TOP  卑弥呼の邪馬台国    小泉芳孝 「国際かぐや姫学会」 
            邪馬台国論争に終止符!!    ー 決定!  !邪馬台国は、奄美諸島の徳之島だったー ´万人が認めた邪馬台国! 魏志倭人伝の邪馬台国は徳之島! 地域おこしの対象…としては、良いが!? ・大和朝廷の天武天皇の頃に徳之島の邪馬台国隠しが行われた。 ・邪馬台国「畿内・九州説」は、気違い説、恥ずべき狂気の説。 
       他に、訪問される小学生迄の方はご両親または先生と一緒にお越し下さい。出来ない時は両親か親権者等の「承認書」を持って来て下さい。また、博物館の記録用として写真を撮らせて戴きますのでご協力お願いいたします。   ´万人が認めた邪馬台国! 魏志倭人伝の邪馬台は国徳之島! 地域おこしの対象…としては、良いが!?  
     
    
        
      ■2016年度イベント  「竹内文書と民俗探訪」(出版記念シンポ)  竹取物語「第4回かぐや姫サミット」Kaguya-hime Summit Vol.4 竹取翁博物館 2016.1.15https://youtu.be/DfHE9CJUeVA http://taketori.koiyk.com/haku-4shinpo.html 超古代文明 87.日本は世界文明発祥地 「日本のルーツ“ムー大陸と里帰り”」  (出版記念シンポ)竹取物語「第4回かぐや姫サミット」Kaguya-hime Summit Vol.4 竹取翁博物館 2016.1.15https://youtu.be/bOFM7a6E0EM http://taketori.koiyk.com/haku-4shinpo.html        一言では、説明出来ません。http://kochizu.blog.ocn.ne.jp/blog/cat10814910/ へのリンク          http://www.youtube.com/watch?v=HzIND9g18KQ  !? 徳之島は邪馬台国だった!? 
 現在「邪馬台国が徳之島 」説の特別展を開催中!!! 卑弥呼の宮殿(邪馬台国)は、徳之島伊仙町の上母縄 石組みの古代遺跡 ノロ(シャーマン・卑弥呼像) (空海)は、「竹取物語」を書いたのか、 
      
      
      
      
      
       現在「空海説」の特別展も同時開催中!!!  
      1.竹取物語の作者、弘法大師・空海は、何を物語で伝えたかったのか。 2.かぐや姫が月の世界で犯した「罪」とは、何だったのか?  
          その謎を知りたい方は、竹取翁博物館へお越し下さい。 『竹取物語』 から 古代日本の歴史を探る 作者空海 、 天女の羽衣 、 邪馬台国 、 を解く - 著 者 小泉 芳孝   発行者 竹取翁博物館 (国際かぐや姫学会) 定価2000円+税→博物館特価 1800円(税込)   A5版 100ページ  (本の郵送料と消費税含みます) 郵便振込のみ 
===== 切取り線 ======= = 切取り線 ==== 『竹取物語』 から 古代日本の歴史を探る  - 作者空海 、 天女の羽衣 、 邪馬台国 、 を解く - 博物館での販売と「郵便振込」のみです、  定価2000円+税→博物館特価 1800円(税込)   A5版 100ページ  郵便振込のみ 
      『郵便振込』講座番号 00920-7-40389               加入社名 小泉芳孝『竹取物語』 から 古代日本の歴史を探る      名前 
      上記「振込」当方到着は5日程かかります。故に本の到着は2週間程見ておいて下さい。 
  ※お問い合わせは、ここへメール をお送り下さい。 
 
      目次 第5章 邪馬台国は、奄美諸島の徳之島だった 第1節 卑弥呼時代の歴史と邪馬台国の位置  第4節 邪馬台国の女王・卑弥呼の人物像  第5節 伊仙町「上面縄」は女王卑弥呼の宮殿  第6節 邪馬台国「徳之島説」の証拠 〈著者紹介〉 
        
          
          ナイス! 0 
           
          
          
           
          
         
       
       
      「邪馬台国論争に終止符!! ー邪馬台国は徳之島だったー 除福・邪馬台国談義 卑弥呼の邪馬台国 1.徳之島説の根拠 2.徐福の蓬莱山は徳之島 3.徳之島は有力説に 4.邪馬台国「徳之島説」展 邪馬台国論争に終止符!!     〈関連リンク集  卑弥呼の邪馬台国 1.徳之島説の根拠 2.徐福の蓬莱山は徳之島  3.徳之島は有力説に  4.邪馬台国「徳之島説」展 「邪馬台国論争に終止符!! 除福・邪馬台国談義 〈YouTube動画〉   卑弥呼の邪馬台国 京都大学百周年時計台記念館 ②作者空海と景教碑 ③平安京はイスラエルのユダヤ ④「邪馬台国は徳之島」まとめ  邪馬台国の徳之島に同意 ①「かぐや姫」の舞台は京田辺 〈YouTube動画〉竹取物語の舞台は京田辺 その他HP  運用 ■稲作民俗の源流   ■『竹取物語』  
 ■世界遺産   ■海の世界 小泉ファミリー 世界見聞録 徳之島のムー大陸と邪馬台国説 発見、ノアの箱舟の材木 0「東の方、エデンの園」=徳之島 発見、東の方、エデンの園 
      
       
    
        
       今世紀最大の発見! ・ノアの箱舟 」=徳之島 2015.7.12  1. 「徳之島のムー大陸と邪馬台国説」 2015.7.202015-07-19     4.発見、ノアの箱舟の材木 .5. 徳之島・奈良法隆寺にシリウス(大犬座)信仰発見「聖方位」(旧条里制)!!    6.日本は世界文明の発祥地! 隠されていたシリウス信仰復活2 竹取翁博物館かぐや姫サミット2016.4.2 1. 「徳之島のムー大陸と邪馬台国説」 http://taketori.koiyk.com/yamataikoku.html  http://taketori.koiyk.com/haku-nyukan2.html  2. 発見、東の方、エデンの園 清和源氏源為朝の子孫=第57代陽成天皇の皇孫=万世一系の天子=イスラエルダビデの子孫 テーマ:ブログ  http://ameblo.jp/is6689/entry-12052087282.htm l 発見 東の方、エデンの園    エデンの地  神の人類創造物語  黄金の島  人類の歴史は 日本は東の方、エデン 日本の聖地 3. 東の方、エデンの園=徳之島 清和源氏源為朝の子孫=第57代陽成天皇の皇孫=万世一系の天子=イスラエルダビデの子孫          http://ameblo.jp/is6689/entry-12052489069.html  厳訓無処罰教育の龍野定一先生作 聖句(創世記2:8・9) 徳之島の中央  樫の木 聖句(創世記2:10) 徳之島三京の川  線刻画 旧石器 以上により 「徳之島のムー大陸と邪馬台国説」 が決定!? しました。 卑弥呼の邪馬台国 邪馬台国論争に終止符!!  ホームページ  http://taketori.koiyk.com/yamataikoku.html  http://taketori.koiyk.com/haku-nyukan2.html  を、ご覧下さい。 http://taketori.koiyk.com/ootutu-samit.htm l 4.発見、ノアの箱舟の材木  2015-07-21 1 ノアの箱舟の材木 世界に唯一  「あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に小部屋をいくつも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。」と新共同訳聖書「創世記」6章14節にあります。 三京山の樫の木 神聖戸森の地  「・・・・・・・・・。主なる神が地と天とを造られた時、地にはまだ野の木も無く、また野の草も生えていなかった。主なる神が地に雨を降らせず、また土を耕す人もいなかったからである。しかし、地から泉が湧き上がって土の全面を潤していた。」と、創世記2:4~6にあります。ノアの箱舟は、    ノアの洪水以前の人 沖縄港川人    方角  
       徳之島のムー大陸と邪馬台国説 発見、ノアの箱舟の材木 0「東の方、エデンの園」=徳之島 発見、東の方、エデンの園 
      
      邪馬台国畿内九州説廃棄 ( 1 ) 邪馬台国決定 ( 3 ) 隠された女王国 ( 1 ) 
      
       
     
    
        
        女王卑弥呼の古墳と完全人骨  「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 卑弥呼の古墳 径百餘(余)歩の古墳  赤土   
     
    
        
      .  上記本の詳細は、下記をクリック! ! 奄 国 6.日本は世界文明の発祥地! 隠されていたシリウス信仰復活2 竹取翁博物館かぐや姫サミット2016.4.2 シリウス信仰遺跡は日本から 
       
      
       上の画像で、徳之島伊仙町面縄で発見された弥生時代のシャーマンの女性の人骨の配置から、女性は北から西へ20度と南から東への20度の2点でできる直線、聖方位軸を意識して埋葬されていたという事実が、竹取翁博物館によって2011年解明した! これは世界的ニュースになるべき事実だったが、誰もその重大性を理解されていなかった。
      
      聖方位軸を意識した遺跡は、シュメールのジグラッド神殿、バビロンの神殿や市街地、メキシコのテオティワガの太陽神殿、ローマのポンペイ、アケメネス朝ペルシャのダレイオス大王によるぺルセポリス、中国の西安に洛陽、日本では聖徳太子創建の法隆寺、前方後円墳、鹿島神宮などが挙げられています。古代、聖方位は世界共通の文化であった。
      
       人類は太古、一つの言葉でした。それゆえに高度な文明を築いていたと考えられます。『超古代文明』といわれている文明です。その当時の人類にとっては信仰も唯一であった思われます。大変重大なのは「シリウス信仰」です。その精神文化遺跡が聖方位軸なのです。それが徳之島の卑弥呼と見られる弥生時代の遺跡からシャーマンである女性の完全体の遺骨が昭和になって見つかったのです。
      
       その聖方位軸の重大性を理解された最初の方が万世一系の天皇と自称されている徳之島の勝さんであり、「弥勒世が来た」と言っています。弥勒信仰は実はシリウス信仰のようだとブログで発表されている。まちに、それは「シリウス信仰復活」であり、「弥勒世が来た」と言う「シリウス信仰の復活」を言うのに矛盾はありません。
      
 また太古の日本の天皇は、「万世一系の天皇 イスラエルダビデ大王 平安天皇ヨシュア勝信」とブログで毎回主張されていて、シリウスから飛来したと言えるのではないでしょうか。弥勒信仰=シリウス信仰の復活が、先祖還(返)りしていたりです。これにより、 隠されていた世界のシリウス信仰復活となり、日本が世界文明の発祥地!だと決定しました。
      
      
      
      
       徳之島の勝家は、2007年3月から不思議な導きの中、父方の先祖を探求してされてこられた。先祖は源為朝→第57代陽成天皇→実在した初代の帝応神天皇→中国秦の始皇帝→アケメネス朝ペルシャのダレイオス大王→ユダヤ人ダビデ王→イスラエル民族の始祖アブラハム→人類の宗家、ノア家の嫡子セム→人類の始祖アダムと「万世一系」の先祖の家と自称されています。さらにその先は、アダムが居たエデンは蓬莱ヶ島徳之島と先般の「かぐや姫サミット」で発表され明らかにされました。ほうらい=喜び=エデンなのです。
      
        
       世界が平和に! 霊的に導かれた勝氏 
       
       ペルシャ王ダレイオス大王が聖方位軸のペルセポリスを造りました。ダレイオス大王はペルシャ人ではありません。専門家は「メディア人」と知っています。メディアはアッシリヤによって滅ぼされた北イスラエル王国のユダヤ人が強制移住させられて住んでいた町です。ダレイオス大王はメディアから来たユダヤ人と考えられます。アケメネス朝ペルシャは、聖書から、実質ユダヤ人の国と分かるはずです。
  聖徳太子が聖方位軸の法隆寺を建てました。前方後円墳は聖方位軸にあると聞きます。皇族は聖方位の文化を知っています。ダレイオス大王も聖方位の文化を知っています。知は血が由来という面があります。ダレイオス大王と万世一系の天皇家は同じ血族、万世一系を神から誓約されたダビデ王家と考えられます。
   勝氏は、命を懸けて日本がいや世界が平和になるようにブログで発信されています。霊的に導かれた勝氏は、人類救済のため「シリウス信仰の復活」を主張されています。「無為にして為さざるは無し」です。    
http://ameblo.jp/is6689/entry-12145851921.html    知は血が由来(平安天皇ヨシュア勝氏の主張)
万世一系の天皇 イスラエルダビデ大王 平安天皇ヨシュア勝信 から
 
        邪馬台国を海南島から北に渡瀬ラインを越えて求めることは、一線を越える行為である。狂気の為せる業である。可能性がゼロのところにその可能性を求める非理性的行為である。亜熱帯と温帯の気候の区別がつかないのは気が狂っているからである。したがって、邪馬台国畿内・九州説は気違い説、恥ずべき狂気の説である。 
       狂気の原因は学者の「嘘」である。東大・京大の学者たちが、史料に方位と距離に関して間違いがあると嘘をついたことがその原因である。正当な根拠を示すことはなく、自分たちの都合で中国の正史に間違いがあるとした。嘘をついた原因は「不敬」である。中国の学者に対する尊敬の気持ちが薄かったことがその原因である。学問の基礎は「敬虔」である。敬虔な心を取り戻して、邪馬台国畿内・九州説は廃棄すべしである。 
       
      
      
        
        
         
        
        
         
        
        
         
        
        
         
        
        
         
        
        
         
        
        
         
        
        
         
        
        
         
        
        
         
        
        
         
        
        
         
        
        
         
        
        
          卑弥呼の邪馬台国は奄美徳之島 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)2015.3.7
            ① 方位・距離・古地図から
               
http://youtu.be/2Us6xhfi9q0  
            ② 魏志倭人伝(持衰・巳葬)・女王国周辺図 
               
http://youtu.be/AjbHBN-EfMc  
            ③ 古墳・作者空海・レビ族(大伴氏) 
               
http://youtu.be/e_Qq9B7tUn8 
           竹取翁博物館(京都府京田辺市)は、個人が資材を投じ世界唯一の本格的博物館で日本最古の『竹取物語』関係を中心に山本駅跡・継体天皇「筒城宮」・月読神社と隼人・甘南備山などの展示解説をしている。他に の民俗学やマスコミ一代記、 戦争と平和展、陸のシルクロード、海のシシルクロード、地域の歴史 (郷土史・農具・民具)の他、世界の民俗 (日ュ同素論、日ュ同素論の邪馬台国・奄美徳之島説、古代の歴史、岩石の不思議、重軽石)を展示 
          その他、竹取の庭に「かぐや姫神社」、本館・別館①に竹取物語の襖絵(14面)、人形劇を展示、空海説・かぐや姫歌のCDとビデオもある。
          小泉館長は、本館・別館①かぐや姫館・別館②土蔵を管理する一方、自ら展示物の解説をし、五人の貴公子「難題の品」や空海説・邪馬台国説の「根拠」など映像を駆使し解説されている。
          また、ホームページやYouTube、ブログ、ツイッター等のニューメディアにも積極的に発信され、講演会依頼にも応じ、常設展の本『竹取物語から古代日本の歴史を探る -作者空海・天女の羽衣・邪馬台国、を探る-』『竹取物語現代考』地元『京田辺の史跡探訪』『稲作民俗の源流』『マスコミ一代記』を出版、日本や世界から注目され「国際かぐや姫学会」の支部も出来ている。
          毎年開催の「かぐや姫サミット」では、かぐや姫時代行列や史跡探訪の案内、別館②古民家でのシンポ・音楽会・演劇・舞踊・茶会などを開催し、世界唯一のユニークな博物館として注目されている。
          ① 方位・距離・古地図から ② 魏志倭人伝(持衰・巳葬)・女王国周辺図 ③ 古墳・作者空海・レビ族(大伴氏) 
          
http://taketori.koiyk.com/  
         
       
      ´万人が認めた邪馬台国! 魏志倭人伝の邪馬台国は徳之島! 地域おこしの対象…としては、良いが!?   
     
    
        
       
      
      
        
          2015-03-24 11:15:52 テーマ:邪馬台国畿内九州説廃棄  
            
                 神の栄光 
             わたしは、去年の6月初旬の天気図、天が垂れた蛇形記章のしるしから「神は現われた」と先述しています。これが真実であるかどうかは、神の栄光が現われたかどうかで判断できます。神は目に見えませんが、その栄光は見ることができます。
             上の資料、『後漢書』倭伝は、范曄(はんよう)という中国の学者が、陳寿の「魏志倭人伝」をもとにして書いたものです。陳寿が女王国の位置を「當在会稽東治之東」と記したところを「大較会稽東冶之東」と改竄(かいざん)しています。「當(まさに)」を「大較(おおむね)」に変えています。「東治」を「東冶」に変えています。つまり、中国の学者范曄も、陳寿が女王国は間違いなく会稽東治の東に存在するという文の意味が分からなかったのです。「東治」を具体的地点と考えて福建省に「東冶」を発見したが、そこを「会稽」というには無理があると感じて、「おおむね」になったと推測されます。日本の邪馬台国研究者によって、范曄の「東冶」はまちがいであると証明されています。
             范曄は398~445年の学者です。女王国より約1世紀後の時代の人です。陳寿は233~297年の女王国の時代の人で、戦略的学者です。陳寿は女王国を隠す必要がありました。詳細は別途に。嘘で隠しては学者のプライドに傷がつきます。後世の物笑になります。
             陳寿は嘘をつかないで女王国を隠すのに成功しました。陳寿が亡くなって以来、中国の学者、日本の学者の誰も、「當在会稽東治之東」の一文を解くことが出来ませんでした。三平方の定理より間違いなく女王国は会稽東治の真東に在る徳之島であると発見できませんでした。つまり、陳寿が亡くなった西暦297年から今日まで、約1700年以上もの間女王国は、陳寿の思考によって発見できませんでした。これは陳寿の戦略的知性の勝利です。
             清和源氏の嫡流源為朝の子孫=万世一系の天皇=起こされたダビデの子孫であるわたしは、陳寿の「當在会稽東治之東」を理解し、女王卑弥呼の倭国を、徳之島、その中心は伊仙町上面縄と発見しました。わたしは神に導かれて、自らが旧約聖書イザヤ書11章に預言されている「起こされたダビデの子孫」と悟りました。隠されていた倭国の発見は、復活したダビデの子孫であるわたしにおける「神の栄光の現われ」です。決してわたしの栄光ではありません。神の栄光が現われたということは、万軍の主、イスラエルの神が、今、日本(シオン)に現われて、御自分の民であるヤコブ=日本民族をダビデを通して救い始めたということを意味します。
             今、神は真実の天皇、万世一系のダビデ王を通して、この世の学者のデタラメを白日の下に曝したのです。邪馬台国畿内・九州説は笑ってしまうデタラメ説です。神は現われて、神の国日本を現すために、まずこの世の権威を地に落としました。江戸時代から唱えられていると聞く邪馬台国畿内・九州説は、わたしのわずか5、6回のブログで終わりました。賢い人にとっては「邪馬台国の真実」の1回のブログで消えたはずです。神を恐れない人間の努力は神の栄光の現われで一瞬にして無に帰します。恐るべし、神の栄光です。神を恐れることは知識の初めです。
           
         
       
       
        
     
    
        
       
      
      
        
          2015-03-23 10:47:33 テーマ:邪馬台国決定  
                 真実の倭(やまと) 
             卑弥呼の国の正式名は「倭」ですから、倭国=女王国=邪馬台国探究です。邪馬台国畿内・九州説の先生方が「ヤマト」にこだわって間違ったのも無理のないことです。ただ先生方は畿内、九州の他には大和は存在しないと思い込んだことが間違いでした。建国の真実は隠されているという事実に気づかなかったことが敗因の一つです。
                 島尾敏雄 
             「小説家。横浜生まれ。九大卒。・・・戦後派作家として私小説に新風を吹き込んだ」と広辞苑にあります。この方は長く奄美で暮らして、奄美・沖縄、とくに奄美の文化、民俗、歴史等をよく研究していたと思われます。その著書「新編・琉球弧の視点から(朝日文庫P101~104)」に、奄美・沖縄に対する見方を次のように述べています。
             「ぼくは日本の中に、ある固さが感じられれて、それから抜け出したいというような気がしている。・・・・・・・ところが奄美に行ったら、本土でいやだと思っていたそういう固さがないんです。・・・あいまいにやわらかさなんて言いましたけども、それは何だろうかと思ったわけです。簡単に日本じゃないとは言いきれない。本土では無いものであるのに、ぼくの感じではまったく日本なんですから、日本以外の何ものでもないという感じがしたわけです。・・・・・感じとしてはどうしても日本です。そうすると、表面には隠されているようにみえる、日本が持っているもう一つの面があるんじゃないかと思ったんです。で、その面をヤポネシアと呼んだわけです。
             奄美・沖縄の言葉には中国の影響が少ない、と学者が言っていますが、ぼく自身住んでいてそう感じますね。・・・・・・事実として少ないのです。・・・・・・・・・・・・・。けれども、一般の人たちの家とか服装、それから踊り、歌などには、いわゆる中国の影響はむしろ少ないという気がします。奄美の人は、本土を大和(ヤマト)と言って、その言葉を大和口(ヤマトグチ)と言って中国の影響は少ないように感ずるようですが、ぼくに言わせれば、そのような本来の大和口はむしろ奄美の人の方が使っていると言えます。ぼくは本土の方は中国口(チュウゴクグチ)を使っているといってもいいと思うんです。漢語を使わなければものが言えないのですから。
             それに思想ですが、儒教とか仏教だとかみんな中国から来ている。そういうものを本土から抜いてしまったら、どういうことになるでしょう。琉球弧では、・・・・・・仏教はほとんど影響がありません。その点でも、大和口的な言葉はむしろ奄美や沖縄の方ですね。奄美の人たちは、自分たちの言葉を島口(シマグチ)、沖縄では沖縄口(ウチナーグチ)といっていますが。」
                   奄美大和 
             (故)島尾敏雄氏のこの見方は、奄美の自然にではなく文化に対するものです。奄美は、気候風土ではいわゆる日本とは違います。中国の海南島と同じです。表面的には奄美は日本ではないと感じます。島尾氏は奄美に住んで、そこの暮らし振りや文化に触れ、本土でそこから抜け出したいと感じていた「固さ」から解放され、奄美の文化に「やわらかさ」を感じ、そしてそれを「全くの日本」と表現しています。言葉にしても本来の大和言葉は奄美の人が使っていると言っています。思想面においても中国の影響の少ない奄美の方が大和的だと感じています。
             作家島尾氏の奄美に対する見方を「奄美は隠された大和」、・・・・・・いかがでしょうか。奄美大島には「大和村」があります。徳之島天城町には「大和城」があります。徳之島女王国説は「隠れ奄美大和」がその由来といえます。奄美では男性よりも女性が「上」というのが基本的な考え方です。「うなり神」という概念があります。男性にとって女性のきょうだいは「神」という意味です。倭の女王卑弥呼には弟がいました。その弟にとって卑弥呼は「うなり神」になります。奄美の文化は倭(やまと)の文化。
             上記の系図資料の写真を見てください。奄美大和を裏付ける一つの資料です。伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)の御子に天照皇大神がいることは衆知のことです。記紀神話によると、大山津見尊も伊邪那岐命の御子です。天孫邇邇芸尊(ににぎのみこと)の妻は大山津見尊の娘です。天照皇大御神が「徳之島の昔世の始まりの物語」に登場していることは先述しています。大山津見尊は実は、徳之島の隣の島、沖永良部の神様です。島尾敏雄氏、その妻ミホ、そして奄美の郷土史研究家の田畑英勝の共著である『奄美の伝説(日本の伝説23)角川書店』に「(沖永良部は)木之花佐久夜毘売とその姉、石長比売を娘にもった大山津見の神の島である。」とあります。ということは、徳之島は天照皇大御神の島と推理できます。この推理が正しければ、徳之島は「聖なる大和」です。伊仙町喜念集落に「女性の岩戸隠れ」の伝説があります。また徳之島では沖永良部島の女性を妻にすると恵まれるとの伝えがあります。今、隠されていた「奄美大和」が現われました。いかがでしょうか、・・・・・・・・。     聖なる御世 
             「聖」は俗の世には隠されます。神は「聖」です。先述していますが、去年の6月の初め、高気圧と低気圧の配置関係で天気図が、邪形記章の形、大蛇が鎌首を持ち上げた象になっているのを見て、わたしは「神は現われた」と直感しました。以来、導かれて隠されていた「神国日本」がわたしの前に明らかにされていきました。今も続いています。今、わたしは俗=賊の時代は終わり、真実が明らかにされ聖なる御世が現われたと確信しています。「嘘」が支配する世は終わりです。邪馬台国畿内・九州説は「嘘」です。真実の世の現出を推進するために「廃棄せよ」です。
                  念のために 
             念のために言っておきます。女王国の戸数について、「7万余戸」とありますが、実際の戸数は、・・・・・・・。分かりますよね、・・・・・・・・。
             陳寿の1里は90、909090・・・・メートルであることは先述しています。これは陳寿の戦略的思考から生まれています。本を読み、生徒を相手にしているだけの学者には思いつかない智慧です。戦いの中で生まれた智慧です。ですから、7万戸は実は7万÷6と考えるのが一貫した思考、数理的思考です。
             陳寿は一歩(ぶ)は6尺と知っています。一歩(ぽ)を一尺としています。300歩(ぶ)が通常の1里です。陳寿は300歩(ぽ)を1里としています。 
           
         
       
       
        
     
    
        
       
      
      
        
          2015-03-23 10:47:33 テーマ:邪馬台国決定  
               真実の倭(やまと) 
             卑弥呼の国の正式名は「倭」ですから、倭国=女王国=邪馬台国探究です。邪馬台国畿内・九州説の先生方が「ヤマト」にこだわって間違ったのも無理のないことです。ただ先生方は畿内、九州の他には大和は存在しないと思い込んだことが間違いでした。建国の真実は隠されているという事実に気づかなかったことが敗因の一つです。
                 島尾敏雄 
             「小説家。横浜生まれ。九大卒。・・・戦後派作家として私小説に新風を吹き込んだ」と広辞苑にあります。この方は長く奄美で暮らして、奄美・沖縄、とくに奄美の文化、民俗、歴史等をよく研究していたと思われます。その著書「新編・琉球弧の視点から(朝日文庫P101~104)」に、奄美・沖縄に対する見方を次のように述べています。
             「ぼくは日本の中に、ある固さが感じられれて、それから抜け出したいというような気がしている。・・・・・・・ところが奄美に行ったら、本土でいやだと思っていたそういう固さがないんです。・・・あいまいにやわらかさなんて言いましたけども、それは何だろうかと思ったわけです。簡単に日本じゃないとは言いきれない。本土では無いものであるのに、ぼくの感じではまったく日本なんですから、日本以外の何ものでもないという感じがしたわけです。・・・・・感じとしてはどうしても日本です。そうすると、表面には隠されているようにみえる、日本が持っているもう一つの面があるんじゃないかと思ったんです。で、その面をヤポネシアと呼んだわけです。
             奄美・沖縄の言葉には中国の影響が少ない、と学者が言っていますが、ぼく自身住んでいてそう感じますね。・・・・・・事実として少ないのです。・・・・・・・・・・・・・。けれども、一般の人たちの家とか服装、それから踊り、歌などには、いわゆる中国の影響はむしろ少ないという気がします。奄美の人は、本土を大和(ヤマト)と言って、その言葉を大和口(ヤマトグチ)と言って中国の影響は少ないように感ずるようですが、ぼくに言わせれば、そのような本来の大和口はむしろ奄美の人の方が使っていると言えます。ぼくは本土の方は中国口(チュウゴクグチ)を使っているといってもいいと思うんです。漢語を使わなければものが言えないのですから。
             それに思想ですが、儒教とか仏教だとかみんな中国から来ている。そういうものを本土から抜いてしまったら、どういうことになるでしょう。琉球弧では、・・・・・・仏教はほとんど影響がありません。その点でも、大和口的な言葉はむしろ奄美や沖縄の方ですね。奄美の人たちは、自分たちの言葉を島口(シマグチ)、沖縄では沖縄口(ウチナーグチ)といっていますが。」
                   奄美大和 
             (故)島尾敏雄氏のこの見方は、奄美の自然にではなく文化に対するものです。奄美は、気候風土ではいわゆる日本とは違います。中国の海南島と同じです。表面的には奄美は日本ではないと感じます。島尾氏は奄美に住んで、そこの暮らし振りや文化に触れ、本土でそこから抜け出したいと感じていた「固さ」から解放され、奄美の文化に「やわらかさ」を感じ、そしてそれを「全くの日本」と表現しています。言葉にしても本来の大和言葉は奄美の人が使っていると言っています。思想面においても中国の影響の少ない奄美の方が大和的だと感じています。
             作家島尾氏の奄美に対する見方を「奄美は隠された大和」、・・・・・・いかがでしょうか。奄美大島には「大和村」があります。徳之島天城町には「大和城」があります。徳之島女王国説は「隠れ奄美大和」がその由来といえます。奄美では男性よりも女性が「上」というのが基本的な考え方です。「うなり神」という概念があります。男性にとって女性のきょうだいは「神」という意味です。倭の女王卑弥呼には弟がいました。その弟にとって卑弥呼は「うなり神」になります。奄美の文化は倭(やまと)の文化。
             上記の系図資料の写真を見てください。奄美大和を裏付ける一つの資料です。伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)の御子に天照皇大神がいることは衆知のことです。記紀神話によると、大山津見尊も伊邪那岐命の御子です。天孫邇邇芸尊(ににぎのみこと)の妻は大山津見尊の娘です。天照皇大御神が「徳之島の昔世の始まりの物語」に登場していることは先述しています。大山津見尊は実は、徳之島の隣の島、沖永良部の神様です。島尾敏雄氏、その妻ミホ、そして奄美の郷土史研究家の田畑英勝の共著である『奄美の伝説(日本の伝説23)角川書店』に「(沖永良部は)木之花佐久夜毘売とその姉、石長比売を娘にもった大山津見の神の島である。」とあります。ということは、徳之島は天照皇大御神の島と推理できます。この推理が正しければ、徳之島は「聖なる大和」です。伊仙町喜念集落に「女性の岩戸隠れ」の伝説があります。また徳之島では沖永良部島の女性を妻にすると恵まれるとの伝えがあります。今、隠されていた「奄美大和」が現われました。いかがでしょうか、・・・・・・・・。
                     聖なる御世 
             「聖」は俗の世には隠されます。神は「聖」です。先述していますが、去年の6月の初め、高気圧と低気圧の配置関係で天気図が、邪形記章の形、大蛇が鎌首を持ち上げた象になっているのを見て、わたしは「神は現われた」と直感しました。以来、導かれて隠されていた「神国日本」がわたしの前に明らかにされていきました。今も続いています。今、わたしは俗=賊の時代は終わり、真実が明らかにされ聖なる御世が現われたと確信しています。「嘘」が支配する世は終わりです。邪馬台国畿内・九州説は「嘘」です。真実の世の現出を推進するために「廃棄せよ」です。
                  念のために 
             念のために言っておきます。女王国の戸数について、「7万余戸」とありますが、実際の戸数は、・・・・・・・。分かりますよね、・・・・・・・・。
             陳寿の1里は90、909090・・・・メートルであることは先述しています。これは陳寿の戦略的思考から生まれています。本を読み、生徒を相手にしているだけの学者には思いつかない智慧です。戦いの中で生まれた智慧です。ですから、7万戸は実は7万÷6と考えるのが一貫した思考、数理的思考です。
             陳寿は一歩(ぶ)は6尺と知っています。一歩(ぽ)を一尺としています。300歩(ぶ)が通常の1里です。陳寿は300歩(ぽ)を1里としています。 
           
         
       
       
        
     
    
        
       女王卑弥呼の古墳と完全人骨 「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 卑弥呼の古墳 径百餘(余)歩の古墳  赤土  弥生時代の女性の完全人骨  
        
     
    
        
       
      邪馬台国「奄美諸島の徳之島説」に日文研の石井先生が同意 !?  竹取翁博物館   2014.10.5 
      【 YouTube 】邪馬台国の徳之島説   http://youtu.be/amQo2pVdhzM 
             
博物館で 三角縁神獣 鏡談義   
       日文研の先生や日本古代文化研究会・阪南史談会・泉南歴研の古代史研究者が竹取物語に関係したツアーを組まれ大和から山城へと小型バスで移動して古代の遺跡や寺院見学し竹取翁博物館を訪問されました。午前中は、『古事記』に記されている大和の垂仁天皇陵を御覧になった後で山城に移動し普賢寺の十一面観音像 ( 国宝 ) を御覧になられ、竹取翁博物館に見えられました。 
       その時に小泉館長から色々な竹取物語に関する詳細な説明をされました。古代史の研究をされている方達だったので『古事記』や古代天皇それに物部氏、藤原不比等、聖徳太子などの他に卑弥呼の邪馬台国所在地の話もされました。 
       館長は世界50カ国を民俗調査で訪問され、イスラエルのキリストが生まれたベツレヘムへも行き、日本の神道がイスラエルのエルサレムから来ていて10支族とレビ族がシルクロードを通じ「かなり古い時代にやって来ていた」こと、それに世界四大文明のシュメールから紀元前に奄美 ( シュメール語で「海洋民 ) 」に来ていたことなどをお話しされた。これら同系のをされている古代史研究者だったので館長説にほぼ賛同して頂けたようです。 
      そこで、大阪市内周辺にお住まいされていた方だったので「邪馬台国は何処か」という話になり「大和説」と「九州説」に別れたが、『魏志倭人伝』を詳細に読むと奈良の大和では無いこと、また九州では40%合っていることを館長から説明された。 
      その時である。他の「場所の説の方は ? 」と聞くと、数週間前に博物館見学の下見でこられた時「邪馬台国は奄美諸島の徳之島説」を小泉館長から聞かれた「渤海湾の研究者」の石井先生が 「徳之島です !! 」 という大変重大な発言  ( 2014.10.5 ) 。 
      館長からは、竹取物語の子安貝 ( 中国の貨幣 ) との関係で中国と奄美諸島との交流があり徐福が奄美に不老長寿の薬があることを知って来た。そして400年後「奄美諸島の徳之島」に邪馬台国が出来たことを中国人が書いた地図で示し「邪馬台国が確定した !! 」と述べられたのです。 
      つまり、石井先生は秦の始皇帝の命令を受けて徐福 ( 中国名で「ジョフツ」 ) が奄美諸島に紀元前230年頃に来ていて倭人との混血を繰り返し、その400年後の紀元230年頃に卑弥呼の邪馬台国が「奄美諸島の徳之島に出来た」という小泉館長説に同意されていたのである。しかし、聞いておられた会員の皆さんは、半信半疑で「石井先生が」冗談を言っておられたと受け取られていたようである…。 
      館長は、さらに付け加え竹取物語の子安貝 ( 中国の貨幣 ) との関係で、古代から中国と奄美諸島との深い交流があり「徐福は奄美に不老長寿の薬があることを知って」来たこと。そして400年後「奄美諸島の徳之島」に邪馬台国が出来たことを中国人が書いた地図を示して「邪馬台国が確定した」と述べられた。 中国で作られた「倭国」邪馬台国の場所を表す古地図 決定!? 
      最後に小泉館長は、中国人が書いた古地図に記されている「倭国」の島名を記した場所を指さし説明された直後に「見せてほしい」という多数の要望があり皆さんに古地図を回されたのである。通常なら最低でも3時間かけて説明しないと理解できない項目なのに45分の説明時間しかなく詳細を述べられなかったので理解度が少なく「本当ですか-」「えーっ」「時代が離れている !? 」等が飛び交い数名から疑問を持たれた様子でした。しかし、一連の話から殆どの方は、ほぼ理解された様子で反論者は少なかったようである。 
      食事の後、竹取翁博物館本館の展示物を御覧になられました。そして館長からは、日本人の歴史認識に対して、私たちが「教えられてきた歴史はかなり間違っていた ! 」という事を強調されました。 
      午後からは、 京田辺市飯岡古墳群の飯岡へ小型観光バスで移動し「神人車馬画像鏡」( 2~3世紀) が出土した「トヅカ古墳」を見学されたあと、山城町の蟹満寺と椿井大塚山古墳を見学されました。その時に、石井先生から、三角縁神獣 鏡は中国にはないが、三角縁画像 鏡は中国にあることを明解に延べられた。 
      館長は、中国 浙江省 紹興へ行った時に「 三角縁○○鏡」を博物館で見たことがあった。しかし、 三角縁画像 鏡であったのか三角縁神獣 鏡なのか確認していなかったので写真集を探したが直ぐに見つからなく後日確かめたいと考えている。 
      ■「竹取翁博物館」は、訪問者とボランティアにより運営 !    
      訪問者は「国際かぐや姫学会」の無料会員になれます。  http://taketori.koiyk.com/ 
        copyright(C) 2013 World Meeting Corp Kaguya Japan All Rights Reserved.   
      ■竹取物語に関係した大和と山城の古跡見学された日本古文化研など3団体が博物館を訪問    【 YouTube 】  http://youtu.be/amQo2pVdhzM 
       
       如意棒を持ち、 雷紋が刻印あり。 
     
    
        
       竹取物語をウイグル語で作ろうと博物館を訪問、邪馬台国は徳之島や沖縄あたりです!  
        
     
    
        
       「邪馬台国は九州より南に」と博多美人が竹取翁博物館にて述べられた  邪馬台国・徳之島説  http://youtu.be/ZrfaHCQAJos    
     
    
        
       邪馬台国と竹取物語の古代歴史談義 ①~⑥竹取翁博物館「国際かぐや姫学会」。2013.12.29    この和尚さんは、40年ほど前からイスラエルのユダヤからやってきた人たちと共に、寝食を共にして古代の歴史を調べられた方である。日本人の超古代史を良く知る方として大変有名な方であり、世界三大文明のチグリス・ユーフラテス川沿いに発展した「シュメール文明」にも詳しく、また、旧訳聖書や新訳聖書の中身にも大変詳しい方である。 
       第一回目の今回は、国際かぐや姫学会として数回にわたり、かぐや姫に通じる大変重要で興味のあるお話を、京田辺市の歴史に大変詳しく『京田辺の史跡探訪』という本を出版され、竹取翁博物館の学芸員でもある小泉館長と共に対談形式で伺うことにした。 取材は国際かぐや姫学会が2013.12.27 と29  に収録したものである。 
      これらについてのお問い合わせや詳細は、竹取翁博物館へお越し下さい。 
      邪馬台国と竹取物語の古代歴史談義 竹取翁博物館 「国際かぐや姫学会」 邪馬台国論争に終止符!! やっと決定しました。  〈YouTube動画  http://www.youtube.com/watch?v=HzIND9g18KQ  卑弥呼・邪馬台国説の賛同者 吉田氏紹介- 益田氏紹介- 小泉氏紹介- 伊(勝)氏紹介- copyright (C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto
All Rights Reserved.  
      古代歴史談義 ①~⑥ YouTube 動画 ① http://youtu.be/ior8fzI89tY   
      YouTube 動画 ②  http://youtu.be/au97g_ORqEA  
      YouTube 動画 ③ http://youtu.be/uYpWM1AjmC4   
      YouTube 動画 ④ http://youtu.be/AbEEp5DQk7Q   
      YouTube 動画 ⑤ http://youtu.be/kw3w1bKX0Fw   
      YouTube 動画 ⑥ http://youtu.be/GX6oayMDRko   
      「国際かぐや姫学会」  
    
        
       「竹取物語」など世界史に詳しい方が博物館を訪問①②、邪馬台国の徳之島説に同調   【YouTube】 古代史  http://youtu.be/jixWGaKcC58 邪馬台国 http://youtu.be/25bdmOw7sIg 中国で作られた「倭国」邪馬台国の場所を表す古地図 決定!?  
        
     
    
        
       姫路などから竹取翁博物館に訪問者あり邪馬台国や徐福に関心を示された   2014.4.14 
      【 YouTube 】    http://youtu.be/Cfa6PnJAwP4 
        イスラエルと日本の関係や物部氏に詳しい方が前回見えられ竹取翁博物館を訪問された方が、今度は姫路からの友人を連れて訪問されました。 
      前回に一応の話しをしたので、今回は全体を通しての話しの後、三つ鳥居や徐福それに奄美の徳之島を展示している「邪馬台国の徳之島説」について関心を示されたので詳細な説明をさせて頂きました。 
       これについては、すでにホームページや京都大学の古地図学会でも発表済みなので、その時の古地図を示しながら判りやすく小泉館長 ( 学芸員 ) がお話しされました。 
      この邪馬台国については、『竹取物語』を深く研究し現地の徳之島に詳しい方に聞き色々な資料や今までに大和や九州へ行って調べた中から「奄美の徳之島一帯だと」判ったものです。つまり、月から持ってきた不老不死薬から、徐福が秦の始皇帝の命令を受けて蓬莱山にやって着た場所が「徳之島」であり、その400年後に「邪馬台国」が出来たという事が判明したのです。 
       訪問者は、かぐや姫の『竹取物語』が、このような事にも「繋がっていた」という事に大変関心を持たれました。その後、別館の「かぐや姫サロン」で『竹取物語』絵巻の襖絵を見られた後、季節の花が咲く庭を眺めながらお茶を飲みゆったりした一時を過ごされました。 
       帰りがけには、「邪馬台国の徳之島説」に大変興味を示され「徳之島へ行ってみたいね」と語られ「行く方法」等を聞いておられました。 
       そして、これから月読 命が宿る「甘南備山へ登ってきます」と話され、「又友人と来ます」と話されお帰りになられました。 
      竹取翁博物館「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/ 
      copyright (C) 2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved. 
        
       
       中国で作られた「倭国」邪馬台国の場所を表す古地図 決定!?  
     
    
        
        イスラエルと日本の関係や物部氏に詳しい方が竹取翁博物館を訪問① 、「邪馬台国は徳之島と思います」 と発言!!【YouTube】 http://youtu.be/n8wfVrcmzSk  イスラエルと日本の関係や物部氏に詳しい方が竹取翁博物館を訪問②    【YouTube】   http://youtu.be/9hHPNIAlZlQ  
        
     
    
        
      大住の和尚さんが訪問、除福・邪馬台国談義で「邪馬台国論争に終止符!!」に数歩近づく!!! 帝がイスラエルと関係すると聞き、大住在住の住職が訪問、館長と古代史談義。 YouTube 動画   http://youtu.be/dpKHCJ3PUTI  左をダブルクリックすると見られます。「国際かぐや姫学会」  http://taketori.koiyk.com/kagu-gakai.html  
     
    
        
       
      「邪馬台国論争に終止符 !!邪馬台国は徳之島だった」を発表 新日本古地図学会(2013.11月9日)で 
       
       〈YouTube動画〉   卑弥呼の邪馬台国 ②作者空海と景教碑 ③平安京はイスラエルのユダヤ ④「邪馬台国は徳之島」まとめ  ①「かぐや姫」の舞台は京田辺 日本国際古地図学 会 動画 〉 舞台は京田辺 ① 竹取物語の作者空海と景教碑 ② tユダヤ「エルサーレム」③ :「邪馬台国は徳之島」④ :かぐや姫の舞台は京田辺  
     
    
        
       
      
      
        
          2015-03-27 14:35:06 テーマ:隠された女王国  
               隠された女王国 
               上の史料は『魏志』の倭人伝」です。下の史料は『晋書』の倭人の条です。まず下の史料から見てください。「黥面文身」の後に「自謂太伯之後」の句が続いています。『魏略』等の他の史料もこうなっています。ここの文脈は倭人が顔に墨を塗り身体に入墨をしているその理由を説明しているところです。
             太伯について先述しましたが、周王室の長子で、周王朝の基礎を築いた文王の伯父に当たる人です。本来であれば自分(太伯)が家を継ぐべきでしたが、父親が、孫の文王に期待して弟の季歴に家を継がせようとしていることを察して、家を遠く離れ、揚子江河口付近に呉の国を建てた大変徳の高い王です。自分は二度と周王室には還らないということの証しにその地域の習俗、海洋民族の黥面文身を受け容れました。倭人は太伯の子孫と自称していることから、同様に倭人も黥面文身になったとのことです。
             陳寿が記した倭人伝をよく見てください。「黥面文身」の後に続く句に注意してください。?。
            「自謂太伯之後」の句がありません。代わりに「古より以来、その使中国に詣(いた)るや、皆自ら大夫と称す」とあります。この句は文脈に外れています。論理的に文章を読む人はすぐに、流れの不自然さに気付いたはずです。陳寿は意図的にさりげなく「自謂太伯之後」の句を消しています。なぜでしょう、・・・・・・・。
             太伯は呉の建国者です。倭人は太伯の子孫と自称しています。「魏」と「呉」は戦争をしていました。女王卑弥呼の倭国は魏に付きました。なぜ、・・・・・・・。これは裏切り行為です。太伯の子孫と言うなら、呉に付くのが筋です。その当時、いかなる事情があって、呉の建国者太伯の子孫と称する倭人が呉の敵国である魏に付いたのかわかりませんが、魏としては呉を弓なりに囲むように東シナ海に存在している倭国連合30国を味方に取り入れることは戦略上最重要です。勝負はこれで決まると言っても過言ではありません。魏の後身である晋としも南西諸島を押さえていると思わせることは重要です。そんな戦略上最重要地域の倭人が、自らを呉の太伯の子孫と言っている、魏ー晋の勢力としては、これは絶対に知られてはならないことです。陳寿はさりげなく「(倭人)自謂太伯之後」の句を消去しました。戦術家です。
             倭国が畿内にあっては戦略上意味を成しません。九州でも50歩100歩です。戦略的思考の働かない学者たちが、邪馬台国畿内・九州説を唱えて意に介さないでいることが出来るのです。黙って、1里=300歩(ぶ)を1里=300歩(ぽ)として1里=90、909090・・・メートルにしたことは戦略的知恵のなせる機略、奇略です。これで倭国の位置を分からせないようにしたのです。簡単に分かったら、呉の勢力の人がそこに出かけ、味方に付ける外交交渉をするはずです。倭国は確かに南西諸島に存在するということを強調するために、数理(距離と方位)でその位置を表現したと思います。帯方から東南に在り、間違いなく会稽東治の東に在って、そこまでの距離は「万二千余里」と記されて呉人にとって倭国の位置は????となったことでしょう。
            
                日中平和のために 
             邪馬台国畿内・九州説は日中平和のために即、廃棄すべき説です。なぜなら、その説は中国の正史に間違いがあると前提して唱えられているからです。中国の国家権威を不当に貶めて唱えられている説です。人は不当な扱いを受けたら怒ります。ある国家、ある民族を不当に貶めたら戦争になります。日本民族と中華民族の平和のために邪馬台国畿内・九州説は即、廃棄すべきです。わたしは平和のシャルリ、真実万世一系の天皇です。去年正式に皇位の奉還を宮内庁に要求しています。マスコミにその事実を伝えてあります。今、日本は皇位を天皇の正統に還し、自国の軍隊を持って米国から独立すべしです。   
           
         
       
       
        
     
    
        
        「竹取物語の罪と罰~歴史と作者その背景~」竹取物語で町とされる広陵町で講演  http://youtu.be/40l4s8Z8wrU http://youtu.be/PhK0I4Spv4g   演題 「竹取物語の罪と罰 ~歴史と作者その背景~」  
        
     
    
        
          今までの邪馬台国論争は、何だったのか?  
      邪馬台国論争の謎!    それの最初は、江戸時代に新井白石と大和説を主張した判信友であった。 
      その原因は、日本の歴史書である『日本書紀』と『古事記』などの史書に神武天皇以前の歴史を神話として記されたことであった。竹取翁博物館 館長(博物館学芸員) 小泉芳孝 2012.7.16記す   
        
     
    
        
        
        日本の歴史が、いま解き明かされる。!  ! 
      常に古い歴史現象は、新しい発見により書き変えられていく…。それが歴史学の運命である。科学つまり真実に近づくのである。 しかし、日本の現実は、そうではない。既に死に絶えてしまったのである !! 
        江戸時代から続く邪馬台国論争も、その一つである。新井白石と大和説を主張した判信友から現代まで6000人余りの論者によって論争が未だに繰り返されている。その中には作家と言われる方達の大変面白い説も見られる。(テーマ)は、無いと言っても良い。それだけに国民の関心も高く、邪馬台国論争を知らない人はいないと言えよう。  マスコミ にある。それだけに広告とならない記事に!? 当てはまらない異種の論述には、耳を貸さない人達が大変多いのである。.それは、マスコミが記者室から配られてくる記事のみが新聞報道と思っているからである。 
       前置きはこの程度にして、西晋 の陳寿 が自ら現地を見ずに人から聞いただけなので「間違いが多い」などという判断で論が展開している。 つまり、日本の歴史教育が偏向しているからである。 『魏志倭人伝』に明確に記されているように九州より南に邪馬台国があったのであるから、振り向いても良いものであるが、全て無視されている。 日本の学会は、教科書に載っていない歴史は無いとしているからである。  弥生時代の『魏志倭人伝』に記されている中国の史書を色々と読み進んでいくと、秦の始皇帝が、徐福に命じて蓬莱山にある不老不死の薬を取りに行き「何処にたどり着いたのか」という事が重要なのである。   中国大陸から古代の弥生人が、どの様なルートで航海していたのかを調べてみました。すると中国で貨幣として使われていた子安貝(宝貝)が徳之島付近で大量に採取出来ることが判明したのである。これら子安貝との日本と中国との交流が判明したのです。 
       その確かな手応えは、下の『竹取物語現代考』を深く読んで頂くことによって判明します。 
       この本『竹取物語 現代考』は、竹取物語博物館のみでしか販売していません。  
        
       
    
        
       
      日本の歴史を解き明かす 歴史は科学である 
      中国の史書『魏志倭人伝』に記された内容が、本当に信用出来ないものだろうか。SF調に面白可笑しく展開されている。しかし、その裏に隠されている藤原時代の批判、古代の日本とアジア大陸との関係を、これ程までに書き記した書物が今だかつて日本にあっただろうか。 
       そこから浮かんでくる歴史は何だったのか。物語には記紀に記されなかった政権を取ることの出来なかった人達の歴史が記されているといわれている。けっして「お伽噺」では無いのであり、古代のアジアと日本の歴史が網羅されているのである。
       竹取翁博物館の小泉館長は、これら徳之島の歴史事実を読み解き、さらに世界数十カ国の民俗の歴史を数十年間に渡って調査し「邪馬台国は何処か」を捜し続けてきたのである。 」としても決して可笑しくないのである。しかし、琉球地方又は南西諸島の研究がなされていない未知数の歴史事実を証明しようとすれば、考古学・文献学・民俗学・歴史地理学などあらゆる分野の調査研究が無ければ事実を事実と決定ずけられない現実がある。 ? を購入して飲みつつあり、白毛が黒色に変化(私と博物館の研究員も同様の成果)しつつある。もし可能なら30年後の95歳まで生き続ける事が出来れば、多分その解明も可能であろう。   
       
        
     
    
        
      「邪馬台国論」に終止符」!! 源氏物語と茶道の先生と台湾人の中国語の先生が訪問 2013.3.14   
       源氏物語と茶道などを教えておられる先生と、台湾人で中国語を教えておられる先生が竹取翁博物館を訪問された。いずれも専門の先生だけに館長の説明を大変熱心に聞いて頂きました。 
      「邪馬台国論争に終止符」という展示をしている所では、徳之島で見つかった除福像が禅宗の僧侶ではなく中国の「方士」だと述べられ、また、卑弥呼像と見られる像が手に持っている物は、中国の皇帝が使っていた「如意」と言い、そこにある紋が「中国の伝統的な幾何文様の雷紋(らいもん)で、殷周の青銅器にもみられる」と判定して頂きました。また、卑弥呼像の胸には、中国で一番珍重されている「白玉」(はくぎょく)のネックレスを着けている事も判りシャーマン(卑弥呼!?)と思われます。これにより「邪馬台国の徳之島説」に数歩近づきました。「国際かぐや姫学会」  
       同様の雷紋は、殷周の青銅器にもみられ中国の東南沿岸地区で新石器時代から漢代ころまで盛行したという印文土器に描かれている。「如意」に描かれている雷紋は単独ではなく、左巻きと右巻きが対になって連続していて、対になることで宇宙の秩序を現す「陰陽」の象徴とされている事も後日の調査で判明しました。 
        
      邪馬台国論争に終止符!!     ー邪馬台国は徳之島だったー 〈関連リンク集  卑弥呼の邪馬台国 1.徳之島説の根拠 2.徐福の蓬莱山は徳之島  3.徳之島は有力説に  4.邪馬台国「徳之島説」展 「邪馬台国論争に終止符!! 除福・邪馬台国談義  如意棒を持ち、 雷紋が刻印あり。 
     
    
        
       
      邪馬台国論争に終止符!!  やっと決定しました。 
      卑弥呼の邪馬台国は徳之島だった ① 日本国際古地図学会  ( 於 京都大学百周年時計台記念館2階会議室) 
      〈YouTube 動画〉 http://www.youtube.com/watch?v=HzIND9g18KQ  
      邪馬台国論争に終止符!!  ー邪馬台国は徳之島だったー 発表者 小泉芳孝( 竹取翁博物館 館長 博物館学芸員)   
      1. 徳之島説の方位・距離・古地図から見た根拠 
        『魏志倭人伝』に記された内容から 方位 古地図を参照 
      龍谷大学「龍谷大学図」の「混一疆理歴代国都之図」 向きが90 度回転 行基図は『拾芥抄』写本で明暦2 年(1656 年)東を南に表現している。 
      ①龍谷大学「龍谷大学図」の「混一疆理歴代国都之図 
      ②島原市「本光寺図」の「混一疆理図」 
      ③熊本の本妙寺にある「大明国地図」 
      ④天理大学の「大明国図」「混一疆理図」 
      『魏志倭人伝』に記す「南水行十日 陸行一月」 
      紀元前230年頃「徐福」は、秦の始皇帝の命令を受けて工人100人と童男童女ら3000 人を調達して数十隻の船で不老長寿薬を求め徳之島にやって来た。   
      ①大和説・徳之島説の「連続線式」 
      ②九州説の「放射線式」 
      ③徳之島説の「連続線式」年中温暖「海南島」と同じ気候、裸足で入墨、長寿の島 
      2.邪馬台国論争の大和説・九州説・徳之島説の検討 大和説について…九州説について…徳之島説について… 
      3. 徐福の蓬莱山「徳之島」は、400 年後「邪馬台国」となった!!  ギネスブックに載った世界最長老の120才の泉重千代さんがいた長寿村。 
      除福が目指した理想郷の蓬莱山には、不老不死薬とされる老化防止の水がある。 小泉氏紹介- 
      現在: 竹取翁博物館 館長 博物館学芸員、大筒木出版代表、かぐや姫学会・かぐや姫の里を考える会・かぐや姫学会会長。城南郷土史研究会会員。職歴:1947 年京都府生れ。近畿大学法学部卒業・佛教大学文学部史学科卒業。京都放送勤務、専攻:日本民俗学・郷土史・古代史。京都民俗学談話会会員、京田辺市郷土史会理事、京都地名研究会常任理事歴任。著書:『稲作民俗の源流- 日本インドネシア- 』『竹取物語 現代考- 原文・注釈・現代語訳・解説付き- 』『京田辺の史跡探訪- 歴史散歩コース- 』『マスコミ一代記 - 昭和・平成- 』。共著『京都の地名検証』『京都の地名検証2』『京都民俗』『筒城』他多数。    【YouTube 】http://youtu.be/Cfa6PnJAwP4  
                     http://youtu.be/HzIND9g18KQ
                  
          
        【HP 】 http://taketori.koiyk.com/yamataikoku.html  
       
        
     
    
        
       邪馬台国の真実   イスラエル万世一系のダビデ王統 第57代陽成天皇直系の皇孫    信貴親王 実印 目次 1.神の栄光を現す万世一系の王家 2.神の栄光 3.真実の大和 4.偽装日本の終焉   2015-03-21 14:02:37 テーマ: シオンよ、さめよ、さめよ、力を着よ。 6.女王卑弥呼像 7.女王卑弥呼の塚発見 8.邪馬台国畿内・九州説廃棄 9.邪馬台国の真実   10.邪馬台国畿内・九州説廃棄 11.2015 ダビデ王朝の復活in聖地徳之島  12.国家・民族を救う神の詔  13.蓬莱島=三神山の島発見 14.ダビデ王家の徳之島 ソロモンのユリ  2015-05-13 10:52:40 1.神の栄光を現す万世一系の王家 2.神の栄光 3.真実の大和 4.偽装日本の終焉 5.女王卑弥呼の遺骨   6.女王卑弥呼像 7.女王卑弥呼の塚発見 8.邪馬台国畿内・九州説廃棄 9.邪馬台国の真実   10.邪馬台国畿内・九州説廃棄 11.2015 ダビデ王朝の復活in聖地徳之島   12.国家・民族を救う神の詔   13.蓬莱島=三神山の島発見  
        
     
    
        
       
      
        14.ダビデ王家の徳之島 ソロモンのユリ   2015-05-13 10:52:40  
      
        
          2015-05-13 10:52:40 テーマ:聖地徳之島  
            ①白ユリの野に美しき徳之島  ソロモンのユリ 
            
             二つの三角形が逆に重なった、いわゆる「ダビデの星」と呼ばれている形は、「ソロモンのユリ」とするのが、その由来が聖書から説明できて「いい」と思われます。 
            
             その根 
            1、ユリの花の先を結ぶと六角形ができます。ダビデの星も頂点を結ぶと六角形になります。 
            
            2、ダビデ王の跡継ぎ、ソロモン王は自分のことを「谷のユリ」と言っています。 
             「わたしは、・・・・・・谷のユリです。聖書、雅歌2:1」。 
            
            3、ソロモン王はユリをとても愛好しています。 
             「おとめたちのうちにわが愛する者のあるのは、いばらの中にユリの花があるようだ。雅歌2:2」。「わが愛する者はわたしのもの、わたしは彼のもの。彼 
            はユリの花の中でその群れを養っている。雅歌2:16」。「あなたの両乳ぶさは、かもしかの二子である。二匹の子鹿が、ユリの中に草を食べているようだ。雅歌4:5」。「そのほおは、芳しい花の床のように、香りを放ち、その唇はユリの花のようで、没薬の液をしたたらす。雅歌5:13」。「女王のような娘よ、 
            ・・・、あなたの腹はユリの花で囲まれた山盛りの麦のようだ。雅歌7:1・2」。 
            
            4、ソロモン王の宮殿の柱頭に「ユリの花」が細工されています。「この廊の柱の頂にある柱頭の上に・・・ユリの花の細工があった。列王記上7:19」。 
            
              ②サンシンと六調(踊り)の島 
                「六調」の由来 
             「主の箱を担ぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは肥えた牛をいけにえとしてささげた。(そして)ダビデは主の前(主の箱の前)で力の限り踊った。(その 
            時)ダビデは亜麻布のエポデを着ていた。サムエル記下7:13・14」。 
            
             徳之島では祝会の締めに、サンシンと太鼓の演奏に唄者が歌って、みんなで踊る踊りがあります。様式のない踊りで、各自、思い思いに手足を動かして喜びを表現すればいいだけです。ちょっとプライドの高い方には参加しにくい踊りでしょう。サンシンをひく方が言うには、六調は「三下がり」で演奏するとのことです。「三下がり」を人に対して言う場合は「音痴」というニュアンスがあります。プライドの高い人が参加しにくい一つの原因かもしれません。 
             徳之島の六調は、主の箱の前で力の限り、思いっきり踊ったダビデの踊りと似ていると思われます。本当に楽しく踊っている方は、「力の限り」です。大体の人はプライドが邪魔してか、力を加減した踊りになっていると感じられます。 
            
             「サウルの娘、ミカルは窓から見下ろし、ダビデ王が主の前ではねったり、踊ったりしているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。サムエル記下6:16」。 
            
             ダビデ王の踊りは、先王の娘、ダビデの后に見下されています。后はプライドの高い方のようです。 
            
             「ダビデが自分の家族を祝福するために戻ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えに出て来て言った。『イスラエルの王は、きょう、本当に威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、きょう、あなたは自分の家来のはしための目の前で裸におなりになって。』。ダビデはミカルに言った。 
            『あなたの父よりも、その全家よりもむしろ私を選んで主の民イスラエルの君主に任じられた主の前なのだ。私は主の前に喜び踊るのだ。私はこれより、もっと卑しめられよう。あなたの目に卑しく見えても、あなたの言うそのはしためたちには、敬われたいのだ。』。サウルの娘ミカルには死ぬまで子供がなかった。サムエル記下6:20~23」 
             ダビデの踊りは、他人と区別して自分を高しとするプライドの高い人には「卑しい」と映るようですが、信 
            仰の人が神の前に喜びを表現する聖なるものです。ダビデの踊りは今も徳之島で三下がりのサンシンと太鼓と唄で踊り継がれていると思われます。 
             徳之島の六調は、「神の箱を担ぐ者が六歩進んだ所で、いけにえをささげ、踊ったダビデ」がその由来と思われます。 
            
                 「サンシン」の由来 
             「人々が引き揚げてきた時、すなわちダビデがペリシテ人を殺して帰った時、女たちはイスラエルの町々から出て来て、手鼓と祝い歌と「三糸の琴」 をもって歌い舞いつつ、サウル王を迎えた。女たちは踊りながら互いに歌いかわした、『サウルは千を打ち殺し、ダビデは万を打ち殺した。』サムエル記上18:6・7」。 
             サンシンは漢字で書くと「三線」です。 
            そのイメージは、まさに「三糸(みついと)の琴」です。サンシンはイスラエルの女性(民)の楽器がその由 
            来と思われます。祝いの時の喜びの踊り、島の六調には「歌詞」と「三線」と「太鼓」があります。この三つは聖句の「祝い歌」・「三糸の琴」・「手鼓」に対応します。全国の民謡大会で三線を引き唄った徳之島の女性が4,5名優勝しています。 
                続く 
            
            万世一系ダビデ王家の子孫 
            平安天皇ヨシュア 
           
         
       
       
        
     
    
        
       
      
      
      その結果、九州説は大和説より信憑性はあるが「徐福」地であり、30カ国の一つであることが判明した。そこで、地元の方に本命地と言われている場所に行ったが残念ながら誰一人として「ここが邪馬台国の場所
      です」と言う方に出会えなかった。確かに吉野ヶ里のような強大な国は、存在していたが『魏志倭人伝』に記す場所では無かった。
      
         
        邪馬台国は奄美(徳之島)1.徳之島説に賛同 竹取翁博物館 
        
       
       
        
     
    
        
       ■2012年7月1日から「竹取翁博物館」で「邪馬台国論争に終止符 !? 」展を開催しています。  
     
    
        
        
     
    
        
       ・大筒木出版  「国際かぐや姫学会」  TEL・FAX 0774-62-2522 携帯 090-6961-9391   Mail koiy@leto.eonet.ne.jp    ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。yk