が是非必要であり、それが民力すなわち、 民間人の力でできあがったことに敬意を表します。」という丁重なメッセージを頂きました。 平成26年(2014)2月1日 天の川七夕星まつりの会 代表 大阪・徐福友好塾主宰 鳥居貞義 「国際かぐや姫学会」 自治体関連 竹取翁博物館 京田辺市三山木直田10 竹取物語の京田辺説から作者弘法大師・空海説。不老不死の薬から除福・卑弥呼の邪馬台国展示あり。 竹取翁博物館、京田辺市 - 竹取物語の京田辺説から空海作者説をとる。不老不死の薬から除福・卑弥呼の邪馬台国展示あり。 http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%AB%B9%E5%8F%96%E7%89%A9%E8%AA%9E&direction=prev&oldid=48186346 「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/ copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved. |
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大住の和尚さんが竹取翁博物館を訪問、 除福・邪馬台国談義で「邪馬台国論争に終止符!!」に数歩近づく!- 「国際かぐや姫学会」取材報告 帝がイスラエルと関係すると聞き、大住在住の住職が訪問、館長と古代史談義。2013.12.23 竹取翁博物館が主張している事を住民から聞き、京田辺市大住在住の住職と館長が古代史談義された。2013.12.23 筒木の京田辺市大住に住む和尚さんが、京田辺市三山木に竹取翁博物館の有るのを聞き突然訪問された。そして、展示されている内容から対談となった。和尚さんは、30年ほど前にイスラエルなどから色々な方々が大住にこられ、また、日本の古代史研究者も来られて「知っていることを話された」のである。 その内容は、古代から日本にシルクロードなどを通じて来ていて、崇神が 「ダビデ」の行跡で、垂仁が「ソロモン」の行跡で築かれている。神武は「 かむやまといわれひこ」で、三笠宮から「天皇は除福」と話されていたこと を述べられた。 聖徳太子は日本名が「アマノタリシヒコ」でぺルシャの方から来ている。 天皇は除福であり、推古天皇はいなくて聖徳太子はいたと明快に述べられた 。それに、レバノン杉の「御柱祭」や、聖徳太子の実名を「タルド」といい 「日出づる所の天子...」天子は日本で使用する。日本は天孫である。天皇は 、天武天皇からで、それまでは大王、大君だった。 応神天皇は「タケノウチノスクネ」世界の大王に育てられた。秦の始皇帝 は韓非子に憧れていた。藤原不比等は15才から29才まで京田辺市大住に 「住んでいた」と話された。 一方、『竹取物語』と関係していることについては、秦の始皇帝は、初めて海を見たときに、方士の除福に不老長寿の薬を取りに行くよう100隻の船に乗り3000人が日本にやってきた。そして、稲作・絹織物等を伝えた。 その他、卑弥呼は許紅玉(中国名)でヒメミコ→ヒメコ→ヒミコとなった。 平安京は、ヘブライ語で「エルシャライム」といい「平安」という意味である。太秦の広隆寺は元、大秦寺で秦の河勝が建立した景教であった。そして、竹取翁博物館で小泉館長が述べている事が「正しい」ということを証明して頂いたこととなった。 また、エルサーレムからは、イサクやヤコブというイスラエルの10士族の「ダン」一族が日本に来ていて、私の所に30年ほど前にユダヤの先生がそれらを聞きに来て「家に泊まって帰られた」と話された。 この様に、竹取翁博物館の小泉館長が館で説明していることやYouTube等で何時も述べていることの「ほとんど全てが正解で有ること」を突然やってきて来て述べられたので急遽収録させて頂いた。 「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/kagu-gakai.html http://taketori.koiyk.com/kaguya-samit.html http://taketori.koiyk.com/ copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved. |
住職と館長の古代史談義 YouTube 動画 http://youtu.be/dpKHCJ3PUTI |
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卑弥呼の邪馬台国は徳之島だった ① 日本国際古地図学会 (於 京都大学百周年時計台記念館2階会議室) 「国際かぐや姫学会」取材報告 発表者 小泉芳孝(竹取翁博物館 館長 博物館学芸員) 2013.11.9 テーマ 邪馬台国論争に終止符!! ー邪馬台国は徳之島だったー 1.徳之島説の方位・距離・古地図から見た根拠 『魏志倭人伝』に記された内容から 方位 古地図 龍谷大学「龍谷大学図」の「混一疆理歴代国都之図」 『魏志倭人伝』に記す 「南水行十日 陸行一月 」 〈YouTube動画〉 http://www.youtube.com/watch?v=HzIND9g18KQ 邪馬台国論争に終止符!! ー邪馬台国は徳之島だったー 発表者 小泉芳孝(竹取翁博物館 館長 博物館学芸員) 発表レジュメから 邪馬台国論争に終止符!! ー邪馬台国は徳之島だったー 日本国際古地図学会 (於 京都大学百周年時計台記念館2階会議室) 発表者 小泉芳孝(竹取翁博物館 館長 博物館学芸員) 1.徳之島説の方位・距離・古地図から見た根拠 『魏志倭人伝』に記された内容から 方位 古地図を参照 龍谷大学「龍谷大学図」の「混一疆理歴代国都之図」 向きが90度回転 行基図は『拾芥抄』写本で明暦2年(1656年 )東を南に表現している。 ①龍谷大学「龍谷大学図」の「混一疆理歴代国都之図」 ②島原市「本光寺図」の「混一疆理図」 ③熊本の本妙寺にある「大明国地図」 ④天理大学の「大明国図」「混一疆理図」 『魏志倭人伝』に記す「南水行十日 陸行一月」 紀元前230年頃「徐福」は、秦の始皇帝の命令を受けて工人100人と童男童女ら 3000人を調達して数十隻の船で不老長寿薬を求め徳之島にやって来た。 ①大和説・徳之島説の「連続線式」 ②九州説の「放射線式」 ③徳之島説の「連続線式」 年中温暖「海南島」と同じ気候、裸足で入墨、長寿の島 2.邪馬台国論争の大和説・九州説・徳之島説の検討 大和説について…九州説について…徳之島説について… 3.徐福の蓬莱山「徳之島」は、400年後「邪馬台国」となった!! ギネスブックに載った世界最長老の120才の泉重千代さんがいた長寿村。 除福が目指した理想郷の蓬莱山には、不老不死薬とされる老化防止の水がある。 4.『魏志倭人伝』や『史書』等の方位&距離等から、九州より南の大海「徳之島」 |
〈YouTube動画〉 卑弥呼の邪馬台国 日本国際古地図学会京都大学百周年時計台記念館 ①邪馬台国は徳之島 ②作者空海と景教碑 ③平安京はイスラエルのユダヤ ④「邪馬台国は徳之島」まとめ ①「かぐや姫」の舞台は京田辺 日本国際古地図学会 〈YouTube動画〉 「邪馬台国は徳之島」 (於 京都大学百周年時計台記念館) 舞台は京田辺 ① 竹取物語の作者空海と景教碑 ② tユダヤ「エルサーレム」③ :「邪馬台国は徳之島」④ :かぐや姫の舞台は京田辺 〈YouTube動画〉 〈動画〉「邪馬台国は徳之島」日本古地図学会2013.11.9(於 京都大学百周年時計台記念館2階会議室) http://www.youtube.com/watch?v=HzIND9g18KQ http://www.youtube.com/watch?v=I8umbxJWmak http://www.youtube.com/watch?v=3DV_OBss6zg http://www.youtube.com/watch?v=OMDGWHoe95w http://www.youtube.com/watch?v=4V1tkhDVkxU |
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継体天皇の筒城宮は、天神山から都谷の息長氏一族の普賢寺谷付近 2013.12.9 「国際かぐや姫学会」取材報告 継体天皇が京田辺の普賢寺谷へ来たのは、息長一族がこの地に古くから住んでいて深い関係があったからである。それは普賢寺の山号に「息長山((おきながさん)」があり、 また普賢寺の西北山上にある延喜式内朱智神社に息長氏の租神が祀られていることからもいえよう。 継体天皇が筒城宮に7年間いたことは、「筒木」の古代地名に見られるように息長氏(下司古墳)と深い関係がある。息長一族が居住していた天神山から都谷にかけての息長氏一族が:継体天皇を支えた普賢寺谷付近に「息長氏が住んでいたから」といえよう。 |
〈YouTube動画〉 継体天皇の筒城宮 |
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筒木の天神社は歌垣(求婚) ①竹取物語に通じる「カガヤク」場所 (『類聚名義抄』から解明)2013.12.6 「国際かぐや姫学会」取材報告 筒木の京田辺市三山木は、竹取物語の舞台とされたところで、まさに、この京田辺市三山木地域は、世界遺産にふさわしい場所であると、吉田金彦 名誉教授が見えられました。そして、三山木高木の天神山と天神社をご案内させて頂きました。 日本の語源学の権威である吉田金彦 名誉教授が、天神社は男女の歌垣をした場所で「求婚」を現していると発表されました。この地域では、20数年前から地元の京田辺市郷土史会で古代史研究が続けられていて『古事記』に登場する「かぐや姫」が筒木に住んでいて竹取物語の舞台とされた所とされ有名になっている。 京都学派の重鎮で語源学を長年続けられている吉田金彦さんは、京都大学の卒業論文で京都の東寺に残されていた『類聚名義抄』を研究され卒業論文に書いて研究を続けてこられた。そして、その成果を後輩の尽力で2013年5月に『古辞書と国語』臨川書店から出版された。 この本の中には、竹取物語に通じる「カガヤク」という語源を「光りカガヤク」とされているが本来は「求める、さがす、求婚する」というのが元の語源の意味であると述べられ『竹取物語』で5人の貴公子が求婚に訪れることと深い関係があると述べられている。 この『類聚名義抄』は、東寺にあった物で弘法大師・空海が開いた場所でもあり遣唐使で中国の長安へ行ったときに持ち帰り作られた可能性もある。 京田辺市にある竹取翁博物館の小泉館長は、竹取物語の作者を空海と述べていて、その場所も京田辺市で密教寺院が多くあり深く関わっているのではないかとみておられます。 その三山木の場所に天神社があり、その天神川の横にある天神山には、かつて天神社があって古く弥生時代の高地制集落が現在も存在する所(卑弥呼の邪馬台国の頃の遺跡)から『竹取物語に登場する恋愛の場所であった』という重要な地域となるであろうとされ話題になっている 同志社大学の創始者新島襄が明治時代に「南山義塾(中学校)」を設立した場所を見学 2013.12.6 「国際かぐや姫学会」取材報告 新島襄が明治時代に京田辺市高木で「南山義塾」を開設しており、そのご縁で京田辺キャンパスの地に同志社大学京田辺校地が出来たと言うことは、素晴らしいことです。 また、京阪奈文化学術研究都市としての北の表玄関(近鉄三山木駅・学研都市線JR三山木駅)である地に設置されたのもうなずけます。 地元京田辺市を始め市民の皆さんも゛積極的に応援しなければなりません。 この地は、継体天皇の「筒木の宮」を始め、明治の頃に「南山義塾」という中学校を地元の人達とともに新島襄らが開設されたもので゜、新島襄が最初にこの地で「教育という物を目指した場所」といえるでしょう。 現在、この南山義塾跡の場所に住宅が建てられることになったために「南山義塾跡碑」が天神川の近くに移動されている。 このように京田辺市三山木には、同志社大学京田辺キャンパスが出来、その正門を入った右奥に継体天皇の「筒木の宮跡碑」も設置され京都府内で最初に都が出来た場所でもあったのです。 まさに、この地域は、京都府内でも最初に時代の変化を先取りして日本の文化を気づいた場所であり将来につないで行かなければなりません。 特に京田辺市三山木と普賢寺周辺は、物部氏や秦氏などの人達が古代に渡来してきた最初の場所でもあり渡来民族との関係においても奈良よりも遙かに古い時代に文化が栄えた場所でもあるのです。 南山義塾跡碑 「国際かぐや姫学会」 copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved. |
天神社は歌垣(求婚) YouTube 動画 http://youtu.be/qH-lA0qW0tY |
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邪馬台国は徳之島説を認め同意された吉田先生が竹取翁博物館を訪問 2013.12.6 「国際かぐや姫学会」取材報告
竹取翁博物館では、不老不死から秦の始皇帝が除福に命じて「不老不死の薬」を取りに行っ蓬莱山の場所が「徳之島」と判り、その4百年後に卑弥呼の邪馬台国が出来たと判明し「邪馬台国論争に終止符」という展示をしている。 その説に同意して頂いた京都学派の吉田金彦名誉教授が竹取翁博物館を訪問されました。 邪馬台国論争の謎! その原因は、日本の歴史書である『日本書紀』と『古事記』などの史書に神武天皇以前の歴史を神話として記されたことであった。
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京都学派の重鎮 吉田金彦先生に「邪馬台国説の徳之島説」等を述べると「貴方の説に同意します」と賛同!!(2013年2月24日)」 「国際かぐや姫学会」取材報告 竹取物語の作者が空海ではないかから「古代の歴史」が見えてきた。物語に出てくる不老不死の薬から除福が最初にきたのが徳之島と判明、また「帝のガド族説」等を詳しくお話しさせて頂いた。 そして、除福が最初にきた徳之島から400年後に卑弥呼の邪馬台国が徳之島に誕生した…として、「邪馬台国説に終止符!!」を発信しています。さらに徐福から、ユダヤと日ユ同素論の展示もしています。 この「卑弥呼の邪馬台国は徳之島説」を京都市中京区の吉田金彦先生宅に伺った時にお話したところ「貴方の説に同意します(2013年2月24日)」賛同して頂いた。 これは、京都学派の中でも重鎮の吉田先生が長年にわたって邪馬台国に相当感心を持っておられたことを伺える証拠でもある。 吉田先生に、まさか「同意」と言って頂けるとは思っていなかったので大変な事になってしまった。 吉田氏紹介-語源研究の第一人者。京都大学文学部卒業。専攻:国語国文学。京都府立女子短大教授、大阪外国語大学名誉教授など歴任。姫路独協大学名誉教授。現在: 日本語語源研究会代表、京都地名研究会代表理事。著書:『日本語語源学の方法』『古代日本語をさぐる』『古代日本語を歩く』『京都滋賀 古代地名を歩く』『ことばのカルテ』『埋もれた万葉の地名』他多数。 この「邪馬台国に終止符!!」とも言える宣言記録として残す為に先生の図書室入口で記念撮影した。 写真後方の図書室入口の入った所に邪馬台国に関する本が沢山あった。 〈YouTube動画〉竹取物語の舞台は京田辺、作者は空海、邪馬台国は徳之島… (竹取翁博物館) ■右をクリックすると御覧になれます〈YouTube動画〉竹取物語の舞台は京田辺 上記に続いて関連した項目も出て来ますのでYouTubeを御覧下さい。 『竹取物語』の舞台とされたことについては、物語の竹取翁のいた所が「山本近く」とある。「山もと」の近くに『竹取物語』の主人公、かぐや姫の家が設定された。 物語の中で 帝おうせ給はく「みやつこまろが家は、山もと近なり。御狩みゆきし給はむやうにて、見てむや」とのたまはす。・・・ とあり、「山もとの近くに」 あると記されている。 |
〈YouTube動画〉 竹取物語の舞台は京田辺 |
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国際かぐや姫学会 大筒木出版 「国際かぐや姫学会」movie Taketori okina Museum 竹取翁博物館竹取翁博物館に併設 場所:〒610-0313京都府京田辺市三山木直田10 代表者小泉芳孝 JR片町線「JR三山木駅」東へ徒歩3分 近鉄京都線「三山木駅」東へ徒歩2分 Mail TEL・FAX 0774-62-2522 携帯 090-6961-9391 HP http://taketori.koiyk.com/ koiy@leto.eonet.ne.jp ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。yk 更新2013年9月24日 copyright(C) 1999 Yoshitaka Koizumi. Corporation Japan. All Rights Reserved. |