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 卑弥呼の邪馬台国  小泉芳孝(竹取翁博物館 館長)  
                               「国際かぐや姫学会」

   邪馬台国論争に終止符!!
  決定! !邪馬台国は、奄美諸島の徳之島だったー
´万人が認めた邪馬台国! 魏志倭人伝の邪馬台国は徳之島!
 倭伝に載らない邪馬台国は、奈良・九州など何処でも良い!?
  
地域おこしの対象…としては、良いが!?
・大和朝廷の天武天皇の頃に徳之島の邪馬台国隠しが行われた。
・邪馬台国「畿内・九州説」は、気違い説、恥ずべき狂気の説。


「邪馬台国」徳之島の航空写真
全日開館として全て予約制(電話)により開館へ (2014年10月24日~)
当博物館は、2013年2月1日に開館して2年半となり当初目的を達成しました。
今後は開館日を全日として全て予約制(電話)にします。但し、本館入口左にあるインターホン両方を押して頂き館長が館内にいる時は、見学可能です。なお、お盆と年末年始は休館させて頂きます。

 他に、訪問される小学生迄の方はご両親または先生と一緒にお越し下さい。出来ない時は両親か親権者等の「承認書」を持って来て下さい。また、博物館の記録用として写真を撮らせて戴きますのでご協力お願いいたします。
 





´万人が認めた邪馬台国! 魏志倭人伝の邪馬台は国徳之島!
 倭伝に載らない邪馬台国は、奈良・九州など何処でも良い!?
  
地域おこしの対象…としては、良いが!?
  2016年度イベント 
超古代文明 86.日本は世界文明発祥地
「竹内文書と民俗探訪」(出版記念シンポ) 竹取物語「第4回かぐや姫サミット」Kaguya-hime Summit Vol.4 竹取翁博物館2016.1.15
   【YouTube】 https://youtu.be/DfHE9CJUeVA
    http://taketori.koiyk.com/haku-4shinpo.html
超古代文明 87.日本は世界文明発祥地「日本のルーツ“ムー大陸と里帰り”」 (出版記念シンポ)竹取物語「第4回かぐや姫サミット」Kaguya-hime Summit Vol.4 竹取翁博物館2016.1.15
  【YouTube】 https://youtu.be/bOFM7a6E0EM
   http://taketori.koiyk.com/haku-4shinpo.html 



何故に「邪馬台国が徳之島」なのか知りたい方は、
                   博物館へおいで下さい。
 
     一言では、説明出来ません。
       時間は、1時間以上かかりますので御了解の程。
   卑弥呼の邪馬台国は徳之島だった ① 日本国際古地図学会 2013.11.9
             (於 京都大学百周年時計台記念館2階会議室)
     〈YouTube動画〉 http://kochizu.blog.ocn.ne.jp/blog/cat10814910/ へのリンク         http://www.youtube.com/watch?v=HzIND9g18KQ
      邪馬台国論争に終止符!! ー邪馬台国は徳之島だったー 
            発表者 小泉芳孝(竹取翁博物館 館長 博物館学芸員) 
              1.徳之島説の方位・距離・古地図から見た根拠
               『魏志倭人伝』に記された内容から 方位 古地図を参照

        .邪馬台国論争に終止符!? 徳之島は邪馬台国だった!?
   
       現在「邪馬台国が徳之島」説の特別展を開催中!!!

卑弥呼の宮殿(邪馬台国)は、徳之島伊仙町の上母縄
 卑弥呼の宮殿は、上母縄の村落と考えられる。徐服が最初に来ていて卑弥呼の遺骨も発見。全体が邪馬台国の頃の倭国大乱にふさわしい自然の要塞を取り込んだ地形。高台に中心が東西に深い自然の谷があり水が流れ、南は海で石器時代の尖った岩で船の接岸が不可能。北は犬田布岳(3神山)の山で、族の侵入が不可能な自然地形。紀元前からシュメールや中国と交流していた。 http://taketori.koiyk.com/yamataikoku.html

石組みの古代遺跡
 ペルーのマチュピチュを思わせる様な石組みの古代遺跡であり祭祀場・舟形石・聖地あり。頑丈な区画に住居が設置されている。そこに通じる道路も坂道あり曲がりくねっていて簡単に進入不可能な自然地形、完全防備された要塞基地。緩やかな棚田が点在し農耕も水も出来。高台なので周囲から族が侵入してもすぐに発見できる場所に神社が設置。大和朝廷の天武天皇の頃に徳之島の邪馬台国隠しが行われた。

ノロ(シャーマン・卑弥呼像)
 徳之島の村々には、ノロ(シャーマン)が多くいて小集落を形成。ノロは、天文学的な知識を持ったシャーマンで、ノロの予言を聞いていれば国同士が戦わなくても食べられ生活出来る充分な資源が豊富にある所。

■何故に弘法大師(空海)は、「竹取物語」を書いたのか、


   物語に秘められた謎が今明かされた!!
 
      現在「空海説」の特別展も同時開催中!!!

1.竹取物語の作者、弘法大師・空海は、何を物語で伝えたかったのか。
  2.かぐや姫が月の世界で犯した「罪」とは、何だったのか? 

    その謎を知りたい方は、竹取翁博物館へお越し下さい。

特別販売!
『竹取物語』から古代日本の歴史を探る
作者空海天女の羽衣邪馬台国を解く
著 者 小泉 芳孝  発行者 竹取翁博物館 (国際かぐや姫学会)
発行所 大筒木出版  2015年2月1日 第一刷発行
 定価2000円+税→博物館特価1800円(税込) A5版 100ページ 
   
 (本の郵送料と消費税含みます)郵便振込のみ1900円
 

〒610-0313 京都府京田辺市三山木直田10番地
TEL・FAX 0774-62-2522
E-mail koiy@leto.eonet.ne.jp
H P http://taketori.koiyk.com
印刷・製本 (有)ニシダ印刷製本
ISBN978-4-905524-05-2 C1021

はじめにより
紀元前230年頃に、秦の始皇帝の命を受けて徐福が不老不死の薬がある日本(徳之島)へ最初にやってきた。そこは「蓬莱の島」であり、その四百年後に『魏志倭人伝』に記す卑弥呼の邪馬台国が出来たと判明した。また、これらが『竹取物語』の研究と深く繋がっていることも判明した。
そこで、竹取翁博物館の開館3周年を記念して『竹取物語』から古代日本の歴史を探ると題したテーマで「第3回かぐや姫サミット」を開催することになった。
具体的には、「作者空海、天女の羽衣、邪馬台国、を解く」というサブタイトルで、聖書や神武、それに物部氏、徐福と邪馬台国の分野から考察することにした。
私は、日本最古の物語であり小説でもある『竹取物語』の翁の家が京田辺市の山本だと数十年前に解明した。その後も研究を続けている内に、かぐや姫を迎えに来た月の使者から、かぐや姫は月で「罪を犯した」ので地上界に降ろされ、竹の中から誕生し復活したとわかった。
そして、最初の誕生シーンは、イエスキリストの「復活」をあらわしていると判明した。そのキリストの生まれたイスラエルへ出向き、イエスの生まれたベツレヘムや布教した聖地を巡遊し、日本人と深い関わりの有る事を知り驚いた。
それと共に『竹取物語』に登場する「天女の羽衣」が「大嘗祭の麁服(あらたえ)」と一致し、さらに「菊の御紋」「不老不死の薬」朱智神社の「牛頭天王(スサノオノ命)」が、ペルシャと深く関係し繋がっていることまで解明できた。
このように『竹取物語』には、奥深い内容が含まれていることに大変驚いた次第である。『竹取物語』の作者「弘法大師・空海」は、中国へ遣唐使として行き、大秦寺の景浄(ペルシャ人)からイエスの復活を学んだ。さらに、青龍寺の恵果和尚(インド人)から密教の中にある「宇宙の神仙思想」を取り入れ物語に不老不死の世界を描き出した。
この様に弘法大師・空海は、物語に月の世界と地上の世界の時間差の違いを描いて、月の世界が不老不死の理想郷である事を表現したのである。
江戸時代から続く邪馬台国論争は、新井白石と判信友が鍵の賭け間違えをした事から今だ論争が続いている。現在に至っても六千人余りの論者により激しい論争が繰り返されている。
その中には作家と言われる方達の大変面白い説も見られる。それだけに国民の関心も高く、邪馬台国論争を知らない人はいないと言えよう。
私は常に、古い歴史現象は新しい発見により「書き変えられていくべき…」であると思っている。それが歴史学の運命である。それにより科学つまり真実に近づくと理解している。

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■上記の『竹取物語』から古代日本の歴史を探る
      
 -作者空海天女の羽衣邪馬台国を解く
    博物館での販売と「郵便振込」のみです、
     定価2000円+税→博物館特価1800円(税込) A5版 100ページ 
    (本の郵送料と消費税含みます)
郵便振込のみ1900円

『郵便振込』講座番号 00920-7-40389
             加入社名 小泉芳孝
             通信欄 『竹取物語』から古代日本の歴史を探るを必ず記入

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上記「振込」当方到着は5日程かかります。故に本の到着は2週間程見ておいて下さい。 
  ※お問い合わせは、ここへメールをお送り下さい。 

目次

『竹取物語』から古代日本の歴史を探る
  -作者空海、天女の羽衣、邪馬台国、を解く-
はじめに
第1章 人類史上最大の謎を解き明かす
 第1節 日本とシュメール
  1.類似性について
  2.天皇家に伝わる「三種の神器」
  3.国名に符合する不思議
  4.ウル遺跡の「ジッグラト」聖塔
  5.日本人の起源説論者
  6.日ユ同祖論
  7.ペトログラフ発見のニュース
第2章 メソポタミア文明 (Mesopotamia)
 1.シュメール人(Sumerian)
 2.ヘブライ人Hebrew
 3.シュメールは、世界最古の文明
 4.粘土板「ギルガメッシュ叙事詩」
第3章 聖 書
 第1節 旧約聖書
  天地創造 / アダムとイヴ /ノアの箱舟 /
  イスラエルの祖(アブラハム)/出エジプトと十戒/
  イスラエル王国が誕生/ユダヤ人の離散
第2節 新約聖書
  イエスの生誕物語/ガリラヤ地方へ伝道/エルサレム入城/
  最後の晩餐/受難と処刑 苦悩するイエス/
  ヴィア・ドロローサ/復活そして昇天
第4章 日本史の定説を覆す「ユダヤ」と「徐福(物部氏)」
 第1節 古代の日本民族
  1.西域から日本へ渡来
   徐福と卑弥呼・物部、神武/徳之島は「邪馬台国」/
   日本神道は古代イスラエルから/饒速日命は物部氏
  2.封印されていた物部氏
   磐船神社/交野は物部氏の根拠地/石舟神社と朱智神社/
   天璽瑞宝/十種神寶/大嘗祭の麁服/鳥見の白庭山/
   藤原氏と天皇家は同族/旧約の物部と新約の神武
第5章 邪馬台国は、奄美諸島の徳之島だった
 第1節 卑弥呼時代の歴史と邪馬台国の位置
 第2節 『魏志倭人伝』から見た邪馬台国
 第3節 徳之島説の方位・距離・古地図から見た根拠

  1. 徳之島説「クロス線式」
     (九州説「放射線式」と大和説「連続線式」)
   九州説「放射線式」/大和説「連続線式」/
    徳之島説「クロス線式」
  2. 距離の計算「帯方郡から女王国まで東南に12000里」
    連続距離/直線距離
  3. 古地図から見た邪馬台国の位置
    混一彊理歴代国都之図/中国で描かれた地図
 第4節 邪馬台国の女王・卑弥呼の人物像
  1.倭王
  2.記紀・中国歴史書から
  3.女王卑弥呼の特色
   シャーマン(ノロ)/一生独身/世界情勢把握/女王は長寿/
   卑弥呼の鏡/卑弥呼の使い/卑弥呼の死/墓の形体と規模/
   金印など/死後の後継ぎ
 4.卑弥呼は「コンギョク」「ヒメミコ」
 第5節 伊仙町「上面縄」は女王卑弥呼の宮殿
  1.墓は「巳葬」で棺あり外箱無し
  2.卑弥呼の墓
 3.上面縄は女王の宮殿
 第6節 邪馬台国「徳之島説」の証拠
  1.京田辺市の小泉氏説
   卑弥呼の宮殿は上面縄/石組みの古代遺跡/
   ノロ(シャーマン)/山島で7万戸可能な長寿島/
   徐福から卑弥呼・物部氏へ/邪馬台国の徳之島を封印/
   律令国家実現と大住隼人の移住/
   地名・人名・地形に記す証拠/
   洞窟はノロの祭祀場/按司の御嶽はノロ祭祀場/
   母間のノロ祭祀「線刻画石群」/
   戸森線刻画に鯨漁と「山」文字/持衰は「水先案内人」
 2.伊仙町の勝(伊)氏 卑弥呼説
   24弁の菊御紋/ダビデ王家「万世一系の天皇(皇族)」/
   女王の都は上面縄/面縄貝塚「巳葬」遺骨は卑弥呼/
   卑弥呼の後継者「とよ(豊)」/伊仙町は邪馬台国

あとがき
【参考文献】

・古地図提供、「日本国際古地図学会」 松井 淳 会長
・挿入した『竹取物語』画、染色作家 玉井芳泉 画伯
・挿入画イラスト、
奈良徐福研究会 益田宗児 会長
徳之島 伊仙町観光協会 伊 信貴 会長
『聖書辞典』527 頁(いのちのことば社)
伊仙町埋蔵文化財発掘調査報告書
<竹取翁博物館の記念写真>

【参考文献】
『月刊 歴史と旅 特集 邪馬台国代論争』㈱秋田書店 1975年
『臨時増刊⑫ 歴史と旅 東アジアから見た邪馬台国』㈱秋田書店 1984年
『歴史読本 臨時増刊 特集 古代天皇家と宗教の謎』
野村敏晴編 ㈱新人物往来社 1988年
『歴史読本特集 邪馬台国110の知識』㈱新人物往来社 1977年
『邪馬台国論争』原田大八著 ㈱三一書房 1969年
『季刊⑭邪馬台国』安本美典編 ㈱梓書院 1982年
『最新邪馬台国への道』安本美典著 徳間文庫 1992年
『歴史と人物44 特集さまざまなる邪馬台国』
横山恵一編 中央公論社 1975年
『黒潮の文化誌』日高 旺 ㈱南方新社 2005年
『伊仙町誌』伊仙町誌編纂委員会編 1978年
『倭人伝』松崎寿和著 ㈱学生社 1970年
『伊仙町埋文調査(3)面縄貝塚群』伊仙町教育委員会 1985年
『東シナ海文化圏の民俗』下野便見著 ㈱未来社 1991年
『ペルセポリスから飛鳥へ』松本清張著 日本放送出版協会 1979年
『夢に見た邪馬台国は徳之島』益田宗児著 徳之島興産(株) 2000年
『シンポジウム邪馬台国』石井良助・井上光貞編 ㈱創文社 1970年
『徐福物語: 弥生の使者』益田宗児・三好 誠著
奈良徐福研究所 南島文化研究所 2008年
『徳之島にあった古代王国 -邪馬台国の実像-』中武久著 ㈱文芸社2002年
『弥生の使者 徐福さん』益田宗児著
南島文化研究所・奈良徐福研究会 2008年
『新生日本の夜明けin徳之島伊仙町』伊信貴著
万世一系のダビデ王家. 邪馬台国女王 2014年
『しまぬゆⅠ 奄美・琉球侵略』「しまぬゆ」刊行委員会編
㈱南方新社 1609年
『奄美の歴史入門』麓 純雄著 ㈱南方新社 2011年
『徳之島の民俗文化』松山光秀著 ㈱南方新社 2009年
『中国の英傑① 秦の始皇帝』吉川忠夫著 ㈱集英社 1986年
『邪馬台国の旅』邦光史郎著 ㈱光文社 1976年
『倭国 ?東アジア世界の中で-』岡田英弘著 中央公論新社 1999年
『古代日本への探検』黒岩重吾著 PHP研究所 1994年
『竹取物語 現代考-原文・注釈・現代語訳・解説付き』
小泉芳孝著 大筒木出版 2012年
『京田辺の史跡探訪-歴史散歩コース-』小泉芳孝著 大筒木出版 2012年
『京都の地名検証』京都地名研究会編 勉誠出版 2003年
『京都の地名検証2』京都地名研究会編 勉誠出版 2003年
『古代ユダヤは日本に封印された』宇野正美著 ㈱日本文芸社
『隠された十字架-法隆寺論-』㈱新潮社 梅原 猛著 1973年
『聖書 新改訳 訳』日本聖書刊行会 1970年
『神女誕生 -徳之島に生まれた祝女-』松堂玖邇著
フォレスト出版㈱ 2007年
『秘められた南山城の地名を探る』小泉芳孝編集 京都地名研究会 2003年
『筒城』京田辺市郷土史会 1968年
『京都府田辺町史』村田太平編 田辺町役場 1968年
『隼人と大和政権』井上辰雄著 学生社 1974年
他多数。

〈著者紹介〉
小泉芳孝(こいずみ・よしたか)

1947年 京都府生まれ
現在:竹取翁博物館 館長 博物館学芸員 大筒木出版代表
国際かぐや姫学会会長 城南郷土史研究会員
職歴:近畿大学法学部卒業・佛教大学文学部史学科卒業。
㈱京都放送勤務
専攻:日本民俗学・郷土史・古代史・法律学
略歴:京都民俗学談話会会員 京田辺市郷土史会理事
京都地名研究会常任理事歴任
著書:『稲作民俗の源流-日本・インドネシア-』文理閣
『竹取物語 現代考-原文・注釈・現代語訳・解説付き-』
大筒木出版
『京田辺の史跡探訪-歴史散歩コース-』大筒木出版
『マスコミ一代記 -昭和・平成-』大筒木出版
共著:『京都の地名検証』勉誠出版
『京都の地名検証2』勉誠出版
『京都民俗』京都民俗学会
『筒城』京田辺市郷土史会 他多数
竹取翁博物館 JR片町線「JR三山木駅」東へ徒歩3分、近鉄京都線「三山木駅」東へ徒歩2分

「邪馬台国論争に終止符!!
ー邪馬台国は徳之島だったー
除福・邪馬台国談義

卑弥呼の邪馬台国
1.徳之島説の根拠
2.徐福の蓬莱山は徳之島
3.徳之島は有力説に
4.邪馬台国「徳之島説」展

邪馬台国論争に終止符!!
   
関連リンク集
卑弥呼の邪馬台国
 1.徳之島説の根拠
 2.徐福の蓬莱山は徳之島
 3.徳之島は有力説に
 4.邪馬台国「徳之島説」展


YouTube「邪馬台国論争に終止符!!

  除福・邪馬台国談義


〈YouTube動画〉
  卑弥呼の邪馬台国
日本国際古地図学会
京都大学百周年時計台記念館
①邪馬台国は徳之島

②作者空海と景教碑
③平安京はイスラエルのユダヤ
④「邪馬台国は徳之島」まとめ
邪馬台国の徳之島に同意

①「かぐや姫」の舞台は京田辺

〈YouTube動画〉竹取物語の舞台は京田辺

その他HP 運用
■稲作民俗の源流
■『竹取物語』
■世界遺産
■スカイハイツ三山木

■海の世界
小泉ファミリー
世界見聞録


徳之島のムー大陸と邪馬台国説
発見、ノアの箱舟の材木0
「東の方、エデンの園」=徳之島
発見、東の方、エデンの園
   
今世紀最大の発見!
1. 「徳之島のムー大陸と邪馬台国説」
2. 「エデンの園
・ノアの箱舟」=徳之島2015.7.12

 1. 「徳之島のムー大陸と邪馬台国説」2015.7.20
 2. 発見、東の方、エデンの園 
2015-07-19
 3.「東の方、エデンの園」=徳之島
2015-07-20
 4.発見、ノアの箱舟の材木
2015-07-21 1
 
.5.徳之島・奈良法隆寺にシリウス(大犬座)信仰発見「聖方位」(旧条里制)!!
6.日本は世界文明の発祥地! 隠されていたシリウス信仰復活2 竹取翁博物館かぐや姫サミット2016.4.2
 


1. 「徳之島のムー大陸と邪馬台国説」
      小泉芳孝(竹取翁博物館 館長)「国際かぐや姫学会」

ジェームズ・チャーチワードの伝えるムー大陸伝説を要約すると次のようになる。
「太平洋の真ん中にあったムー大陸で初めて人類が誕生した。そのため、クイの国とも呼ばれた。蓮の花が咲き乱れ、美しい蝶々や蜂雀が乱舞し、陽光燦々と照り輝く「エデンの園」(エデン=歓喜=よろこび)そのものであった。
  
 これは、『竹内文書』に記すように日本は世界の中心であり、白人、黄色、褐色、黒色、赤色の「五色人」という人種が、仲良く子どものように安心してくらしていたのである。


ジェームズ・チャーチワードによると、人口は6400万、十の種族にわかれていたが、天地創造主神(象徴として太陽神の日本の国旗)に仕える最高の神官、法王のラ・ムーを中心に一つのスメラ尊で統轄されていた。学問文化の中心であった七つの聖都を中心に高度な文明を発達させ、宗教はただ 一つの天地創造神をあがめ尊び、町々の神殿では明るい陽光の中、祈願する人々の姿がいつもみられたという。
この大陸は、「竹内文書」と徳之島の「ムー山」から、太平洋にかつて存在していた「ムー大陸」が徳之島あたりから続いていたのではないかということが判明しました。これは大変な発見です。
 
そして、紀元前6000年頃にシュメールへ行き、紀元前2000年前ごろに里帰り(渡来)してきたと考えられます。つまり、今から1万数千年ほど前は、日本に縄文人が住んでいて「日本が世界の中心であった」のです。これは当「竹取翁博物館」の研究員らにより『竹取物語』を研究員らとと
もに研究している時に判明したものです。この発見は、今世紀最大の大変重要な大発見です。
  ホームページ http://taketori.koiyk.com/yamataikoku.html
  YouTube   http://taketori.koiyk.com/haku-nyukan2.html

2. 発見、東の方、エデンの園 2015-07-19 06:56:49

清和源氏源為朝の子孫=第57代陽成天皇の皇孫=万世一系の天子=イスラエルダビデの子孫
テーマ:ブログ  http://ameblo.jp/is6689/entry-12052087282.html

発見 東の方、エデンの園
 人類の創造について、聖書「創世記」2章7・8節に次のように記されています。
 「主なる神は土のちりで人を造り命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きた者となった。主なる神は東の方、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。」
   エデンの地
 人類の始祖アダムがいた所は、「東の方、エデン」と記されています。「エデン」とはどういう意味でしょうか、・・・・・。
広辞苑で調べます。「ヘブライ語で『歓喜』の意」と分かりました。さらに「歓喜」の意味を調べます。「大そうよろこぶこと。よろこび。」とあります。「エデン=歓喜=よろこび」です。
 ここで、徐福や邪馬台国に関するわたしのブログを読んでくださっている方に問題を出したいと思います。エデン=よろこび=□□□□の□に入る四つの仮名を当ててください。・・・・・・・・。ヒントは徐福です。徐福一団が向かった先です。・・・・・・・・・・。そう、「ほうらい」です。徐福は東海の蓬莱(ほうらい)ヶ島に向かいました。真実の歴史です。徐福は東海のエデンの島に向かいました。正しい翻訳です。
 
  神の人類創造物語
 主なる神は人を「土のちり」と「命の息」で造られています。これを伝える宮が日本にあります。何処でしょう、・・・・・・・・・・。伊勢神宮です。伊勢神宮の「外宮」です。外宮には豊受大神を祭る大きな宮があります。多くの人はその大きな宮の前で拝礼しています。そこを「外宮」と考えてのことと思います。
 ここでよく考えてみましょう。伊勢神宮の内宮と外宮は「内と外」の関係になっているでしょうか。・・・・・・・。奥に内宮があって手前に外宮があって、内と外の関係ではないでしょうか。伊勢神宮の内宮と外宮はその位置関係になっていません。ということは、内宮と外宮の意味をそれぞれで考え直さなければなりません。外宮の意味を考えましょう。
 訓読みで「外の宮」と分かります。論理的に、豊受大神を祭っている宮の「外の宮」と推理できます。そんな宮があるでしょうか、・・・・・・・・、あります。確か反対側の囲いだったと思いますが、その中に小さな宮が三つあります。「土の宮」、「風の宮」、「あらみたまの宮」です。「あらみたまの宮」はネットで見ると「多賀宮」になっています。祭神は「豊受大御神の荒魂(あらみたま)」と書いてあります。説明の都合上ここでは「あらみたまの宮」とします。
 人類の始祖アダムは土のちりから造られました、そのことを伝えているのが「土の宮」です。アダムは命の息を吹き込まれました、そのことを伝えているのが「風の宮」です。そしてアダムは生きた者となった、それを伝えているのが「あらみたまの宮」です。「あらみたま」は新魂、荒魂の意味です。
 この説明はわたしの発見ではありません。伝え聞いたことです。25年前に出会った(故)由利渓という方から聞きました。この国の道を伝え聞いた方です。明治維新で孝明天皇は毒殺されたと話していました。天皇の御璽と勅書がある所に隠されていると話していました。現行の御璽は明治7年に改刻されたものです。広辞苑にそう書いてあります。明治以降、伊勢神宮のお祭りの仕方はデタラメだとも話していました。「古事記」は歴史書ではないと話していました。天照皇大御神はイエス・キリストと話していました。詳細は別途に。
 神の人類創造を伝える宮が日本にあるということは、何を意味しているのでしょうか…。
 
   黄金の島
 「……金のある……、その地の金はよく、……」とエデンの園について説かれています。聖書「創世記」2章11・12節参照。エデンは金のあるところです。
 マルコポーロの「東方見聞録」で日本はジパング=黄金の島と紹介されています。古代ギリシャ、ローマの時代にも東洋に黄金の国があると伝えられていたようです。日本は東の方、エデンでしょうか。

   人類の歴史は
 アダムからノアの時代の洪水までと水が引いてノアの箱舟がトルコ東部のアララト山に漂着してから現代までと大別できます。
 アダムは930歳まで生きています。その嫡子の寿命は912歳です。さらにその嫡子は905歳です。・・・・・・ノアの寿命は950歳です。
アダムからノアの時代までの平均寿命は900歳を超えている感があります。旧約聖書参照。この時代には「神の子」もいたようです。「人が地のおもてに増え始めて、娘たちが彼らに生まれたとき、神の子たちは人の娘の美しいのを見て、自分たちが好む者を妻にめとった。・・・・・・・・。そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところに入って、娘たちに生ませたものである。彼らは勇士であり、有名な人々であった。」と創世記6章1~4節にあります。
 人が900才まで生きたとしたら、どれだけ賢くなることでしょう。その知識は現代人の想像を絶しています。また「神の子」たちがいる世界とはどういうものか想像できません。日本には「竹内文書」というのがあります。超古代文明の事が記されていて、日本が世界の中心であったとのことです。一般に「偽書」とされていますが、その一般というのは、ノアの洪水の後の歴史だけを人類の歴史と前提している考えだと思われます。アダムからノアの洪水までは平均寿命が900才を超えている人類の歴史です。文明はおそろしく発達したと想像されます。竹内文書はアダムからノアの洪水までの人類史の記憶から来ているものではないでしょうか。

  日本は東の方、エデン
 日本は間違いなく「東の方」にあります。日本は、「エデン=ほうらい」の国です。日本で最も重要な宮の一つである伊勢神宮に「神の人類創造物
語」があります。古くから日本は「黄金の国」と思われています。日本にアダムからノアの洪水までの人類の歴史の記述と思われる「竹内文書」があ
ります。
 日本は世界の「もとつ国」と思われます。歴史は元に還る運動との考えがあります。人類の歴史は日本を中心とした世界に還る方向で展開しているのではないでしょうか。

   日本の聖地
 東の方、エデン=ほうらいの地をより限定すると、今でも「ほうらい」の言葉が生きている奄美の徳之島になります。そこには三神山があり、蓬莱山があります。そこは徐福が向かった島です。女王の国の都、耶馬台国があります。島には清和源氏源為朝の子孫=隠れ皇族の一族が住んでいます。
古い八幡神社「正八幡」があります。天照大神の人類創造の説話があります。ある人から徳之島に「金」があると聞いています。徳之島は東の方、エデン、神の人類創造の地、神国日本の聖地と思われます。神国日本は東の方、エデンの聖句で基礎づけられると思います。日の丸の国旗、君が代の国歌は神国日本のしるしです。  
  万世一系の天皇 イスラエルダビデの子孫 平安天皇ヨシュア

3. 東の方、エデンの園=徳之島

清和源氏源為朝の子孫=第57代陽成天皇の皇孫=万世一系の天子=イスラエルダビデの子孫
         http://ameblo.jp/is6689/entry-12052489069.html

   厳訓無処罰教育の龍野定一先生作
「エデン」とは「よろこび」という意味のヘブライ語です。
 理論的に、地球規模での東の方は日本、奄美群島には「よろこび」という意味の「ほうらい」の言葉が今でも使われている、日本のよろこびの地、エデンの地は奄美群島、その園は、群島の中央に位置し、聖なる三神山をもつ徳之島です。
「理性的なものは現実的である」とは、ドイツの哲学者ヘーゲルの言葉です。わたしはこの言葉を、理論的に正しければ、必ずそれを裏付ける物証(実)が現れると解しています。理論が無ければ、そこに物があってもその意味は分かりません。
 わたしは、我が家が世襲不可逆の理と源経基=元平親王の等式によって、間違いなく万世一系の天皇家であると確信して、先祖の墓から出た鉄の剣と墓石に彫られた24の日輪紋を天皇家を証しする御物、物証と認識しました。邪馬台国に関しても、三平方の定理と邪馬台国の正しい読み方から、間違いなく女王国の都は、徳之島伊仙町である確信してその物証となる古墳、その他の物証に気づきました。
 真実の万世一系の天皇家と真実の邪馬台国が現れました。教科書で学んだ歴史の知識は廃棄しなければなりません。新しい歴史認識は新しい国を開きます。
 今回は人類に新しい世界を開く新しい歴史認識です。人は皆、アダムの子孫です。アダムの居たエデンの園は人類の故郷です。その故郷が、理論的に日本のほうらいの地、奄美群島の徳之島となりました。本当でしょうか、・・・・・・。

  聖句(創世記2:8・9)
 主なる神は、東の方、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土から生えさせ、更に園の中央に命の木と善悪を知る木とを生えさせられた。

   徳之島の中央
 先述していますが、徳之島の東西南北において中心に位置する集落を「三京(みきょ)」といいます。何でここに「京」の地名があるのか、ずっと不思議に思っていました。初めてこの地を訪れたとき、清浄な気を感じました。
 そこに世界に「唯一の木」があります。これはわたしが調べて知ったことではありません。徳之島出身で、わたしよりずっと以前から邪馬台国徳之島を主張している益田宗児氏です。益田さんの著『邪馬台国は徳之島』P131・132から引用します。
 大阪藤井寺市応神天皇陵の近くにある三つ塚古墳から巨石運搬に使用した「修羅」が出土して話題になりました。樫の木で作られた「修羅」は当時の巨大古墳の造成に必要な巨石を運ぶのに用いていたのです。藤井寺市はその「修羅」を復元することになりました。日本中の山を探しましたが、樫の巨木は見つかりません。朝日新聞社の情報で南島の徳之島、三京山に樫の巨木があることが分かったのです。遥々と徳之島の樫の木は海を渡って藤井寺市まで運ばれてきたのです。
 「修羅」は復元されて、藤井寺市立図書館の一階のロビーに展示されています。巨大修羅を作るのに必要な 樫の木は世界広しと言えども徳之島三京山にしかなかったのです。
 残念ながら、「修羅」の展示場の説明版には徳之島の三京山から持って来た事は一言も触れておりません。
      樫の木
 東の方、エデンの園の徳之島中央の地名は「三京」といい、その山に世界に唯一の「樫の巨木」があります。樫を広辞苑にみると「イカシ(厳し)の上略形か」とあります。「厳し」は神の性質です。世界に唯一の巨大な樫の木、神木が徳之島の中央にあります。この樫の巨木は徳之島が東の方、エデンの園の物証ではないでしょうか、・・・・・・・・。判断は読者に委ねます。

   聖句(創世記2:10)
 またひとつの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから分かれて四つの川となった。

    徳之島三京の川
 地図(徳之島事務所管内図)で見ると「当部とうべ)」という地名の辺りから流れる主流があります。その川の名を「秋利神(あきりがみ)」と言います。その川に四つの支流が見えます。

    線刻画
 秋利神(地名)にある「線刻」です。科学的考証がなされていません。これは何を意味しているのでしょうか。徳之島内、他にも線刻画が数か所あります。

    旧石器
 約3万年前の旧石器が伊仙町木之香(きのこ)集落、アマングスクに出土しています。

   人類の故郷

 徳之島は「人類の故郷」という感じがしてきました。
 万世一系の天皇 イスラエルダビデの子孫 平安天皇ヨシュア
..........................................
以上により
「徳之島のムー大陸と邪馬台国説」が決定!? しました。
その他詳細は、

 卑弥呼の邪馬台国 邪馬台国論争に終止符!!
  ー決定! !邪馬台国は、奄美諸島の徳之島だったー
  ・大和朝廷の天武天皇の頃に徳之島の邪馬台国隠しが行われた。
  ・邪馬台国「畿内・九州説」は、気違い説、恥ずべき狂気の説。

   小泉芳孝(竹取翁博物館 館長)「国際かぐや姫学会」
 ホームページ http://taketori.koiyk.com/yamataikoku.html
           http://taketori.koiyk.com/haku-nyukan2.html
 を、ご覧下さい。
 これらの事を博物館で出版している限定本
   『竹取物語から古代日本の歴史を探る』2000円

     http://taketori.koiyk.com/ootutu-samit.html
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/
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4.発見、ノアの箱舟の材木 2015-07-21 10:06:27NEW ! テーマ:ブロ
    http://ameblo.jp/is6689/entry-12052918122.html

  ノアの箱舟の材木
 世界史のテーマの一つと言って過言ではないと思われる問題があります。それはノアの箱舟の材木を明らかにすることです。ノアの箱舟は具体的にどの木で造られたかと言う問題です。これがノアの箱舟の材木であると明らかにした人は過去にいないようです。
 実はこの問題は簡単に解けます。世界に唯一の木で、かつ造船に適した木が、それです。その木がノアの箱舟を造った材です。

   世界に唯一
 「あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に小部屋をいくつも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。」と新共同訳聖書「創世記」6章14節にあります。
 ネットで知ったことですが、箱舟の材木である「ゴフェルの木」というのが具体的に明らかになってないとのことです。聖書でこの木の名はここだけにしか登場しないとのことです。唯一の物は翻訳できません。したがって、ゴフェルの木は世界に唯一の木です。
 ちなみに日本語訳聖書で文語訳はゴフェルの木を「松木」と誤訳しています。また別の聖書では「糸杉」と誤訳しています。二つの聖書より後にできた新共同訳と新改訳聖書では「ゴフェルの木」となっています。

    構造船 秋利神戸森の線刻画

  線刻画の左下の船を見てください。一本の木を刳りぬいてできた船ではありませんね。構造船ですね。4本の横線からこの船は3階の構造船と解することが出来るのでしょうか、・・・・・・。専門家の方に見て貰わないと判断できません。
 箱舟について「・・・・・・また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい」と新改訳聖書「創世記」6章16節にあります。ノアの箱舟は3階の構造船です。

   三京山の樫の木
 徳之島の中央に位置する三京山に原生する樫の巨木は世界唯一であるということを、徳之島出身の益田宗児氏が明らかにしているということを昨日のブログに書きました。その樫の木が造船に適していることは言うまでもありません。線刻画のある一帯が造船所であったことを益田氏の著書から引用します。
 「(線刻画の)目的は何であったのか、それは、戸森の線刻画は紛れもなく捕鯨の大漁を祝って、記念として岩に『鯨射的の絵』と『鯨を港へ曳航する絵』を描いたのではあるまいかと考えられます。古代に於いて戸森の地はお祭り広場か、お祭りの森であったことも考えられます。台地でありながら、今尚清水が湧き出ていることからしても神聖な台地であったことを彷彿とさせられます。北側を流れる秋利神川は徳之島で一番大きな川です。昔は穐禮川(アキレガワ)と呼んでいた様です。この川の河口は穐禮の港です。薩摩藩統治以前までは造船所があったのです。この港が古代人の『船』を造る場所であったことは頷けます。
 川の上流に三京山があります。この山には日本一、世界一と言っても過言ではない、『樫』の巨木があります。町も天然記念に指定してあります。古代人がこの山から船を造る巨木を切り出して構造船を造っていたと考えられます。又、山で巨木を刳り舟にして川に下ろしてていたようであります。『線刻画』のある戸森の森から東に離れた所に船下ろし谷(フナオロシマタ)と言う場所がありますし、更に近くに『船田』の地名も残っております。その地方から船に関わりの深い事が伺えます。穐禮川は古代においては古代の船を造り運ぶ交通の要所であった事が理解できます。穐禮の港に今も『穐田』の姓を持つ人々がおります。彼らの御先祖は古代船の船大工として造船所に働く人たちであったろうか。想像されます。
 この地が造船に関わりがあり得たのは、三京山に造船に必要な木材が豊富にあったからであり、線刻画に描かれた船も三京山から切り出された木材によって造られたものと理解できます。」。益田氏の著書『邪馬台国は徳之島』のP130・131からの引用です。

    神聖戸森の地
 「・・・・・・・・・。主なる神が地と天とを造られた時、地にはまだ野の木も無く、また野の草も生えていなかった。主なる神が地に雨を降らせず、また土を耕す人もいなかったからである。しかし、地から泉が湧き上がって土の全面を潤していた。」と、創世記2:4~6にあります。

 益田氏が驚いているように、戸森は台地でありながら今尚、清水が湧き出ているとのことです。聖句の「地から泉が湧き上がって土の全面を潤していた」を想わせます。戸森は神聖な地と感じます。また「穐禮」の表記にも何か神的なものを感じます。

   ノアの箱舟は、
  東の方(日本)、エデン=よろこび=ほうらいの地(徳之島)の中央、三京山に原生する世界唯一の樫の木で造られれいた、いかがでしょうか。

   ノアの洪水以前の人 沖縄港川人

 左から、約1万8000年前の人骨、その発見場所、そしてその発見者です。ノア時代、ノアの家族以外の全人類を滅ぼした大洪水が起きたのは紀元前約5000年ごろとされています。したがって、沖縄の港川人は洪水以前の人です。この人骨は、洪水以前に奄美・沖縄に人が住んでいたということを証しする物証です。

    方角
 聖書によって、エデンは東の方にありますから、中東ではありません。ノアの箱舟が漂着した地点は中東ですが、ノアが箱舟を造ったのは中東ではありません。地球規模の東の方、日本のほうらい=エデンの地、奄美徳之島です。方角は地点を示す最も重要な、本質情報です。多くの人は本質を考えないから、誤認します。「東」と言えば極東の日本を考えればいいだけです。日本は人類の歴史の始まった地です。人類の歴史は日本から始まりました。その日本の聖地は徳之島です。

 万世一系の天皇 イスラエルダビデの子孫 平安天皇ヨシュア
 徳之島のムー大陸と邪馬台国説
発見、ノアの箱舟の材木0
「東の方、エデンの園」=徳之島
発見、東の方、エデンの園

邪馬台国畿内九州説廃棄 ( 1 )
邪馬台国決定 ( 3 )
隠された女王国 ( 1 )
   女王卑弥呼の古墳と完全人骨 「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」2015-06-22 16:03:02 テーマ:ブログ
  卑弥呼の古墳 径百餘(余)歩の古墳

魏志倭人伝に卑弥呼の塚は「径百餘歩」と記されています。上記の文参照。上の森の全長は「百余歩」でした。左隅に小屋が見えます。その上の森の部分が「前方後円墳」の「後円部」です。最も高いところです。そこに周囲を石垣で囲った空間があります。中には、赤秀(あこう)、島では「うすく」という霊木があります。石垣の囲いの東側は平坦になっていました。祭祀跡を思わせました。後円部と前方部(右側)の境に「くびれ」がありますが、分かりますでしょうか。写真は左から後円部、くびれの部分、そして前方部の一部です。全体は納まりきれませんでした。頂上の後円部の下の部分は空洞になっていると地元の人から聞いています。調査がなされたと聞いたことはありません。

 地元では「按司(あじ)墓」と言われて、立ち入ってはならない聖地(むんばちどう)と伝えられています。わたしは一人で森の中に入り調査、ネットを使って「古墳」の概念を得て、これは間違いなく「前方後円墳」と確信しました。大学教授を初め学校の先生、いわゆる学識経験者等に見てもらいました。みなさん「古墳」と言っていました。町長を案内したら、驚いて「古墳」と言っていました。これは間違いなく古墳です。

 按司とは領主の意ですが、「按」の文字からキリスト教の「按手」を想起して、按司は武力の司ではなく霊的司ではないかと推測しています。この古墳の主を「女性」と地元の人から聞いたときはびっくりしました。これは「卑弥呼の塚」ではないかと。

 理論的に、すなわち「三平方の定理」と「邪馬台(やばだい)の地形」の特徴から、間違いなく徳之島伊仙町が女王国です。そこに魏志倭人伝に記された通りの「径百餘歩の塚」がありました。
卑弥呼を「女王」と記したのは中国の書であって、地元では「按司」と言っていた可能性があります。女王も按司も領主です。卑弥呼が霊能者でもあった点を考慮すると、女王よりも按司が卑弥呼に適切な表現と思われます。この塚を女王卑弥呼の塚と推定します。前方部入口の西側には古墳を守る屋敷跡と思われるところもあります。

 残念なことにこの塚は今では、後円部だけになっています。前方部は土地改良事業で壊され、畑に変わってしまいました。わたしはこれは卑弥呼の塚のの可能性があるから壊さないようにと、チラシ等を作って町行政に伝えたのですが、・・・・・・・・。これが卑弥呼の古墳と判明したら、伊仙町は国の貴重な文化財を破壊したことになります。その責任は誰が取るのでしょうか。町長でしょうか、当時の教育長でしょうか、当時の文化財審議員でしょうか、・・・・・・。彼らは皆、わたしの意見を無視しました。

      赤土
 女王国は「赤土」と記されています。古墳の写真で「赤土」を確認してください。徳之島の赤土馬鈴薯はブランドになっているはずです。徳之島は「赤土の島」です。

弥生時代の女性の完全人骨

 上の「巳葬」は魏志倭人伝からです。「巳(み)」・「已(すでに)」・「己(おのれ)」は別字です。学者先生方は魏志倭人伝の「巳」の意味を「已」と読んで、「巳葬」を「埋葬がおわると」と訳しています。岩波文庫 『新訂 魏志倭人伝 他三篇 石原道博編訳』のP81参照。

 徳之島出身の益田崇児氏は、「巳葬」を「みそう」と読んで、それは埋葬の形式と言っておられます。写真の人骨の頭の位置に注意してください。十二支の方角で「巳」に頭を置いています。これは学者の調査報告書ですから間違いありません。頭に巳の形を載せるのは古代エジプトでは「王」を意味します。巳の方角に頭を置いて埋葬したことの意味を、頭に巳の形を載せることと同値であるとすると、この弥生時代の女性の人骨は「女王」との推定になります。この人骨は「面縄貝塚」というところの岩窟で発見されました。昭和の事です。現在、歴史民俗資料館で見ることができます。資料館では鑑定書もなく、弥生時代前期の人骨と言っています。
 この人骨は最初、古墳にあったが、天武朝に国策としての「女王国隠ぺい」があったので、別の場所に移して隠したとわたしは推測します。古墳の場所は「上面縄集落」です。その集落の下に「古里」という集落があります。そこでこの遺骨は発見されています。古里と上面縄一帯を「面縄」と言います。「面に縄」です。「黥面文身」の女王国の風習が「面縄」の由来と思われます。この女性の完全人骨は卑弥呼の可能性があります。

 「巖設」を皆さんはどう読みますか。・・・・・・・。先の岩波文庫では「宮室・楼観・城柵をおごそかに設け、・・・・」と訳しています。岩波文庫P83参照。読解力に自信のある方、この訳、おかしいと感じませんか、魏志倭人伝は事実を書いている文章です。「おごそか」は感情言語です。感動の言葉です。「城柵がおごそかに設けてある」とは、どういう事実でしょうか、・・・・・・・・。わたしには想像できません。ここを「城柵は石垣でできている」と読めば、想像できます。「巖設」は「石垣で設えてある」と読むのが正しいのではないでしょうか、・・・・・・・。
 この読み方を最初にその著書で発表したのは、徳之島出身で陶人形作りの鬼才と言われた(故)中 武久氏です。中氏は邪馬台国徳之島説を主張しています。

中さんの女王卑弥呼

 万世一系の天皇 イスラエルダビデの子孫  平安天皇



 
 
5.徳之島・奈良法隆寺にシリウス(大犬座)信仰発見「聖方位」(旧条里制)!!



徳之島の上面縄で発掘された弥生時代の女性の完全人骨は、最初から「卑弥呼」と考えられるが、町は根拠を示さず、この女性は弥生時代前期と言っている。卑弥呼は弥生時代後期(『竹内文書』では紀元前200年より以前)です。

 石上剣さんは、「聖方位」という言葉を述べられていて、超古代文明=ノアの大洪水以前からあったと言われる「シリウス信仰」に由来するものなのです。
 ネットに「聖方位は実は、冬至の深夜の太陽、シリウス(大犬座)の位置に関係する。冬至の深夜12時が新年の始まり、シリウスは真南から20度東に振れた角度の方角に輝いている。そのシリウスを遥拝する方角が真北から西へ20度の方角、これが聖方位。」とあります。この概念から「聖方位」というより「聖方位軸」と言った方がシリウス信仰との関係が明瞭なのです。竹取翁博物館ては、4年ほど前からYouTubeで主張していて、2016年2月14日に開いた「かぐや姫サミット」時のレジュメの本で詳しく説明しています。.





上記本の詳細は、下記をクリック!!
http://taketori.koiyk.com/ootutu-shupan.html



 上の画像の女性の人骨を卑弥呼とすると、卑弥呼は聖方位軸に寝かせて埋葬されています。このシリウス(大犬座)が、一番明るい星であるのに北極星の北斗七星が一番明るいとして今まで隠されていたのです。それが知られるとシュメールが日本人によって作られたことが判明するからです。

 聖方位についてネットに「聖方位とは建物の配置軸が南北軸から西に20度傾いていること。聖方位配置の南端には王の座がある。またペルセポリスでは新年に聖方位軸の延長上にシリウスが見える。」とあります。「聖方位配置の南端=聖方位軸の延長上=シリウスがある、ゆえに王の座」です。ここから聖方位軸の「南」に卑弥呼の頭が置かれていたのです。頭=上に立つ人です。
 法隆寺の発掘により下層の遺跡からは、聖方位軸の延長上=シリウスの方向(旧条里制)に建物が立っていたことが判明しています。聖徳太子が通った「筋交い道」も同様です。

 
    巳 葬


 邪馬台国徳之島説の益田宗児氏は、シリウス信仰由来と考えられる「巳葬」の風習を徳之島に発見しています。巳葬について益田氏はその著書『邪馬台国は徳之島』に次のように記しています。

卑弥呼と見られる墓 (弥生時代中期)姫ハブ(毒蛇)が遺体を守り続けていた。

「死人を埋葬する時、あの世の亥、午前0時(子)の方位により近づけて、時計の針で示せば、5分前に頭を置いて埋葬する。即ち、巳の方位より亥の方位に寝かせて埋葬する習慣。いわゆる巳葬と称されるものがあった。」。そして氏は現在でも見ることのできる巳葬遺跡として天城町平土野の「港公園の洞窟墓地」を挙げています。最後に「琉球王朝時代に『巳葬』の仕来りを意識して墓所を設けたものなのか、あるいはそれ以前から、徳之島では『巳葬』に成るような地形、洞窟を選んで指定したものか、記録はありませんが、偶然だけとは考えられない、洞窟それ自体が『巳葬』にぴったりの方位に向いているのです。」と結んでいます。


 巳葬の亥と巳の方角軸は聖方位軸がその土台にあると容易に察しがつき、ともに北と北西、南と南東の間のライン(軸)だからである。卑弥呼は「巳」に頭を置いています。益田氏の言う巳葬は亥が頭の位置になっています。つまり「聖方位配置」の南端は、王の座です。王は頭を南に一般は頭を北に置いていたと考えられます。この考えが正しいなら、伊仙町の資料館に展示されている弥生時代の女性はシリウス信仰の聖方位配置から間違いなく『女王』となります。科学鑑定で人骨の年代が「弥生後期」となれば、女王卑弥呼の発見となります。この思想は、紀元前からの日本人が天文学的思想を持っていた証拠となり、完璧に魏志倭人伝に掲載された邪馬台国なのです。



     奄 国

 徳之島の勝氏は、人類発祥の地、ノアの大洪水の前の文明の中心地と先に明らかにされました。「ムー」の山であるピラミッド山があるのもその証拠の一つです。ムーは島言葉で「桃」である。つまりムーは理想郷=桃源郷となります。シリウス信仰はノアの大洪水以前の人類の信仰、その信仰を継承していたのがシュメール人であり、日本人がシュメール部下を創ったのです。シュメールの楔形文字は、日本の片仮名とそっくりな所から明らかです。その信仰のしるしは「聖方位」であり、徳之島に聖方位が超古代からあった。徳之島伊仙町上面縄に城があった奄国はメソポタミアから里帰りした奄美シュメール人の建てた国でもあり、卑弥呼はシリウス信仰の奄美シュメール人の思想を持っていた人物であった。

万世一系の天皇 イスラエルシュメール王 平安天皇ヨシュア勝信貴 より引用
竹取翁博物館 小泉館長 解説 21016.4.1



6.日本は世界文明の発祥地! 隠されていたシリウス信仰復活2 竹取翁博物館かぐや姫サミット2016.4.2
 
 シリウス信仰遺跡は日本から
 
 上の画像で、徳之島伊仙町面縄で発見された弥生時代のシャーマンの女性の人骨の配置から、女性は北から西へ20度と南から東への20度の2点でできる直線、聖方位軸を意識して埋葬されていたという事実が、竹取翁博物館によって2011年解明した! これは世界的ニュースになるべき事実だったが、誰もその重大性を理解されていなかった。

聖方位軸を意識した遺跡は、シュメールのジグラッド神殿、バビロンの神殿や市街地、メキシコのテオティワガの太陽神殿、ローマのポンペイ、アケメネス朝ペルシャのダレイオス大王によるぺルセポリス、中国の西安に洛陽、日本では聖徳太子創建の法隆寺、前方後円墳、鹿島神宮などが挙げられています。古代、聖方位は世界共通の文化であった。

この発表は、海外で大変注目され、聖徳太子創建の法隆寺の下層部の発掘で証明されたが、何故そのような建物の建て方だったのか不明とされてきた。
 人類は太古、一つの言葉でした。それゆえに高度な文明を築いていたと考えられます。『超古代文明』といわれている文明です。その当時の人類にとっては信仰も唯一であった思われます。大変重大なのは「シリウス信仰」です。その精神文化遺跡が聖方位軸なのです。それが徳之島の卑弥呼と見られる弥生時代の遺跡からシャーマンである女性の完全体の遺骨が昭和になって見つかったのです。

 その聖方位軸の重大性を理解された最初の方が万世一系の天皇と自称されている徳之島の勝さんであり、「弥勒世が来た」と言っています。弥勒信仰は実はシリウス信仰のようだとブログで発表されている。まちに、それは「シリウス信仰復活」であり、「弥勒世が来た」と言う「シリウス信仰の復活」を言うのに矛盾はありません。
 また太古の日本の天皇は、「万世一系の天皇 イスラエルダビデ大王 平安天皇ヨシュア勝信」とブログで毎回主張されていて、シリウスから飛来したと言えるのではないでしょうか。弥勒信仰=シリウス信仰の復活が、先祖還(返)りしていたりです。これにより、 隠されていた世界のシリウス信仰復活となり、日本が世界文明の発祥地!だと決定しました。
詳細は、竹取翁博物館が2016年2月14日に開催した「かぐや姫サミット」時のレジュメとされた本をお読みいただきたい。
http://taketori.koiyk.com/ootutu-shupan.html

 徳之島の勝家は、2007年3月から不思議な導きの中、父方の先祖を探求してされてこられた。先祖は源為朝→第57代陽成天皇→実在した初代の帝応神天皇→中国秦の始皇帝→アケメネス朝ペルシャのダレイオス大王→ユダヤ人ダビデ王→イスラエル民族の始祖アブラハム→人類の宗家、ノア家の嫡子セム→人類の始祖アダムと「万世一系」の先祖の家と自称されています。さらにその先は、アダムが居たエデンは蓬莱ヶ島徳之島と先般の「かぐや姫サミット」で発表され明らかにされました。ほうらい=喜び=エデンなのです。
 天皇の先祖の古里をシリウスに置くのは、血肉の系譜ではなく、復活、新生をもたらした霊の系譜においてのことと思われます。霊において天皇とも見られます。このシリウス信仰は、誰も解明されていない歴史事実の重要な課題なのです。それが、今回の「かぐや姫サミット」で明らかとなりました。この時の模様は、すでにYouTubeの中継で前世界に発信されています。
【YouTube】
https://youtu.be/zyjtotof7eY
https://youtu.be/00h0SIcifgQ
https://youtu.be/CryOhYYOc_M
https://youtu.be/0eQhIKGvlh8
https://youtu.be/zhANpq3AY14
https://youtu.be/zyjtotof7eY
 「かぐや姫サミット」で館長は、死ぬ思いで45年間の集大成版(『日本は世界文明の発祥地』-竹内文書と民俗探訪から①-、-日本のルーツ“ムー大陸と里帰り”②-)の2冊の本と、『竹取物語 現代考 -原文・注釈・現代語訳・解説付き-』『京田辺の史跡探訪 -歴史散歩コース-』『2回サミットでの空海説の本』の空海説の本を全部(2万円)を発売されている。
この本が、ネットで注目を集め、数か月前からすべての本をお求め頂く方が増えている。つまり訪問者から高い評価を得た本であると各地からの問い合わせも殺到しているのである。
 今回、下記サミットのレジュメを兼ねた2冊の本は、「日本の夜明け」を表し数百兆円の経済的価値があると見学者から言っていただいている。
竹取翁博物館4周年記念イベント(国際かぐや姫学会) Taketori okina MuseumWorld Meeting Corp 
◆竹取物語「第4回かぐや姫サミット」Kaguya-hime Summit Vol.4
 竹取物語から古代歴史を探る
   日本は世界文明の発祥地   (2冊同時は6000円)
   1.竹内文書と民俗探訪から①(定価3500円)
   2.日本のルーツ“ムー大陸と里帰り”②(定価3500円)
http://taketori.koiyk.com/ootutu-shupan.html
数百冊の限定販売の為に売り切れた場合は、手に入りませんのでお早くお求めになって下さい。
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」http://taketori.koiyk.com/
 
 世界が平和に! 霊的に導かれた勝氏
 
 ペルシャ王ダレイオス大王が聖方位軸のペルセポリスを造りました。ダレイオス大王はペルシャ人ではありません。専門家は「メディア人」と知っています。メディアはアッシリヤによって滅ぼされた北イスラエル王国のユダヤ人が強制移住させられて住んでいた町です。ダレイオス大王はメディアから来たユダヤ人と考えられます。アケメネス朝ペルシャは、聖書から、実質ユダヤ人の国と分かるはずです。
 聖徳太子が聖方位軸の法隆寺を建てました。前方後円墳は聖方位軸にあると聞きます。皇族は聖方位の文化を知っています。ダレイオス大王も聖方位の文化を知っています。知は血が由来という面があります。ダレイオス大王と万世一系の天皇家は同じ血族、万世一系を神から誓約されたダビデ王家と考えられます。
  勝氏は、命を懸けて日本がいや世界が平和になるようにブログで発信されています。霊的に導かれた勝氏は、人類救済のため「シリウス信仰の復活」を主張されています。「無為にして為さざるは無し」です。
   http://ameblo.jp/is6689/entry-12145851921.html
   知は血が由来(平安天皇ヨシュア勝氏の主張)
万世一系の天皇 イスラエルダビデ大王 平安天皇ヨシュア勝信 から
 




 
邪馬台国「畿内・九州説」は、
   気違い説、恥ずべき狂気の説である。




邪馬台国を海南島から北に渡瀬ラインを越えて求めることは、一線を越える行為である。狂気の為せる業である。可能性がゼロのところにその可能性を求める非理性的行為である。亜熱帯と温帯の気候の区別がつかないのは気が狂っているからである。したがって、邪馬台国畿内・九州説は気違い説、恥ずべき狂気の説である。
 狂気の原因は学者の「嘘」である。東大・京大の学者たちが、史料に方位と距離に関して間違いがあると嘘をついたことがその原因である。正当な根拠を示すことはなく、自分たちの都合で中国の正史に間違いがあるとした。嘘をついた原因は「不敬」である。中国の学者に対する尊敬の気持ちが薄かったことがその原因である。学問の基礎は「敬虔」である。敬虔な心を取り戻して、邪馬台国畿内・九州説は廃棄すべしである。
 
2015 ダビデ王朝の復活、ダビデのさばき 2015-03-29 10:06:09
  • 偽装日本の終焉 2015-03-21 14:02:37
  • 王卑弥呼像 2015-03-20 09:26:01
  • 女王卑弥呼の塚発見 2015-03-19 14:17:18
  • 邪馬台国の真実 2015-03-17 09:57:35
  • 万世一系の天皇 2015-03-13 07:47:10
  • 卑弥呼の邪馬台国は奄美徳之島 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)2015.3.7
      ① 方位・距離・古地図から
         http://youtu.be/2Us6xhfi9q0
      ② 魏志倭人伝(持衰・巳葬)・女王国周辺図
         http://youtu.be/AjbHBN-EfMc
      ③ 古墳・作者空海・レビ族(大伴氏)
         http://youtu.be/e_Qq9B7tUn8
     竹取翁博物館(京都府京田辺市)は、個人が資材を投じ世界唯一の本格的博物館で日本最古の『竹取物語』関係を中心に山本駅跡・継体天皇「筒城宮」・月読神社と隼人・甘南備山などの展示解説をしている。他に の民俗学やマスコミ一代記、 戦争と平和展、陸のシルクロード、海のシシルクロード、地域の歴史 (郷土史・農具・民具)の他、世界の民俗 (日ュ同素論、日ュ同素論の邪馬台国・奄美徳之島説、古代の歴史、岩石の不思議、重軽石)を展示 
    その他、竹取の庭に「かぐや姫神社」、本館・別館①に竹取物語の襖絵(14面)、人形劇を展示、空海説・かぐや姫歌のCDとビデオもある。
    小泉館長は、本館・別館①かぐや姫館・別館②土蔵を管理する一方、自ら展示物の解説をし、五人の貴公子「難題の品」や空海説・邪馬台国説の「根拠」など映像を駆使し解説されている。
    また、ホームページやYouTube、ブログ、ツイッター等のニューメディアにも積極的に発信され、講演会依頼にも応じ、常設展の本『竹取物語から古代日本の歴史を探る -作者空海・天女の羽衣・邪馬台国、を探る-』『竹取物語現代考』地元『京田辺の史跡探訪』『稲作民俗の源流』『マスコミ一代記』を出版、日本や世界から注目され「国際かぐや姫学会」の支部も出来ている。
    毎年開催の「かぐや姫サミット」では、かぐや姫時代行列や史跡探訪の案内、別館②古民家でのシンポ・音楽会・演劇・舞踊・茶会などを開催し、世界唯一のユニークな博物館として注目されている。
    ① 方位・距離・古地図から ② 魏志倭人伝(持衰・巳葬)・女王国周辺図 ③ 古墳・作者空海・レビ族(大伴氏)
    http://taketori.koiyk.com/
´万人が認めた邪馬台国! 魏志倭人伝の邪馬台国は徳之島!
 倭伝に載らない邪馬台国は、奈良・九州など何処でも良い!?
  
地域おこしの対象…としては、良いが!?
 


   
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     神の栄光

 わたしは、去年の6月初旬の天気図、天が垂れた蛇形記章のしるしから「神は現われた」と先述しています。これが真実であるかどうかは、神の栄光が現われたかどうかで判断できます。神は目に見えませんが、その栄光は見ることができます。

 上の資料、『後漢書』倭伝は、范曄(はんよう)という中国の学者が、陳寿の「魏志倭人伝」をもとにして書いたものです。陳寿が女王国の位置を「當在会稽東治之東」と記したところを「大較会稽東冶之東」と改竄(かいざん)しています。「當(まさに)」を「大較(おおむね)」に変えています。「東治」を「東冶」に変えています。つまり、中国の学者范曄も、陳寿が女王国は間違いなく会稽東治の東に存在するという文の意味が分からなかったのです。「東治」を具体的地点と考えて福建省に「東冶」を発見したが、そこを「会稽」というには無理があると感じて、「おおむね」になったと推測されます。日本の邪馬台国研究者によって、范曄の「東冶」はまちがいであると証明されています。

 范曄は398~445年の学者です。女王国より約1世紀後の時代の人です。陳寿は233~297年の女王国の時代の人で、戦略的学者です。陳寿は女王国を隠す必要がありました。詳細は別途に。嘘で隠しては学者のプライドに傷がつきます。後世の物笑になります。

 陳寿は嘘をつかないで女王国を隠すのに成功しました。陳寿が亡くなって以来、中国の学者、日本の学者の誰も、「當在会稽東治之東」の一文を解くことが出来ませんでした。三平方の定理より間違いなく女王国は会稽東治の真東に在る徳之島であると発見できませんでした。つまり、陳寿が亡くなった西暦297年から今日まで、約1700年以上もの間女王国は、陳寿の思考によって発見できませんでした。これは陳寿の戦略的知性の勝利です。

 清和源氏の嫡流源為朝の子孫=万世一系の天皇=起こされたダビデの子孫であるわたしは、陳寿の「當在会稽東治之東」を理解し、女王卑弥呼の倭国を、徳之島、その中心は伊仙町上面縄と発見しました。わたしは神に導かれて、自らが旧約聖書イザヤ書11章に預言されている「起こされたダビデの子孫」と悟りました。隠されていた倭国の発見は、復活したダビデの子孫であるわたしにおける「神の栄光の現われ」です。決してわたしの栄光ではありません。神の栄光が現われたということは、万軍の主、イスラエルの神が、今、日本(シオン)に現われて、御自分の民であるヤコブ=日本民族をダビデを通して救い始めたということを意味します。

 今、神は真実の天皇、万世一系のダビデ王を通して、この世の学者のデタラメを白日の下に曝したのです。邪馬台国畿内・九州説は笑ってしまうデタラメ説です。神は現われて、神の国日本を現すために、まずこの世の権威を地に落としました。江戸時代から唱えられていると聞く邪馬台国畿内・九州説は、わたしのわずか5、6回のブログで終わりました。賢い人にとっては「邪馬台国の真実」の1回のブログで消えたはずです。神を恐れない人間の努力は神の栄光の現われで一瞬にして無に帰します。恐るべし、神の栄光です。神を恐れることは知識の初めです。

 
   
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    真実の倭(やまと)

 卑弥呼の国の正式名は「倭」ですから、倭国=女王国=邪馬台国探究です。邪馬台国畿内・九州説の先生方が「ヤマト」にこだわって間違ったのも無理のないことです。ただ先生方は畿内、九州の他には大和は存在しないと思い込んだことが間違いでした。建国の真実は隠されているという事実に気づかなかったことが敗因の一つです。

     島尾敏雄

 「小説家。横浜生まれ。九大卒。・・・戦後派作家として私小説に新風を吹き込んだ」と広辞苑にあります。この方は長く奄美で暮らして、奄美・沖縄、とくに奄美の文化、民俗、歴史等をよく研究していたと思われます。その著書「新編・琉球弧の視点から(朝日文庫P101~104)」に、奄美・沖縄に対する見方を次のように述べています。

 「ぼくは日本の中に、ある固さが感じられれて、それから抜け出したいというような気がしている。・・・・・・・ところが奄美に行ったら、本土でいやだと思っていたそういう固さがないんです。・・・あいまいにやわらかさなんて言いましたけども、それは何だろうかと思ったわけです。簡単に日本じゃないとは言いきれない。本土では無いものであるのに、ぼくの感じではまったく日本なんですから、日本以外の何ものでもないという感じがしたわけです。・・・・・感じとしてはどうしても日本です。そうすると、表面には隠されているようにみえる、日本が持っているもう一つの面があるんじゃないかと思ったんです。で、その面をヤポネシアと呼んだわけです。

 奄美・沖縄の言葉には中国の影響が少ない、と学者が言っていますが、ぼく自身住んでいてそう感じますね。・・・・・・事実として少ないのです。・・・・・・・・・・・・・。けれども、一般の人たちの家とか服装、それから踊り、歌などには、いわゆる中国の影響はむしろ少ないという気がします。奄美の人は、本土を大和(ヤマト)と言って、その言葉を大和口(ヤマトグチ)と言って中国の影響は少ないように感ずるようですが、ぼくに言わせれば、そのような本来の大和口はむしろ奄美の人の方が使っていると言えます。ぼくは本土の方は中国口(チュウゴクグチ)を使っているといってもいいと思うんです。漢語を使わなければものが言えないのですから。

 それに思想ですが、儒教とか仏教だとかみんな中国から来ている。そういうものを本土から抜いてしまったら、どういうことになるでしょう。琉球弧では、・・・・・・仏教はほとんど影響がありません。その点でも、大和口的な言葉はむしろ奄美や沖縄の方ですね。奄美の人たちは、自分たちの言葉を島口(シマグチ)、沖縄では沖縄口(ウチナーグチ)といっていますが。」

       奄美大和


 (故)島尾敏雄氏のこの見方は、奄美の自然にではなく文化に対するものです。奄美は、気候風土ではいわゆる日本とは違います。中国の海南島と同じです。表面的には奄美は日本ではないと感じます。島尾氏は奄美に住んで、そこの暮らし振りや文化に触れ、本土でそこから抜け出したいと感じていた「固さ」から解放され、奄美の文化に「やわらかさ」を感じ、そしてそれを「全くの日本」と表現しています。言葉にしても本来の大和言葉は奄美の人が使っていると言っています。思想面においても中国の影響の少ない奄美の方が大和的だと感じています。

 作家島尾氏の奄美に対する見方を「奄美は隠された大和」、・・・・・・いかがでしょうか。奄美大島には「大和村」があります。徳之島天城町には「大和城」があります。徳之島女王国説は「隠れ奄美大和」がその由来といえます。奄美では男性よりも女性が「上」というのが基本的な考え方です。「うなり神」という概念があります。男性にとって女性のきょうだいは「神」という意味です。倭の女王卑弥呼には弟がいました。その弟にとって卑弥呼は「うなり神」になります。奄美の文化は倭(やまと)の文化。

 上記の系図資料の写真を見てください。奄美大和を裏付ける一つの資料です。伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)の御子に天照皇大神がいることは衆知のことです。記紀神話によると、大山津見尊も伊邪那岐命の御子です。天孫邇邇芸尊(ににぎのみこと)の妻は大山津見尊の娘です。天照皇大御神が「徳之島の昔世の始まりの物語」に登場していることは先述しています。大山津見尊は実は、徳之島の隣の島、沖永良部の神様です。島尾敏雄氏、その妻ミホ、そして奄美の郷土史研究家の田畑英勝の共著である『奄美の伝説(日本の伝説23)角川書店』に「(沖永良部は)木之花佐久夜毘売とその姉、石長比売を娘にもった大山津見の神の島である。」とあります。ということは、徳之島は天照皇大御神の島と推理できます。この推理が正しければ、徳之島は「聖なる大和」です。伊仙町喜念集落に「女性の岩戸隠れ」の伝説があります。また徳之島では沖永良部島の女性を妻にすると恵まれるとの伝えがあります。今、隠されていた「奄美大和」が現われました。いかがでしょうか、・・・・・・・・。
     聖なる御世

 「聖」は俗の世には隠されます。神は「聖」です。先述していますが、去年の6月の初め、高気圧と低気圧の配置関係で天気図が、邪形記章の形、大蛇が鎌首を持ち上げた象になっているのを見て、わたしは「神は現われた」と直感しました。以来、導かれて隠されていた「神国日本」がわたしの前に明らかにされていきました。今も続いています。今、わたしは俗=賊の時代は終わり、真実が明らかにされ聖なる御世が現われたと確信しています。「嘘」が支配する世は終わりです。邪馬台国畿内・九州説は「嘘」です。真実の世の現出を推進するために「廃棄せよ」です。

      念のために

 念のために言っておきます。女王国の戸数について、「7万余戸」とありますが、実際の戸数は、・・・・・・・。分かりますよね、・・・・・・・・。

 陳寿の1里は90、909090・・・・メートルであることは先述しています。これは陳寿の戦略的思考から生まれています。本を読み、生徒を相手にしているだけの学者には思いつかない智慧です。戦いの中で生まれた智慧です。ですから、7万戸は実は7万÷6と考えるのが一貫した思考、数理的思考です。

 陳寿は一歩(ぶ)は6尺と知っています。一歩(ぽ)を一尺としています。300歩(ぶ)が通常の1里です。陳寿は300歩(ぽ)を1里としています。 

 
   
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  真実の倭(やまと)

 卑弥呼の国の正式名は「倭」ですから、倭国=女王国=邪馬台国探究です。邪馬台国畿内・九州説の先生方が「ヤマト」にこだわって間違ったのも無理のないことです。ただ先生方は畿内、九州の他には大和は存在しないと思い込んだことが間違いでした。建国の真実は隠されているという事実に気づかなかったことが敗因の一つです。

     島尾敏雄

 「小説家。横浜生まれ。九大卒。・・・戦後派作家として私小説に新風を吹き込んだ」と広辞苑にあります。この方は長く奄美で暮らして、奄美・沖縄、とくに奄美の文化、民俗、歴史等をよく研究していたと思われます。その著書「新編・琉球弧の視点から(朝日文庫P101~104)」に、奄美・沖縄に対する見方を次のように述べています。

 「ぼくは日本の中に、ある固さが感じられれて、それから抜け出したいというような気がしている。・・・・・・・ところが奄美に行ったら、本土でいやだと思っていたそういう固さがないんです。・・・あいまいにやわらかさなんて言いましたけども、それは何だろうかと思ったわけです。簡単に日本じゃないとは言いきれない。本土では無いものであるのに、ぼくの感じではまったく日本なんですから、日本以外の何ものでもないという感じがしたわけです。・・・・・感じとしてはどうしても日本です。そうすると、表面には隠されているようにみえる、日本が持っているもう一つの面があるんじゃないかと思ったんです。で、その面をヤポネシアと呼んだわけです。

 奄美・沖縄の言葉には中国の影響が少ない、と学者が言っていますが、ぼく自身住んでいてそう感じますね。・・・・・・事実として少ないのです。・・・・・・・・・・・・・。けれども、一般の人たちの家とか服装、それから踊り、歌などには、いわゆる中国の影響はむしろ少ないという気がします。奄美の人は、本土を大和(ヤマト)と言って、その言葉を大和口(ヤマトグチ)と言って中国の影響は少ないように感ずるようですが、ぼくに言わせれば、そのような本来の大和口はむしろ奄美の人の方が使っていると言えます。ぼくは本土の方は中国口(チュウゴクグチ)を使っているといってもいいと思うんです。漢語を使わなければものが言えないのですから。

 それに思想ですが、儒教とか仏教だとかみんな中国から来ている。そういうものを本土から抜いてしまったら、どういうことになるでしょう。琉球弧では、・・・・・・仏教はほとんど影響がありません。その点でも、大和口的な言葉はむしろ奄美や沖縄の方ですね。奄美の人たちは、自分たちの言葉を島口(シマグチ)、沖縄では沖縄口(ウチナーグチ)といっていますが。」

       奄美大和

 (故)島尾敏雄氏のこの見方は、奄美の自然にではなく文化に対するものです。奄美は、気候風土ではいわゆる日本とは違います。中国の海南島と同じです。表面的には奄美は日本ではないと感じます。島尾氏は奄美に住んで、そこの暮らし振りや文化に触れ、本土でそこから抜け出したいと感じていた「固さ」から解放され、奄美の文化に「やわらかさ」を感じ、そしてそれを「全くの日本」と表現しています。言葉にしても本来の大和言葉は奄美の人が使っていると言っています。思想面においても中国の影響の少ない奄美の方が大和的だと感じています。

 作家島尾氏の奄美に対する見方を「奄美は隠された大和」、・・・・・・いかがでしょうか。奄美大島には「大和村」があります。徳之島天城町には「大和城」があります。徳之島女王国説は「隠れ奄美大和」がその由来といえます。奄美では男性よりも女性が「上」というのが基本的な考え方です。「うなり神」という概念があります。男性にとって女性のきょうだいは「神」という意味です。倭の女王卑弥呼には弟がいました。その弟にとって卑弥呼は「うなり神」になります。奄美の文化は倭(やまと)の文化。

 上記の系図資料の写真を見てください。奄美大和を裏付ける一つの資料です。伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)の御子に天照皇大神がいることは衆知のことです。記紀神話によると、大山津見尊も伊邪那岐命の御子です。天孫邇邇芸尊(ににぎのみこと)の妻は大山津見尊の娘です。天照皇大御神が「徳之島の昔世の始まりの物語」に登場していることは先述しています。大山津見尊は実は、徳之島の隣の島、沖永良部の神様です。島尾敏雄氏、その妻ミホ、そして奄美の郷土史研究家の田畑英勝の共著である『奄美の伝説(日本の伝説23)角川書店』に「(沖永良部は)木之花佐久夜毘売とその姉、石長比売を娘にもった大山津見の神の島である。」とあります。ということは、徳之島は天照皇大御神の島と推理できます。この推理が正しければ、徳之島は「聖なる大和」です。伊仙町喜念集落に「女性の岩戸隠れ」の伝説があります。また徳之島では沖永良部島の女性を妻にすると恵まれるとの伝えがあります。今、隠されていた「奄美大和」が現われました。いかがでしょうか、・・・・・・・・。

         聖なる御世

 「聖」は俗の世には隠されます。神は「聖」です。先述していますが、去年の6月の初め、高気圧と低気圧の配置関係で天気図が、邪形記章の形、大蛇が鎌首を持ち上げた象になっているのを見て、わたしは「神は現われた」と直感しました。以来、導かれて隠されていた「神国日本」がわたしの前に明らかにされていきました。今も続いています。今、わたしは俗=賊の時代は終わり、真実が明らかにされ聖なる御世が現われたと確信しています。「嘘」が支配する世は終わりです。邪馬台国畿内・九州説は「嘘」です。真実の世の現出を推進するために「廃棄せよ」です。

      念のために

 念のために言っておきます。女王国の戸数について、「7万余戸」とありますが、実際の戸数は、・・・・・・・。分かりますよね、・・・・・・・・。

 陳寿の1里は90、909090・・・・メートルであることは先述しています。これは陳寿の戦略的思考から生まれています。本を読み、生徒を相手にしているだけの学者には思いつかない智慧です。戦いの中で生まれた智慧です。ですから、7万戸は実は7万÷6と考えるのが一貫した思考、数理的思考です。

 陳寿は一歩(ぶ)は6尺と知っています。一歩(ぽ)を一尺としています。300歩(ぶ)が通常の1里です。陳寿は300歩(ぽ)を1里としています。 

 
   女王卑弥呼の古墳と完全人骨 「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」2015-06-22 16:03:02 テーマ:ブログ

  卑弥呼の古墳 径百餘(余)歩の古墳
 魏志倭人伝に卑弥呼の塚は「径百餘歩」と記されています。上記の文参照。上の森の全長は「百余歩」でした。左隅に小屋が見えます。その上の森の部分が「前方後円墳」の「後円部」です。最も高いところです。そこに周囲を石垣で囲った空間があります。中には、赤秀(あこう)、島では「うすく」という霊木があります。石垣の囲いの東側は平坦になっていました。祭祀跡を思わせました。後円部と前方部(右側)の境に「くびれ」がありますが、分かりますでしょうか。写真は左から後円部、くびれの部分、そして前方部の一部です。全体は納まりきれませんでした。頂上の後円部の下の部分は空洞になっていると地元の人から聞いています。調査がなされたと聞いたことはありません。

 地元では「按司(あじ)墓」と言われて、立ち入ってはならない聖地(むんばちどう)と伝えられています。わたしは一人で森の中に入り調査、ネットを使って「古墳」の概念を得て、これは間違いなく「前方後円墳」と確信しました。大学教授を初め学校の先生、いわゆる学識経験者等に見てもらいました。みなさん「古墳」と言っていました。町長を案内したら、驚いて「古墳」と言っていました。これは間違いなく古墳です。

 按司とは領主の意ですが、「按」の文字からキリスト教の「按手」を想起して、按司は武力の司ではなく霊的司ではないかと推測しています。この古墳の主を「女性」と地元の人から聞いたときはびっくりしました。これは「卑弥呼の塚」ではないかと。

 理論的に、すなわち「三平方の定理」と「邪馬台(やばだい)の地形」の特徴から、間違いなく徳之島伊仙町が女王国です。そこに魏志倭人伝に記された通りの「径百餘歩の塚」がありました。卑弥呼を「女王」と記したのは中国の書であって、地元では「按司」と言っていた可能性があります。女王も按司も領主です。卑弥呼が霊能者でもあった点を考慮すると、女王よりも按司が卑弥呼に適切な表現と思われます。この塚を女王卑弥呼の塚と推定します。前方部入口の西側には古墳を守る屋敷跡と思われるところもあります。

 残念なことにこの塚は今では、後円部だけになっています。前方部は土地改良事業で壊され、畑に変わってしまいました。わたしはこれは卑弥呼の塚のの可能性があるから壊さないようにと、チラシ等を作って町行政に伝えたのですが、・・・・・・・・。これが卑弥呼の古墳と判明したら、伊仙町は国の貴重な文化財を破壊したことになります。その責任は誰が取るのでしょうか。町長でしょうか、当時の教育長でしょうか、当時の文化財審議員でしょうか、・・・・・・。彼らは皆、わたしの意見を無視しました。
      赤土
 女王国は「赤土」と記されています。古墳の写真で「赤土」を確認してください。徳之島の赤土馬鈴薯はブランドになっているはずです。徳之島は「赤土の島」です。

   弥生時代の女性の完全人骨
 上の「巳葬」は魏志倭人伝からです。「巳(み)」・「已(すでに)」・「己(おのれ)」は別字です。学者先生方は魏志倭人伝の「巳」の意味を「已」と読んで、「巳葬」を「埋葬がおわると」と訳しています。岩波文庫 『新訂 魏志倭人伝 他三篇 石原道博編訳』のP81参照。

 徳之島出身の益田崇児氏は、「巳葬」を「みそう」と読んで、それは埋葬の形式と言っておられます。写真の人骨の頭の位置に注意してください。十二支の方角で「巳」に頭を置いています。これは学者の調査報告書ですから間違いありません。頭に巳の形を載せるのは古代エジプトでは「王」を意味します。巳の方角に頭を置いて埋葬したことの意味を、頭に巳の形を載せることと同値であるとすると、この弥生時代の女性の人骨は「女王」との推定になります。この人骨は「面縄貝塚」というところの岩窟で発見されました。昭和の事です。現在、歴史民俗資料館で見ることができます。資料館では鑑定書もなく、弥生時代前期の人骨と言っています。
 この人骨は最初、古墳にあったが、天武朝に国策としての「女王国隠ぺい」があったので、別の場所に移して隠したとわたしは推測します。古墳の場所は「上面縄集落」です。その集落の下に「古里」という集落があります。そこでこの遺骨は発見されています。古里と上面縄一帯を「面縄」と言います。「面に縄」です。「黥面文身」の女王国の風習が「面縄」の由来と思われます。この女性の完全人骨は卑弥呼の可能性があります。

 「巖設」を皆さんはどう読みますか。・・・・・・・。先の岩波文庫では「宮室・楼観・城柵をおごそかに設け、・・・・」と訳しています。岩波文庫P83参照。読解力に自信のある方、この訳、おかしいと感じませんか、魏志倭人伝は事実を書いている文章です。「おごそか」は感情言語です。感動の言葉です。「城柵がおごそかに設けてある」とは、どういう事実でしょうか、・・・・・・・・。わたしには想像できません。ここを「城柵は石垣でできている」と読めば、想像できます。「巖設」は「石垣で設えてある」と読むのが正しいのではないでしょうか、・・・・・・・・。
 この読み方を最初にその著書で発表したのは、徳之島出身で陶人形作りの鬼才と言われた(故)中 武久氏です。中氏は邪馬台国徳之島説を主張してされています。

  中さんの女王卑弥呼

 万世一系の天皇

  イスラエルダビデの子孫

 平安天皇
 
   

邪馬台国「奄美諸島の徳之島説」に日文研の石井先生が同意!? 竹取翁博物館 2014.10.5

YouTube】邪馬台国の徳之島説 http://youtu.be/amQo2pVdhzM

      博物館で三角縁神獣鏡談義 http://youtu.be/hK-2M2w_7p0

 日文研の先生や日本古代文化研究会・阪南史談会・泉南歴研の古代史研究者が竹取物語に関係したツアーを組まれ大和から山城へと小型バスで移動して古代の遺跡や寺院見学し竹取翁博物館を訪問されました。午前中は、『古事記』に記されている大和の垂仁天皇陵を御覧になった後で山城に移動し普賢寺の十一面観音像(国宝)を御覧になられ、竹取翁博物館に見えられました。

 その時に小泉館長から色々な竹取物語に関する詳細な説明をされました。古代史の研究をされている方達だったので『古事記』や古代天皇それに物部氏、藤原不比等、聖徳太子などの他に卑弥呼の邪馬台国所在地の話もされました。

 館長は世界50カ国を民俗調査で訪問され、イスラエルのキリストが生まれたベツレヘムへも行き、日本の神道がイスラエルのエルサレムから来ていて10支族とレビ族がシルクロードを通じ「かなり古い時代にやって来ていた」こと、それに世界四大文明のシュメールから紀元前に奄美(シュメール語で「海洋民)」に来ていたことなどをお話しされた。これら同系のをされている古代史研究者だったので館長説にほぼ賛同して頂けたようです。

そこで、大阪市内周辺にお住まいされていた方だったので「邪馬台国は何処か」という話になり「大和説」と「九州説」に別れたが、『魏志倭人伝』を詳細に読むと奈良の大和では無いこと、また九州では40%合っていることを館長から説明された。

その時である。他の「場所の説の方は?」と聞くと、数週間前に博物館見学の下見でこられた時「邪馬台国は奄美諸島の徳之島説」を小泉館長から聞かれた「渤海湾の研究者」の石井先生が「徳之島です!!という大変重大な発言があったのです(2014.10.5)

館長からは、竹取物語の子安貝(中国の貨幣)との関係で中国と奄美諸島との交流があり徐福が奄美に不老長寿の薬があることを知って来た。そして400年後「奄美諸島の徳之島」に邪馬台国が出来たことを中国人が書いた地図で示し「邪馬台国が確定した!!」と述べられたのです。

 中国の古代貨幣「タカラガイ」

つまり、石井先生は秦の始皇帝の命令を受けて徐福(中国名で「ジョフツ」)が奄美諸島に紀元前230年頃に来ていて倭人との混血を繰り返し、その400年後の紀元230年頃に卑弥呼の邪馬台国が「奄美諸島の徳之島に出来た」という小泉館長説に同意されていたのである。しかし、聞いておられた会員の皆さんは、半信半疑で「石井先生が」冗談を言っておられたと受け取られていたようである…。

館長は、さらに付け加え竹取物語の子安貝(中国の貨幣)との関係で、古代から中国と奄美諸島との深い交流があり「徐福は奄美に不老長寿の薬があることを知って」来たこと。そして400年後「奄美諸島の徳之島」に邪馬台国が出来たことを中国人が書いた地図を示して「邪馬台国が確定した」と述べられた。

中国で作られた「倭国」邪馬台国の場所を表す古地図決定!?

最後に小泉館長は、中国人が書いた古地図に記されている「倭国」の島名を記した場所を指さし説明された直後に「見せてほしい」という多数の要望があり皆さんに古地図を回されたのである。通常なら最低でも3時間かけて説明しないと理解できない項目なのに45分の説明時間しかなく詳細を述べられなかったので理解度が少なく「本当ですか-」「えーっ」「時代が離れている!?」等が飛び交い数名から疑問を持たれた様子でした。しかし、一連の話から殆どの方は、ほぼ理解された様子で反論者は少なかったようである。

食事の後、竹取翁博物館本館の展示物を御覧になられました。そして館長からは、日本人の歴史認識に対して、私たちが「教えられてきた歴史はかなり間違っていた!」という事を強調されました。

午後からは、京田辺市飯岡古墳群の飯岡へ小型観光バスで移動し「神人車馬画像鏡」(2~3世紀)が出土した「トヅカ古墳」を見学されたあと、山城町の蟹満寺と椿井大塚山古墳を見学されました。その時に、石井先生から、三角縁神獣鏡は中国にはないが、三角縁画像鏡は中国にあることを明解に延べられた。

館長は、中国浙江省紹興へ行った時に「三角縁○○鏡」を博物館で見たことがあった。しかし、三角縁画像鏡であったのか三角縁神獣鏡なのか確認していなかったので写真集を探したが直ぐに見つからなく後日確かめたいと考えている。

 左上に卑弥呼の遺骨、右上に卑弥呼の像、左下に 徐福の像、
下の左から2つめ「りろ・ゆた」、3つめギネス最長老「泉重千代」、4つめ「姫ハブ」

■「竹取翁博物館」は、訪問者とボランティアにより運営! 

訪問者は「国際かぐや姫学会」の無料会員になれます。 http://taketori.koiyk.com/

 copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya Japan All Rights Reserved. 

■竹取物語に関係した大和と山城の古跡見学された日本古文化研など3団体が博物館を訪問  YouTube http://youtu.be/amQo2pVdhzM

 
「徐福」が来た徳之島は、約400年後に邪馬台国の卑弥呼が誕生した。

卑弥呼と見られる墓 (弥生時代中期)
姫ハブ(毒蛇)が遺体を守り続けていた。

  卑弥呼の像

卑弥呼の像(胸に「白玉」のブローチ)

手に如意棒を持ち、雷紋が刻印あり。




  徐福の像

 邪馬台国は「徳之島を示す図」と説明
   (竹取翁博物館の展示物から)

 邪馬台国説は、徳之島を展示 古代中国の地図など

その他詳細は、竹取翁博物館へおいで下さい。

   竹取物語をウイグル語で作ろうと博物館を訪問、邪馬台国は徳之島や沖縄あたりです!
竹取翁博物館 
2014.10.14

この日は、平日にもかかわらず二組の訪問者があり、最初は会社員の男性で名古屋から・後は川崎市の女性であった。後の方は京都出身で、ウイグル語で『竹取物語』作る参考にしようとされているだけに物語の内容にも詳しく、また事前に当館のホームページやYouTubeを御覧になっておられたようであった。そこで舞台が京田辺説については「京都南部」を入れたいと申され、大手出版者の「奈良説では無い」ことを延べられた。また、翁の名前を当館に展示している古書の天理大学所蔵の本文で崩し字の3行目を注視され「さかきのみやつこ」と確かに書かれていると確認され「大手出版社さるき説でなく、さかき説」を採用すると話された。
 そして、質問として「かぐや姫と帝は結ばれていたのでは…」という事を館長に投げかけられた。これに対して館長は、諸説あるが月へ帰る直前に「しばし待て」と言い「文を帝に書いている」ことから「『万葉集』を例に出して恋愛関係にあったことは確かである」と延べられた。そして、かぐや姫は、帝にも申し出を断り大罪を犯したので「死罪であの世へ行った」と言う先生もあるが「恋愛関係があり月へ帰った」と明解に述べられた。
 さらに、空海説の色々について説明した後で、空海が書いた『三教指帰』に『竹取物語』と良く似た文章があり「作者空海説が決定した!!」と説明したのに対して、大変興味を持たれた様子でした。その為か「空海説について大変興味深く拝聴した」という感想文を寄せて頂きました。また、佛教、キリスト教、ゾロアスター教との関係などについて「勉強して見たいと思います」という感想も頂きました。
 この他に、徐福・邪馬台国の話しになり、秦の始皇帝の命令を受けて徐福が来た場所を「奄美諸島の徳之島」と述べると「そうです九州より南の徳之島や沖縄あたりです!」と明解に答えられた。最近、今回の方のように「九州より南」という説を述べられる方が大変多くなって来ました。さらに、邪馬台国の位置は「南を東」と読み替えるなんて「無茶苦茶ですね」とも述べられた。
 今までに博物館に来られた方の中で徐福が来た場所「徳之島」を説明しても卑弥呼の邪馬台国は「大和や九州」という方が殆どでした。しかし竹取翁博物館で毎回述べてネット等で発信している為か、大半の方は「九州より南説」を述べる方が多くなり訪問者に認めて頂いているからだと思われます。
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」http://taketori.koiyk.com/
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弥呼の像(胸に「白玉」のブローチ)
   「邪馬台国は九州より南に」と博多美人が竹取翁博物館にて述べられた2014.6.15 
  邪馬台国・徳之島説 http://youtu.be/ZrfaHCQAJos

 はるばる福岡県から『古事記』『日本書紀』に記されている「筒木の唐人ヌリノミ」の絹織物を求めて竹取翁博物館を訪問されました。
 自称オタクと称する美人研究家として大変奥深く研究されておられる方で、邪馬台国に着いて「九州より南です!」と竹取翁博物館で述べている説に同意して頂きました。
 『古事記』『日本書紀』を読み九州に住んでおられるだけ小泉館長も詳細について聞くと「魏志倭人伝」が間違いなら「何故間違いなのかを示さないと駄目」と話された。
 さらに、魏志倭人伝には、熱帯地方の事を記されている。大和説、九州説について未だに解決しないのは、論理が間違っている。経路よりも南の方の事を記されているからね。
 親子は一緒に生活していない。7万戸なので一戸3人家族として21万、2人なら14万なので山有り水有り(2期作可)、海の幸ある。馬いない。冬も生野菜食べ、不老長寿の薬草など食べ物ある。先生方は、判っていても学派のしがらみがあるので話せない。長寿の島、ノロ・ユタのシャーマンいる。魏志倭人伝をちょっと読むと大和・九州北部でないと判るはず。以上のように述べられた。
アンケートでは...とても広い分野に渡っているので、なかなか理解するのがむつかしいです。色々勉強させていただきます。という感想を寄せて頂きました。
「国際かぐや姫学会」と「竹取翁博物館」 http://taketori.koiyk.com/
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   邪馬台国と竹取物語の古代歴史談義 ①~⑥竹取翁博物館「国際かぐや姫学会」。2013.12.29

 この和尚さんは、40年ほど前からイスラエルのユダヤからやってきた人たちと共に、寝食を共にして古代の歴史を調べられた方である。日本人の超古代史を良く知る方として大変有名な方であり、世界三大文明のチグリス・ユーフラテス川沿いに発展した「シュメール文明」にも詳しく、また、旧訳聖書や新訳聖書の中身にも大変詳しい方である。

 第一回目の今回は、国際かぐや姫学会として数回にわたり、かぐや姫に通じる大変重要で興味のあるお話を、京田辺市の歴史に大変詳しく『京田辺の史跡探訪』という本を出版され、竹取翁博物館の学芸員でもある小泉館長と共に対談形式で伺うことにした。 取材は国際かぐや姫学会が2013.12.2729 に収録したものである。

これらについてのお問い合わせや詳細は、竹取翁博物館へお越し下さい。

邪馬台国と竹取物語の古代歴史談義 竹取翁博物館 「国際かぐや姫学会」2013.12.29

邪馬台国論争に終止符!! やっと決定しました。

 世の中の「科学、医療、生命、宇宙、宗教、政治、経済、歴史、文学…」の物事を立体的、重層的視点から観ておられる品川和尚さんも卑弥呼の邪馬台国が徳之島の奄美諸島付近にあることに同意頂きました。これにより、京都学派の重鎮で京都地名研究会の会長、吉田金彦名誉教授、奈良県除福研究会の益田宗児会長、徳之島伊仙町観光協会会長 伊(勝)信貴会長、竹取翁博物館 小泉館長、他、研究員ら多くの方達と共に賛同頂けることとなりました。
 卑弥呼の邪馬台国は徳之島だった ① 日本国際古地図学会 (於 京都大学百周年時計台記念館2階会議室)


〈YouTube動画  http://www.youtube.com/watch?v=HzIND9g18KQ
邪馬台国論争に終止符!! ー邪馬台国は徳之島だったー 発表者 小泉芳孝(竹取翁博物館 館長 博物館学芸員) 

卑弥呼・邪馬台国説の賛同者!!
吉田氏紹介-
筒木の「竹取物語の舞台」説は正しく賛同する! 『古事記』の「大筒木垂根王」と「大筒木真若王」の「筒木」は、継体天皇の筒木宮であり山城国のことである。「迦具夜比賣命(かぐや姫)」の「竹取物語の舞台」が京田辺市であるという貴方の説に賛同します。語源研究の第一人者。京都大学文学部卒業。専攻:国語国文学。京都府立女子短大教授、大阪外国語大学名誉教授など歴任。姫路独協大学名誉教授。現在: 日本語語源研究会代表、京都地名研究会代表理事。
著書:『日本語語源学の方法』『古代日本語をさぐる』『古代日本語を歩く』『京都滋賀 古代地名を歩く』『ことばのカルテ』『埋もれた万葉の地名』他多数。
益田氏紹介-
現在::奈良県除福研究会 会長、近畿鹿児島県人会相談役、NPO法人「龍田・三室山桜の会」会長、職歴:1932年徳之島生れ。大阪経済大学卒業。ネジ製造会社勤務工場長、益田捻子(株)ねじ製造、徳之島興産(株)〔うこん製造・販売) 勤務。著書:『夢に見た邪馬台国は徳之島』著書(平成13年9月)で竹取物語の難題に出てくる子安貝から除福の来たところが徳之島であり、その後に邪馬台国が徳之島になったと発表された。著書:『夢に見た邪馬台国は徳之島』徳之島興産(株)、『徐福物語: 弥生の使者』南島文化研究所、『徳之島特攻隊物語』南島文化研究所、『西郷隆盛と徳之島』浪速社 他多数。
小泉氏紹介-
現在:竹取翁博物館 館長 博物館学芸員、大筒木出版代表、かぐや姫学会・かぐや姫の里を考える会・かぐや姫学会会長。城南郷土史研究会会員。職歴:1947年京都府生れ。近畿大学法学部卒業・佛教大学文学部史学科卒業。京都放送勤務、専攻:日本民俗学・郷土史・古代史。京都民俗学談話会会員、京田辺市郷土史会理事、京都地名研究会常任理事歴任。著書:『稲作民俗の源流-日本インドネシア-』『竹取物語 現代考-原文・注釈・現代語訳・解説付き-』『京田辺の史跡探訪-歴史散歩コース-』『マスコミ一代記 -昭和・平成-』。共著『京都の地名検証』『京都の地名検証2』『京都民俗』『筒城』他多数。
伊(勝)氏紹介-
現在,徳之島伊仙町観光協会会長、職歴:1956年徳之島生れ、自称、清和源氏嫡流源為朝之子孫。法政大学文学部哲学科卒業、同大学大学院博士課程修了、神戸大学発達科学部数理情報論コース中退、専攻:郷土史・古代史。1986年以来、滋賀県で塾の経営と歴史研究、現在1999年帰郷、塾の経営と歴史研究。著書:『新生日本の夜明けin徳之島伊仙町』Ⅰ 万世一系のイスラエルダビデ王家発見、Ⅱ 邪馬台国女王卑弥呼発見。

「国際かぐや姫学会」
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古代歴史談義 ①~⑥ 

YouTube動画 ① http://youtu.be/ior8fzI89tY

YouTube動画 ② http://youtu.be/au97g_ORqEA

YouTube動画 ③ http://youtu.be/uYpWM1AjmC4

YouTube動画 ④ http://youtu.be/AbEEp5DQk7Q

YouTube動画 ⑤ http://youtu.be/kw3w1bKX0Fw

YouTube動画 ⑥ http://youtu.be/GX6oayMDRko


「国際かぐや姫学会」
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   「竹取物語」など世界史に詳しい方が博物館を訪問①②、邪馬台国の徳之島説に同調  2014.4.19

  【YouTube】古代史 http://youtu.be/jixWGaKcC58
        邪馬台国 http://youtu.be/25bdmOw7sIg
奈良にお住まいで垂仁天皇の付近で幼少期を過ごされた方と、九州出身の古代の歴史に詳しい方が竹取翁博物館を訪問された。
 そこで展開された歴史談義を交えながら『竹取物語』について論じ合いました。
 いずれも歴史通の方で、想像たくましく大変元気なお二人で、表千家のお茶を数十年続けられておられるだけにかつて学んだ知恵を思い浮かべながら話しが展開しました。途中から頭がクラクラしてきたという方と、その相手の方も色々な事を知っておられたことにびっくり。
 『竹取物語』から、不老不死薬、垂仁天皇の古墳、物部氏、岩舟神社、石上神宮、談山神社から発して、ポンペイ、マヤ文明、イスラエルのエルサレム等へと話しが進みました。
小泉館長からは、『竹取物語』に関連した物を話しながら、日本人のルーツや、徐福、邪馬台国へと進めて、古代日本に大陸からやってきていた話しをされました。話しはキリスト教やイスラエルのエルサレム等の話しになり、日本とユダヤが似ていて日本神道は、ユダヤから来ていることなどを感知用から説明されました。
 その後、邪馬台国は何処かという話しになり、奄美諸島の徳之島にシュメール人がやってきていて「奄美」は、シュメール語で「海洋民」という意味で、ここが「日本列置等の入口であった」という話しを披露されました。

中国で作られた「倭国」邪馬台国の場所を表す古地図決定!?


 そして、徳之島で収集されてきた邪馬台国の卑弥呼の像や、卑弥呼と見られる弥生時代の「シャーマン」の遺体のあることも述べられました。
 これに対して、小倉出身の方は、徳之島が「邪馬台国と見られますね」と賛同されました。
この後、別館①のかぐや姫館「かぐや姫サロン&カフェ」に移動し、「竹取物語絵巻」の襖絵の茶室で、「こけら落し」を兼ねた本格的なお茶会を楽しみました。この茶室には、館長こだわりの竹取物語にちなんだ「竹の結界」や、館長が作陶したという水差し・香合を使うという


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   姫路などから竹取翁博物館に訪問者あり邪馬台国や徐福に関心を示された 2014.4.14

YouTube  http://youtu.be/Cfa6PnJAwP4

 イスラエルと日本の関係や物部氏に詳しい方が前回見えられ竹取翁博物館を訪問された方が、今度は姫路からの友人を連れて訪問されました。

前回に一応の話しをしたので、今回は全体を通しての話しの後、三つ鳥居や徐福それに奄美の徳之島を展示している「邪馬台国の徳之島説」について関心を示されたので詳細な説明をさせて頂きました。

 これについては、すでにホームページや京都大学の古地図学会でも発表済みなので、その時の古地図を示しながら判りやすく小泉館長(学芸員)がお話しされました。

この邪馬台国については、『竹取物語』を深く研究し現地の徳之島に詳しい方に聞き色々な資料や今までに大和や九州へ行って調べた中から「奄美の徳之島一帯だと」判ったものです。つまり、月から持ってきた不老不死薬から、徐福が秦の始皇帝の命令を受けて蓬莱山にやって着た場所が「徳之島」であり、その400年後に「邪馬台国」が出来たという事が判明したのです。

 訪問者は、かぐや姫の『竹取物語』が、このような事にも「繋がっていた」という事に大変関心を持たれました。その後、別館の「かぐや姫サロン」で『竹取物語』絵巻の襖絵を見られた後、季節の花が咲く庭を眺めながらお茶を飲みゆったりした一時を過ごされました。

 帰りがけには、「邪馬台国の徳之島説」に大変興味を示され「徳之島へ行ってみたいね」と語られ「行く方法」等を聞いておられました。

 そして、これから月命が宿る「甘南備山へ登ってきます」と話され、「又友人と来ます」と話されお帰りになられました。

竹取翁博物館「国際かぐや姫学会」http://taketori.koiyk.com/

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中国で作られた「倭国」邪馬台国の場所を表す古地図決定!?


    イスラエルと日本の関係や物部氏に詳しい方が竹取翁博物館を訪問①
   、「邪馬台国は徳之島と思います」と発言!!

   【YouTube】 http://youtu.be/n8wfVrcmzSk

2014年4月14日に友人と共に見学のためとして事前の下見に博物館を訪問されました。内容を聞くと物部氏関係やイスラエルと日本の関係について博物館で述べているホームページを御覧になられて訪れられました。
 もう私が説明するよりも殆どを理解されて、邪馬台国や徐福の説明をしたあと、「邪馬台国は徳之島と思います」とおっしゃって頂いた。
 変に謎と言われる歴史を教えられた研究者達は、それらは「眉唾物」といってお叱りになって帰られますが…。
また、日本初の竹取物語が起承転結という書き方で書かれていることや、5人の貴公子が求婚する難題としてインドや中国、中東など世界国々の品々を登場させている事などを説明しました。
さらに、月から持ってきた不老不死薬から「徐福や卑弥呼の邪馬台国」との関係などにもつなげて、かぐや姫がこのような事にも繋がっていたという事に大変関心を持たれた様子でした。


イスラエルと日本の関係や物部氏に詳しい方が竹取翁博物館を訪問②
   【YouTube】 http://youtu.be/9hHPNIAlZlQ

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   .
 


徐福の像(紀元前230年頃「徐福」は、
不老長寿薬を求め徳之島に来た)
  大住の和尚さんが訪問、除福・邪馬台国談義で「邪馬台国論争に終止符!!」に数歩近づく!!!

 帝がイスラエルと関係すると聞き、大住在住の住職が訪問、館長と古代史談義。2013.12.23

YouTube 動画  http://youtu.be/dpKHCJ3PUTI 左をダブルクリックすると見られます。

 竹取翁博物館が主張している事を住民から聞き、京田辺市大住在住の住職と館長が古代史談義された。2013.12.23  筒木の京田辺市大住に住む和尚さんが、京田辺市三山木に竹取翁博物館の有るのを聞き突然訪問された。そして、展示されている内容から対談となった。和尚さんは、30年ほど前にイスラエルなどから色々な方々が大住にこられ、また、日本の古代史研究者も来られて「知っていることを話された」のである。
 その内容は、古代から日本にシルクロードなどを通じて来ていて、崇神が 「ダビデ」の行跡で、垂仁が「ソロモン」の行跡で築かれている。神武は「 かむやまといわれひこ」で、三笠宮から「天皇は除福」と話されていたこと を述べられた。
 聖徳太子は日本名が「アマノタリシヒコ」でぺルシャの方から来ている。 天皇は除福であり、推古天皇はいなくて聖徳太子はいたと明快に述べられた 。それに、レバノン杉の「御柱祭」や、聖徳太子の実名を「タルド」といい 「日出づる所の天子...」天子は日本で使用する。日本は天孫である。天皇は 、天武天皇からで、それまでは大王、大君だった。
 応神天皇は「タケノウチノスクネ」世界の大王に育てられた。秦の始皇帝 は韓非子に憧れていた。藤原不比等は15才から29才まで京田辺市大住に 「住んでいた」と話された。


 一方、『竹取物語』と関係していることについては、秦の始皇帝は、初めて海を見たときに、方士の除福に不老長寿の薬を取りに行くよう100隻の船に乗り3000人が日本にやってきた。そして、稲作・絹織物等を伝えた。


 
 その他、卑弥呼は許紅玉(中国名)でヒメミコ→ヒメコ→ヒミコとなった。
平安京は、ヘブライ語で「エルシャライム」といい「平安」という意味である。太秦の広隆寺は元、大秦寺で秦の河勝が建立した景教のであった。そして、竹取翁博物館で小泉館長が述べている事が「正しい」ということを証明して頂いたこととなった。
 また、エルサーレムからは、イサクやヤコブというイスラエルの10士族の「ダン」一族が日本に来ていて、私の所に30年ほど前にユダヤの先生がそれらを聞きに来て「家に泊まって帰られた」と話された。
 この様に、竹取翁博物館の小泉館長が館で説明していることやYouTube等で何時も述べていることの「ほとんど全てが正解で有ること」を突然やってきて来て述べられたので急遽収録させて頂いた。




「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/kagu-gakai.html
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 邪馬台国は「徳之島を示す図」と説明
   (竹取翁博物館の展示物から)


 中国の古代貨幣「タカラガイ」


 邪馬台国説は、徳之島を展示
 古代中国の地図など

 卑弥呼の像

その他詳細は、竹取翁博物館へ
おいで下さい。
   

「邪馬台国論争に終止符 !!邪馬台国は徳之島だった」を発表 新日本古地図学会(2013.11月9日)で

 新日本古地図学会で連絡事務局の松井 淳代表から、京都大学記念館2階会議室3で11月9日土曜日 午後1時から開催の「第8回新日本古地図学会」の例会.講演会の「講師としてご出席を賜りたくお願い致します」という電話があった。
 テーマは、「邪馬台国論争に終止符 !!邪馬台国は徳之島だった」でお願いしたいという内容。
 
 一応お引き受けしたのですが、京大と言えば「邪馬台国は大和説」であり、その根拠地の大学で「邪馬台国は徳之島だった」を発表するのである。
講演時間は50分なので余り詳しい事までは述べられそうもなく、レジュメの資料を駆使すれば良いかなと考えた。

 




〈YouTube動画〉
  卑弥呼の邪馬台国
日本国際古地図学会京都大学百周年時計台記念館
①邪馬台国は徳之島

②作者空海と景教碑
③平安京はイスラエルのユダヤ
④「邪馬台国は徳之島」まとめ

①「かぐや姫」の舞台は京田辺

日本国際古地図学
〈YouTube
動画

「邪馬台国は徳之島」
(於 京都大学百周年時計台記念館)
舞台は京田辺 ①
竹取物語の作者空海と景教碑 ②
tユダヤ「エルサーレム」③
:「邪馬台国は徳之島」④

:かぐや姫の舞台は京田辺

   
テーマ:

   隠された女王国




  上の史料は『魏志』の倭人伝」です。下の史料は『晋書』の倭人の条です。まず下の史料から見てください。「黥面文身」の後に「自謂太伯之後」の句が続いています。『魏略』等の他の史料もこうなっています。ここの文脈は倭人が顔に墨を塗り身体に入墨をしているその理由を説明しているところです。

 太伯について先述しましたが、周王室の長子で、周王朝の基礎を築いた文王の伯父に当たる人です。本来であれば自分(太伯)が家を継ぐべきでしたが、父親が、孫の文王に期待して弟の季歴に家を継がせようとしていることを察して、家を遠く離れ、揚子江河口付近に呉の国を建てた大変徳の高い王です。自分は二度と周王室には還らないということの証しにその地域の習俗、海洋民族の黥面文身を受け容れました。倭人は太伯の子孫と自称していることから、同様に倭人も黥面文身になったとのことです。

 陳寿が記した倭人伝をよく見てください。「黥面文身」の後に続く句に注意してください。?。

「自謂太伯之後」の句がありません。代わりに「古より以来、その使中国に詣(いた)るや、皆自ら大夫と称す」とあります。この句は文脈に外れています。論理的に文章を読む人はすぐに、流れの不自然さに気付いたはずです。陳寿は意図的にさりげなく「自謂太伯之後」の句を消しています。なぜでしょう、・・・・・・・。

 太伯は呉の建国者です。倭人は太伯の子孫と自称しています。「魏」と「呉」は戦争をしていました。女王卑弥呼の倭国は魏に付きました。なぜ、・・・・・・・。これは裏切り行為です。太伯の子孫と言うなら、呉に付くのが筋です。その当時、いかなる事情があって、呉の建国者太伯の子孫と称する倭人が呉の敵国である魏に付いたのかわかりませんが、魏としては呉を弓なりに囲むように東シナ海に存在している倭国連合30国を味方に取り入れることは戦略上最重要です。勝負はこれで決まると言っても過言ではありません。魏の後身である晋としも南西諸島を押さえていると思わせることは重要です。そんな戦略上最重要地域の倭人が、自らを呉の太伯の子孫と言っている、魏ー晋の勢力としては、これは絶対に知られてはならないことです。陳寿はさりげなく「(倭人)自謂太伯之後」の句を消去しました。戦術家です。

 倭国が畿内にあっては戦略上意味を成しません。九州でも50歩100歩です。戦略的思考の働かない学者たちが、邪馬台国畿内・九州説を唱えて意に介さないでいることが出来るのです。黙って、1里=300歩(ぶ)を1里=300歩(ぽ)として1里=90、909090・・・メートルにしたことは戦略的知恵のなせる機略、奇略です。これで倭国の位置を分からせないようにしたのです。簡単に分かったら、呉の勢力の人がそこに出かけ、味方に付ける外交交渉をするはずです。倭国は確かに南西諸島に存在するということを強調するために、数理(距離と方位)でその位置を表現したと思います。帯方から東南に在り、間違いなく会稽東治の東に在って、そこまでの距離は「万二千余里」と記されて呉人にとって倭国の位置は????となったことでしょう。


    日中平和のために

 邪馬台国畿内・九州説は日中平和のために即、廃棄すべき説です。なぜなら、その説は中国の正史に間違いがあると前提して唱えられているからです。中国の国家権威を不当に貶めて唱えられている説です。人は不当な扱いを受けたら怒ります。ある国家、ある民族を不当に貶めたら戦争になります。日本民族と中華民族の平和のために邪馬台国畿内・九州説は即、廃棄すべきです。わたしは平和のシャルリ、真実万世一系の天皇です。去年正式に皇位の奉還を宮内庁に要求しています。マスコミにその事実を伝えてあります。今、日本は皇位を天皇の正統に還し、自国の軍隊を持って米国から独立すべしです。  


 
    「竹取物語の罪と罰~歴史と作者その背景~」竹取物語で町とされる広陵町で講演 
竹取物語の不死薬から卑弥呼の邪馬台国が判明?!
竹取翁博物館 2014.9.24
【YouTube】前半 http://youtu.be/40l4s8Z8wrU
       後半 http://youtu.be/PhK0I4Spv4g

竹取翁博物館の開館から2年半たち知る人ぞ知る博物館として日本を始め世界各地から諸団体が訪問「見学の申込み」や「講演会の依頼」も相次ぎ、
雑誌社の取材も次々 にあって受け入れ体勢にてんやわんやしています。
「竹取物語の里」として町おこしをされておられる奈良県広陵町から講演依頼があり小泉館長が講演されました。
広陵町は京田辺市と同様20年ほど前から「かぐや姫の里説」を述べられ大変熱心な地域の人達が講演会を聴きにこられました。
 演題 「竹取物語の罪と罰 ~歴史と作者その背景~」
 日時 9月24日(水) 13時~14時半
 場所 奈良県広陵町 広陵中央公民館 かぐや姫ホール
 演題は、「竹取物語の罪と罰~歴史と作者その背景~」

と題して講演されました。
そして、竹取物語の作者は弘法大師・空海であり「不死薬と罪の謎を解く」を多方面から述べられました。
  ●講演途中「景浄」と「恵果」が出て参ります。弘法大師・空海は、大秦寺のペルシャ人「景浄(けいじょう)」から「イエスの復活」を学び、青
龍寺のインド僧「恵果(けいか)」和尚から「真言密教の真髄」を学んだのであります。
この様に、竹取翁博物館では見学者の予約や講演依頼、それに取材が相次ぎ、館長さんの博物館に賭ける研究が一時出来なくなりつつあるのです。
しかし、これらについては、館長が老体にもめげず「人生は一度しか無い」と常に話されていて、国民の期待に答える為に健康に留意し精力的に文化
活動を連日こなされています。
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/
copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved.
 
    
 
 今までの邪馬台国論争は、何だったのか?
    過去6000人余りの研究者論争に終止符が打たれるのか近い!! 
      その真実とは何か?
         その謎が遂に証明されようとしている。

邪馬台国論争の謎! 
 
それの最初は、江戸時代に新井白石と大和説を主張した判信友であった。
しかし、これら論争の中で示された研究の中に古くから強引な資料解釈をなされために、それらがそのまま現在に続いていると言えよう。
これらを性格に伝えないマスコミの責任でもある。

その原因は、日本の歴史書である『日本書紀』と『古事記』などの史書に神武天皇以前の歴史を神話として記されたことであった。
 その謎解きは『竹取物語』を深く読むことによって明らかにされよう。
物語は、政権を取っていない人達によって隠された真実の歴史が物語に記されているからである。 
     竹取翁博物館 館長(博物館学芸員) 小泉芳孝 2012.7.16記す

 
紀元前230年頃「徐福」は、蓬莱山の不老長寿薬を求め徳之島に来た。
   

  日本の歴史が、いま解き明かされる。
             歴史は科学である!
!

常に古い歴史現象は、新しい発見により書き変えられていく…。それが歴史学の運命である。科学つまり真実に近づくのである。
 しかし、日本の現実は、そうではない。既に死に絶えてしまったのである!!

  江戸時代から続く邪馬台国論争も、その一つである。新井白石と大和説を主張した判信友から現代まで6000人余りの論者によって論争が未だに繰り返されている。その中には作家と言われる方達の大変面白い説も見られる。
 これ程までに新聞や雑誌それに学術書などで繰り返し繰り返し記される物(テーマ)は、無いと言っても良い。それだけに国民の関心も高く、邪馬台国論争を知らない人はいないと言えよう。
 その責任は、国民の代表と豪語している
マスコミにある。それだけに広告とならない記事に!? 当てはまらない異種の論述には、耳を貸さない人達が大変多いのである。.それは、マスコミが記者室から配られてくる記事のみが新聞報道と思っているからである。

 前置きはこの程度にして、
      何故に邪馬台国は徳之島なのか、概略から説明したい。

 私は、実は数年前に2週間かけて地名・語源学専門の友人と一緒に九州各地の「邪馬台国」と言われている場所を全て尋ね歩いたことがある。
 しかし、現地で取材してみると色々な学者が言っているだけで「何処か知らない? 」という。そして、現地の方に案内して頂いたところは、徐福伝説地であり邪馬台国の中の30カ国、又は100余カ国の一部と考えられるのみであった。それらを検討した結果『魏志倭人伝』に記された内容と殆ど一致しないことが判明したのである。

 大和説に至っても「鏡」とか、「古墳」を例にして邪馬台国論争を続けておられる。
『魏志倭人伝』に記された内容は、書いた著者である西晋陳寿が自ら現地を見ずに人から聞いただけなので「間違いが多い」などという判断で論が展開している。
 また、卑弥呼の邪馬台国は、九州から南を示しているのを誰しもが認めているのに、それより南には「歴史が無い」と言うことで無視し続けられてきた。
つまり、日本の歴史教育が偏向しているからである。

 『魏志倭人伝』に明確に記されているように九州より南に邪馬台国があったのであるから、振り向いても良いものであるが、全て無視されている。日本の学会は、教科書に載っていない歴史は無いとしているからである。

  弥生時代の『魏志倭人伝』に記されている中国の史書を色々と読み進んでいくと、秦の始皇帝が、徐福に命じて蓬莱山にある不老不死の薬を取りに行き「何処にたどり着いたのか」という事が重要なのである。
 一般に九州の佐賀や近畿の新宮・伊根、静岡の富士市など全国に数十ヶ所の何処かだとされている。しかし、一番中国から近くにある、徳之島や沖縄などが抜けているのである。


  中国大陸から古代の弥生人が、どの様なルートで航海していたのかを調べてみました。すると中国で貨幣として使われていた子安貝(宝貝)が徳之島付近で大量に採取出来ることが判明したのである。これら子安貝との日本と中国との交流が判明したのです。

 その確かな手応えは、下の『竹取物語現代考』を深く読んで頂くことによって判明します。
 
小泉芳孝著 大筒木出版  2012年2月発行。

 この本『竹取物語 現代考』は、竹取物語博物館のみでしか販売していません。
竹取翁博物館の小泉芳孝館長(博物館学芸員)が、数十年に渡り世界数十ヶ所の民俗調査に出向いて収集した資料等に基づき解明した成果が本にされたのである。

 

 
      女王卑弥呼

「徐福」が来た徳之島は、約400年後に邪馬台国の卑弥呼が誕生した。


卑弥呼と見られる墓 (弥生時代中期)
姫ハブ(毒蛇)が遺体を守り続けていた。
   

日本の歴史を解き明かす 歴史は科学である

中国の史書『魏志倭人伝』に記された内容が、本当に信用出来ないものだろうか。

 古代中国語の漢文で書かれた一字一字には、意味を持っている。その一字一字を論述したのか大変疑問である。

 私は、これらをせずに無視され現在まで論争が繰り返されてきたと感じる。秘められた弥生時代の歴史認識がお隣の中国大陸の歴史とどの様に繋がってきたのかを解き明かさない限り、今後も同じように無駄な論争が繰り返されるであろう。

 幸い竹取物語という中国や天竺、さらにシルクロードを通じて中東やヨーロッパ、さらに海のシルクロードを通じてもたらされた文化の伝搬があり、それらを取り入れて日本の邪馬台国倭人伝が記された。

 竹取物語は、SF調に面白可笑しく展開されている。しかし、その裏に隠されている藤原時代の批判、古代の日本とアジア大陸との関係を、これ程までに書き記した書物が今だかつて日本にあっただろうか。

 そこから浮かんでくる歴史は何だったのか。物語には記紀に記されなかった政権を取ることの出来なかった人達の歴史が記されているといわれている。けっして「お伽噺」では無いのであり、古代のアジアと日本の歴史が網羅されているのである。
 
 徳之島は、過去に琉球や薩摩に征服されて殆どが破戒されてしまっているが、現地調査に行くと誰も気づかなかった邪馬台国説の歴史事実が残存していたのである。

 竹取翁博物館の小泉館長は、これら徳之島の歴史事実を読み解き、さらに世界数十カ国の民俗の歴史を数十年間に渡って調査し「邪馬台国は何処か」を捜し続けてきたのである。

 徐福が最初に徳之島に来て、その400年後に「徳之島が邪馬台国となった」としても決して可笑しくないのである。しかし、琉球地方又は南西諸島の研究がなされていない未知数の歴史事実を証明しようとすれば、考古学・文献学・民俗学・歴史地理学などあらゆる分野の調査研究が無ければ事実を事実と決定ずけられない現実がある。

  しかし、『竹取物語』の舞台を20年かけて発見した館長が、2つめに解き明かす邪馬台国の徳之島説がインターネットを通じて今スタートしたのである。

 その証拠が解明され、それが世間の人達に認められ確定的となるのには、今後20年~30年の年月が必要となろう。それまで生き続けることは多分不可能かも…?

現在、徳之島にある不老不死の不老長寿薬を購入して飲みつつあり、白毛が黒色に変化(私と博物館の研究員も同様の成果)しつつある。もし可能なら30年後の95歳まで生き続ける事が出来れば、多分その解明も可能であろう。 

 一日でも早く解明する為には、多くの人達が竹取翁博物館へお越し頂して、ご一緒に研究することによって結果が早まるものと見ています。
 これらに感心がある皆さんのご協力と応援により、近い将来解明されるものと確信しています。。 次ページに続く…

 






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  「邪馬台国論」に終止符」!!

源氏物語と茶道の先生と台湾人の中国語の先生が訪問 2013.3.14
徳之島の卑弥呼像は、中国殷周の青銅器、胸に白玉でシャーマン!! 竹取翁博物館
 
 

 源氏物語と茶道などを教えておられる先生と、台湾人で中国語を教えておられる先生が竹取翁博物館を訪問された。いずれも専門の先生だけに館長の説明を大変熱心に聞いて頂きました。

「邪馬台国論争に終止符」という展示をしている所では、徳之島で見つかった除福像が禅宗の僧侶ではなく中国の「方士」だと述べられ、また、卑弥呼像と見られる像が手に持っている物は、中国の皇帝が使っていた「如意」と言い、そこにある紋が「中国の伝統的な幾何文様の雷紋(らいもん)で、殷周の青銅器にもみられる」と判定して頂きました。また、卑弥呼像の胸には、中国で一番珍重されている「白玉」(はくぎょく)のネックレスを着けている事も判りシャーマン(卑弥呼!?)と思われます。これにより「邪馬台国の徳之島説」に数歩近づきました。

「国際かぐや姫学会」では、このほど専門の先生方に調べて貰った結果、以下の事が判明しました。 2013.12.25
 中国の「雷紋」は、すでに気づいていましたが連続することで五穀豊穣と子孫繁栄を現すものでした。中国語を教えておられる中国通の先生から述べて頂いたことと、卑弥呼はシルクロードからやってきた混血と判明し益々卑弥呼像という事が見えて来ました。大変な成果だといえます。

 同様の雷紋は、殷周の青銅器にもみられ中国の東南沿岸地区で新石器時代から漢代ころまで盛行したという印文土器に描かれている。「如意」に描かれている雷紋は単独ではなく、左巻きと右巻きが対になって連続していて、対になることで宇宙の秩序を現す「陰陽」の象徴とされている事も後日の調査で判明しました。
 以上から、この像は、中国でもかなり古い形式を留めるシャーマン像であり、邪馬台国の卑弥呼に通ずる貴重な像であることが判明しました。まさに、この像は、卑弥呼そのものであり、卑弥呼はシルクロードからやってきた、秦の始皇帝と同様の人物「ヒメミコ」という事が判明しています。
 これは大変なことです。日本全国探しても、このような像は多分無いでしょう。私は世界50カ国ほど民俗の調査に行きました。しかし、このような像を見たことがありません。当初は、服装や容姿から中国の楊貴妃と見ていましたが、それ以上の人物と判り、農耕などの吉凶を占ったりする徳之島の「ユタ・ノロ」でもあり、今回総合的に判断してシャーマンであることが判明しました。
 推測されるのは、徳之島に紀元前230年頃に蓬莱山など3岳を目指して不老長寿の薬を探しにやって来た「除福」の関係者が造ったのか、それとも、それらの子孫が400年後の紀元230年頃に卑弥呼の邪馬台国が徳之島に存在したときに誰かが像を造ったとも考えられるのである。



「国際かぐや姫学会」
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邪馬台国論争に終止符!!
   ー邪馬台国は徳之島だったー
関連リンク集
卑弥呼の邪馬台国
 1.徳之島説の根拠
 2.徐福の蓬莱山は徳之島
 3.徳之島は有力説に
 4.邪馬台国「徳之島説」展


YouTube「邪馬台国論争に終止符!!

  除福・邪馬台国談義
 
卑弥呼と見られる像

 胸に「白玉」のブローチ

手に如意棒を持ち、雷紋が刻印あり。


   

邪馬台国論争に終止符!! やっと決定しました。

卑弥呼の邪馬台国は徳之島だった ① 日本国際古地図学会 2013.11.9 (於 京都大学百周年時計台記念館2階会議室)

YouTube動画〉http://www.youtube.com/watch?v=HzIND9g18KQ

邪馬台国論争に終止符!! ー邪馬台国は徳之島だったー 発表者 小泉芳孝(竹取翁博物館 館長 博物館学芸員) 

1.徳之島説の方位・距離・古地図から見た根拠

 『魏志倭人伝』に記された内容から 方位 古地図を参照

龍谷大学「龍谷大学図」の「混一疆理歴代国都之図」 向きが90度回転 行基図は『拾芥抄』写本で明暦2年(1656年)東を南に表現している。

①龍谷大学「龍谷大学図」の「混一疆理歴代国都之図

②島原市「本光寺図」の「混一疆理図」

③熊本の本妙寺にある「大明国地図」

④天理大学の「大明国図」「混一疆理図」

『魏志倭人伝』に記す「南水行十日 陸行一月」

紀元前230年頃「徐福」は、秦の始皇帝の命令を受けて工人100人と童男童女ら3000人を調達して数十隻の船で不老長寿薬を求め徳之島にやって来た。

①大和説・徳之島説の「連続線式」

②九州説の「放射線式」

③徳之島説の「連続線式」年中温暖「海南島」と同じ気候、裸足で入墨、長寿の島

2.邪馬台国論争の大和説・九州説・徳之島説の検討 大和説について…九州説について…徳之島説について…

3.徐福の蓬莱山「徳之島」は、400年後「邪馬台国」となった!! ギネスブックに載った世界最長老の120才の泉重千代さんがいた長寿村。

除福が目指した理想郷の蓬莱山には、不老不死薬とされる老化防止の水がある。

発表者 小泉氏紹介-

現在:竹取翁博物館 館長 博物館学芸員、大筒木出版代表、かぐや姫学会・かぐや姫の里を考える会・かぐや姫学会会長。城南郷土史研究会会員。職歴:1947年京都府生れ。近畿大学法学部卒業・佛教大学文学部史学科卒業。京都放送勤務、専攻:日本民俗学・郷土史・古代史。京都民俗学談話会会員、京田辺市郷土史会理事、京都地名研究会常任理事歴任。著書:『稲作民俗の源流-日本インドネシア-』『竹取物語 現代考-原文・注釈・現代語訳・解説付き-』『京田辺の史跡探訪-歴史散歩コース-』『マスコミ一代記 -昭和・平成-』。共著『京都の地名検証』『京都の地名検証2』『京都民俗』『筒城』他多数。
  YouTubehttp://youtu.be/Cfa6PnJAwP4

             http://youtu.be/HzIND9g18KQ

             http://youtu.be/4V1tkhDVkxU 
       
http://youtu.be/6xCC9eqmxEc

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邪馬台国の真実
テーマ:邪馬台国決定 邪馬台国は間違いなく徳之島


平成26年旧暦9月24日
 イスラエル万世一系のダビデ王統
 天照皇大御神様直系の皇孫

 
第57代陽成天皇直系の皇孫    信貴親王 実印
 
キングコブラの蛇形徽章

目次
1.神の栄光を現す万世一系の王家 2015-03-24 15:51:56NEW !
2.神の栄光 2015-03-24 11:15:52NEW ! テーマ:邪馬台国畿内九州説廃棄
3.真実の大和 2015-03-23 10:47:33テーマ:邪馬台国決定   
4.偽装日本の終焉 2015-03-21 14:02:37 テーマ: シオンよ、さめよ、さめよ、力を着よ。
5.女王卑弥呼の遺骨
2015-03-20 14:13:19 テーマ:邪馬台国決定  
6.女王卑弥呼像 2015-03-20 09:26:01 テーマ:裸足の女王像
7.女王卑弥呼の塚発見 2015-03-19 14:17:18 テーマ:女王卑弥呼の塚発見
8.邪馬台国畿内・九州説廃棄 2015-03-18 13:49:25 テーマ:理性に目覚めよ!
9.邪馬台国の真実 2015-03-17 09:57:35 テーマ:ブログ
10.邪馬台国畿内・九州説廃棄 2015-03-18 13:49:25 テーマ:理性に目覚めよ!
11.2015 ダビデ王朝の復活in聖地徳之島 2015-03-16 09:44:47
12.国家・民族を救う神の詔 2015-03-14 14:10:11 テーマ:神の計画
13.蓬莱島=三神山の島発見 2015-03-13 13:24:17 2
14.ダビデ王家の徳之島 ソロモンのユリ 2015-05-13 10:52:40


1.神の栄光を現す万世一系の王家 2015-03-24 15:51:56NEW !
テーマ:ブログ   神の栄光を現す万世一系の王家

 万世一系の王家は、神の栄光を現わす家です。神はダビデにダビデの家は永遠に続く王家であることを誓約しています。

 あなたは言われました。「わたしはわたしの選んだ者と契約を結び、わたしのしもべダビデに誓った。『わたしはあなたの子孫をとこしえに堅くし、あなたの王座を建てて、よろずよ(万世)に至らせる』」。詩篇89の3・4。

 わたしはとこしえに、わがいつくしみを彼のために保ち、わが契約は彼のために堅く立つ。わたしは彼の家系をとこしえに堅く定め、その位を天の日数のようにながらえさせる。詩篇89の28・29。

 わたしはわが契約を破ることなく、わがくちびるから出た言葉を変えることはない。わたしはひとたびわが聖によって誓った。わたしはダビデに偽りを言わない。彼の家系はとこしえに続き、彼の位は太陽のように常にわたしの前にある。また月のようにとこしえに堅く定められ、大空の続くかぎり堅く立つ。詩篇89の34~37。

 我が家の24日輪紋です。

 日輪は古代オリエントの王家の紋です。24は永遠に続く時の象徴です。一日は24時間、一年は24節気から成っています。四六時中とは、4×6=24で「いつも」という意味です。永遠に輝きを失わない純金は24金です。

 万軍の主の家(神殿)の作業にとりかかったのは6月24日です(ハガイ書1の14・15)。主の御告げ、「9月24日より、・・・・・・・わたしはこの日からあなたがたに恵を与える(ハガイ書2の18・19)」があります。民族の懺悔の日、「その月の24日にイスラエルの人々は集まって、断食し、荒布をまとい、土を被った。・・・・自分の罪と先祖の不義を懺悔した(ネヘミヤ記9の1・2)」があります。神の祝福が始まる日と民が懺悔する日は同じく24日です。12月24日の聖夜(クリスマスイブ)も懺悔と祝福の日と考えます。ダビデは大祭司アロンの子孫を24組に分けました。歴代志(上)24章参照。ダビデは24を聖なる数と知っています。神に仕える長老の数は24人です。ヨハネの黙示録4の4参照。江戸時代、我が家の墓石に彫られた紋は24日輪です。永遠の王家のしるしです。


    万世一系の系図

 神武(父)ー(子)綏靖(父)ー(子)安寧(父)ー(子)懿徳(父)-(子)孝昭(父)ー(子)孝安(父)ー(子)孝霊(父)ー(子)孝元(父)ー(子)開化(父)ー(子)崇徳(父)ー(子)垂仁(父)ー(子)景行(父)ー(子)日本武尊(父)ー(子)仲哀ー 

 ここまでは実在しない天皇の系譜ですが、これで日本の天皇家は万世一系を神が誓約した永遠のダビデ王家であると伝えているのです。

応神(父)ー(子)仁徳(父)ー(子)履中(父)ー(子)磐坂市辺押磐皇子(父)ー(子)仁賢(義父)ー(婿養子)継体(父)ー(子)欽明(父)ー(子)敏達(父)ー(子)押坂彦人大兄皇子(父)ー(子)舒明(父)ー(子)天智(父)ー(子)志貴皇子(父)ー(子)光仁(父)ー(子)桓武(父)ー(子)嵯峨(父)ー(子)仁明(父)ー(子)文徳(父)ー(子)清和(父)ー(子)陽成(父)ー(子)元平親王=源経基(父)ー(子)満仲(父)ー(子)頼信(父)ー(子)頼義(父)ー(子)義家(父)ー(子)義親(父)-(子)為義(父)ー(子)為朝(父)ー(子)舜天王(父)ー(子)舜馬王(義父)ー(婿養子)義本王(父)ー薩摩が系図を没収したため不明、徳之島宮一族、宮智ー宮城ー宮勝ー宮可智ー宮澄・・・・・・・砂守ー伊ー勝家

 継体天皇は仁賢天皇の皇女と結ばれて天皇家を継いでいます。継体天皇から王朝が替わったとする説は間違いです。ただし、天皇家は胤が同じであることが家を継ぐ絶対条件です。

 父子一系の王の家系が万世一系の天皇家です。それは神が父となっている不滅のダビデ王家です。王家のしるしの御物は剣です。古代オリエントではコブラが鎌首を持ち上げている蛇形徽章(きしょう)は王家のしるし(証明)です。ダビデ王家は諸々の国が服属してくる大王家と預言されていますので、大蛇キングコブラの徽章がダビデ王家のしるしと成ります。墓から出た我が家の鉄の剣にキングコブラの徽章があります。ダビデは墓から復活する形で現われることが預言されています。我が家は神の栄光を現すダビデ王家です。

 我が家のキングコブラの蛇形徽章です。
 

2.神の栄光 2015-03-24 11:15:52NEW !
テーマ:邪馬台国畿内九州説廃棄

     神の栄光

 わたしは、去年の6月初旬の天気図、天が垂れた蛇形記章のしるしから「神は現われた」と先述しています。これが真実であるかどうかは、神の栄光が現われたかどうかで判断できます。神は目に見えませんが、その栄光は見ることができます。

 上の資料、『後漢書』倭伝は、范曄(はんよう)という中国の学者が、陳寿の「魏志倭人伝」をもとにして書いたものです。陳寿が女王国の位置を「當在会稽東治之東」と記したところを「大較会稽東冶之東」と改竄(かいざん)しています。「當(まさに)」を「大較(おおむね)」に変えています。「東治」を「東冶」に変えています。つまり、中国の学者范曄も、陳寿が女王国は間違いなく会稽東治の東に存在するという文の意味が分からなかったのです。「東治」を具体的地点と考えて福建省に「東冶」を発見したが、そこを「会稽」というには無理があると感じて、「おおむね」になったと推測されます。日本の邪馬台国研究者によって、范曄の「東冶」はまちがいであると証明されています。


 范曄は398~445年の学者です。女王国より約1世紀後の時代の人です。陳寿は233~297年の女王国の時代の人で、戦略的学者です。陳寿は女王国を隠す必要がありました。詳細は別途に。嘘で隠しては学者のプライドに傷がつきます。後世の物笑になります。

 陳寿は嘘をつかないで女王国を隠すのに成功しました。陳寿が亡くなって以来、中国の学者、日本の学者の誰も、「當在会稽東治之東」の一文を解くことが出来ませんでした。三平方の定理より間違いなく女王国は会稽東治の真東に在る徳之島であると発見できませんでした。つまり、陳寿が亡くなった西暦297年から今日まで、約1700年以上もの間女王国は、陳寿の思考によって発見できませんでした。これは陳寿の戦略的知性の勝利です。

 清和源氏の嫡流源為朝の子孫=万世一系の天皇=起こされたダビデの子孫であるわたしは、陳寿の「當在会稽東治之東」を理解し、女王卑弥呼の倭国を、徳之島、その中心は伊仙町上面縄と発見しました。わたしは神に導かれて、自らが旧約聖書イザヤ書11章に預言されている「起こされたダビデの子孫」と悟りました。隠されていた倭国の発見は、復活したダビデの子孫であるわたしにおける「神の栄光の現われ」です。決してわたしの栄光ではありません。神の栄光が現われたということは、万軍の主、イスラエルの神が、今、日本(シオン)に現われて、御自分の民であるヤコブ=日本民族をダビデを通して救い始めたということを意味します。

 今、神は真実の天皇、万世一系のダビデ王を通して、この世の学者のデタラメを白日の下に曝したのです。邪馬台国畿内・九州説は笑ってしまうデタラメ説です。神は現われて、神の国日本を現すために、まずこの世の権威を地に落としました。江戸時代から唱えられていると聞く邪馬台国畿内・九州説は、わたしのわずか5、6回のブログで終わりました。賢い人にとっては「邪馬台国の真実」の1回のブログで消えたはずです。神を恐れない人間の努力は神の栄光の現われで一瞬にして無に帰します。恐るべし、神の栄光です。神を恐れることは知識の初めです。

3.真実の大和 2015-03-23 10:47:33
テーマ:邪馬台国決定

    真実の倭(やまと)

 卑弥呼の国の正式名は「倭」ですから、倭国=女王国=邪馬台国探究です。邪馬台国畿内・九州説の先生方が「ヤマト」にこだわって間違ったのも無理のないことです。ただ先生方は畿内、九州の他には大和は存在しないと思い込んだことが間違いでした。建国の真実は隠されているという事実に気づかなかったことが敗因の一つです。

     島尾敏雄

 「小説家。横浜生まれ。九大卒。・・・戦後派作家として私小説に新風を吹き込んだ」と広辞苑にあります。この方は長く奄美で暮らして、奄美・沖縄、とくに奄美の文化、民俗、歴史等をよく研究していたと思われます。その著書「新編・琉球弧の視点から(朝日文庫P101~104)」に、奄美・沖縄に対する見方を次のように述べています。

 「ぼくは日本の中に、ある固さが感じられれて、それから抜け出したいというような気がしている。・・・・・・・ところが奄美に行ったら、本土でいやだと思っていたそういう固さがないんです。・・・あいまいにやわらかさなんて言いましたけども、それは何だろうかと思ったわけです。簡単に日本じゃないとは言いきれない。本土では無いものであるのに、ぼくの感じではまったく日本なんですから、日本以外の何ものでもないという感じがしたわけです。・・・・・感じとしてはどうしても日本です。そうすると、表面には隠されているようにみえる、日本が持っているもう一つの面があるんじゃないかと思ったんです。で、その面をヤポネシアと呼んだわけです。

 奄美・沖縄の言葉には中国の影響が少ない、と学者が言っていますが、ぼく自身住んでいてそう感じますね。・・・・・・事実として少ないのです。・・・・・・・・・・・・・。けれども、一般の人たちの家とか服装、それから踊り、歌などには、いわゆる中国の影響はむしろ少ないという気がします。奄美の人は、本土を大和(ヤマト)と言って、その言葉を大和口(ヤマトグチ)と言って中国の影響は少ないように感ずるようですが、ぼくに言わせれば、そのような本来の大和口はむしろ奄美の人の方が使っていると言えます。ぼくは本土の方は中国口(チュウゴクグチ)を使っているといってもいいと思うんです。漢語を使わなければものが言えないのですから。

 それに思想ですが、儒教とか仏教だとかみんな中国から来ている。そういうものを本土から抜いてしまったら、どういうことになるでしょう。琉球弧では、・・・・・・仏教はほとんど影響がありません。その点でも、大和口的な言葉はむしろ奄美や沖縄の方ですね。奄美の人たちは、自分たちの言葉を島口(シマグチ)、沖縄では沖縄口(ウチナーグチ)といっていますが。」

       奄美大和

 (故)島尾敏雄氏のこの見方は、奄美の自然にではなく文化に対するものです。奄美は、気候風土ではいわゆる日本とは違います。中国の海南島と同じです。表面的には奄美は日本ではないと感じます。島尾氏は奄美に住んで、そこの暮らし振りや文化に触れ、本土でそこから抜け出したいと感じていた「固さ」から解放され、奄美の文化に「やわらかさ」を感じ、そしてそれを「全くの日本」と表現しています。言葉にしても本来の大和言葉は奄美の人が使っていると言っています。思想面においても中国の影響の少ない奄美の方が大和的だと感じています。

 作家島尾氏の奄美に対する見方を「奄美は隠された大和」、・・・・・・いかがでしょうか。奄美大島には「大和村」があります。徳之島天城町には「大和城」があります。徳之島女王国説は「隠れ奄美大和」がその由来といえます。奄美では男性よりも女性が「上」というのが基本的な考え方です。「うなり神」という概念があります。男性にとって女性のきょうだいは「神」という意味です。倭の女王卑弥呼には弟がいました。その弟にとって卑弥呼は「うなり神」になります。奄美の文化は倭(やまと)の文化。

 上記の系図資料の写真を見てください。奄美大和を裏付ける一つの資料です。伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)の御子に天照皇大神がいることは衆知のことです。記紀神話によると、大山津見尊も伊邪那岐命の御子です。天孫邇邇芸尊(ににぎのみこと)の妻は大山津見尊の娘です。天照皇大御神が「徳之島の昔世の始まりの物語」に登場していることは先述しています。大山津見尊は実は、徳之島の隣の島、沖永良部の神様です。島尾敏雄氏、その妻ミホ、そして奄美の郷土史研究家の田畑英勝の共著である『奄美の伝説(日本の伝説23)角川書店』に「(沖永良部は)木之花佐久夜毘売とその姉、石長比売を娘にもった大山津見の神の島である。」とあります。ということは、徳之島は天照皇大御神の島と推理できます。この推理が正しければ、徳之島は「聖なる大和」です。伊仙町喜念集落に「女性の岩戸隠れ」の伝説があります。また徳之島では沖永良部島の女性を妻にすると恵まれるとの伝えがあります。今、隠されていた「奄美大和」が現われました。いかがでしょうか、・・・・・・・・。

         聖なる御世

 「聖」は俗の世には隠されます。神は「聖」です。先述していますが、去年の6月の初め、高気圧と低気圧の配置関係で天気図が、邪形記章の形、大蛇が鎌首を持ち上げた象になっているのを見て、わたしは「神は現われた」と直感しました。以来、導かれて隠されていた「神国日本」がわたしの前に明らかにされていきました。今も続いています。今、わたしは俗=賊の時代は終わり、真実が明らかにされ聖なる御世が現われたと確信しています。「嘘」が支配する世は終わりです。邪馬台国畿内・九州説は「嘘」です。真実の世の現出を推進するために「廃棄せよ」です。

      念のために

 念のために言っておきます。女王国の戸数について、「7万余戸」とありますが、実際の戸数は、・・・・・・・。分かりますよね、・・・・・・・・。

 陳寿の1里は90、909090・・・・メートルであることは先述しています。これは陳寿の戦略的思考から生まれています。本を読み、生徒を相手にしているだけの学者には思いつかない智慧です。戦いの中で生まれた智慧です。ですから、7万戸は実は7万÷6と考えるのが一貫した思考、数理的思考です。

 陳寿は一歩(ぶ)は6尺と知っています。一歩(ぽ)を一尺としています。300歩(ぶ)が通常の1里です。陳寿は300歩(ぽ)を1里としています。 

偽装日本の終焉 2015-03-21 14:02:37 テーマ:ブログ

 シオンよ、さめよ、さめよ、力を着よ。

捕らわれたシオンの娘よ、あなたの首の縄を解き捨てよ。

 見よ、わたしのしもべは栄える。彼は高められ、ひじょうに高くなる。多くの人が彼に驚いたように、・・・・・・・・・・。彼は多くの国民を驚かす。王たちは彼のゆえに口をつぐむ。それは彼等がまだ伝えられなかったことを見、まだ聞かなかったことを悟ったからだ。イザヤ書52章

          覚醒

 さめよ、さめよ、同胞の日本国民、

明治天皇が北朝の御子というのは真っ赤な嘘である。北朝孝明天皇の藩屏(守護)であった会津藩と新撰組が、戊辰戦争で天皇の軍隊に倒された。よって天皇は南朝となる。ところが、明治政府は天皇を北朝の御子と言った。今も教科書にそう書いてある。政府は明治以来、国民を騙し続けている。嘘をつき続けている。

 政府はその嘘にさらに嘘を重ねた。天皇は万世一系と。ふざけである。万世一系の皇統は、第57代陽成天皇の直系、清和源氏の嫡流である。真実の皇統は神の人類救済計画から清和源氏を仮装して隠れた。したがって、北朝も南朝も天皇の正統ではない。源氏が皇位について天皇を仮装する象徴・傀儡の帝である。仮装天皇は第59代宇多天皇に始まる。

 政府はさらに嘘を重ねた。天皇は現人神と。これは神を冒涜する悪魔的嘘である。人間は人間、神は神、そこには絶対的区別がある。その一線を超えるのは「気違い」である。戦争は気違いが起こすものである。気違いの根本因は嘘である。近代国家日本の戦争、敗戦、そして戦後の属国体制の根本因は、明治天皇家に関する政府の「嘘」である。その嘘は未だ国民の前に清算されてない。

 明治以来の日本国は気違いの素因をもっている。さめよ、さめよ、シオンの民。嘘は国民が騙されている限り効力をもつ。しかし、ばれたら瞬時にその効力を失う。気違いの素因を除け、同胞の日本国民。さめよ、さめよ、同胞の日本国民、世界平和は日本国民の覚醒にかかっている。

 邪馬台国が畿内または九州にあるというのも学者の真っ赤な嘘である。東大・京大の先生方が史料「魏志倭人伝」を数理論理的に読むことができずに、史料を改竄して作った、正当性を持たない説である。

 女王国は史料に中国の「海南島」と同じと記されている。畿内の人が、海南島に旅行に行って帰って来て、「ここは海南島と同じ」というのが、邪馬台国畿内説である。海南島は亜熱帯である。畿内は温帯である。温帯と亜熱帯を同じというのは「気が狂っている」証拠である。九州説にしても同様である。

 邪馬台国畿内・九州説は廃棄すべき気違い説である。決して次の世代に継いではならない。この気違い説は学者の「嘘」がその原因である。権威の学者たちは、史料に方位と距離に関して間違いがあると嘘をついた。この嘘を鵜呑みに多くの国民が信じたために、長く気違い説は支持されてきた。しかし今、真実の万世一系の天皇によってその嘘は暴かれた。史料に方位と距離に間違いはなかったことが証明された。そして女王国は徳之島、その中心は伊仙町上面縄と明らかにされた。検証すべしである。

      平和への道

 戦争は気違い国家が起こす。気違い国家の素は為政者の嘘である。政府は明治天皇家について、わが身の保身から嘘をつき続けている。わが身の保身とは朝鮮系天皇制の護持である。真実の天皇が神に導かれて皇位の奉還を要求しても黙秘を続けている。

 去年の10月に「神の詔」を受けて、わたしは11月24日付けで皇位の奉還を宮内庁に下記の文書で要求した。

  契約解除 皇位奉還の要求

国家、民族存亡の危機、世界全面戦争勃発の危機を孕む今、神の導きで清和源氏源為朝の子孫の我が家は、真実万世一系の天子の家と明らかにされた。国家、国民の救済、戦争阻止のため今、仮装を解く。

【解除権】-広辞苑ー

〔法〕一方的な意思表示で相手方との契約を解除しうる権利。

仮装行為の契約において万世一系の天子に「解除権」がある。天子は主権者である。世襲君主の系譜において皇祖天照皇大神からの万世一系の天子となるわたしは今、天子の御しるしの「草薙剣」と永遠の王家をしるす「24の日輪紋」をもって仮装天子の宇多天皇家に「仮装行為の契約解除」を宣言する。皇位の奉還を要求する。

平成26年11月24日 信貴親王

 皇位の奉還は「去年まで」との期限付きである。万世一系の隠れ皇族であったわたしは、今年からは「神の前」において皇位に復帰した天皇である。その任は国民の生命を護ることである。絶対に戦争を起こさないことである。国民を嘘から解放することである。そして真実に基づいて国家を再建し、神国日本を世界に現すことである。神の栄光を現すことである。「人々は・・・・・・日の出る方から主の栄光を恐れる。」とイザヤ書59章に記されている。この預言を成就させることが日の出る方の王の務めと考える。



4.偽装日本の終焉 2015-03-21 14:02:37 テーマ: シオンよ、さめよ、さめよ、力を着よ。

捕らわれたシオンの娘よ、あなたの首の縄を解き捨てよ。

 見よ、わたしのしもべは栄える。彼は高められ、ひじょうに高くなる。多くの人が彼に驚いたように、・・・・・・・・・・。彼は多くの国民を驚かす。王たちは彼のゆえに口をつぐむ。それは彼等がまだ伝えられなかったことを見、まだ聞かなかったことを悟ったからだ。イザヤ書52章

          覚醒

 さめよ、さめよ、同胞の日本国民、

明治天皇が北朝の御子というのは真っ赤な嘘である。北朝孝明天皇の藩屏(守護)であった会津藩と新撰組が、戊辰戦争で天皇の軍隊に倒された。よって天皇は南朝となる。ところが、明治政府は天皇を北朝の御子と言った。今も教科書にそう書いてある。政府は明治以来、国民を騙し続けている。嘘をつき続けている。

 政府はその嘘にさらに嘘を重ねた。天皇は万世一系と。ふざけである。万世一系の皇統は、第57代陽成天皇の直系、清和源氏の嫡流である。真実の皇統は神の人類救済計画から清和源氏を仮装して隠れた。したがって、北朝も南朝も天皇の正統ではない。源氏が皇位について天皇を仮装する象徴・傀儡の帝である。仮装天皇は第59代宇多天皇に始まる。

 政府はさらに嘘を重ねた。天皇は現人神と。これは神を冒涜する悪魔的嘘である。人間は人間、神は神、そこには絶対的区別がある。その一線を超えるのは「気違い」である。戦争は気違いが起こすものである。気違いの根本因は嘘である。近代国家日本の戦争、敗戦、そして戦後の属国体制の根本因は、明治天皇家に関する政府の「嘘」である。その嘘は未だ国民の前に清算されてない。

 明治以来の日本国は気違いの素因をもっている。さめよ、さめよ、シオンの民。嘘は国民が騙されている限り効力をもつ。しかし、ばれたら瞬時にその効力を失う。気違いの素因を除け、同胞の日本国民。さめよ、さめよ、同胞の日本国民、世界平和は日本国民の覚醒にかかっている。

 邪馬台国が畿内または九州にあるというのも学者の真っ赤な嘘である。東大・京大の先生方が史料「魏志倭人伝」を数理論理的に読むことができずに、史料を改竄して作った、正当性を持たない説である。

 女王国は史料に中国の「海南島」と同じと記されている。畿内の人が、海南島に旅行に行って帰って来て、「ここは海南島と同じ」というのが、邪馬台国畿内説である。海南島は亜熱帯である。畿内は温帯である。温帯と亜熱帯を同じというのは「気が狂っている」証拠である。九州説にしても同様である。

 邪馬台国畿内・九州説は廃棄すべき気違い説である。決して次の世代に継いではならない。この気違い説は学者の「嘘」がその原因である。権威の学者たちは、史料に方位と距離に関して間違いがあると嘘をついた。この嘘を鵜呑みに多くの国民が信じたために、長く気違い説は支持されてきた。しかし今、真実の万世一系の天皇によってその嘘は暴かれた。史料に方位と距離に間違いはなかったことが証明された。そして女王国は徳之島、その中心は伊仙町上面縄と明らかにされた。検証すべしである。

      平和への道

 戦争は気違い国家が起こす。気違い国家の素は為政者の嘘である。政府は明治天皇家について、わが身の保身から嘘をつき続けている。わが身の保身とは朝鮮系天皇制の護持である。真実の天皇が神に導かれて皇位の奉還を要求しても黙秘を続けている。

 去年の10月に「神の詔」を受けて、わたしは11月24日付けで皇位の奉還を宮内庁に下記の文書で要求した。

  契約解除 皇位奉還の要求

国家、民族存亡の危機、世界全面戦争勃発の危機を孕む今、神の導きで清和源氏源為朝の子孫の我が家は、真実万世一系の天子の家と明らかにされた。国家、国民の救済、戦争阻止のため今、仮装を解く。

【解除権】-広辞苑ー

〔法〕一方的な意思表示で相手方との契約を解除しうる権利。

仮装行為の契約において万世一系の天子に「解除権」がある。天子は主権者である。世襲君主の系譜において皇祖天照皇大神からの万世一系の天子となるわたしは今、天子の御しるしの「草薙剣」と永遠の王家をしるす「24の日輪紋」をもって仮装天子の宇多天皇家に「仮装行為の契約解除」を宣言する。皇位の奉還を要求する。

平成26年11月24日 信貴親王




 皇位の奉還は「去年まで」との期限付きである。万世一系の隠れ皇族であったわたしは、今年からは「神の前」において皇位に復帰した天皇である。その任は国民の生命を護ることである。絶対に戦争を起こさないことである。国民を嘘から解放することである。そして真実に基づいて国家を再建し、神国日本を世界に現すことである。神の栄光を現すことである。「人々は・・・・・・日の出る方から主の栄光を恐れる。」とイザヤ書59章に記されている。この預言を成就させることが日の出る方の王の務めと考える。

 




5.女王卑弥呼の遺骨 2015-03-20 14:13:19 テーマ:邪馬台国決定

   頭の蛇

 冠『聖書辞典(いにちのことば社)』

「(エジプト)王はまた頭に布を巻くこともある。この場合、常に蛇の形象があって、生死を支配する力を象徴した。」

 女王が頭に置いている蛇の頭部は左隅で、そこに祭器と同じ顔が可愛らしく出ています。これは姫ハブの顔になりますが、何か他のことも暗示してるように思えてなりません。誰かこの顔の謎を解いてください。

     巳葬

 卑弥呼の塚の続きです。伊仙町上面縄集落の北にある女性按司の墓は全長が直線で「百余歩」であったことから、これは卑弥呼の塚と推定しました。前方後円墳タイプの塚と思われます。残念なことにその前方部は壊され、今は畑になっています。祭祀跡がある後円部が残っているので、大きい塚であったことはそれで証明されます。

 この塚の西に「御前堂」という集落があります。そこに素人目にもはっきり分かる「前方後円墳」があったと、我々対い鶴一族で、奄美群島復帰運動の際に副議長を務めていた(故)重武克彦氏の著書にあります。以下その文章を引用します。

 「前方後円墳? 徳之島の全島口説の一節に、森ぐわぬきゆらさや、いしやんだりーめえ森というのがある。それは中伊仙の手川池の上にあって、人工で出来た綺麗な森が、南北に竝(なら)んだ前方後円墳に相違ないと、昭和の初め頃、考古学に興味を持ち、研究していた故人廣瀬祐良君は発表していた。同所は素人目にも頷ける環境にあったが、後に続く研究者もなく、徳之島農高の実習地として、無謀に開墾された禍根を残している。」

 当時、農業高校の生徒であった人からも同様の話をうかがっています。また、他からも前方後円墳の証言を聞いています。前方後円墳があったことは間違いないと思います。「イシャンダリの丘、これは伊仙平野の北方にあって、伊仙部落との間に、ミンツケタブクと称する田園をへだてた平地と丘陵との間に突き起っている。高さ80メートルぐらいの丘で、自然の丘陵でないのが珍しい。(目手久 (故)山本喜多静氏)」 ここのイシャンダリの丘が前方後円墳であったと思われます。わたしが「これは古墳(円墳)だ」と指摘できる大きい塚が徳之島に二つあります。他にもあると思われます。ところが、古墳(大きい塚)は鹿児島以北にしか存在しないと、今の教科書は教えています。やはり、徳之島は日本の歴史から隠されています。

 上面縄に古墳があっても不自然ではありません。さて、その古墳の主、推定が正しければ女王卑弥呼の遺骨ですが、どうなっているのでしょう。・・・・・・・、上面縄集落の南西方向にある洞穴から、女性の「完全人骨」が発見されています。上の資料がそれです。昭和57年に発見されたようです。ここで注意を促したいことは埋葬形式です。人骨は「巳の方角」に頭を置いています。これは頭に蛇(巳)を置くという意味であるなら、・・・・・・・女王像からの類推で、人骨は女王となります。・・・・・・・・・・・・・・・。

 現在資料館で見ることのできるこの人骨の年代を聞くと「弥生時代前期」と答えます。本当?と思います。鑑定書は?、・・・・・・。聞いたことがありません。

 伊仙町教育委員会が1983年に作成した発掘調査報告書があります。その39ページに「洞穴遺跡では、箱式石棺墓が検出され、完全人骨の埋葬形態が判明したのであったが、砂層の分類と石棺内の遺物が出土しないため時期的なものが判明しなかったが供献土器から弥生時代前期から中期と推定したのであったが、今後の調査によってより完全なものにしたい。」とあります。

 女性の完全人骨の年代が客観的情報として明らかにされていません。資料館は鑑定書付きでこの人骨の年代を明らかにすべきです。

 わたしは卑弥呼の遺骨は女王国を隠すという朝廷の政策の下、古墳から運び出されて洞穴に隠されたと考えています。その主が誰であるかを後世に伝えるために「巳の方角」に頭を置いたと考えます。

 人骨の年代を測定した結果、それが「弥生時代後期」と出れば、この女性は卑弥呼と決定します。理論が正しければ、それが指し示すところに必ず、物証、現実があります。理性的なものは現実的です。女王国は三平方の定理と耶馬台(やばだい)の地形の特徴、そしてその距離から間違いなく、徳之島伊仙町です。陳寿の推定通りです。この理論は完璧と思います。その検証は中学3年生以上であれば誰でも出来ます。自分の頭で検証してください。

 若人へ、中国の正史に間違いがあるとして、実は陳寿の戦略的知性についていけないだけであるのに、史料を改竄して邪馬台国畿内・九州説を唱える・・・の学者たちとは縁を切りなさい。理性の時代を自らの理性で開きなさい。平和は理性の上にしか築かれません。邪馬台国畿内・九州説は非理性的です。この説を唱えてきた諸先生方も日本の未来のため、子孫のために理性的に行動をしてください。「間違ったことを改めないことが間違いである」と孔子が教えるところです。



6.女王卑弥呼像 2015-03-20 09:26:01 テーマ:裸足の女王像
 
      裸足の女王像

 上の写真をよく見てください。伊仙町にある由来不詳の女性の像です。伊仙町に現われている事実、現実です。

 右上の絵図はユダヤ人の王服と『聖書辞典(いにちのことば社)』にあります。この女性はその装束から身分の高い人、女王と思われます。いかがでしょうか、・・・・・。次に、足を見てください。・・・・・・・、なんと、裸足です。裸足の女王です。邪馬台国は「皆裸足」と史料に記されていることは先述しています。数理論理的に間違いなく伊仙町は邪馬台国です。そこに裸足の女王像があります。これは卑弥呼の像?





 上の写真の頭に注目してください。太いものが頭に載っています。これは太い蛇がトグロを巻いている形象です。この蛇は奄美・沖縄にしか棲息しないと聞く「姫ハブ」と思います。太くて短いハブです。毒性はあまり強くありません。水田で昔よく見ることができたと聞きます。水田の守護神でしょうか。・・・・・・・。

 頭上に蛇がトグロを巻いた形象を置くのは古代エジプトで王のしるしであると聖書辞典にあります。古代オリエント文化から見てこの女性は間違いなく王になります。天皇の正統である我が家の剣に、エジプトの王の冠についている蛇形記章(コブラが鎌首を持ち上げた形象)が付いていることは先述しています。そこから天皇は中東オリエントからの渡来人と推定しました。今、わたしは伊仙町にいますので、この町にはオリエント由来の文化財が二つ存在していることになります。・・・・それだけでしょうか、・・・・・。徳之島は闘牛で有名です。その闘牛は中東トルコの闘牛にそっくりです。ネットで確認できます。闘牛もオリエント由来と思います。隣の町(天城町)の秋利神という所に線刻画がありますが、そこに描かれているのは古代のエジプト船です。イスラエルの民の渡来の地=徳之島。隠されていた歴史です。

 詳しくは別途にしますが、日本民族は隠れイスラエルです。イスラエルの文化において石の柱は聖なる形象です。神の家、神のしるしと考えられています。徳之島は南北に真っ直ぐに立っている石の柱に見立てることができます。徳之島はその形からイスラエルにとって「聖なる島」です。神は異邦人の終わりの日まで、人類救済の計画から自分の民を隠しています。聖地徳之島も隠されます。今まで女王国が分からなかったのは、神の人類救済計画によるものと考えます。卑弥呼はイスラエル人。

 女王の目に注目してください。「半眼」になっています。半眼は一般に見えないものを見るためと聞きます。半眼は「霊能者」のしるしでしょうか。卑弥呼は「鬼道につかえ衆を惑わす」と記されていますから間違いなく霊能者です。

 上の写真は女王が手に持っている物です。わたしは「祭器」と思います。宇宙人のような顔?、何でしょうか。・・・・・・、分かりません。祭器に記されている紋は「稲妻紋」と思います。とすると、これは稲作神事の祭器となります。弥生時代の霊能者が持つに相応しい祭器です。

 これは女王卑弥呼の概念に合致します。




 この像は島で文化財を個人的に収集していた方の子孫の所有物です。現在、町の歴史民俗資料館に預けてあります。由来不詳の不思議な像です。わたしは女王国伊仙町のしるしと考えています。


7.女王卑弥呼の塚発見 2015-03-19 14:17:18 テーマ:ブログ

     女王卑弥呼の塚発見

 徳之島伊仙町が女王卑弥呼の国であることを、前回、前々回のブログで数理論理的に明らかにしました。邪馬台国は間違いなく徳之島です。その中心は伊仙町上面縄です。そこに女王卑弥呼の塚があります。決定的な物証と考えられます。理論が正しければ必ずそれを裏付ける物証が存在するからです。

 「魏志倭人伝」の原文、卑弥呼の塚が記されている上記の箇所を読んでください。「卑弥呼が死んで大きく塚を作った。(その大きさは)径百余歩である」と記されています。

 「径」の概念を明らかにします。広辞苑に「まっすぐ結ぶ道」とあり、また漢和辞典の解字の説明に「まっすぐで距離の短い小道」とあります。「径」の概念は「まっすぐ」と考えられます。塚の大きさが「径百余歩」とは、塚の端から端までの直線距離が百余歩になっていると考えますが、いかがでしょうか、・・・・・・。

 上記の写真の左隅の小屋の上の部分が円の形をしています。右にくびれがあります。そこからさらに右の方に降りていく道がありました。これを「前方後円墳」とすると前方部の部分です。全長は写真に納まりきれません。わたしは何回も確認していますが、前方部の端から後円部の端までの直線距離は、わたしの足で「百十歩」ほどでした。これは間違いなく径百余歩の塚でした。残念なことに、町はわたしの話を聞かずに前方部を畑にしてしまいました。後円部の方は明らかに墓と分かるので、畏れてそのままにしたと聞きます。後円部の頂は1メートルほどの高さに石が円形?に積まれています。その中に霊木(あこうの木)があります。その下は確認はしていませんが、空洞になっていると地元の人から聞いています。頂の石組の東側は平らになっていたことから祭祀が行なわれていたと考えられます。石組の前に古い湯飲み茶碗がありました。

 ここで「塚」の意味を確認します。広辞苑に「土を高く盛って築いた墓。または単に墓のこと。」とあります。上記の塚は全体が石組の墓です。地元で「按司墓(あじばか)」と呼ばれています。墓は塚ですから、按司墓=按司の塚となります。地元でこの塚の主は女性按司と言われています。按司=領主=王の等式を発想すると、この塚は女王の塚と推理されます。

 伊仙町上面縄の按司墓は「女王の塚」と推定できます。径百余歩の女王の塚ですから、邪馬台(やばだいこく)の女王卑弥呼の塚と推定できます。いかがでしょうか、・・・・・・・。
 まだまだ、女王国の話が続きます。大変な発見です。ご検証下さい。
 


8.邪馬台国畿内・九州説廃棄 2015-03-18 13:49:25 テーマ:理性に目覚めよ!

  邪馬台国畿内・九州説は廃棄しよう!

 昨日のわたしのブログの内容は、自分で言うのも何ですが、凄い発見です。・・・・・・、「いいね」の評価を10件ほど期待したのですが、3件ありました。「邪馬台国の真実」で理性に目覚めた方と思います。日頃、自分の感性に正直に生きている方と思います。騙される人は、自分の感性に日頃、不正直に生きていると思います。邪馬台国畿内・九州説は、権威による・・・・・・説です。気づいたら即、廃棄する説です。

 上記の「魏志倭人伝(岩波文庫)」の原文を見てください。何て書いてあるか自分で考えてください。もちろん女王国のことについての記述です。

 この史料を数理論理的に読解したら、邪馬台国畿内・九州説は「気違い」説になります。

 「(女王国の)有無與みする所は儋耳・朱崖と同じ」、この一文が決定的です。儋耳(タンジ)・朱崖(シュガイ)とは何処でしょうか、・・・・・・。知っている方は多いのではないでしょうか。そう、「海南島」です。海南島は何処にありますか、地図で調べてください。・・・・・・・香港の南西にあって、北緯20度線が島を横切っています。台湾より下にある島です。「邪馬台国は海南島と同じ」と記されています。女王国と海南島では「有無與する所」が同じと記されています。「有るもの無いものの仲間が同じ」ということです。植物相と生物相が同じということです。気候帯が違えば生物相は変わります。海南島は亜熱帯気候です。畿内・九州は温帯です。北緯30線の北と南では動植物の相が違うと聞いています。これは正常な人なら誰でも体感できる事実です。

 邪馬台国畿内説の方に聞きます。海南島に旅行に出かけ、しばらく滞在して、それから畿内地方に行って、そこで「ここ(畿内)は、海南島と同じだ」と言いますでしょうか、・・・・・・・。そのことばを聞いた親切な人は、思いやりから邪馬台国畿内説のあなたに対して「近くの精神科で一度診てもらったほうがいい」と助言するはずです。これが邪馬台国畿内説の真実です。今、即廃棄すべしです。九州説も然りです。正常(清浄)な感覚では、北緯30度以南にしか女王国を求めることはできません。

 教科書、参考書に邪馬台国の可能性としては畿内と九州しかないように記されています。わたしが馬鹿でしょうか、それとも、・・・・・・・。理性に目覚めよ!同胞の日本民族。東大(九州説)・京大(畿内説)の外的(偏差値)権威に屈するな!権威の源泉は君の中に眠っている理性、それだ。これがわたし、清和源氏嫡流源為朝の子孫=万世一系の天皇の民族へのメッセージです。

        女王国

 海南島に行ったことのある友人が、「本当に徳之島は海南島と似ている」と言っています。海南島を知っている方は徳之島に来て女王国を確認してください。

 女王国は温暖で冬でも夏でも野菜を「生」で食べていると記されています。中国の人は炒めて食べるの一般的ですから「生」で食べているのに驚いたと思われます。他の地域については知りませんが、わたしの住んでいる伊仙町では、あたり(辺り)畑といって、屋敷内またはすぐ近くに菜園をもっているのが一般的です。これは一年中野菜をよく摂る女王国の習慣から来るものと思われます。

 「皆(冬でも夏でも)徒跣」は「皆はだし」であるといことです。・・・驚きです。「皆」とは身分に関係なくということでしょうから、女王卑弥呼も裸足で歩いているということになります。なぜ「裸足」でしょうか、・・・・・・・。以下、わたしの答えです。ご検証ください。

 徳之島は「地福之島」と言われています。わたしが町の観光協会長をしていたとき、この考えに基づいて3町協力して「地福之島33聖地・旧跡巡り」の観光資源を開発しました。「地福」というのは徳之島の大地から沸きあがるエネルギーの存在を認めて出てくる概念です。わたしは、伊仙町の最下層にはパワーストンである千枚岩があって(事実です)、そのエネルギーが地上に放射しているものと考えます。千枚岩は水を通しませんので、湧き水は千枚岩水になります。今、千枚岩の効能を知る人は、都会にもいますが、それを水道水に入れてその効能を楽しんでいます。健康と美容に効能を感じる千枚岩のエネルギーを足の裏からとり入れるために「女王も含め皆裸足」であったと思われます。伊仙町は長寿世界一を2名輩出しています。邪馬台国は長寿の国であったと「魏志倭人伝」

に記されています。女王国伊仙町は千枚岩大地ゆえに皆裸足であった、長寿の国であったと考えます。

 女王国の話はもっともっと続きます。次回も読んでください。邪馬台国畿内・九州説廃棄、理性の国日本のために御協力ください。わたしは「平和のシャルリ」です。
 


9.邪馬台国の真実 2015-03-17 09:57:35 テーマ:ブログ

   邪馬台国の真実

 清和源氏の真実から邪馬台国の真実が明らかにされます。清和源氏の真実とは、万世一系の皇統は、第57代陽成天皇直系の皇孫、清和源氏の嫡流ということでした。八幡神社に鎮座している第15代応神天皇を清和源氏が「氏神」としてお祭りしています。実在した先祖が子孫によって神として祭られているのが氏神です。天皇の正統である清和源氏が応神天皇を氏神としてお祭りしているということは、実在した初代天皇は第15代応神天皇となります。いかがでしょう。わたしとは別の視点から実在した初代天皇を応神天皇とする説があります。

 応神天皇は広辞苑によると5世紀前後の帝とされています。女王国は2世紀後半から3世紀前半頃と記されています。清和源氏の真実から、応神天皇の大和朝廷と女王卑弥呼の国では、女王国が1世紀以上も先に存在していたという事実が明らかになりました。この事実から女王国と、その当時まだ存在してなかった大和朝廷とは関係がないと考えるのが自然なの推理です。

 ところで、皆さん「邪馬台国」の読み方を小学生に教えてください。「ヤマタイコク」と教えたら、賢い小学生は、「その読み方はおかしい、まちがいだよ」と応えるはずです。・・・・・・・・。なぜでしょう、・・・・・・・・。小学生はどこに疑問を抱いているのでしょう、・・・・・。説明します。「邪」を「ヤ」と読むのは音読みです。「馬」を「マ」と読むのは何読みでしょう。・・・・・・・・、「うま」の「ま」ですから訓読みです。「邪馬」を「ヤマ」と読むのは「音+訓」の重箱読みです。小学生は学校で通常の読み方の原則を「音+音」と学習しています。だから、邪馬台国は「やばた(だ)いこく」が正しいと考えます。いかがでしょうか、・・・・・。

 邪馬台国を「ヤマタイコク」と読むのは先入観から来る誤読と思われます。女王国の時代、まだ実在してなかった「ヤマト」を前提にして読むから、「ヤマタイコク」と読んでいると思われます。そこから女王国を奈良大和の近辺に求める畿内説、福岡の「山門(やまと)」の近辺に求める九州説が出てきたと思われます。いかがでしょう。・・・・・

 史料の魏志倭人伝に「邪馬台国」の名が出てくるのは1回きりです。女王国の正式名称ではありません。邪馬台国の名はその文脈から考えて、地形の特徴がその由来と思われます。その名に示されている特徴は「台」の漢字から「高台」と考えられます。女王国は高台の地と考えられます。次に「邪馬(やば)」で示された地形を考えます。大分県に「耶馬溪(やばけい)」という景勝地があります。耶=邪です。耶馬溪の地形の特徴が女王国の「邪馬」だと思われます。ユーキャン発行の『名所大地図』に耶馬溪の地形は「溶岩台地を川が削った複雑な渓谷美」と説明されています。ここから「台地」と「川が削った渓谷」の二つが耶馬台の地形の特徴と考えられます。

 女王国の正式名は「倭国」です。魏の国との外交が記されているところでは、すべて国名は「倭」になっています。卑弥呼が魏の国王から授かった金印の「親魏倭王」からも女王国の正式名が「倭」と分かります。したがって、女王国探究は「邪馬台国探究」とするより、「倭国探究」とする方が真実に近づきやすいと考えます。我国の国名は「倭」から天武朝の頃に「日本」に変わりました。我々日本人はその前は「倭人」でした。倭人の歴史があまりはっきりしません。女王卑弥呼も倭国の女王です。紀元後に実在した女王の倭国の所在地が、未だはっきりしないということは不自然です。国が国策として隠したと考えれば納得できます。わたしは女王国は朝廷が隠したと先述しています。そして今、神の詔を受けた万世一系の天皇が女王国を開くと先述しています。邪馬台国畿内九州説は廃棄しなさいと先述しています。「女王国は徳之島である、その中心は伊仙町上面縄である、検証せよ。」と先述しています。女王国が、なぜ、徳之島伊仙町上面縄であるかを数理論理的に説明します。

    「當在会稽東治之東」 

 誰か他の人が既に言っていることを言っても面白くありません。今まで誰も言ったことのないことをもって女王国を言い当てて見ます。先の「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と読むのは間違いで、正しくは「ヤバダイコク」と読んで、それは地形の特徴に由来している名であるという説も初耳だと思います。・・・・・・・・

 魏志倭人伝の著者陳寿は女王国の位置を「倭人在帯方東南大海之中」と「當在会稽東治之東」で記しています。その意味は「倭人は、朝鮮半島の西岸ソウルとピョンヤンの間のある地点(帯方)から、東南方角の大海の中にいる」と「女王国は間違いなく中国東岸、揚子江の河口付近(会稽山を含む)から東の方に在る」ということです。

 今までの学者、研究者誰一人陳j寿がなぜ、女王国を「間違いなく会稽東治の東に在る」と推定できたのか、陳寿が根拠としていたのは何であったかを明らかにしていません。東大出身の研究者でも、陳寿は倭国について方向まちがいをしていると主張しているに過ぎません。他人が「間違いなく・・・・である。」と主張していることに対して、その根拠も聞かないで、それは間違いであると言い放つのは、・・・・。

わたしにはそんなことはできません。それは陳寿を馬鹿にすることになるからです。根拠を明らかにしてそれが根拠にならないということまで説明して初めて、陳寿は倭国について方向間違いをしていると言うなら、それは正当でしょう。今までの学者、研究者の誰一人陳寿の「當在会稽東治之東」の文を理解していません。史料を数理論理的に読めないところに邪馬台国畿内・九州説はあります。

       三平方の定理

 これからの説明は中学3年で習う数学の「三平方の定理」を理解しているとの前提で進めます。

 ここでも数理的発想がものをいいます。陳寿は「帯方の東南に女王国は在る」といっています。ということは、・・・・・・・・・・。この・・・・・・の部分を発見することが数理的発想です。いかがでしょうか、分かりましたでしょうか、・・・・・。数学は体系ですから、一つの事実からそこに書いてない他の事実も論理的に導き出し、発見することができます。思考が体系化されてないと難しいようです。数理的思考訓練が必要です。もう一度、聞きます。帯方から東南とは、他にどういうことを意味するでしょうか。そこから論理的に導き出される事実は何でしょうか。そうです、帯方から女王国の方向を基点に左の方へ45度回転移動した方向は「南」です。方角の概念からまちがいありません。メルカトル図法は角度は正しいので、帯方から東南方角へ半直線を引いて、そこから45度左に回転移動した、帯方から南の方角に同じく半直線を引いてみてください。・・・・・・・その線は、揚子江河口付近の会稽東治を通ることが確認できるはずです。「帯方」と「女王国」と「会稽東治」の三点で三角形ができます。その形は直角二等辺三角形と直感できます。三平方の定理で確認します。帯方から会稽東治までの距離と帯方から女王国までの距離の比が1:ルート2(1,4142・・・・・)になっている事実に気づきます。三角形で二つの辺が挟む角度が45度で、二つの辺の比が「1対ルート2」になっていたら、その三角形は三平方の定理より直角二等辺三角形となります。すると、女王国は会稽東治の東に間違いなく在ると推定できます。分かりましたでしょうか、陳寿が間違いなく女王国は会稽東治の東に在るとした根拠が。

 帯方から女王国の方角と帯方から会稽東治の方角のなす角度が45度になっていて、かつその距離が「ルート2対1」なっている事実を陳寿は発見して、三平方の定理より、女王国は間違いなく、揚子江河口付近(上海近辺)の真東に在ると推定したのです。

 そこは何処でしょうか。帯方(ソウルからピョンヤンの間のある地点)と会稽東治(会稽山から揚子江河口付近)を直角の頂点とする直角二等辺三角形で数理的に女王国が発見できます。頂点が海の中に入ったらダメです。条件を満たす候補地は奄美諸島に限られます。畿内・九州は候補地から外れます。

 奄美諸島の何処が女王国でしょうか。ここで先述の「邪馬台(やばだい)」、女王国の地形の特徴を想起します。奄美に耶馬台の地形のところを捜します。伊仙町に住んでいる人は、「それはわが町だ」と直感します。伊仙町は隆起サンゴ礁の台地です。そこには渓谷が4つもあります。東のほうから、目手久川、面縄川、鹿裏川、阿権川です。「川」と呼んでいますが、すべて深い谷です。伊仙町は邪馬台国(やばだいこく)です。

      距離について

 邪馬台国研究者を長く悩まし続けてきたことは、距離の問題です。帯方から女王国までの距離を「万二千余里」と記しています。昔は1里は300歩(ぶ)でした。1歩は6尺です。1尺は30,303030・・・・センチです。1里はこの体系から545、45454・・・・・メートルになります。約550メートルを1里とすると、万二千里は約6600キロメートルになります。これでは女王国は赤道より下に在ることになります。ナンセンスです。

 この問題に解決の道を開いた学者がいます。古田武彦という方です。この方は『三国志』全体に亘って1里が約75~90メートルで記載されていることを実証的に発見しました。素晴らしい発見です。邪馬台国研究はこの成果の上に築かれるべきと思います。しかし問題があります。1里の可能性が75~90メートルではどの値をとるのかが恣意的なります。

 わたしはこの問題を解決しました。1里は90,909090・・・・メートルです。アッと驚く解決です。笑ってしまいます。陳寿は思考の大変柔軟な学者だったと思います。

 1里=90,909090・・・メートルの謎解きをします。・・・・・・、1里=300歩(ぶ)、これは動きません。1歩(ぶ)=6尺です。1尺=30,303030・・・・・センチです。従って通常1里は30,3030センチ×6×300=545、454・・・・メートルです。この体系の中で陳寿は「歩」を「ぽ」と心の内に読んだのです。1里を300歩(ぽ)と読んだのです。外からは分かりません。1歩(ぽ)を30、30330・・・・・センチ=1尺としています。すると、1里=30,303030・・・・センチ×300歩(ぽ)=90,909090・・・メートルになります。どうでしょう、笑えませんでしょうか。・・・・・・・

 1里=90,9090・・・メートルとすると、万二千里=90,9090・・・×1200=約1090、908キロになります。このことをわたしは3年前に発見して文章にしています。わたしが推定している帯方は北朝鮮のヘジュ(海州)です。「港湾都市で農業地帯を後背地に持ち、商業・貿易が盛ん。」と広辞苑に説明されています。ヘジュから徳之島伊仙町までの距離はネットで調べて、約1165,7キロです。これは女王国までの距離として記されている「万二千余里(1090キロ余り)」に相当します。またヘジュから会稽東治之東(上海近辺)までの距離は約824キロです。1165,7÷834=1,414・・・です。ヘジュから徳之島伊仙町までの距離はヘジュから上海近辺までの距離の約ルート2倍になっています。数理論理的に女王国は徳之島伊仙町です。数理論理的に女王国が徳之島伊仙町になったということは、そこに確かな物証があるということになります。何があるのでしょう。・・・・・・・続く。



10.邪馬台国畿内・九州説廃棄 2015-03-18 13:49:25 テーマ:理性に目覚めよ!

  邪馬台国畿内・九州説は廃棄しよう!

 昨日のわたしのブログの内容は、自分で言うのも何ですが、凄い発見です。・・・・・・、「いいね」の評価を10件ほど期待したのですが、3件ありました。「邪馬台国の真実」で理性に目覚めた方と思います。日頃、自分の感性に正直に生きている方と思います。騙される人は、自分の感性に日頃、不正直に生きていると思います。邪馬台国畿内・九州説は、権威による・・・・・・説です。気づいたら即、廃棄する説です。

 上記の「魏志倭人伝(岩波文庫)」の原文を見てください。何て書いてあるか自分で考えてください。もちろん女王国のことについての記述です。

 この史料を数理論理的に読解したら、邪馬台国畿内・九州説は「気違い」説になります。

 「(女王国の)有無與みする所は儋耳・朱崖と同じ」、この一文が決定的です。儋耳(タンジ)・朱崖(シュガイ)とは何処でしょうか、・・・・・・。知っている方は多いのではないでしょうか。そう、「海南島」です。海南島は何処にありますか、地図で調べてください。・・・・・・・香港の南西にあって、北緯20度線が島を横切っています。台湾より下にある島です。「邪馬台国は海南島と同じ」と記されています。女王国と海南島では「有無與する所」が同じと記されています。「有るもの無いものの仲間が同じ」ということです。植物相と生物相が同じということです。気候帯が違えば生物相は変わります。海南島は亜熱帯気候です。畿内・九州は温帯です。北緯30線の北と南では動植物の相が違うと聞いています。これは正常な人なら誰でも体感できる事実です。

 邪馬台国畿内説の方に聞きます。海南島に旅行に出かけ、しばらく滞在して、それから畿内地方に行って、そこで「ここ(畿内)は、海南島と同じだ」と言いますでしょうか、・・・・・・・。そのことばを聞いた親切な人は、思いやりから邪馬台国畿内説のあなたに対して「近くの精神科で一度診てもらったほうがいい」と助言するはずです。これが邪馬台国畿内説の真実です。今、即廃棄すべしです。九州説も然りです。正常(清浄)な感覚では、北緯30度以南にしか女王国を求めることはできません。

 教科書、参考書に邪馬台国の可能性としては畿内と九州しかないように記されています。わたしが馬鹿でしょうか、それとも、・・・・・・・。理性に目覚めよ!同胞の日本民族。東大(九州説)・京大(畿内説)の外的(偏差値)権威に屈するな!権威の源泉は君の中に眠っている理性、それだ。これがわたし、清和源氏嫡流源為朝の子孫=万世一系の天皇の民族へのメッセージです。

        女王国

 海南島に行ったことのある友人が、「本当に徳之島は海南島と似ている」と言っています。海南島を知っている方は徳之島に来て女王国を確認してください。

 女王国は温暖で冬でも夏でも野菜を「生」で食べていると記されています。中国の人は炒めて食べるの一般的ですから「生」で食べているのに驚いたと思われます。他の地域については知りませんが、わたしの住んでいる伊仙町では、あたり(辺り)畑といって、屋敷内またはすぐ近くに菜園をもっているのが一般的です。これは一年中野菜をよく摂る女王国の習慣から来るものと思われます。

 「皆(冬でも夏でも)徒跣」は「皆はだし」であるといことです。・・・驚きです。「皆」とは身分に関係なくということでしょうから、女王卑弥呼も裸足で歩いているということになります。なぜ「裸足」でしょうか、・・・・・・・。以下、わたしの答えです。ご検証ください。

 徳之島は「地福之島」と言われています。わたしが町の観光協会長をしていたとき、この考えに基づいて3町協力して「地福之島33聖地・旧跡巡り」の観光資源を開発しました。「地福」というのは徳之島の大地から沸きあがるエネルギーの存在を認めて出てくる概念です。わたしは、伊仙町の最下層にはパワーストンである千枚岩があって(事実です)、そのエネルギーが地上に放射しているものと考えます。千枚岩は水を通しませんので、湧き水は千枚岩水になります。今、千枚岩の効能を知る人は、都会にもいますが、それを水道水に入れてその効能を楽しんでいます。健康と美容に効能を感じる千枚岩のエネルギーを足の裏からとり入れるために「女王も含め皆裸足」であったと思われます。伊仙町は長寿世界一を2名輩出しています。邪馬台国は長寿の国であったと「魏志倭人伝」

に記されています。女王国伊仙町は千枚岩大地ゆえに皆裸足であった、長寿の国であったと考えます。

 女王国の話はもっともっと続きます。次回も読んでください。邪馬台国畿内・九州説廃棄、理性の国日本のために御協力ください。わたしは「平和のシャルリ」です。




11.2015 ダビデ王朝の復活in聖地徳之島 2015-03-16 09:44:47 テーマ:ブログ

 

 


  成り済まし

 今朝、BSNHKの番組「キャッチ世界の視点」でアメリカ社会において「成り済まし」の詐欺被害が過去最高になったとの報告がありました。

 日本は世界一の「成り済まし被害大国」です。明治天皇が北朝の皇子というのは嘘、万世一系の天皇というのも嘘、現人神天皇というのは神を冒涜する嘘。明治天皇家は北朝孝明天皇家の成り済まし、万世一系の天皇家の成り済まし、現人神(イエス・キリスト)の成り済ましです。以前、NHKの「クローズアップ現代」で日本は成り済まし社会との報告がありました。明治維新以来、天皇が成り済まし、詐欺行為を働いていますから当然の結果です。

 偽者の役回りは見ていて全然面白くありません。世界をつまらなくしているのは偽装組織です。日本社会をつまらなくしているのは偽装天皇とその藩屏勢力です。菊の紋を党章にしている自民党です。天皇が嘘つきであるということは自民党も嘘つきです。「国際紛争を解決する手段として、武力の行使を永久に放棄する」と記してある憲法に、集団的自衛権での武力行使は憲法解釈として許されると言う自民党総裁安倍首相は嘘つきかまたは学力・・・・・の方です。文章が論理的に読めない方です。

 日清戦争に始まる戦争は、天皇の素性についての嘘がその根本因です。為政者たちは自分たちに都合の悪い嘘を隠すために戦争をやります。朝鮮系安倍首相も天皇の素姓についての嘘がばれるのが怖く、その隠蔽のために「積極的平和主義」の誘惑のことばで、また日本民族を騙して戦争をやるつもりのようです。「ちがう」というなら、国会で明治天皇家が北朝の家、万世一系の王家、現人神の家であることを証明しなさい。マスコミも含めて「黙秘、黙殺」しかできないということは、この国は明治以来、成り済ましの詐欺大国となり、その被害たるやダントツの世界一でしょう。まちがいありません。不経済、不敬罪国日本です。
 
     本物の世界

 わたしの思考は数理論理的です。どういうことかといいますと、偽装天皇による成り済まし被害が世界一の日本は、真実の天皇が現われて、本物の利益において世界一になると考えることです。詐欺行為無しで勝負したら日本は世界一豊かな国になると考えることです。物事は「対」でできています。数理的思考とは「対思考」です。右があるということは左があるということ、上があるということは下があるということ、神がいるということは、神に成り済ました悪魔がいると考えるのです。神は真実、悪魔は成り済ましです。

  ダビデ王朝(詩篇第2篇4~9)

天に座する者は笑い、主は彼らをあざけられるであろう。そして主は憤りをもって彼らを恐れ惑わせて言われる。「わたしはわが王を聖なる山シオンに立てた。」と。わたしは主の詔をのべよう。主はわたしに言われた。「おまえはわたしの子だ。きょう、わたしはおまえを生んだ。わたしに求めよ。わたしは諸々の国を嗣業としておまえに与え、地の果てまでもおまえの所有として(おまえに)与える。おまえは鉄の杖をもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう。」と。

    聖なる山シオンの王

 わたしは聖なる山シオンを大蛇が鎌首を持ち上げている聖なる蛇形記章の地形をしている日本であり、その形が聖なる石の柱に見立てられる徳之島であると先述しています。日本の建国史は徐福が不老不死の仙薬も求めて向かった三神山のある徳之島から始まっています。

 聖なる山シオン徳之島で神は新約のダビデ王を立て、そして聖地徳之島を隠し、ダビデ王家=万世一系の天皇家隠し、・・・・・・・・・・・・・世界の偽装組織が世界全面戦争を企んでいる今、国家・民族、世界救済のために聖なるダビデ王家を聖なる島徳之島に復活させました。復活した王の権威は偉大です。復活したイエスキリストは弟子たちに向って「わたしは天においても、地においても一切の権威を授けられた」と言っています。新約聖書マタイによる福音書28章18節参照。

 天照皇大御神様はイエスキリストであると先述しています。しかも復活したキリストです。天皇はキリストから王権を授かっています。国家の主権を授かっています。日本は文字通りの「王権神授」の神の国です。その証のしるしが「草薙剣」です。清和源氏嫡流源為朝の子孫の我が家にあります。

        救う者

 イスラエルの救いについて「シオンから救う者が出てヤコブの不敬虔を除く(新約聖書「ローマ人への手紙」11章26節参照)」と預言されています。ヤコブとはイスラエル民族=日本民族を指します。神がダビデのためにおいた御位である皇位を朝鮮系に盗まれたままにしていることは神に対する不敬虔です。皇位を取り返すことはヤコブの不敬虔を除くことになります。わたしは、先述していますが、神の前においては皇位を取り返して、今年から天皇になっています。去年の11月、仮装行為の契約を解除して、正式に「去年までに」皇位を返還するようにと宮内庁に通達してあります。警視庁にも皇位の奉還が平和裏になされるようにと、文書で協力をお願いしてあります。宮内庁と政府は「黙秘権」を行使したままです。・・・・・・・・・。

 今年から政府と宮内庁は国民と世界に対して詐欺行為を働いていることになります。詐欺は犯罪です。犯罪国日本の首相が唱える「積極的平和主義」は、実は「戦争主義」と思えてなりません。いかがでしょうか、・・・・・・・。

 わたしは聖なる山シオン=徳之島からヤコブの不敬虔を除くメッセージを送っています。これは「2015ダビデ王朝の復活in聖地徳之島」です。

      1本の帯び取り

 我が家の剣の帯び取りは「1本」です。これは2本あるのが本来で、他の1本は外れたと思っていましたが、秦河勝の剣の帯び取りが1本になっていることを発見して、1本の帯び取りは「父子万世一系」のしるしと考えるようになりました。根元の大きな1個の環が始祖の「父」を象徴し、次の2個の環が「子」を象徴し、さらに次の1個の環が「父」を象徴していると考えるようになりました。いかがでしょう、・・・・・・。

12.国家・民族を救う神の詔 2015-03-14 14:10:11 テーマ:ブログ

      神の計画

 前回のブログで、徐福が蓬莱の神仙を求めて向かった三神山のある島は、徳之島であると数理論理的に明らかにしました。わたしの答えに、何か問題があるでしょうか。・・・・・・・・。理論的に正しければ、必ずそこに物証、現実があるものです。このことをヘーゲルは「理性的なものは現実的」といいました。理論は数理と論理で構築されます。数理論理的に正しいなら必ずそれを裏付ける物証や現実が発見されます。

 天皇の正統についてもわたしは数理論理的に史料を読んで、我が家がそうであると判断しました。その後、先祖が墓に隠してあった鉄の剣が、その物証と発見しました。また墓石の紋もその物証と分かりました。わたしの推理は正しかったと喜びました。学問の楽しさは推理が正しかったと認識されることです。わたしの現実はダビデの子孫として納得できました。つまり、わたしが今やっていることは万世一系の天皇=起こされたダビデの子孫の証しと考えてわたし自身納得します。

 数理論理的思考は理性の働きです。わたしはわたしの理性で「神の計画」を知ろうと努力しています。

 我が家の剣は墓から出ました。・・・・・「なんでこんな大事なものを・・・・」、約200年前になぜ、先祖(伊平安山)は墓石の下に剣を隠し置いたのか、・・・・・・理解できません。

 わたしは聖霊のキリスト者、イエスキリストの復活を知るキリスト者です。聖書に、イスラエルの救いに関して、「わたし(神)のしもべダビデを起こす(エゼキエル書34の23)」とあるのに気づいて、「起こす」ということは、それまで「眠っていた」ということになる、「眠る」は「死」の比ゆとして使う、「墓に眠る」=「死」であると推理して、「起こす」=「復活」の等式を得ました。

 神が計画を立てる根本が発見できました。それは「復活」です。神の他、死んでいるものを再び活かす、復活させる能力は誰にも、何ものにもありません。神による神の存在証明は「復活」と確信しました。エゼキエル書37の13に「わたしの民よ。わたしがあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓から引き上げるとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。」とあります。わたしは墓が開かれ墓から引き上げられた剣と墓石の紋を通して、自らがダビデの子孫と知りました。したがって「復活したダビデ」と言えます。わたしは今、神の存在、神が主であること、万軍の主であることを実感して生きています。神の計画から復活するダビデのために先祖は墓石の下に剣を隠し置いたと考えます。代々のダビデの子孫と復活したダビデの子孫とでは神の実感がちがうはずです。

 イエス・キリストは死んでいた「ラザロ」を復活させました。ゆえにキリストは神です。神の子キリストが人の子、ダビデの子孫として、聖霊によって処女マリヤから生まれるという形で、この世に現われました。イエス・キリストは人として現われた「現人神」です。キリストの父なる神、イスラエル民族にとって「万軍の主!」と呼ばれる神は、人類の罪を背負って十字架にかかったダビデの子孫、イエス・キリストを復活させ、天に昇らせました。この復活を信じ、復活の霊、聖霊、真理の御霊を戴くことが「新生の救い」です。教理だけの救いとは「現実」がちがいます。教理だけで救われたと思っている人と復活の聖霊で救われたと確信している人ではその現実、神の実感がちがいます。

 神はダビデの子孫を復活させました。次に、隠れイスラエルの民である日本民族を起こし、ダビデ王朝を復活させます。何のために。世界の現実を変えるためです。世界を紛争、貧困、差別等の悪から救うためです。

 悪の根源は「嘘」です。悪魔は嘘つきです。そして人殺しです。日本の悪の根源は明治天皇を万世一系、北朝の皇子、現人神とした嘘です。その嘘はいまだ糾されていません。本来は正義の勢力である神国日本が、このままでは、現在悪魔の勢力ゆえに、また戦争を起こすでしょう。世界の悪の根はダビデ王の部族であるユダ部族に由来するユダヤ人を詐称する嘘です。偽天皇と偽ユダヤ人が世界の諸悪の根源です。偽装天皇の藩屏勢力である自民党の安倍首相と偽ユダヤのイスラエルの首相が握手して平和を愛する日本民族がイスラムの「アイエス」に殺害されました。嘘が人殺しの原因と教える例です。日本の朝鮮系政治家には嘘が多過ぎます。彼らの嘘が明治以来、日本民族の生命を奪って来ました。目覚めよ、日本民族。

 シオンから「救う者」が出ると預言されています。新約聖書「ローマ人への手紙」11章26節参照。わたしは去年の母親の命日あたりから、救う者は自分のことかもと思うようになりました。生前、母がわたしに教えたことは、神様はいつでもどこでも見ているということと、心に太陽、唇に歌をもて、ということでした。救う者が自分、・・・・これは大変なことと思いましたが、他人に相談することはできません。・・・・・・・・。

 去年の6月から毎日のように近くの正八幡様(義名山神社)で礼拝をしています。武の神、八幡の神を礼拝しています。八幡の神はイスラエルの「万軍の主」の神と考えています。

 去年の旧暦9月24日、起こされたダビデの子孫と自覚するわたしに「神の詔」が出ました。以下それを記します。

      前文

 国家・民族存亡の危機に臨んで

日本はイスラエルの神が支配する神の国です。人は神の前に平等です。人は神の栄光を現す、それぞれの務めがあります。こう考えて、清和源氏の嫡流源為朝の子孫であるわたしは、国家・民族存亡の危機に臨んで自分に課せられた務めを「詔を出す」ことと信仰により受け止めました。現在の皇室は天皇の正統ではありません。清和源氏の嫡流が真実の天皇の正統です。その身位はいつでも皇位に復することの出来る「親王」です。その史料は我々の弟の系譜、奄美大島の師玉家系図です。没年に「薨」の文字があります。これは皇族で親王の身位を意味します。わたしは「信貴親王」で詔を出します。

 清和源氏源為朝の子孫 勝信貴
       詔

天叢雲草薙剣を持つわたくしは万世一系の天皇の正統である。国家・民族存亡の危機に臨んで「詔」を出す。

一、日本は皇位を天皇の正統に還し自国の軍隊を持ち米国から独立すべし。
国体を護るため米国の属国戦後体制をつくったのは昭和天皇である。日米安保条約と非武装の憲法九条は昭和天皇の意向による。

一、邪馬台国畿内九州説は廃棄すべし。
女王国は詔をもって朝廷が隠した。新詔で真実の女王国を開く。女王国は徳之島である。その中心は伊仙町上面縄である。検証すべし。

一、日本民族は神の民イスラエルと知るべし。日本は神の国と知るべし。
神の人類救済計画から神の民イスラエルは隠された。天皇は神の誓約に基づく万世一系のダビデ王統である。

一、日本は中国と友好を深め東アジアの平和と繁栄に貢献すべし。
中国は倭人日本建国発展の恩人である。

  平成26年旧暦9月24日

 イスラエル万世一系のダビデ王統
 天照皇大御神様直系の皇孫
 第57代陽成天皇直系の皇孫
       信貴親王 実印

 わたしはこの詔は真実、日本を救う内容と思います。皆さんもよく考えてください。この詔を実現することが国家・民族の救済であり、嘘つきが企てて今迫りつつある世界全面戦争を阻止する唯一の道と考えます。

 神は今、現われて救いの業を進めていると感じます。ダビデの子孫が起こされ、「詔」が出て、聖なる山シオン(詩篇2の6)=徳之島そして日本、三神山の蓬莱の島=徳之島そして日本の発見は、神の救いの業の進行、展開と感じます。いかがでしょうか、・・・・・・・・。

          希望

 神が現われ、ダビデが復活して、シオンの再建が始まっています。この事実は世界に変化をもたらしています。平和を愛する世界の良心は、世界の嘘に感づき、嘘から覚醒しつつあります。今日のニュースにイギリスが中国主導の経済協力組織に参加するとあります。日本とアメリカは参加しないとのことです。ここで日本が米国から独立したら、嘘つき悪魔の勢力が仕組んでいる世界全面戦争の可能性は消えます。日本の独立は世界の希望です。がんばれ、神の民日本民族。目覚めよ、神国日本!

13.蓬莱島=三神山の島発見 2015-03-13 13:24:17 テーマ:ブログ

  蓬莱島を数理論理的に発見

 みなんさん、蓬莱島をご存知でしょうか。紀元前210年に中国の徐福という方士が秦の始皇帝の命を受けて不老不死の仙薬を求めて向った島のことです。徐福伝説は全国各地にあります。蓬莱島は今だ発見されてないことになっています。わたしは数理論理的に蓬莱島=徳之島を発見しました。ご検証ください。

 人文系の学者たちは一般に数理的発想に乏しいと思います。史料を数理論理的に読解できてないと思います。苦情はこれぐらいに。

 蓬莱島を数理論理的に言い当ててみます。

 まず、広辞苑で「蓬莱」を検索します。「三神山の一つ。中国の伝説で、東海中にあって仙人が住み、不老不死の地とされる霊山。」とあります。次に「三神山」を検索します。「中国で東方絶海の中央にあって、仙人の住むと伝えられた、蓬莱・方丈・瀛州(えいしゅう)の三山の総称。」とあります。

 以上の史料を数理論理的に読解します。東海とは東シナ海の中国の呼称ですから、東海=東シナ海です。「東海中にあって」=「東方絶海の中央にあって」ですから、論理的に蓬莱島は東シナ海の中央にある島となります。東シナ海の範囲を正しく知るために、「東シナ海」を検索します。「中国の東方、北は長江河口から南は台湾海峡に至り、東は日本の南西諸島に至る間の海。」とあります。ここで数理的発想を起こします。北限の長江河口の緯度を調べます。北緯約32度です。南限の台湾海峡の緯度を調べます。約北緯24度です。次に算数の問題です。北緯24度から32度の中央の緯度は何度でしょう。・・・・・・・、28度です。徳之島は北緯27度40分から27度53分にある島です。徳之島が蓬莱島の最有力候補地です。
 

 徳之島が蓬莱島であるなら、そこに三神山の霊山があるはずです。・・・・・・・・・・・あります。

天城岳・犬田布岳・井之川岳の三神山があります。その根拠は、・・・・・・。「岳」の文字です。

「岳」は人を押さえつけるようなけわしい山の意味を表すと漢和辞典に説明されています。人を押さえつけるのは神的な力です。岳の山は神山です。「富岳」とは霊峰=神山、富士山のことです。岳=神(霊)山です。広辞苑によると、三神山は日本で富士・熊野・熱田の三山にされています。

 蓬莱島は、東シナ海の中央に位置し、三神山のある徳之島である、いかがでしょうか。・・・先述していますが徳之島で三味線のことを「サンシン」といい、サンシンは「三神」の意と三味線の専門店で知りました。何か関係があるのでしょうか、・・・・・・・・。

 徳之島に不老不死の仙薬があるでしょうか。不老「不死」の効能はないが、不老長寿の効能のある石があります。わたしがこの石を発見したのはちょうど4年前の震災の日でした。千枚岩といいます。この石の水に錆びの付いたナイフ等を入れて置くとそのサビが取れます。ということは、この水、千枚岩水を日常飲んでいると、細胞のサビが除去されて、不老の効能が期待されます。我が家は4年前から千枚岩水を日常の飲料水にしています。わたしは年の割りに大変若く見えるといわれています。千枚岩水の効能と思っています。その効能には他にも驚くべきものがあります。体温で遠赤外線を発する石です。足の裏に貼るとポッカポッカです。男女で比較すると女性に強く反応する石のようです。女性がその効能をよく知る石です。詳細は別途に。伊仙町は長寿世界一を二名(男女)輩出した町です。千枚岩水の効能と確信しています。不老長寿、不老石千枚岩の町、伊仙町です。徐福の町です。

 伊仙町の千枚岩が徐福が求めた不老不死の仙薬と思われます。伊仙の「仙」は仙人がその由来と思います。蓬莱島には仙人の住む宮殿「蓬莱洞」があるといわれています。広辞苑「蓬莱洞」参照。伊仙町には宮殿風の鍾乳洞があります。壁は真石(まーいし)のさざれ石でできています。亀にそっくりの石があります。太い鍾乳石が宮殿の柱を思わせます。そこに祭祀跡があります。一般には知られてない鍾乳洞です。

 伊仙町は長寿「蓬莱」の町、天城町は、山の大きさから「方丈」の町、徳之島町は瀛州の町となります。三神山の島=徳之島説、いかがでしょうか。

 わたしは聖書の「聖なる山シオン」を徳之島と先述しています。その根拠を徳之島はイスラエルの人にとって「聖なる石の柱」に見立てられるからとしました。「三神山」も徳之島=聖なる島(山)の根拠になると考えます。実はさらに根拠がありますが、・・・・・・・・・・。

 徐福と思われる「像」があります。由来不詳です。わたしが「これは徐福像だ」と言い始めました。徐福は日本建国に関わった実在の人物と考えるのが最近の研究成果です。徳之島は日本肇国(ちょうこく)の聖地と考えられます。続きは日本建国の真実です。
 

 


 


 徳之島の海岸

 卑弥呼の遺骨


 徳之島の「さざれ石」
   
14.ダビデ王家の徳之島 ソロモンのユリ 2015-05-13 10:52:40
テーマ:

①白ユリの野に美しき徳之島


 ソロモンのユリ


 二つの三角形が逆に重なった、いわゆる「ダビデの星」と呼ばれている形は、「ソロモンのユリ」とするのが、その由来が聖書から説明できて「いい」と思われます。


 その根

1、ユリの花の先を結ぶと六角形ができます。ダビデの星も頂点を結ぶと六角形になります。


2、ダビデ王の跡継ぎ、ソロモン王は自分のことを「谷のユリ」と言っています。

 「わたしは、・・・・・・谷のユリです。聖書、雅歌2:1」。


3、ソロモン王はユリをとても愛好しています。

 「おとめたちのうちにわが愛する者のあるのは、いばらの中にユリの花があるようだ。雅歌2:2」。「わが愛する者はわたしのもの、わたしは彼のもの。彼

はユリの花の中でその群れを養っている。雅歌2:16」。「あなたの両乳ぶさは、かもしかの二子である。二匹の子鹿が、ユリの中に草を食べているようだ。雅歌4:5」。「そのほおは、芳しい花の床のように、香りを放ち、その唇はユリの花のようで、没薬の液をしたたらす。雅歌5:13」。「女王のような娘よ、

・・・、あなたの腹はユリの花で囲まれた山盛りの麦のようだ。雅歌7:1・2」。


4、ソロモン王の宮殿の柱頭に「ユリの花」が細工されています。「この廊の柱の頂にある柱頭の上に・・・ユリの花の細工があった。列王記上7:19」。


  ②サンシンと六調(踊り)の島

    「六調」の由来

 「主の箱を担ぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは肥えた牛をいけにえとしてささげた。(そして)ダビデは主の前(主の箱の前)で力の限り踊った。(その

時)ダビデは亜麻布のエポデを着ていた。サムエル記下7:13・14」。


 徳之島では祝会の締めに、サンシンと太鼓の演奏に唄者が歌って、みんなで踊る踊りがあります。様式のない踊りで、各自、思い思いに手足を動かして喜びを表現すればいいだけです。ちょっとプライドの高い方には参加しにくい踊りでしょう。サンシンをひく方が言うには、六調は「三下がり」で演奏するとのことです。「三下がり」を人に対して言う場合は「音痴」というニュアンスがあります。プライドの高い人が参加しにくい一つの原因かもしれません。

 徳之島の六調は、主の箱の前で力の限り、思いっきり踊ったダビデの踊りと似ていると思われます。本当に楽しく踊っている方は、「力の限り」です。大体の人はプライドが邪魔してか、力を加減した踊りになっていると感じられます。


 「サウルの娘、ミカルは窓から見下ろし、ダビデ王が主の前ではねったり、踊ったりしているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。サムエル記下6:16」。


 ダビデ王の踊りは、先王の娘、ダビデの后に見下されています。后はプライドの高い方のようです。


 「ダビデが自分の家族を祝福するために戻ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えに出て来て言った。『イスラエルの王は、きょう、本当に威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、きょう、あなたは自分の家来のはしための目の前で裸におなりになって。』。ダビデはミカルに言った。

『あなたの父よりも、その全家よりもむしろ私を選んで主の民イスラエルの君主に任じられた主の前なのだ。私は主の前に喜び踊るのだ。私はこれより、もっと卑しめられよう。あなたの目に卑しく見えても、あなたの言うそのはしためたちには、敬われたいのだ。』。サウルの娘ミカルには死ぬまで子供がなかった。サムエル記下6:20~23」

 ダビデの踊りは、他人と区別して自分を高しとするプライドの高い人には「卑しい」と映るようですが、信

仰の人が神の前に喜びを表現する聖なるものです。ダビデの踊りは今も徳之島で三下がりのサンシンと太鼓と唄で踊り継がれていると思われます。

 徳之島の六調は、「神の箱を担ぐ者が六歩進んだ所で、いけにえをささげ、踊ったダビデ」がその由来と思われます。


     「サンシン」の由来

 「人々が引き揚げてきた時、すなわちダビデがペリシテ人を殺して帰った時、女たちはイスラエルの町々から出て来て、手鼓と祝い歌と「三糸の琴」をもって歌い舞いつつ、サウル王を迎えた。女たちは踊りながら互いに歌いかわした、『サウルは千を打ち殺し、ダビデは万を打ち殺した。』サムエル記上18:6・7」。

 サンシンは漢字で書くと「三線」です。

そのイメージは、まさに「三糸(みついと)の琴」です。サンシンはイスラエルの女性(民)の楽器がその由

来と思われます。祝いの時の喜びの踊り、島の六調には「歌詞」と「三線」と「太鼓」があります。この三つは聖句の「祝い歌」・「三糸の琴」・「手鼓」に対応します。全国の民謡大会で三線を引き唄った徳之島の女性が4,5名優勝しています。

    続く


万世一系ダビデ王家の子孫

平安天皇ヨシュア

 
   
邪馬台国は奄美(徳之島)説に賛同者続出 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)2014.11.7
 -日本国際古地図学会から頂いた中国古地図の奄美諸島に「倭」と記す島あり邪馬台国説決定!-
【YouTube】
     https://www.youtube.com/watch?v=Z80Phxk9pUw&list=FLTxjiieoQ_9GfbcYUox8tCw&index=1
長年邪馬台国研究に関心を持ち邪馬台国を追求してきたが、最近この邪馬台国の徳之島説に関心を持っている方が続々竹取翁博物館を訪問されています。
 館長は、当初皆さんと同様に大和説であったが、退職後に時間がとれ九州説と言われている地域を語源学の作家先生と一緒に九州説の各地を10日間かけて車で調査旅行した。
その結果、九州説は大和説より信憑性はあるが「徐福」地であり、30カ国の一つであることが判明した。そこで、地元の方に本命地と言われている場所に行ったが残念ながら誰一人として「ここが邪馬台国の場所
です」と言う方に出会えなかった。確かに吉野ヶ里のような強大な国は、存在していたが『魏志倭人伝』に記す場所では無かった。
 今回博物館に来られた方は、徳之島に大変詳しく色々な説を述べると真剣に聞いておられた。そこで日本国際古地図学会の松井淳会長から頂いた中国人が伝えている古地図の奄美付近に「倭」と書いた島があり邪馬台国説が決定した事を述べさせて頂いた。
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」
copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved.
 
邪馬台国は奄美(徳之島)1.徳之島説に賛同 竹取翁博物館  2014.9.28
【YouTube】
     https://www.youtube.com/watch?v=Z80Phxk9pUw&list=FLTxjiieoQ_9GfbcYUox8tCw&index=1
長年邪馬台国研究に関心を持ち邪馬台国を追求してきたが、最近この邪馬台国の徳之島説に関心を持っている方が続々竹取翁博物館を訪問されています。
 館長は、当初皆さんと同様に大和説であったが、退職後に時間がとれ九州説と言われている地域を語源学の作家先生と一緒に九州説の各地を10日間かけて車で調査旅行した。その結果、九州説は大和説より信憑性はあるが「徐福」地であり、30カ国の一つであることが判明した。そこで、地元の方に本命地と言われている場所に行ったが残念ながら誰一人として「ここが邪馬台国の場所です」と言う方に出会えなかった。確かに吉野ヶ里のような強大な国は、存在していたが『魏志倭人伝』に記す場所では無かった。
 今回博物館に来られた方は、徳之島に大変詳しく色々な説を述べると真剣に聞いておられた。そこで日本国際古地図学会の松井淳会長から頂いた中国人が伝えている古地図の奄美付近に「倭」と書いた島があり邪馬台国説が決定した事を述べさせて頂いた。
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/
copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved.
邪馬台国は奄美(徳之島)1.徳之島説に賛同 竹取翁博物館
 
   ■2012年7月1日から「竹取翁博物館」で「邪馬台国論争に終止符!?」展を開催しています。 
   

全日開館として全て予約制(電話)により開館へ
 (2014年10月24日~)
竹取翁博物館は、2013年2月1日に開館して2年半となり当初目的を達成しました。
今後は開館日を全日として全て予約制(電話)にします。但し、本館入口左にあるインターホン両方を押して頂き館長が館内にいる時は、見学可能です。なお、お盆と年末年始は休館させて頂きます。

 他に、訪問される小学生迄の方はご両親または先生と一緒にお越し下さい。出来ない時は両親か親権者等の「承認書」を持って来て下さい。また、博物館の記録用として写真を撮らせて戴きますのでご協力お願いいたします。
   
竹取翁博物館大筒木出版 「国際かぐや姫学会」
   場所:〒610-0313京都府京田辺市三山木直田10 代表者小泉芳孝
   JR片町線「JR三山木駅」東へ徒歩3分  近鉄京都線「三山木駅」東へ徒歩2分
   
TEL・FAX 0774-62-2522 携帯 090-6961-9391
   HP http://taketori.koiyk.com/
  Mail koiy@leto.eonet.ne.jp 
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