邪馬台国論争に終止符!!
  卑弥呼の邪馬台国
  小泉芳孝(竹取翁博物館 館長) 
   
   3.卑弥呼の邪馬台国は
  
 奄美諸島の徳之島決定!!

邪馬台国と竹取物語の古代歴史談義 ?竹取翁博物館 「国際かぐや姫学会」2013.12.29

邪馬台国論争に終止符!! やっと決定しました。

世の中の「科学、医療、生命、宇宙、宗教、政治、経済、歴史、文学…」の物事を立体的、重層的視点から観ておられる大住の和尚さんも卑弥呼の邪馬台国が徳之島の奄美諸島付近にあることに同意頂きました。また、京都地名研究会の吉田金彦名誉教授、奈良除服研究会益田会長、徳之島伊仙町観光協会伊(勝)会長ら多くの方達により賛同頂けることとなりました。

    
「邪馬台国」徳之島の航空写真
 邪馬台国は徳之島説を認め同意された吉田先生が竹取翁博物館を訪問 2013.12.6

竹取翁博物館では、不老不死から秦の始皇帝が除福に命じて「不老不死の薬」を取りに行っ蓬莱山の場所が「徳之島」と判り、その4百年後に卑弥呼の邪馬台国が出来たと判明し「邪馬台国論争に終止符」という展示をしている。

 その説に同意して頂いた京都学派の重鎮、吉田金彦名誉教授が竹取翁博物館を訪問されました。

先生は、展示物を見て思わず微笑まれ館長から「吉田先生が同意して頂いている」と訪問者に紹介していると話すと「いよいよ竹取物語の次は、邪馬台国ですね…」とうなずかれておられました。

 また、本館の庭園横に設置した「かぐや姫神社」にも参拝され一緒に訪問記念の写真を撮りました。

邪馬台国論争の謎! 
 
それの最初は、江戸時代に新井白石と大和説を主張した判信友であった。
しかし、これら論争の中で示された研究の中に古くから強引な資料解釈をなされために、それらがそのまま現在に続いていると言えよう。
これらを性格に伝えないマスコミの責任でもある。

その原因は、日本の歴史書である『日本書紀』と『古事記』などの史書に神武天皇以前の歴史を神話として記されたことであった。
 その謎解きは『竹取物語』を深く読むことによって明らかにされよう。
物語は、政権を取っていない人達によって隠された真実の歴史が物語に記されているからである。 


邪馬台国は、奄美諸島の「徳之島」だった! 2012/6/26() 午後 3:24

 邪馬台国は「徳之島」だった!? 『魏志倭人伝』に記す「南水行十日陸行一月」は、真ん中に「又」が無く「投馬国から南へ水行十日()陸行一月」。年中温暖「海南島」と同じ気候、裸足で入墨、長寿の島。

 九州説の「放射線式」読み方が正当化されても「水行10日 陸行1月」からは、どうしても九州を遥かに越えて南下してしまう。徳之島へは多くの南西諸島の島々を船に乗っては島に上陸して歩いたり、又、船に乗っては島に上陸して南下していけば良いのであるから「水行10日 陸行1月」を見ておかねばならず、邪馬台国徳之島の位置は自ずと徳之島辺りに位置していると言えよう。[28] 。天城町の天城岳の麓にある松原神社は、かつて遣唐使船が水を供給する為に立ち寄ったという航海安全の守り神とされていて、南西諸島から中国へ行く南海航路が存在していた。[

吉田氏紹介−

筒木の「竹取物語の舞台」説は正しく賛同する! 『古事記』の「大筒木垂根王」と「大筒木真若王」の「筒木」は、継体天皇の筒木宮であり山城国のことである。「迦具夜比賣命(かぐや姫)」の「竹取物語の舞台」が京田辺市であるという貴方の説に賛同します。語源研究の第一人者。京都大学文学部卒業。専攻:国語国文学。京都府立女子短大教授、大阪外国語大学名誉教授など歴任。姫路独協大学名誉教授。現在: 日本語語源研究会代表、京都地名研究会代表理事。

著書:『日本語語源学の方法』『古代日本語をさぐる』『古代日本語を歩く』『京都滋賀 古代地名を歩く』『ことばのカルテ』『埋もれた万葉の地名』他多数。


「国際かぐや姫学会」
copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved.

 







徳之島で発掘された邪馬台国の卑弥呼と見られる墓 (弥生時代中期)
 全日開館として全て予約制(電話)により開館へ (2014年10月24日〜)
竹取翁博物館は、2013年2月1日に開館して2年半となり当初目的を達成しました。
今後は開館日を全日として全て予約制(電話)にします。但し、本館入口左にあるインターホン両方を押して頂き館長が館内にいる時は、見学可能です。なお、お盆と年末年始は休館させて頂きます。

 他に、訪問される小学生迄の方はご両親または先生と一緒にお越し下さい。出来ない時は両親か親権者等の「承認書」を持って来て下さい。また、博物館の記録用として写真を撮らせて戴きますのでご協力お願いいたします。
 
 卑弥呼の邪馬台国は、奄美諸島の徳之島決定!!
           竹取翁博物館 小泉館長(博物館学芸員)

馬台国の徳之島説は、東京大学の「九州説」と京都大学の「大和説」、それに「マスコミ説」と「大手出版説」という巨大な勢力と戦わねばなりません。
先日もある全国紙の優秀な記者が『魏志倭人伝』の本を片手に持ち竹取翁博物館へ取材にこられました。
 しかし江戸時代から続いてきた「今までの成果
? はどうするのか!?」 と、実に判らないことを発して帰られました。これは記事に出来ないと!? 首をかしげておられました。しかし、資料と写真だけは、キッチリ持って帰られデスクと相談する!? と言って帰られました。
 その後、記事にしたという連絡がないので今世紀最大の「特ダネ!!」が、ボツかもね…

■竹取物語の里"京田辺"説も最初は、ばか者扱いされ、邪馬台国と同様でした…。竹取は20年かかりました。
 さて、「邪馬台国」徳之島説は、私が生きている間に解決すべく、徳之島の不老長寿の薬を飲んでいるので大丈夫です !!

http://4travel.jp/domestic/area/kyushu/kagoshima/rito/
tokunoshima/tips/10317818/

 ! 2012/7/10() 午後 11:05

「国際かぐや姫学会」
copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved.

 
邪馬台国から見た東シナ海です
 『魏志倭人伝』や『史書』等の方位&距離等から、九州より南の大海「徳之島」
                  徳之島伊仙町観光協会 伊(勝)会長

 邪馬台国までの道程 帯方郡(ソウル)から邪馬台国までの国名、戸数、距離(一萬二千里)、方角(東南)、特徴が、徳之島ならぴったり一致する。
倭人は帯方(朝鮮半島又はソウル近辺)の東南大海の中に在り
会稽東冶の東。入墨をする風習。
 解釈としては『会稽の東方を治めた実績』とし、この場合北緯30度辺りとなる。この東であるので丁度奄美大島の徳之島が該当します。


()氏紹介−

 現在,徳之島伊仙町観光協会会長、職歴:1956年徳之島生れ、自称、清和源氏嫡流源為朝之子孫。法政大学文学部哲学科卒業、同大学大学院博士課程修了、神戸大学発達科学部数理情報論コース中退、専攻:郷土史・古代史。1986年以来、滋賀県で塾の経営と歴史研究、現在1999年帰郷、塾の経営と歴史研究。著書:『新生日本の夜明けin徳之島伊仙町』T 万世一系のイスラエルダビデ王家発見、U 邪馬台国女王卑弥呼発見。

「国際かぐや姫学会」
copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved.

 
 徐福の蓬莱山は、400年後「邪馬台国」となった!?  
 

  徐福が来た蓬莱山は、400年後「邪馬台国」となった!!
                           奈良県除福研究会 益田会長 

徐福は、中国の秦の時代(紀元前3世紀頃)の方士(学者)であった。竹取物語の難題に出てくる子安貝から除福の来たところが徳之島であり、その後に邪馬台国が徳之島になったと発表された。

 司馬遷の『史記』によると、徐福は秦の始皇帝に「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある…」と具申し、3,000人の童男童女と百工(百人の技術者)を従え、五穀の種を持って、東方の蓬莱山を目指してに船出した。
 そして平原広沢(広い平野と湿地)を得て王となり戻らなかったと記述されている。
 この最初にたどり着いた場所が「徳之島」であり不老長寿の大海の島だったのである。そして、そのおよそ400年後に『魏志倭人伝』に記されている「大海の中の島」卑弥呼の邪馬台国が「徳之島」に誕生したのである。

益田氏紹介−

現在::奈良県除福研究会 会長、近畿鹿児島県人会相談役、NPO法人「龍田・三室山桜の会」会長、職歴:1932年徳之島生れ。大阪経済大学卒業。ネジ製造会社勤務工場長、益田捻子()ねじ製造、徳之島興産()〔うこん製造・販売) 勤務。著書:『夢に見た邪馬台国は徳之島』著書(平成139)で竹取物語の難題に出てくる子安貝から除福の来たところが徳之島であり、その後に邪馬台国が徳之島になったと発表された。著書:『夢に見た邪馬台国は徳之島』徳之島興産()、『徐福物語: 弥生の使者』南島文化研究所、『徳之島特攻隊物語』南島文化研究所、『西郷隆盛と徳之島』浪速社 他多数。2012/7/10() 午後 11:21

「国際かぐや姫学会」
copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved.

 
紀元前230年頃「徐福」は、蓬莱山の不老長寿薬を求め徳之島に来た。

 邪馬台国論争に終止符!! 
   除福 邪馬台国 魏志倭人伝 九州説大和説
 
 

『魏志倭人伝』に記す邪馬台国の九州説大和説は、方位&距離からかると九州より南の大海「徳之島」です。昔から新井白石らが苦悩、畿内・九州説の議論続くが、帯方郡東南の大海の中の山島とあります。

 竹取翁博物館の小泉館長は、毛沢東が生きていた時代から中国に取材に行っていて中国の少数民族や遣唐使の関係で弘法大師・空海についても調べています。

 『竹取物語』に出てくる「蓬莱山の不老不死薬」とも通じていて、そこらを調べているうちに、徳之島の徐福伝説につながり卑弥呼の「邪馬台国」との関係も見えてきたのです。

 魏志倭人伝に記されている卑弥呼の邪馬台国は、何時か徳之島ということになるのではないかと現地を詳しく調査して歩き間違いないのではないかと自負しています。

 江戸時代から卑弥呼の邪馬台国説は、大和・九州説だと新聞や書物でマスコミ陣が取上げられ論争が続いています。この為に突拍子もない説を突然で述べても誰も信じて頂けないので「ネット」で公開することにしました。
2012/6/28() 午後 8:31 
「国際かぐや姫学会」
copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved.

 
「徳之島県人会」が博物館を見学


「邪馬台国は徳之島」展
         (竹取翁博物館)
   
 ■2012年7月1日から「竹取翁博物館」で「邪馬台国論争に終止符!?」展を開催しています。
  場所‥京都府京田辺市三山木直田10 0774-62-2522
 
 邪馬台国論争に終止符!!
   ー邪馬台国は徳之島だったー

関連リンク集
卑弥呼の邪馬台国
 1.徳之島説の根拠
 2.徐福の蓬莱山は徳之島
 3.徳之島は最有力説に
 4.邪馬台国「徳之島説」展


YouTube「邪馬台国論争に終止符!!

  除福・邪馬台国談義
 
 
竹取翁博物館大筒木出版 「国際かぐや姫学会」
  場所:〒610-0313京都府京田辺市三山木直田10 代表者小泉芳孝
  JR片町線「JR三山木駅」東へ徒歩3分   近鉄京都線「三山木駅」東へ徒歩2分
  
TEL・FAX 0774-62-2522  携帯 090−6961−9391  
  HP http://taketori.koiyk.com/  
Mail koiy@leto.eonet.ne.jp
  ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。yk 
copyright(C) 1999 Yoshitaka Koizumi. Corporation Japan. All Rights Reserved.