「かぐや姫の里を考える会」ホームページ (京田辺市郷土史会) 開始:平成15年7月開設 Taketori okina Museum Theme Park (英題The tale of the bamboo cutter.) The old bamboo-hewer's story = Taketori no okina no monogatari。(The old bamboo-hewer's story (Taketori monogatari) Il Taketori Monogatari ossia la fiaba del nonno tagliabambu. Severini, Antelmo. Firenze,Le Monnier 『竹取物語』関連を展示した日本初の「竹取翁博物館」パワースポット(夫婦岩・重軽石)が誕生 2012年度より 国際かぐや姫学会「Top」 に偏向になりました。 ■2016年度イベント 超古代文明 86.日本は世界文明発祥地「竹内文書と民俗探訪」(出版記念シンポ) 竹取物語「第4回かぐや姫サミット」Kaguya-hime Summit Vol.4 竹取翁博物館2016.1.15 【YouTube】 https://youtu.be/DfHE9CJUeVA http://taketori.koiyk.com/haku-4shinpo.html 超古代文明 87.日本は世界文明発祥地「日本のルーツ“ムー大陸と里帰り”」 (出版記念シンポ)竹取物語「第4回かぐや姫サミット」Kaguya-hime Summit Vol.4 竹取翁博物館2016.1.15 【YouTube】 https://youtu.be/bOFM7a6E0EM http://taketori.koiyk.com/haku-4shinpo.html 全日開館として全て予約制(電話)により開館へ (2014年10月24日〜) 竹取翁博物館は、2013年2月1日に開館して2年半となり当初目的を達成しました。 今後は開館日を全日として全て予約制(電話)にします。但し、本館入口左にあるインターホン両方を押して頂き館長が館内にいる時は、見学可能です。なお、お盆と年末年始は休館させて頂きます。 他に、訪問される小学生迄の方はご両親または先生と一緒にお越し下さい。出来ない時は両親か親権者等の「承認書」を持って来て下さい。また、博物館の記録用として写真を撮らせて戴きますのでご協力お願いいたします。 『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺 『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺” (その1) 『竹取物語』かぐや姫の里は、やはり”京田辺”だった! 古事記には、第9代開化天皇の孫「大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)」 とその娘迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)」の名が記されています。 この迦具夜比売命を「かぐや姫」として、考察してみましょう。 ○「竹取物語」“かぐや姫の里”京田辺 かぐや姫(迦具夜比売命)の父である大筒木垂根王は、その名前 から京都府京田辺市の普賢寺(朱智荘)・興戸・飯岡・三山木(佐 賀荘)の村々を合わせた「大筒木郷」の地方の長ではなかったかと 思われ、「竹取の翁」と推定できます。 あるいは山本の駅家の長や佐牙神社の太夫の一人とも考えられます。 また、「垂根」とは「竹の根」をさすと思われますし、「筒木」の 「筒」は竹を、「つつき」は月を連想させはしないでしょうか。Tube動画〉竹取物語の舞台は京田辺 竹取翁博物館 京田辺市三山木直田10 竹取物語の京田辺説から作者弘法大師・空海説。不老不死の薬から除福・卑弥呼の邪馬台国展示あり。 竹取翁博物館、京田辺市 - 竹取物語の京田辺説から空海作者説をとる。不老不死の薬から除福・卑弥呼の邪馬台国展示あり。 http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%AB%B9%E5%8F%96%E7%89%A9%E8%AA%9E&direction=prev&oldid=48186346 「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/ copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved. ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 京田辺市三山木山崎の山崎神社所蔵の古図には大筒木垂根王の居館と思われる
「大筒城佐賀冠者旧館地」(現在の近鉄三山木駅の少し南寄り)が記されています。 この地域では、戦前まで多くの人が竹細工をおこなっていました。また、近くの 同志社大学校地には、第26代継体天皇の「筒城宮(つつきのみや)」伝承地も あり、「筒城」の名が出てきます。この「筒城」は、京都府綴喜郡の「綴喜」の 元の地名です。 また、近くの同志社大学校地には、継体天皇の「筒城宮(つつき のみや)」伝承地もあり、「筒城」の名が出てきます。 かぐや姫に求婚する5人の貴公子は、いづれも壬申の乱の功労者 であり、その乱で敗死した大友皇子が山崎神社に祀られていること は、偶然の一致でしょうか。壬申の乱で滅ぼされた一族の子孫であ る作者が功労者への報復のため、京田辺市のあちこちに残されてい た伝承をもとに「竹取物語」を書き記したのではないかという結論 に達しました。 また、車持皇子の蓬莱の玉の枝を造った6人の鍛冶工匠は、普賢寺 の多々羅に住んでいた製鉄集団ではなかったかと思われます。この 製鉄集団もかぐや姫の「かぐ」すなわち「火の神」と関係している と思われます。 かぐや姫の名付け親の「御室戸斎部の秋田(みむろどいんべのあ きた)」の「みむろ」とは神の宿るところ「三室」であり、宇治市の 三室戸にいた忌部氏か、あるいは、京田辺市薪の甘南備山にほか ならないと思われます。この甘南備山は平安京の朱雀大路を決定する際の南の基準点のひとつ にされました。、大住の月読神社の祭神である月読尊がやどっています。 甘南備山の北方には大住の月読神社があり、祭神である「月読命 (つきよみのみこと)」も月に関係しています。また、月読神社で は「隼人舞」が奉納されますが、松井の竹林には「隼人塚」もあり、 竹の子の産地として知られています。 5人の貴公子への難問のうち、4つは船に乗っていくことから作 者は木津川を想定していたのではないでしょうか。また、車持皇子 の蓬莱の玉の枝を造った6人の鍛冶工匠は、普賢寺の多々羅に住ん でいた製鉄集団ではなかったかと思われます。 この製鉄集団もかぐや姫の「かぐ」すなわち「火の神」と関係して いると思われます。 時の帝は、かぐや姫に宮仕えを断られ、「竹取りの翁の家は山本 の近くにあるので狩りに行くような姿で姫を見よう」といわれたとのことです。 かぐや姫は最後に月の世界へ帰っていきますが、その姿は山本にあった 「日本三沢池」の鶴沢の池に「鶴が舞い降りていた事から」付けられた物で 天女伝説とオーバーラップします。 このように京田辺市は、竹取物語にちなむ地名や話が沢山存在し、まさに 『竹取物語』“かぐや姫の里”と決定される材料が沢山あります。 上記の原稿は、平成15年7月に書いた物で最近2014年の竹取翁博物館の 研究者らにより解明された物です。 そらに作者は、弘法大師・空海という事が判明してきました。 ※上記など詳細については、竹取翁博物館へおいで下さい。 見学訪問質問等は、0774−62−2522まで事前の予約が必要です。 なお空海説まで必要な方は最低で2時間、邪馬台国説まで必要に方は3時間が 必要ですのであらかじめご了承下さい。 くわしくは、「大筒木出版」jまで !
主な「かぐや姫」関係書籍等 シンポジウム「秘められた南山城の地名を探る」を開催 平成15年9月29日 京都地名研究会 広報担当 京都地名研究会では、別紙のようなシンポジウム「秘められた南山城の地名を探る」を開催しました。古代天皇である継体天皇や地域に伝説が残っている神功皇后などについて日本の第一人者である堺女子短期大学の塚口義信学長や、この地域を研究している京都地名研究会員をパネリストとして専門の分野から報告して頂きました。 記 開催日: 平成15年10月19日(日) 時 間: 午前10時〜16時30分 場 所: 京田辺市立中部住民センター メインホール(収容人員200人以上) 〒610−0311京都府京田辺市草内美泥22−2 0774−64−8810 来聴歓迎(事前申し込み不用)、小冊子資料代:会員無料、非会員500円(当日徴収) パネリスト:塚口義信 吉田金彦 小泉芳孝 石田天佑斎藤幸雄 シンポジウムの司会 古川 章 内容 1.神功皇后伝説は、伝説でなく山城を本拠地にして居住していた。 2.仁徳天皇「奴理能美の家と皇后 3.継体天皇「筒城宮」は、息長氏(渡来人)の南山城と深い関係があり筒木に来た。 4.『竹取物語』のかぐや姫は、筒木を舞台にして書きあげられた。 6.山背(やましろ)は、平の背だけであったが、難波京からの背でもある。 主催:京都地名研究会 共催:京田辺市郷土史会 京田辺市社会教育課内 0774-62-9550 後援:京田辺市教育委員会、葛椏s新聞社、京田辺市観光協会、かぐや姫の里を考える会、 協賛:関西元気文化圏参加事業 (「関西から文化力 POWER OF CULTURE」ロゴマーク使用)
上
<シンポジウム> メインテーマ「秘められた南山城の地名を探る」
山城は古くから文化の栄えた所です。京都地名研究会では、南山城における『記紀』や『万葉集』などの古代地名や人名について、研究者をお招きして「秘められた南山城の地名を探る」を開催しました。このシンポジウムにより南山城の古代地名を明らかにすることにより先進的な地域であったことがわかりました。 日本語と日本文化の起源を知るには、地名への関心が一つの大きな意味を持っています。文献の記録をもとに、土地の伝承に耳を傾け、南山城の古代地名を明らかにされました。
開催日: 平成15年10月19日(日) 時 間: 午前10時〜16時30分 場 所: 京田辺市立中部住民センター メインホール(収容人員200人以上) 〒610−0311京都府京田辺市草内美泥22−2 0774−64−8810 <交通アクセス> JR片町線 新田辺駅・近鉄京都線 新田辺駅下車 1.近鉄バスターミナルより 京阪宇治又は奈良交通バス(約8分)「草内口」下車すぐ 草内行き8:30 9:00 9:30 2.JR新田辺駅より東へ徒歩約18分・近鉄新田辺駅より東へ徒歩約15分 3.自家用車の方は、国道307号線 山城大橋の東側(駐車場30台) ■来聴歓迎(事前申し込み不用)、小冊子資料代:会員無料、非会員500円(当日徴収)
10:00〜 10:10 総合司会:地名研究会 糸井道浩 (入口でシンポの質問用紙配布) 開会あいさつ:主催 京都地名研究会常任理事 共催 京田辺市郷土史会会長 【基調講演】 10時10分〜12時30分 10:10〜11:20「神功皇后伝説のふる里を探る―南山城の“ 塚口義信 堺女子短期大学 学長 (日本古代史・文化人類学) 11:20〜11:25 休 憩 11:25〜12:05「竹取物語ゆかりの筒木について」 小泉芳孝 京田辺市郷土史会理事 (日本民俗学 郷土史家) 12:05〜12:30 「南山城の神社と伝承について」 石田天祐 日本語語源研究会 潟Mルガメシュ(幻想創作家 相撲史研究家) 休憩12時30分から13時20分(昼食・シンポの質問用紙回収) 周辺食事出来る所少なく弁当持参して下さい。
【シンポジウム】 13時30分〜16時30分 テーマ「秘められた南山城の地名を探る」 冒頭コメント: 「つぎねふ山代と河内との関係」−地名から仁徳・継体の筒城行幸の跡を考える− 吉田金彦 日本語語源研究会代表 姫路独協大学名誉教授 予定パネリスト:塚口義信 吉田金彦 小泉芳孝 石田天佑 斎藤幸雄 シンポジウムの司会 古川 章
シンポジウムの予定項目 途中の休憩でシンポの質問用紙回収 1.神功皇后伝説と“息長”一族それに継体天皇「筒城宮」 2.南山城の古墳(椿井大塚山古墳・佐紀古墳群・飯岡古墳群) 山代の古墳出土鏡と被葬者は? 三角縁神獣鏡 神人車馬画像鏡 3.『古事記』に記す山代の地名・人名・祭神 4.『竹取物語』にちなむ地名「山本驛」「筒城」「山崎」「甘南備山」「三室戸」など 7.山代・山背・山城、筒木・筒城・綴喜、山代川・ 質疑・応答 16時15分から16時30分 京都地名研究会事務局 綱本逸雄から連絡事項の報告 閉会あいさつ:京都地名研究会から 懇親会:17時30分〜 事前申込者のみ 主催:京都地名研究会 共催:京田辺市郷土史会 京田辺市社会教育課内 0774-62-9550 後援:京田辺市教育委員会、葛椏s新聞社、京田辺市観光協会、かぐや姫の里を考える会、 協賛:関西元気文化圏参加事業
問合せ先 ○京都地名研究会事務局 ○日本語語源研究所 ○京都地名研究会HP
【基調講演の内容】 テーマ「神功皇后伝説のふる里を探る―南山城の“
古事記や日本書紀それに風土記などに記されている神功皇后伝説や息長氏、あるいは応神天皇や継体天皇などの古代天皇を研究している塚口義信氏から「古代山城南部の歴史」、特に「南山城の“息長”一族」についてお話ししていただく。塚口氏によると、神功皇后の系譜や伝承は、滋賀県坂田郡の息長氏が有力になる6世紀以前から山城南部の“息長”一族によって伝承されてきたものであり、この一族は息長帯比売の陵墓伝承のある、大和三大古墳群の一つとして有名な佐紀古墳群と深い関わりを有しているという。京田辺市にある普賢寺の山号は息長山であり、朱智神社の祭神「山代之大筒木真若王」(「山代」「筒木」に由来する名前)をはじめ神功皇后の系譜に山城南部の地名に由来する名が多く登場する。これは、山城南部の“息長”一族がこの伝承を語り伝えてきたからであり、6世紀初頭に継体天皇が筒城宮に来たのも、この一族と近江坂田郡の息長氏が継体を支援していたからである。 “息長”“綴喜”“高木”“
テーマ 「竹取物語ゆかりの筒木について」 小泉芳孝
京田辺市に伝わる伝承や社寺の本源記、それに個人が持っている古文書を見ていると。実に古く神代の時代のことが多く書かれている。 これらの内容が何時の時代に、どのように、どういう意図を持って書かれたのか今まで解からなかった。ところが最近、堺女子短期大学の塚原義信学長の著書『やまと王権の謎をとく』などを読んだ時、今まで何となく目にして来た地元に伝わっている伝承や、古文書などに書かれていることが私の頭の中で繋がり、『古事記』に記す「 それとともに最近、京田辺市郷土史会で取り組んでいる『竹取物語』かぐや姫の里“京田辺”の『古事記』垂仁記に記す「 また、延喜式内
テーマ 「南山城の神社と伝承について」 石田天祐
私は、南山城に関する記紀神話や万葉集それに祭神など言語学の分野から迫ってみる。現代の山城における地名は、古代日本語・やまとことば・中国語・古代朝鮮語・満州語などあらゆる分野の言語から分析しないと解明できない。各地の地名や人名それに祭神などについては、派生語や母音交替形・同音同義などから言語や語根を解読していかなければならない。 それらの中から南山城における各種神社の伝承について地名や祭神がどのようにかかわっていたのかお話しする。特に継体天皇や仁徳天皇と渡来人との関係や、歴史上は神話とされている神社の祭神など言語学から見た南山城の歴史を述べる。この地域は、歴史上かなり古くから栄えていたところであり一般の歴史書には記されていない。しかしここには古くから南方や中国大陸それに朝鮮半島から渡来人が住み着き神功皇后や息長足姫に関係する地名や伝承が残っている。
【シンポジウム冒頭コメント】
テーマ「つぎねふ山代と河内との関係」−地名から仁徳・継体の筒城行幸の跡を考える− 吉田金彦
京田辺市域の地名を調べて山代と山背の国名の由来を知り、奈良のほかに河内との関係が深いことを考えた。 そして枕詞ツギネフの意味も地名山代・山背の意味に即して決定することができる。伝承時代である仁徳天皇は、淀川・木津川を経て筒城入りした。また継体天皇は、河内の国から山越えで山背にやってこられた。それらは地名で推理することができるのである。
パネリスト 「流域をめぐる史跡・伝承」 斎藤幸雄
木津川をめぐる歴史や文学(古代〜近代)にこだわり、ロマンを求めてその伝承や史跡を探訪してきた。そういう中で多くの「南山城逃避行」現象を見いだした(古代より近世の徳川家康・熊沢蕃山にいたる)。磐之媛などもその一人である。市辺押磐皇子の遺児顕宗・仁賢天皇もそうだが、継体天皇もその視点で見ると面白いのではと思ったりしている また古伝承を、「水」を視点にしてとらえてみるのもその謎を探るうえで面白い。田辺の神功皇后不違池伝説、精華町の
シンポジウムの司会 古川 章
洛南艸舎文庫『洛南艸舎手づくり消息』を主宰し、第43号を数える。京田辺市役所で37年勤務し、今まで『京都府田辺町史』『田辺町郷土史社寺編』『田辺町近代誌』『田辺町近世近代資料集』の刊行。京田辺市郷土史会の『筒城』などの編纂や事務局を担当した。 今回シンポジウムの司会を担当することになり郷土史の素晴らしい歴史を各分野の専門の先生方や郷土史家の方たちと共に研究できることを嬉しく思っている。
「新しい視点と展開に期待」
南山城地方は、近畿の中心地であり、加えて関西学術研究都市として20世紀は脚光を浴びた。そのため開発も著しく進み、考古学の分野や市町村史誌の刊行による古文書類の発掘なども進んだ。しかし、21世紀は、大陸からの渡来人の足跡など、黒潮文化の解明を深めなければならないと思われる。こうしたとき「秘められた南山城の地名を探る」は、自宣を得たテーマといえる。 バネラーの諸先生方の新しい視点として南山城のこれまでの南北軸文化に加えて、東西軸文化の幕開けにふさわしいシンポジウムであろう。 「京都地名研究会」設立の主旨
地名は固有名詞であり、普通名詞という二重性を持っている。
「京都地名研究会」発足にあたって 「京都地名研究会」設立総会挨拶から 代表理事 吉田金彦
新緑の良い季節を迎え、皆様、益々ご健勝の程、お喜び申し上げます。 本日はここに、京都地名研究会発足に当たり、御用も多々御ありの中を、態々ご来会賜りまして、誠に有難うございます。各地の先輩各位や、府下内外の多くの有志のご声援によりまして、漸く、会の出発できます事は、この上ない喜びであり、幸せな事として、同慶の念で一杯であります。 京都地名研究会なるものは、実は、今から十五年前の昭和六十二年に一度、設立された事がありました。その提唱者は京都市の郷土史家松本利治翁で、研究会もその六月に発足したのでしたが、氏は大作「京都市町名変遷史」の研究に取り組んでおられ、暫くの研究会も、氏の逝去と共に続かなくなりました。私共の非力から、氏の後を継続できなかった事は、とても残念な事でしたが、しかし十五年後の今日、振り返ってみて、その間が失われた空しい時間だったとも、思われません。開設五年の語源研究会で忙しくしていた私の研究内容は、その当時結構、地名がテーマになってもおりました。 昨年十月に川崎市で全国地名研究者大会、同じく十一月に京都で日本語語源研究会、共に創立二十周年を迎えて、それぞれに記念の大会が開催されました。同時スタート兄弟学会のような関係でもありましたから、全国地名を主宰なさる民俗学の谷川健一所長を迎えての語源大会は、大いに盛り上がりました。その折に谷川氏の強い要請がありまして、矢張り、京都にも地名の学会を、と言う声が燃え上がったしだいです。京都地名研究会の名が、ここに再び復活することになったわけで、思えば、谷川氏の激励の賜物だったと、厚く感謝しております。 語源研究者の中にも沢山の地名研究者が居られる。京都には大学人も多いし、歴史や地理の話題には事欠かない。京都府下一円を中心に、及ぶところ遍く広く、府市町村民挙って集まり、地名のことを勉強しようと言う事になりました。 地名は、其処に人が住んでいます。人が住み、暮らし、生産したり、遊んだり、そして死んでゆく所です。そんな大地に名付けして、地名を日常茶飯事に使っています。ですから、地名の主人公は住民です。私共は、すっかり慣れっこになって、ややもすると無限の恩恵を受けている大地を忘れがちな様に、此れ無しに暮らせない必需の地名の大切さを、忘れていませんか。主人公 地名は大地に刻まれた歴史だ、とよく言われます。それ程重要なのに、スローガンほど地名学が、現代日本の科学の中で、確固たる地歩を占めてはいません。重要性は認知していても、学問体系に沿わない為か、これを正面から取り上げる人が、きわめて少ないのです。地名研究は従来、地理学や歴史学、その他諸学の関連的研究として、また熱心な郷土史家達の努力によって、行われてきました。その成果は、今日、大きな地名辞典として幾つか出来ていますが、今の日本の大学に、地名大学や、地名学部・地名学科など聞いた事がありません。国際交流とか、学際研究とか、総合研究とか、色々に叫ばれてはいますものの、地名に着眼し、そこを基点に発信する着想は、まだ無いようです。 ただ嬉事は、近年、その閉塞状態を打開しようとして、環境学とか、地域学とか、そういう名で呼ばれる提唱が、あちこちで起こってきた事です。もう従来の学問の方法論では駄目だ、と言う事に気づいたのでありましょう。そして、私の立場から、口幅ったい事を言わせていただけるなら、更にもう一歩踏み込んで、それら環境学なり、地域学なりに、地名という言葉の視点を重視して、それを是非加えて欲しいと言う事です。言葉の視点から、歴史を見る、地理を見る、と言う事で、歴史や地理の真相に迫れる事が、案外に多いのではないでしょうか。専門の歴史や地理学者が、地名については誠に幼稚な意見であったり、誤解をしている例がくないのを見るに付け、遺憾に思うことがしばしばです。此れの責任は、現時点であえて言えば、国語学や言語学に於ける地名分野の研究の欠落にありと言えましょう。 以上のような反省に立って、諸学手を繋いで、同じ目線で等距離に、地名を対象として調査・研究し、その過程と成果を公普及させ、学習・教育にも応用してゆきたいと、考えます。地名研究は、自分の足元から。そして、歩いていく先々の地名まで。懐かしい故郷の地名、旅先で見つけた珍しい地名、変わった名前や読めない漢字の地名など、ぐるりにある地名の謎に、挑戦してみましょう。そこから、きっと新しい知識が開け、ゆとりのある心が育まれていくと、思います。 地名は、寺社が文化財であるのと同じに、貴重な文化財です。日本の地名は、日本人の心のこもった<心的文化財>でありま大小に関わらず、有名無名に関わらず、どこの地名もみな文化遺産です。ですから、これの取り扱いには良く勉強して、取り掛かりましょう。 京都における地名研究は、ソフト面でード面でも、あらゆる分野にわたる重要な意義がありますが、全てこれからです。意義有る本日の発会に、ご来駕賜りました来賓、メッセージを頂きました各位、ご多用中をお集まりいただいた会場の皆様に、篤く感謝申し上げ、今後とも宜しくお願い申し上げます。 平成14年4月28日(日) 京都地名研究会役員 【顧 問】池田末則・上田正昭・梅原 猛・沢 潔・谷川健一・中西 進・森 浩一 【代表理事】吉田金彦 【理 事】池田 碩・井上満郎・上谷正男・尾崎聖二朗・片平博文・金坂清則・加畑 昭・ 芝野康之・杉本利一・高橋聡子・竹田賢信・谷口隆捷・寺田 敬・西尾寿一・ 藤田昌志・古川 章・前田 徹・山口富蔵 【常任理事】池田哲郎・石田天佑・糸井通浩・井上千恵子・梅山秀幸・小泉芳孝・ 小林淳夫・角 菊彦・田上 源・綱本逸雄・真下美弥子 ●年会費 年額3千円(正会員)。賛助会員1口5千円、家族会員1千円。 郵便振替口座番号:00910-1-160705 加入者名/京都地名研究会 『地名探求』毎年4月発行(総会で配布)研究発表・研究論文など、原稿締め切り2月末
『都藝泥布(Tsuginefu)』「通信」会員向けニュース(例会前に発行)
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当日配布した冊子のないようです。140ページにも登る貴重な資料です。
京都地名研究会の第6回例会は、特別企画による公開シンポジウム「秘められた南山城の地名を探る」を京田辺市で開催されることになりました。今回のシンポジウムは、南山城の歴史の謎に迫るべく南山城スペシャルとして神功皇后や継体天皇などの研究者として最先端を走っておられる堺女子短期大学の塚口義信学長やこの地域を研究しておられる京都地名研究会員をパネリストとしておこし頂きそれぞれ専門の分野から報告して頂くことになりました。 南山城には、かなり古くから渡来人によって先進的な文化が伝わり栄えたといわれています。特に筒木の原や普賢寺谷では、神功皇后や仁徳天皇それに継体天皇などが居住していたといわれ、記紀などに明記されています。また、今まで神話と言われていた大筒木垂根王や大筒木真若王それに迦邇米雷王などの時代においては、平安時代に作られた『竹取物語』に「迦具夜比売命(かぐや姫)」がいて実在の皇后であるなど最近興味ある発表が地元の郷土史会から報告されています。 この冊子は、メインテーマ「秘められた南山城の地名を探る」における基調講演とシンポジウムのレジュメ及び資料として作成いたしました。編集担当者としては、当初レジュメのつもりで取りかかったのですが、先生方の熱意により沢山の貴重な資料をご提供いただき立派な冊子(別冊1号)に仕上げることが出来ました。各先生方のご協力により貴重な研究資料を提供して頂きましたことを、この場を借りてお礼申し上げます。 この冊子が南山城地域における歴史解明の為の資料として役立てることが出来れば幸いです。
別冊1号(京都地名研究会) ※上記の本を注文された沢山の全国の方からお礼のメールや手紙を沢山頂いています。その中から前橋市の女性から下記の丁重な絵葉書を頂きました。 タイトル 別冊<シンポジウム>「秘められた南山城の地名を探る」 『郵便振込』 講座番号 00920-7-40389 村瀬さまへから御礼のメールをいただきました。
Sent: Thursday, May 20, 2004 12:00 PM Subject: Re: 別冊 シンボ資料冊子をお願いします
昨日「シンポジウム 秘められた南山城の地名を探る」の冊子を頂きました素晴らしい内容に感服しました
この2,3日当方の紙上で「卑弥呼の畿内説」が盛んに話題になっております
冊子の内容もそうした事柄を背景に読んでいくと興味津々
今後ともご指導の程をお願いします まずは受け取りの報告まで
「京都地名研究会」設立の主旨 京都地名研究会 代表理事 吉田金彦
地名は固有名詞であり、普通名詞という二重性を持っている。 「京都地名研究会」発足にあたって
「京都地名研究会」設立総会挨拶から 代表理事 吉田金彦
新緑の良い季節を迎え、皆様、益々ご健勝の程、お喜び申し上げます。 本日はここに、京都地名研究会発足に当たり、御用も多々御ありの中を、態々ご来会賜りまして、誠に有難うございます。各地の先輩各位や、府下内外の多くの有志のご声援によりまして、漸く、会の出発できます事は、この上ない喜びであり、幸せな事として、同慶の念で一杯であります。 京都地名研究会なるものは、実は、今から十五年前の昭和六十二年に一度、設立された事がありました。その提唱者は京都市の郷土史家松本利治翁で、研究会もその六月に発足したのでしたが、氏は大作「京都市町名変遷史」の研究に取り組んでおられ、暫くの研究会も、氏の逝去と共に続かなくなりました。私共の非力から、氏の後を継続できなかった事は、とても残念な事でしたが、しかし十五年後の今日、振り返ってみて、その間が失われた空しい時間だったとも、思われません。 語源研究者の中にも沢山の地名研究者が居られる。京都には大学人も多いし、歴史や地理の話題には事欠かない。京都府下一円を中心に、及ぶところ遍く広く、府市町村民挙って集まり、地名のことを勉強しようと言う事になりました。 地名は、寺社が文化財であるのと同じに、貴重な文化財です。日本の地名は、日本人の心のこもった<心的文化財>であります。大小に関わらず、有名無名に関わらず、どこの地名もみな文化遺産です。ですから、これの取り扱いには良く勉強して、取り掛かりましょう。その為にも、データを保存し活用する施設、地名資料館と言うようなものが、京都府には当然、必要になりましょう。 京都における地名研究は、ソフト面でもハード面でも、あらゆる分野にわたる重要な意義がありますが、全てこれからです。意義有る本日の発会に、ご来駕賜りました来賓、メッセージを頂きました各位、ご多用中をお集まりいただいた会場の皆様に、篤く感謝申し上げ、今後とも宜しくお願い申し上げます。
「竹取物語のかぐや姫」 私たちが幼いときに聞いた「かぐや姫」の話は、日本の各地で語り継がれています。 五人の求婚者 上記から、かぐや姫に求婚する五人の求婚者の官職・名前がはっきり書かれています。 江戸時代末期に『竹取物語考』と言う本で加納諸平が、この五人は奈良時代の「壬申の乱」に関係のあ る人物の名前であるとして、その人物を 石作皇子・車持皇子・右大臣阿倍御主人・大納言大伴 御行・中納言石上麻呂足と推定しました。 『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺 と題した展示 京田辺市民文化祭の「郷土史会コーナー」には、田辺の竹を利用した
同志社大学名誉教授の森浩一氏は、京田辺市中央公民館で平成12年9月23日(土)に
NHKニュース「かぐや姫」 竹取物語シンポシウム (平成13年9月22日放送)「かぐや姫 『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺 シンポシウムと小冊子の発行 京田辺市郷土史会 京田辺市は、奈良・京都・大阪の中間に位置し、古くから文化が栄えた所である。既に京田辺市 ■京都地名研究会開催 なお、この内容についてのお問合せは、 京田辺市郷土史会の小泉芳孝までお問い合わせ下さい。 京田辺市郷土史会その後2013年度に「国際かぐや姫学会」が発足改名されました。
海で漁をする海幸彦の「ホデリ」と、山で狩りをする山幸彦の「ホオリ」は兄弟です。 上記の古代の薩摩地方には「隼人族」は、6世紀のころ京都府京田辺市の大住に「大住隼人が住み着いた」ことが正倉院の古文書に出ています。
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「かぐや姫文庫」館長が来訪し見学 2003.5.24
竹原市に「かぐや姫文庫」の館長が京田辺市へ訪れ、竹取物語ゆかりの地を見学されました。
山口真一氏さんの紹介
ヒューマン・クリエイト・コンサルティング 所長
プロフィール
昭和32年 広島県尾道市生まれ
昭和56年 慶應義塾大学商学部卒 マーケティング専攻
ホンダ系自動車販社入社
昭和62年 米国IBM系日本法人入社
平成元年 住友ビジコン(現日本総合研究所)入社
平成
6年
ヒューマン・クリエイト・コンサルティング
を設立し、経営指導活動に従事
多くの若手営業マンを全国No.1に育成
11月2日、尾道ゆかりの作家の文献を集めた「尾道文庫」をオープンした。千光寺山の中腹に住居を構える島居勝さんの協力を得て、同家の離れ家を改装。山口さんが収集した志賀直哉に関する文献・資料220冊などを収め一般公開をはじめた。
経営コンサルタントの事業を営む傍ら、出身地尾道の歴史、文化に関心を寄せる山口さんは以前から林芙美子らゆかりの作家に関心を深め、関連の文献も多数集めて来た。「志賀直哉についても同様で、今年は同氏の30回忌にも当たることから、これを期しての文庫開設となりました」。
機会があれば古本屋などに飛び込み、地道に収集活動を続けて来た。尾道文庫はその集大成で、北高時代の同級生で地元の寺の僧りょを務める加藤慈念さんとの共同企画で実現した。
志賀直哉は明治45年から2年近くを尾道で過ごし、当時の生活模様なども織り交ぜた小説「暗夜行路」(新潮社)は代表作品。
以後「早春」(小山書店)や「雪の日」(新潮社)など120の著述を残し大正期の青年たちに影響を与えた。こうした初版、復刻版120冊に加え、関連の研究書籍120冊を収集。図書館など公的な機関が予算を付けて、ともすれば在り来たりの収集に終わるのに対し、山口さんは直哉の知人らの遺族と会い、貴重な資料を譲ってもらうなど文字通り「地を這う」努力で集めたものが多い。
「個人の収集ですから、予算は限られています。でも、情熱でもって、幾らお金を積んでも譲って頂けない貴重な資料(書簡など)を集めることができました」。 開館は金、土、日曜日と祝日のいずれも午前11時から午後5時。入場料は200円。貴重な本を手に取って読むことができるほか、来年からは貸し出しにも応じる計画。
本業は経営コンサル
山口さんは数年前、竹原市にオープンした「かぐや姫美術館」(加藤慈念館長)に付設する「かぐや姫文庫」の館長も務めている。
「そんな事ばかりしているせいか、どこか書生くさく見られることがあるんです」と苦笑い。現実は多くの上場企業の経営顧問を務めるなどビジネス業界では広く知られた人でもある。慶大商学部を卒業後、入社したIBMや大手経営コンサルタント会社でマーケティング戦略を研究。平成6年、郷里の尾道に戻って経営コンサルタント事務所「ヒューマン・クリエイト・コンサルティング」を開設。
1ヵ月のうち25日は東京、大阪などへ出張、講演会なども精力的にこなしている。▽ヒューマン・クリエイト・コンサルティング(尾道市天満町13-9-505、TEL0848・24・2180)。
ホームページを御覧になって下記のメールを頂きました。
中山
幸治さん 2001年3月17日
17:58
ホームページ見ていますと、同志社大学の方々によるホームページですか?
民俗学やなにやかやと興味のある分野がいろいろ並んでいますね。とりあえず竹取物語だけは通読させていただきましたけれど、なかなかおもしろく何処よりも本命だと思いました。竹取物語は奈良県広陵町が本家でしたが消えてしまいましたね。詳しく調べるとこじつけだと判りました。大手出版社の言うことは、古い説ですね。頑張ってください。
それから、書籍の案内の件、私のホームページの趣旨もあって、今のところ一応自分が読んだものしか掲載しないことにしています。しかし、竹取物語のところは、非常に興味があるので、佐牙神社は一度行ってみることにします。それと筒城宮跡と・・・。
観音寺のあたりはよくうろうろしています。聖武天皇の勅願寺だったから、相当大きな寺だったと思います。多々羅という地名もちょっと気になっていました。作者空海説にバッチりだと判りました。ここは日本の「あけぼの」ですね。物部氏の降臨した石船神社もあるのですね。
あのあたりは結構おもしろいところだと思います。西に国道307号線沿いに真っ直ぐ行ったら、枚方の百済王寺跡にぶちあたるし、東に木津川を越えると、橘諸兄の井出寺跡とか、蟹満寺、高麗寺跡があって、相当文化度の高いところだったでしょうね。渡来系の文化が特に目立ちます。20年も前に金達寿氏の「日本の中の朝鮮文化」という本を読んで、このあたりのことが特に詳しく書かれていた。
それから、確か筒城宮の継体天皇も、近江北部の渡来系の息長氏あたりと関係が深かったんではないでしょうか。同志社には、考古学の森先生がいらっしゃるので、おもしろい情報が選り取りみどりというところでしょうか。
私のホームページはまったくの道楽なので何の役に立ちませんが、貴殿の御本はきっと世間のお役の立つものと存じます。ご尽力に敬服いたします。
Aさんからメールを頂きました。
7/19−24シルクロードの旅でお世話になりました今中です。旅行中は多くの興味深いお話を伺い、ありがとうございました。敦煌の遺跡をはじめ多くの史跡を見ることができた感動もさることながら、竹取物語の発祥地、仏教伝来ルート、米の伝来ルートなど興味深いお話を伺うことができ、今回の旅はこれまでに無い充実したものとなりました。帰国後早速、ホームページを拝見し、多岐に渡る詳細な内容とご活躍ぶりに感心しました。中でもやはりかぐや姫考に最も感心しました。
かぐや姫の昇天部分は仏教の来迎図がベースではないか、羽衣説話、五難題説話を接合し日本の実在モデルと入れ替え仏教、神仙知識を調合した漢文物語ではないかなどの記述は、作者の壮大な知識、才能に感嘆します。果たして一人の作者でできたものか、何を目的に書いたのか、仏教の教えを大衆にわかりやすく説くためのものなのか、藤原京時代の天皇や貴族社会を暗に批判するためのものなのか、しかしこの時代は文章表現の自由がこんなに許されていたのか、など次々と疑問がわきます。竹取物語は宇宙的ロマンの世界に大衆を引き込む、もっと評価されて良い大作ではないでしょうか。
> 今後チベットなどに行かれ、新たな発見をされ、さらにかぐや姫考を肉付けされることを期待しております。
> かぐや姫考のバージョンアップ、テレビ放映、出版などされましたら、拝見いたしたくお教えいただければ幸いです。ご健闘をお祈り申しあげます。
今中哲男
『竹取物語』発祥の地は "京田辺”(その3)へ 『竹取物語』かぐや姫サミット(その2)へ
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竹取翁博物館 大筒木出版 「国際かぐや姫学会」movie
場所:〒610-0313京都府京田辺市三山木直田10 代表者小泉芳孝
JR片町線「JR三山木駅」東へ徒歩3分 近鉄京都線「三山木駅」東へ徒歩2分
TEL・FAX 0774-62-2522 携帯 090−6961−9391
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