「かぐや姫の里を考える会 ホームページ 開始:平成15年7月開設 Taketori okina Museum Theme Park (英題The tale of the bamboo cutter.) The old bamboo-hewer's story = Taketori no okina no monogatari。(The old bamboo-hewer's story (Taketori monogatari) Il Taketori Monogatari ossia la fiaba del nonno tagliabambu. Severini, Antelmo. Firenze,Le Monnier
(京田辺市郷土史会) 隼人サミット「古代隼人文化を語る」(その5) 鹿児島県隼人町 目 的 隼人町一帯は古代日向国の大隅、阿多の中央に位置し、曽の国と呼ばれていました。 この地域は一宮正八幡宮である鹿児島神宮を持ち、海幸・山幸伝説など神武東征に係る伝説が数多く存在します。鹿児島神宮には、山幸が龍宮から持ち帰ったとされる、潮満玉と潮引き玉が保管されていると言われています。また、天皇の即位の礼に舞われるとされる隼人舞も千年もの時代を経た現在でも受け継がれていると言われます。 この隼人舞が庶民化し、祭事などで舞われ、せばる隼人舞・京田辺市の隼人舞、さらに猿楽・能楽へと進化したものと言われています。これらの事が物語る古代隼人の文化とは、古代日本の形成に大きく影響した事が伺えます。 今回の隼人サミットでは、隼人に関する講演やシンポジウムのほか京田辺市の隼人舞や鹿児島神宮の隼人舞の競演を予定しています。シンポジウムでは、考古学者や隼人研究者それに民俗学者らとともに、隼人の竹と文化、機内隼人の歴史、海幸・山幸の神話それに隼人と竹取物語との関係などの隼人の文化を掘り起こすことになっています。 開 催 日 : 平成16年8月1日(日) シンポジウム13時30分〜 《開催スケジュール》 《参加者略歴》 シンポジウム「秘められた南山城の地名を探る
平成15年9月29日 京都地名研究会 京都地名研究会は、別紙のようなシンポジウム「秘められた南山城の地名を探る」を開催しました。 古代天皇である継体天皇や地域に伝説が残っている神功皇后などについて日本の第一人者である堺女子短期大学の塚口義信学長や、この地域を研究している京都地名研究会員をパネリストとして専門の分野から報告して頂きます。今回のシンポジウムは、伝承だけではなく地域に実在していた物で歴史教科書をなどを書き変えなくてはならないのではないかと思われる内容となつています。 記 開催日: 平成15年10月19日(日) 時 間: 午前10時〜16時30分 場 所: 京田辺市立中部住民センター メインホール(収容人員200人以上) 〒610−0311京都府京田辺市草内美泥22−2 0774−64−8810 来聴歓迎(事前申し込み不用)、小冊子資料代:会員無料、非会員500円(当日徴収) パネリスト:塚口義信 吉田金彦 小泉芳孝 石田天佑 斎藤幸雄 内容 1.神功皇后伝説は、伝説でなく山城を本拠地にして居住していた。 2.仁徳天皇「奴理能美の家と皇后磐之媛」は、 3.継体天皇「筒城宮」は、息長氏(渡来人)の南山城と深い関係があり筒木に来た。 4.『竹取物語』のかぐや姫は、筒木を舞台にして書きあげられた。 6.山背(やましろ)は、平城京の背だけであったが、難波京からの背でもある。 主催:京都地名研究会 共催:京田辺市郷土史会 京田辺市社会教育課内 0774-62-9550 後援:京田辺市教育委員会、葛椏s新聞社、京田辺市観光協会、かぐや姫の里を考える会、 協賛:関西元気文化圏参加事業 (「関西から文化力 POWER OF CULTURE」ロゴマーク使用) 以上 <シンポジウム> メインテーマ「秘められた南山城の地名を探る」
山城は古くから文化の栄えた所です。京都地名研究会では、南山城における『記紀』や『万葉集』などの古代地名や人名について、研究者をお招きして「秘められた南山城の地名を探る」を開催されました。このシンポジウムにより南山城の古代地名を明らかにすることにより先進的な地域であったことがわかりました。 日本語と日本文化の起源を知るには、地名への関心が一つの大きな意味を持っています。文献の記録をもとに、土地の伝承に耳を傾け、南山城の古代地名を明らかにされました。 開催日: 平成15年10月19日(日) 時 間: 午前10時〜16時30分 場 所: 京田辺市立中部住民センター メインホール(収容人員200人以上) 〒610−0311京都府京田辺市草内美泥22−2 0774−64−8810 <交通アクセス> JR片町線 新田辺駅・近鉄京都線 新田辺駅下車 1.近鉄バスターミナルより 京阪宇治又は奈良交通バス(約8分)「草内口」下車すぐ 草内行き8:30 9:00 9:30 2.JR新田辺駅より東へ徒歩約18分・近鉄新田辺駅より東へ徒歩約15分 3.自家用車の方は、国道307号線 山城大橋の東側(駐車場30台) ■来聴歓迎(事前申し込み不用)、小冊子資料代:会員無料、非会員500円(当日徴収) 10:00〜 10:10 総合司会:地名研究会 糸井道浩 (入口でシンポの質問用紙配布) 開会あいさつ:主催 京都地名研究会常任理事 共催 京田辺市郷土史会会長 【基調講演】 10時10分〜12時30分 10:10〜11:20「神功皇后伝説のふる里を探る―南山城の息長の地名を手がかりとして―」 塚口義信 堺女子短期大学 学長 (日本古代史・文化人類学) 11:20〜11:25 休 憩 11:25〜12:05「竹取物語ゆかりの筒木について」 小泉芳孝 京田辺市郷土史会理事 葛椏s放送(日本民俗学 郷土史家) 12:05〜12:30 「南山城の神社と伝承について」 石田天祐 日本語語源研究会 潟Mルガメシュ(幻想創作家 相撲史研究家) 休憩12時30分から13時20分(昼食・シンポの質問用紙回収) 周辺食事出来る所少なく弁当持参して下さい。 【シンポジウム】 13時30分〜16時30分 テーマ「秘められた南山城の地名を探る」 冒頭コメント: 「つぎねふ山代と河内との関係」−地名から仁徳・継体の筒城行幸の跡を考える− 吉田金彦 日本語語源研究会代表 姫路独協大学名誉教授 予定パネリスト:塚口義信 吉田金彦 小泉芳孝 石田天佑 斎藤幸雄 シンポジウムの司会 古川 章 シンポジウムの予定項目 途中の休憩でシンポの質問用紙回収 1.神功皇后伝説と“息長”一族それに継体天皇「筒城宮」 2.南山城の古墳(椿井大塚山古墳・佐紀古墳群・飯岡古墳群) 山代の古墳出土鏡と被葬者は? 三角縁神獣鏡 神人車馬画像鏡 3.『古事記』に記す山代の地名・人名・祭神
4.『竹取物語』にちなむ地名「山本驛」「筒城」「山崎」「甘南備山」「三室戸」など 7.山代・山背・山城、筒木・筒城・綴喜、山代川・和訶羅河・輪韓河・泉川(河) 質疑・応答 16時15分から16時30分 閉会あいさつ:京都地名研究会から 懇親会:17時30分〜 事前申込者のみ 主催:京都地名研究会 共催:京田辺市郷土史会 京田辺市社会教育課内 0774-62-9550 後援:京田辺市教育委員会、葛椏s新聞社、京田辺市観光協会、かぐや姫の里を考える会、 協賛:関西元気文化圏参加事業 (「関西から文化力 POWER OF CULTURE」ロゴマーク使用)
【基調講演の内容】 テーマ「神功皇后伝説のふる里を探る―南山城の“息長” 古事記や日本書紀それに風土記などに記されている神功皇后伝説や息長氏、あるいは応神天皇や継体天皇などの古代天皇を研究している塚口義信氏から「古代山城南部の歴史」、特に「南山城の“息長”一族」についてお話ししていただく。塚口氏によると、神功皇后の系譜や伝承は、滋賀県坂田郡の息長氏が有力になる6世紀以前から山城南部の“息長”一族によって伝承されてきたものであり、この一族は息長帯比売の陵墓伝承のある、大和三大古墳群の一つとして有名な佐紀古墳群と深い関わりを有しているという。京田辺市にある普賢寺の山号は息長山であり、朱智神社の祭神「山代之大筒木真若王」(「山代」「筒木」に由来する名前)をはじめ神功皇后の系譜に山城南部の地名に由来する名が多く登場する。これは、山城南部の“息長”一族がこの伝承を語り伝えてきたからであり、6世紀初頭に継体天皇が筒城宮に来たのも、この一族と近江坂田郡の息長氏が継体を支援していたからである。 “息長”“綴喜”“高木”“綺田”などをはじめとする南山城の地名を手がかりに、神功・応神伝承の謎を解き明かすとともに、4〜6世紀における山城南部の政治集団とヤマト政権(畿内政権)との関わりについて考察していただく。 塚口氏紹介−堺女子短期大学 学長、文学博士。1946年大阪府生まれ。専攻:日本古代史・文化人類学。関西大学第一高等学校・第一中学校教諭、関西大学講師など歴任。主な著書『神功皇后伝説の研究』(創元社)『ヤマト王権の謎をとく』(学生社)『古代王朝をめぐる謎』(学生社)『三輪山の古代史』(学生社)『三輪山の神々』(学生社)『古代天皇のすべて』(新人物往来社)など。
テーマ 「竹取物語ゆかりの筒木について」 小泉芳孝 京田辺市に伝わる伝承や社寺の本源記、それに個人が持っている古文書を見ていると。実に古く神代の時代のことが多く書かれている。 これらの内容が何時の時代に、どのように、どういう意図を持って書かれたのか今まで解からなかった。ところが最近、堺女子短期大学の塚原義信学長の著書『やまと王権の謎をとく』などを読んだ時、今まで何となく目にして来た地元に伝わっている伝承や、古文書などに書かれていることが私の頭の中で繋がり、『古事記』に記す「山代之大筒木真若王」「大筒木垂根王」や、『日本書紀』に記す「筒木の韓人、名は奴理能美」「仁徳天皇の歌と磐之媛の答歌」それに、その後の出来事などが私の頭の中で具体的なイメージとして浮かび上がってきたのである。 それとともに最近、京田辺市郷土史会で取り組んでいる『竹取物語』かぐや姫の里“京田辺”の『古事記』垂仁記に記す「大筒木垂根王之女、迦具夜比売命」も架空の人物でなく「筒木」(筒城・綴喜)に居住していた人で、大筒木垂根王は筒木を舞台に活躍した実在の人物であったことがわかった。 また、延喜式内朱智神社の祭神や息長山普賢寺それに甘南備山、継体天皇の「筒城宮」などから、『竹取物語』ゆかりの筒木が山代地域において重要な位置を占めていることに気付いた。これらについて私なりの考えを述べてみたいと思います。 小泉氏紹介−京田辺市郷土史会理事、葛椏s放送勤務。1947年京都府生まれ。近畿大学法学部法律学科卒業、佛教大学文学部史学科卒業、専攻:日本民俗学・郷土史。京都民俗学談話会会員、京都府立山城郷土資料館友の会。主な著書『稲作民俗の源流−日本インドネシア』(文理閣)。主な投稿『竹取物語“かぐや姫の里”京田辺』京田辺市郷土史会編・『京都民俗』京都民俗学談話会会誌・『筒城』京田辺市郷土史会報など。
私は、南山城に関する記紀神話や万葉集それに祭神など言語学の分野から迫ってみる。現代の山城における地名は、古代日本語・やまとことば・中国語・古代朝鮮語・満州語などあらゆる分野の言語から分析しないと解明できない。各地の地名や人名それに祭神などについては、派生語や母音交替形・同音同義などから言語や語根を解読していかなければならない。 それらの中から南山城における各種神社の伝承について地名や祭神がどのようにかかわっていたのかお話しする。特に継体天皇や仁徳天皇と渡来人との関係や、歴史上は神話とされている神社の祭神など言語学から見た南山城の歴史を述べる。この地域は、歴史上かなり古くから栄えていたところであり一般の歴史書には記されていない。しかしここには古くから南方や中国大陸それに朝鮮半島から渡来人が住み着き神功皇后や息長足姫に関係する地名や伝承が残っている。 石田氏紹介−潟Mルガメシュ代表。1943年静岡県生まれ。京都大学文学部言語学科卒業、同大学院修士課程終了。相撲史研究家・幻想創作家。日本語源研究会・総合文芸誌「まほろば」編集長。著書『イグドラシルの言語学 −やまとことばの源流を尋ねて』『義留我明主の言語学 −続やまとことばの源流を尋ねて』(ギルガメシュ出版)・『忽然の人』(ギルガメシュ出版)・『マルドゥクの怒り』(ギルガメシュ出版)・小説集『風と馬と』(現代企画室)など。
テーマ「つぎねふ山代と河内との関係 京田辺市域の地名を調べて山代と山背の国名の由来を知り、奈良のほかに河内との関係が深いことを考えた。 そして枕詞ツギネフの意味も地名山代・山背の意味に即して決定することができる。伝承時代である仁徳天皇は、淀川・木津川を経て筒城入りした。また継体天皇は、河内の国から山越えで山背にやってこられた。それらは地名で推理することができるのである。 吉田氏紹介−日本語語源研究会代表、京都地名研究会代表理事。1923年香川県生まれ。京都大学文学部卒業。専攻:国語国文学。京都府立女子短大教授、大阪外国語大学教授、姫路独協大学名誉教授。著書:『日本語語源学の方法』(大修館)、『古代日本語をさぐる』(角川書店)、『古代日本語を歩く』(弘文堂)、『京都滋賀 古代地名を歩く』T・U(京都新聞社)、「ことばのカルテ」(創拓社)、「埋もれた万葉の地名」(東京堂)など。
木津川をめぐる歴史や文学(古代〜近代)にこだわり、ロマンを求めてその伝承や史跡を探訪してきた。そういう中で多くの「南山城逃避行」現象を見いだした(古代より近世の徳川家康・熊沢蕃山にいたる)。磐之媛などもその一人である。市辺押磐皇子の遺児顕宗・仁賢天皇もそうだが、継体天皇もその視点で見ると面白いのではと思ったりしている。 また古伝承を、「水」を視点にしてとらえてみるのもその謎を探るうえで面白い。田辺の神功皇后不違池伝説、精華町の船長伝説、山代大国之淵の娘綺戸辺にまつわる亀石伝説、武埴安彦・忍熊王・莵道稚郎子等々。その背後に水系氏族の息長氏・和珥氏が介在、葛城氏や丹波の氏族もかかわる。 専門研究家ではないので、南山城の歴史ロマンを楽しむ立場からシンポシウムに参加できたらと思っている。 斎藤氏紹介−緑と教育と文化財を守る会(城陽市)副会長、枚方文学の会会員、1937年旧満州国生まれ。京都教育大学第二社会学科卒業、大阪府公立中学・高校に在職した。専攻:日本中世史(平家物語)、著書:『木津川歴史散歩』(かもがわ選書)、『続・木津川歴史散歩』(かもがわ選書)、『やましろ歴史探訪』(かもがわ出版)。枚方文学の会会誌『法螺』に「木津川歴史散歩」を連載(今は宇治川に視点を移している)。また古典文学を読む三つのサークルに所属し、平家物語や太平記を読み続けている。 シンポジウムの司会 古川 章 洛南艸舎文庫『洛南艸舎手づくり消息』を主宰し、第43号を数える。京田辺市役所で37年勤務し、今まで『京都府田辺町史』『田辺町郷土史社寺編』『田辺町近代誌』『田辺町近世近代資料集』の刊行。京田辺市郷土史会の『筒城』などの編纂や事務局を担当した。 今回シンポジウムの司会を担当することになり郷土史の素晴らしい歴史を各分野の専門の先生方や郷土史家の方たちと共に研究できることを嬉しく思っている。 南山城地方は、近畿の中心地であり、加えて関西学術研究都市として20世紀は脚光を浴びた。そのため開発も著しく進み、考古学の分野や市町村史誌の刊行による古文書類の発掘なども進んだ。しかし、21世紀は、大陸からの渡来人の足跡など、黒潮文化の解明を深めなければならないと思われる。こうしたとき「秘められた南山城の地名を探る」は、自宣を得たテーマといえる。 バネラーの諸先生方の新しい視点として南山城のこれまでの南北軸文化に加えて、東西軸文化の幕開けにふさわしいシンポジウムであろう。 古川氏紹介−洛南艸舎文庫主宰。1937年京都府生まれ。立命館大学文学部卒業、専攻:日本文学。歌人・エッセイスト。主な著書『田辺郷土史なんやかんや』『南やましろの綴喜』共書、『京のかくれ話』(同朋舎) 「京都地名研究会」設立の主旨 地名は固有名詞であり、普通名詞という二重性を持っている。
「京都地名研究会」設立総会挨拶から 代表理事 吉田金彦
新緑の良い季節を迎え、皆様、益々ご健勝の程、お喜び申し上げます。 本日はここに、京都地名研究会発足に当たり、御用も多々御ありの中を、態々ご来会賜りまして、誠に有難うございます。各地の先輩各位や、府下内外の多くの有志のご声援によりまして、漸く、会の出発できます事は、この上ない喜びであり、幸せな事として、同慶の念で一杯であります。 京都地名研究会なるものは、実は、今から十五年前の昭和六十二年に一度、設立された事がありました。その提唱者は京都市の郷土史家松本利治翁で、研究会もその六月に発足したのでしたが、氏は大作「京都市町名変遷史」の研究に取り組んでおられ、暫くの研究会も、氏の逝去と共に続かなくなりました。私共の非力から、氏の後を継続できなかった事は、とても残念な事でしたが、しかし十五年後の今日、振り返ってみて、その間が失われた空しい時間だったとも、思われません。開設五年の語源研究会で忙しくしていた私の研究内容は、その当時結構、地名がテーマになってもおりました。 昨年十月に川崎市で全国地名研究者大会、同じく十一月に京都で日本語語源研究会、共に創立二十周年を迎えて、それぞれに記念の大会が開催されました。同時スタート兄弟学会のような関係でもありましたから、全国地名を主宰なさる民俗学の谷川健一所長を迎えての語源大会は、大いに盛り上がりました。その折に谷川氏の強い要請がありまして、矢張り、京都にも地名の学会を、と言う声が燃え上がったしだいです。京都地名研究会の名が、ここに再び復活することになったわけで、思えば、谷川氏の激励の賜物だったと、厚く感謝しております。 語源研究者の中にも沢山の地名研究者が居られる。京都には大学人も多いし、歴史や地理の話題には事欠かない。京都府下一円を中心に、及ぶところ遍く広く、府市町村民挙って集まり、地名のことを勉強しようと言う事になりました。 地名は、其処に人が住んでいます。人が住み、暮らし、生産したり、遊んだり、そして死んでゆく所です。そんな大地に名付けして、地名を日常茶飯事に使っています。ですから、地名の主人公は住民です。私共は、すっかり慣れっこになって、ややもすると無限の恩恵を受けている大地を忘れがちな様に、此れ無しに暮らせない必需の地名の大切さを、忘れていませんか。主人公が呼んだ今までの名前を、いい加減にしていませんか、など反省しますと、地名の研究はとても深く、根本的に重要な事だ、そして同時に厄介な事だ、と考えられてきます。 地名は大地に刻まれた歴史だ、とよく言われます。それ程重要なのに、スローガンほど地名学が、現代日本の科学の中で、確固たる地歩を占めてはいません。重要性は認知していても、学問体系に沿わない為か、これを正面から取り上げる人が、きわめて少ないのです。地名研究は従来、地理学や歴史学、その他諸学の関連的研究として、また熱心な郷土史家達の努力によって、行われてきました。その成果は、今日、大きな地名辞典として幾つか出来ていますが、今の日本の大学に、地名大学や、地名学部・地名学科など聞いた事がありません。国際交流とか、学際研究とか、総合研究とか、色々に叫ばれてはいますものの、地名に着眼し、そこを基点に発信する着想は、まだ無いようです。 ただ嬉しい事は、近年、その閉塞状態を打開しようとして、環境学とか、地域学とか、そういう名で呼ばれる提唱が、あちこちで起こってきた事です。もう従来の学問の方法論では駄目だ、と言う事に気づいたのでありましょう。そして、私の立場から、口幅ったい事を言わせていただけるなら、更にもう一歩踏み込んで、それら環境学なり、地域学なりに、地名という言葉の視点を重視して、それを是非加えて欲しいと言う事です。言葉の視点から、歴史を見る、地理を見る、と言う事で、歴史や地理の真相に迫れる事が、案外に多いのではないでしょうか。専門の歴史や地理学者が、地名については誠に幼稚な意見であったり、誤解をしている例が少なくないのを見るに付け、遺憾に思うことがしばしばです。此れの責任は、現時点であえて言えば、国語学や言語学に於ける地名分野の研究の欠落にありと言えましょう。 以上のような反省に立って、諸学手を繋いで、同じ目線で等距離に、地名を対象として調査・研究し、その過程と成果を公表・普及させ、学習・教育にも応用してゆきたいと、考えます。 地名研究は、まず自分の足元から。そして、歩いていく先々の地名まで。懐かしい故郷の地名、旅先で見つけた珍しい地名、変わった名前や読めない漢字の地名など、ぐるりにある地名の謎に、挑戦してみましょう。そこから、きっと新しい知識が開け、ゆとりのある心が育まれていくと、思います。 地名は、寺社が文化財であるのと同じに、貴重な文化財です。日本の地名は、日本人の心のこもった<心的文化財>であります。大小に関わらず、有名無名に関わらず、どこの地名もみな文化遺産です。ですから、これの取り扱いには良く勉強して、取り掛かりましょう。その為にも、データを保存し活用する施設、地名資料館と言うようなものが、京都府には当然、必要になりましょう。 京都における地名研究は、ソフト面でもハード面でも、あらゆる分野にわたる重要な意義がありますが、全てこれからです。意義有る本日の発会に、ご来駕賜りました来賓、メッセージを頂きました各位、ご多用中をお集まりいただいた会場の皆様に、篤く感謝申し上げ、今後とも宜しくお願い申し上げます。 平成14年4月28日(日) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■ 当日配布する冊子のないようです。 140ページにも登る貴重な資料です。 別冊1号(京都地名研究会) 編集後記 京都地名研究会の第6回例会は、特別企画による公開シンポジウム「秘められた南山城の地名を探る」を京田辺市で開催されることになりました。今回のシンポジウムは、南山城の歴史の謎に迫るべく南山城スペシャルとして神功皇后や継体天皇などの研究者として最先端を走っておられる堺女子短期大学の塚口義信学長やこの地域を研究しておられる京都地名研究会員をパネリストとしておこし頂きそれぞれ専門の分野から報告して頂くことになりました。 南山城には、かなり古くから渡来人によって先進的な文化が伝わり栄えたといわれています。特に筒木の原や普賢寺谷では、神功皇后や仁徳天皇それに継体天皇などが居住していたといわれ、記紀などに明記されています。また、今まで神話と言われていた大筒木垂根王や大筒木真若王それに迦邇米雷王などの時代においては、平安時代に作られた『竹取物語』に「迦具夜比売命(かぐや姫)」がいて実在の皇后であるなど最近興味ある発表が地元の郷土史会から報告されています。 この冊子は、メインテーマ「秘められた南山城の地名を探る」における基調講演とシンポジウムのレジュメ及び資料として作成いたしました。編集担当者としては、当初レジュメのつもりで取りかかったのですが、先生方の熱意により沢山の貴重な資料をご提供いただき立派な冊子(別冊1号)に仕上げることが出来ました。各先生方のご協力により貴重な研究資料を提供して頂きましたことを、この場を借りてお礼申し上げます。 この冊子が南山城地域における歴史解明の為の資料として役立てることが出来れば幸いです。
別冊1号(京都地名研究会) ※上記の本を注文された沢山の全国の方からお礼のメールや手紙を沢山頂いています。その中から前橋市の女性から下記の丁重な絵葉書を頂きました。 タイトル 別冊<シンポジウム>「秘められた南山城の地名を探る」 お問い合わせは、このメールでお願い致します。 『郵便振込』 講座番号 00920-7-40389 村瀬さまへから御礼のメールをいただきました。
Sent: Thursday, May 20, 2004 12:00 PM Subject: Re: 別冊 シンボ資料冊子をお願いします。
昨日「シンポジウム 秘められた南山城の地名を探る」の冊子を頂きました。
素晴らしい内容に感服しました。この2,3日当方の紙上で「卑弥呼の畿内説」が盛んに話題になっております。
冊子の内容もそうした事柄を背景に読んでいくと興味津々、今後ともご指導の程をお願いします まずは受け取りの報告まで
このホームページは、「かぐや姫の里を考える会」の有志が制作したものです。 『竹取物語』発祥の地は "京田辺”(その3)へ 『竹取物語語』の出生をめぐる物語(その4)
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