竹取翁博物館イベント  
     2012年度より「竹取物語を語る会」 国際かぐや姫学会「Top」 と偏向。
『竹取物語』関連を展示した日本初の「竹取翁博物館」パワースポット(夫婦岩・重軽石)が誕生
全日開館として全て予約制(電話・メール)により開館へ (2013年2月1日〜)

ぐや姫サロン(茶論)&カフェ(宿泊も可能) 別棟@ 
当博物館は、2013年2月1日に開館して1年となり当初目的を達成しました。
今後は開館日を全日として全て予約制(電話・メール)にします。但し、本館入口左にあるインターホン両方を
押して頂き館長が館
内にいる時は、見学可能です。なお、お盆と年末年始は休館させて頂きます。 
 
講演依頼、取材、団体・文学者らの訪問次々あり大忙し 竹取翁博物館 2014.7.14
 
竹取翁博物館の開館から2年半たち知る人ぞ知る博物館として日本を始め世界各地から諸団体が訪問
「見学の申込み」や「講演会の依頼」も相次ぎ、雑誌社の取材も次々 にあって受け入れ体勢にてんやわんやしています。
 近い講演では、9月に2つの講演依頼が入っています。
1つ目は、シニア向けの「わいわいTRY塾 おしゃべりサロン」から9月16日(火)からの講演依頼でパソコンの「パワーポイント」を使い話すという「写真の打合せ」があり、映像データー取込みで代表者が訪問されリムーバブルディスクを持ち帰られました。
 演題「私とマスコミ一代紀 〜定年後は"かぐや姫の里"に竹取翁博物館開設〜」
 日時 9月16日(火)13時30分〜15時30分
 場所 ゆめりあ うじ(JR宇治駅隣)
 定員 80名
 参加費 300円
 申込先 三河 0774-22-2070 河津 0774-24-6761 (電話・FAX)
「わいわいTRY塾 おしゃべりサロン」 http://www.e-townuji.jp/view/details.php?id=12
である。

 前半は、具体的には定年までの体験談・エピソード、後半は博物館にまつわる歴 史的孝証である。
 2つ目の講演は、奈良県の広陵町からの依頼で京田辺市と同様早くから「竹取物語の里」として町お越しをされておられる大変熱心な地域である。
 演題 (仮題)「竹取物語の罪と罰 〜歴史と作者その背景〜」
 日時 9月24日(水) 時間未定
 場所 奈良県の広陵町
である。
この様に、見学者の予約や講演依頼、それに取材が相次ぎ、館長さんの博物館に賭:ける研究が一時出来なくなりつつあるのです。
しかし、これらについては、館長が老体にもめげず「人生は一度しか無い」と常に話されていて、市民の期待に答える為に健康に留意し精力的に文化活動を連日こなされています。
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/
copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved.


京田辺は「古代日本のまほろば」であり世界遺産にふさわしい町
 2014.2.6 国際かぐや姫学会

竹取物語研究20数年の小泉芳孝(竹取翁博物館館長)が、
        京田辺市内の「かぐや姫ゆかり」の名所を周遊ご案内!
〈コース〉・竹取翁博物館 → 山崎古墳群 ●山崎神社(弘文帝死去跡) → ●延喜式内佐牙神社 →  三山木廃寺 → 恵日寺 → 佐牙神社御旅所 → ●山本驛旧跡碑 → 壽寶寺(密教寺院)、十一面千手千眼  観音像(重文)・五大明王像(市指定文化財) → 飯岡古墳群●トヅカ古墳(神人車馬画像鏡) → ●薬師山古墳  → 七つ井戸 → ●飯岡車塚古墳 → ●天神社 → ●息長山普賢寺(筒木宮・国宝の十一面観音像) → 甘南備山(月読尊) → ●延喜式内月読神社(隼人) → (●下車説明)

「竹取物語かぐや姫の里」名所案内
  ■下記をクリックすると「YouTube」見られます。

@山崎神社(弘文帝死去跡)  http://youtu.be/pLx3WW4bUS8
A山崎神社(弘文帝死去跡) http://youtu.be/83pUWL2qUhQ
B延喜式内佐牙神社 http://youtu.be/IBbu2XcRx9s
C三山木廃寺(観音堂) http://youtu.be/-i1QWUR5YUI
Dトヅカ古墳(神人車馬画像鏡) http://youtu.be/cdDkVE7HmLY
E薬師山古墳 京田辺市 http://youtu.be/No4bUow9hHc
F飯岡車塚古墳 京田辺市 http://youtu.be/4jwBVGK-WVE
G飯岡車塚古墳 京田辺市 http://youtu.be/zaPm9W6YOiE
H天神社(歌垣) 京田辺市 http://youtu.be/4WbRA6F0bw4
I息長山普賢寺(筒木宮・十一面観音像) http://youtu.be/pyhYbXXjKeo
J延喜式内月読神社(隼人) http://youtu.be/QRoKCiYQVuA
K月読神社(神楽・神宮寺) http://youtu.be/wdYlKpnia6Y
L舞台の根拠 京田辺市 http://youtu.be/0i9sc4pMSfs

 山本(竹取翁の家「かぐや姫」・古代駅制山本駅・密教の空海・十一面千手千眼観音像「重文」・延喜式内佐牙神社、五大明王「重文」)は、古山陽道・古山陰道の官道沿いに平城京から最初の馬家「山本駅」のあったところで半官半民の駅長や駅戸があり宿泊所・休憩所設備があった。この山本駅は、和銅4年に中国の駅亭制を取り入れた最初の物で、外国からの使節や緊急の伝達物を都から地方へ、地方から都へ運ぶための馬を駅ごとに乗り換える為の諸施設であった。
 「竹取物語かぐや姫の里」名所案内 天神社(歌垣) 京田辺市 竹取翁博物館 2014.2.1
 京田辺は「古代日本のまほろば」であり世界遺産にふさわしい町 2014.2.6 国際かぐや姫学会筒木(継体天皇の筒城宮・大御堂観音寺・十一面観音像「国宝」・仁徳・垂仁天皇・大友皇子・大筒木垂根王・弥生の高地性集落)は、継体天皇の筒城宮で有名ですが、そりよりも遙か前に大筒木垂根王が住んでいた場所で日本最古の物語『竹取物語』に登場する「かぐや姫」と、その父親大筒木垂根王がいた場所です。
 以上のように京田辺は、「古代日本のまほろば」であり世界遺産にふさわしい町であります。この他にも沢山の史跡や文化財がありますが書き切れません。詳細を御覧になりたい方は、京田辺市三山木にある竹取翁博物館へおこし下さい。竹取物語を中心にした京田辺の歴史が展示され、関連した書物も販売されています。
 『竹取物語 現代考』『マスコミ一代記』『京田辺の史跡探訪』『稲作民族の源流』 (残部わずか)『京都民俗』(残部わずか)『竹取物語かぐや姫サミット』など。
 また、京田辺市以外の日本の歴史と関連したシルクロードを通じた人達の歴史、それに世界の宗教、民具、世界の石などの展示もされています。
 展示物や販売されている書物、それにビデオは、館長が30年間に渡って調べたものや研究会員らによる成果を見ることが出来ます。
 http://taketori.koiyk.com/
 http://taketori.koiyk.com/kaguya-samit.html
 http://taketori.koiyk.com/ootutu-shupan.html
「国際かぐや姫学会」
copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved..

『竹取物語』   2012年度より 国際かぐや姫学会「Top」 に変更になりました。

国際かぐや姫学会に国際支部「大和撫子かぐや姫倶楽部」誕生 竹取翁博物館 2014.11.3.

『竹取物語』-かぐや姫伝説"The Tale of the Bamboo Cutter" - Legend of Lady Kaguya

竹取翁 たけとりのおきな Taketori-no-Okina (title character in the Tale of the Bamboo Cutter)
『竹取翁物語解』"Interpretation of Taketori no Okina no Monogatari"
ある日、竹取の翁が竹林に出かけていくと、根元が光り輝いている竹があった。
One day, when Taketori no Okina goes to a bamboo thicket, he sees a bamboo whose base is shining.
竹取物語は通称であり、竹取翁の物語ともかぐや姫の物語とも呼ばれた。
Although it is commonly known as Taketori Monogatari, it was also called Taketori no Okina no Monogatari (The Tale of the Old Bamboo Cutter) or Kaguyahime no
Monogatari (The Tale of Princess Kaguya).
竹取翁 - JMnedict
竹取翁たけとりのおきなTaketori-no-Okina (title character in the Tale of the Bamboo Cutter)...


『竹取物語』研究所竹取の翁
注」この原稿は、京田辺市郷土史会の機関紙『筒城』2002年3月30日発行の為、各所に「注」で最新情報を入れました。


      
 一 物語の舞台は筒木で京田辺市

 『竹取物語』は、日本初の物語であり小説である。(一部の方は世界初の物語であると言っている。)日本の歴史事実として、過去で実際に起こった出来事を記した作品である。物語は、過去の伝聞を表す助動詞「けり」を用いて、過去のある時点で実際に起こった出来事を語っている。
 この五人の求婚者の5人の「壬申の乱」で活躍した貴公子が登場する。夙に、『竹取物語 現代考 原文・注釈・現代語訳・解説付き』小泉芳孝著「大筒木出版」2012年2月(平成24年)で指摘しているように、『竹取物語』の五人の求婚者名と「壬申の乱」に登場する名前が見られる。
  石作皇子 ― 丹比島
  庫持皇子 ― 藤原不比等
  阿部御主人 ― 阿部御主人
  大伴御行 ― 大伴御行
  石上麻呂足 ― 石上麻呂
 これら5人の貴公子は、奈良時代に持ってきているが、この部分だけが奈良時代で、そのほかは、『竹取物語』全体から京都南部であることを明確に証明出来る。
 @名をば、讃岐の造となむいひける。
 Aこの子いと大きになりぬれば、名を、三室戸齋部の秋田をよびて、つけさす。
 B…三年ばかり、大和の国十市の郡にある山寺に、賓頭盧の前なる鉢の、ひた黒に墨つきたるを取りて…。
   
 @は、かぐや姫の養父となる竹取の翁の名前であり、大手出版社は「讃岐」と記すが、紹巴奥書本では「さるき」
注」「さるき」は「さぬき」に同じ。「ぬ」は「る」に音訛すると一部の国文学者は記しているが、歴史学者からはこじつけで「その説は消えた」とされている。)、
全巻そろっている天理大学の天理図書館武藤本では「さかき」と「榊」であり「さかきのみやつこ」とあり(天理図書館所蔵『竹取物語』)説が相当である。
 しかし、従来の通説は、大和国の地名「広瀬郡散吉郷」(北葛城郡河合町)と誤って想到していた。
さらに、讃岐神社(延喜式)があるが建物の向きが「南北向きの神社」で古くないことが明らかである。故に、これを以て竹取の翁の居住地とするには、早計である。(注」京田辺説が出てきて大手出版社説が消えてしまった。)
 Aは、かぐや姫の命名を「三室戸齋部の秋田」というが、秋田の居住地「三室戸」については、「ミムロトはミモロの在る所」(新編日本古典文学全集『万葉集』)の意とすると、「三室戸」も「みもろ」と同じことになり、三輪山を指すとある。
 しかし、:宇治に「三室戸」という地名があり「作者空海説にも関係した真言宗の三室戸寺」があり、そこに忌部氏がいたので、ここが通説になった。
 Bは、求婚者石作皇子が、かぐや姫には天竺に「仏の石の鉢」を取りに行くといって、「十市の郡」の小倉山に隠れていたというのである。
偽物の光っていない「仏の鉢」を、その山寺から取ってきたのは、『竹取物語』の舞台が「大和」と記していることから、物語の舞台が大和とも見られていたが、「十市の郡」は難題の「インドの仏の鉢」部分だけである。
 本来舞台は『竹取物語』が漢文で書かれた平安時代の初めで嵯峨天皇の頃を想定しているのであるから京都府の南部が舞台なのである。
  従来説は現存している『竹取物語』が「崩し字のひらがな」だったが、、良く読むと本来は漢文で無ければ表現出来ない「宣命体」部分が多くあり「元は漢文」で書かれていたことが判明」している。

 故に、平安時代に嵯峨天皇の元で高雄の高山寺(当時は高雄山寺)で政務を執っていた弘法大師・空海説が有力なのである。

 さらに、京都府の京田辺市が『竹取物語』の舞台であるという証拠としては、5人の貴公子が「壬申の乱」で登場している。『古事記』に記す「かぐや姫」の父に「大筒木垂根王」がいて京田辺市普賢寺に古墳があり、古文書も代々伝えられた物もあったのである。しかし、ウィキべディアに再三主張しているが、御目付け役が人も次々に出て来て「いちゃもんを付け」それらを訂正し追加しようとしていない。
 この様に、『竹取物語』の舞台が現在では「京田辺」だと言うことが判明している。
いままで大手出版社が記している奈良県の広陵町説は間違っていることが超古代史の歴史学者により判明したのである。

 二 かぐや姫と「さかきのみやつこ」と「筒木」(継体天皇の「筒城」「綴喜」)

 かぐや姫という名前が命名された理由は、月の都で罪を犯したかぐや姫が地上界に降ろされ光り輝く竹から誕生した。これは、イエスキリストの「復活」であると言うことが判明したのである。
 この本来「さかきのみやつこ」とあるのに「さるきのみやつこ」という意味の判らない名前の出典を最初に指摘したのは、契沖の『河社』(契沖全集第十四巻 岩波書店 74年)である。
  かくや姫の名は、『古事記』垂仁天皇段云、又娶大筒木垂根王之女迦具夜比賣、生御子袁邪弁王であった。
 つまり、かぐや姫の父の大筒木垂根王の娘なら、竹の筒から生れるという想像と結びつく、また、その先祖は竹野媛なのである。(中略)なお、ここの大筒木垂根王以下三人の名は、『日本書紀』の方には見られなので、作者は『古事記』によって迦具夜比売の名を求めたのである。
 この解釈は、『竹取物語 現代考 原文・注釈・現代語訳・解説付き』小泉芳孝著「大筒木出版」で述べている。すなわち、かぐや姫のなは、「さかきのみやつこ」であり、「さるき」では意味を成さないので「さぬき」に無理矢理変えて「讃岐の造」の名前とし、奈良県の広陵町説とこじつけたのである。
 本来は、竹取の翁の家は、「やまもとちかく」であり、京田辺市の山本は『続日本紀』に記している古山陽道の平城京から最初の『山本駅』が舞台なのである。
 しかし、当初大手出版社が述べていた広瀬郡散吉郷は、間違っていたということになるのである。
 さらに述べると、迦具夜比売の父である大筒木垂根王の居住地は、「継体天皇の筒城宮」のあった場所の綴喜郡の可能性の方がより高いのである。
 「大筒木」の所在地については、『古事記』中巻・開化天皇条に「又其の母の弟袁祁都比売命に娶ひて生める子、山代の大筒木真若王」とあり、山城国の中心である筒木である。ここには、奈良時代より遙かに古い1世紀の青銅鏡が、明治時代に十塚古墳から出土しているし、石船神社は「にぎはやひのみこと」が降臨した場所でもあり『先代旧事本紀』にしるす「物部氏」が渡来してきたという伝承のある地域でもある。
 そのほか、『古事記』仁徳記の中で「石之日売」が嫉妬して筒木の唐人「奴理能美」の家に滞在した時、口日売が歌った有名な「山代の 筒木の宮に 物申す 吾が兄の君は 涙ぐましも」(古事記下巻)がある。この部分は、国文学を習った人達が古文を勉強する時に必ず取り上げられ「奴理能美」の邸宅は皇后の滞在に相応しい立派なもので、仁徳天皇も後日、石之日売を訪ねて行幸したところである。
 これらから「筒木」すなわち、迦具夜比売の父である大筒木垂根王の居住地である「筒木」は、山城国の「綴喜郡」にあったことが明らかなのである。
 『竹取物語』の中では、竹取の翁の家は、物語の帝(みかど)と考えられる嵯峨天皇が「かぐや姫」に会いに行こうと立場上言えないので「御狩の行幸の途次に立ち寄った」のである。
 平安時代の狩り場は、交野であり京田辺へは低い山や丘を越えれば直ぐに京田辺であり空海の密教寺院が沢山あり、『竹取物語』を書いた作者の弘法大師・空海は『古事記』に記す大筒木垂根王の居住地である「筒木」を良く知っていたのである。

     三 舞台は、京田辺の筒木(継体天皇の「筒城」「綴喜」)

 弘法大師・空海と筒木との関係を述べる。それは、京田辺市天王に古くからある延喜式内・朱智神社の神宮寺を空海が日本で初めて「神宮寺を建てた」場所で「本地物を刻んだ」という古文書が見つかったのである。
  さらに、この延喜式内朱智神社のご神体は牛頭天皇であり、またの名は「すさのおのみこと」なのである。その「すさのおのみこと」は、世界4代文明のチグリス・ユーフラテス川で文明を築いたシュメール人のいた場所である「スサという地域にいた王様の命(みこと)」だと言うことが判明したのである。 『今昔物語集』巻三十一に記す竹取説話には、「居所ニ宮殿楼閣ヲ造リテ、ソレニ住ミ」「家ノ有様微妙ナルコト、王ノ宮ニ異ナラズ」と記している。これから偉大な存在の場所という事が明らかである。
 つまり、日本初だけでなく世界初の『竹取物語』に相応しい場所であり、竹取の翁がいて豪華な邸宅があっても決して不思議でないことが判明するのである。
 この様に、筒木は、ただ「筒木」という字体が「筒」の「木」ということから竹取に相応しいだけではなく、古代に大変栄えた地域であり豪邸が存在していても可笑しくないのである。
 まさに竹取翁の邸宅がシュメール文明に関係した世界四大文明の所在地と「筒木」は重なってくるのである。
 帝は、竹取の翁邸に「かぐや姫」を実見しに行く口実として、御狩の行幸を提案する時、「みやつこまろが家は山もと近かなり」と発言する。
「山もと」については、『続日本紀』和銅四年条に「丁未。始置都亭駅。山背国相楽郡岡田駅。綴喜郡山本駅」とあって、当時既に「山本」という地名が存在したことが知られる。そうした地名が存することは、そこが京田辺市にある甘南備山(日本最古と見られるピラミッド)のご神体山であり、大住隼人の「月読神社」の山麓に位置する土地であることを意味しており、「筒木」は「山もと近かなり」という条件を満たす地域であることが知られるのである。
 また、京都府城陽市にお住まいで奈良女子大学におられた頃に本田義憲氏が『叙説』(昭和54年)で「かぐや姫の家」の中で少し述べておられる。それらによると、かぐや姫の場所として「月」と関わりのある、「月神」を祀る式内社が山城国に三社あり、そのうちの「月読神社」「樺井月神社」の二社が綴喜郡に祀られている。そして、南山城地域で「月神信仰」が盛んであったことを述べておられた。当時、竹取物語研究をされていた京田辺市の博物館学芸員の小泉氏(その後「竹取翁博物館」を運営)は、本田義憲先生に内容を請おうと電話したところ「若い頃に書いた物なので本当かどうか不明だが山本という地域もあり月読神社という「月」に関した神社があるので竹取物語に関係しているのでは?」という事のみを教えて頂いたようである。先生は、それ以外のことについては「判らない」という事だった。
 この様に、かぐや姫と竹取の翁に関係した場所として色々な先生方が「綴喜」という場所に注目されていたのは確かであるが「きっちりとした説」を述べるまでには至っていなかったのである。
 これに対して、大手出版社の殆どは、舞台を奈良であるとされていただけにどの先生も「山城では」という程度で終始していたのである。それは京都と奈良の通過地点で歴史は何もないと言われ続けていたからで否定され続けていたのである。
 しかし、それを地元の古文書や伝承されている大変古い形を残している民俗行事を通して歴史地理学、民俗学、考古学、文献学、郷土史などから研究された小泉氏が、自分の住む「山本村」の古い地名から「翁の家が山本近くと合致」し古代駅制の山本駅が「中国の駅亭制」と一致」したことを解明されたのである。そして、『続日本紀』に平城京から最初の「山本駅」と記す場所が三山木駅やJR三山木駅の地下に埋もれているという事を発見し京田辺市郷土史界の『筒城』に発表された。
 その後、この駅前地域が、区画事業で駅前開発が行われることになり、京田辺市教育委員会と京都府埋蔵文化財センターが発掘したところ「井戸の中から和同開珎、他から円面硯・須恵器・溝から祓い串・古代条里制に沿った掘っ立て柱が多数・作りかけの勾玉」等がゾクゾクと見つかり半官半民の駅長がいた古代「山本駅の跡」と判明したのである。

 
その間、京田辺市や山城郷土資料館の技師や周囲からは、でっち上げだ! そんな所に歴史はない! 山本駅は都にあった! 残存している古文書は「椿井氏が書いた物で疑文書!…」なので「『田辺町誌』は椿井氏が『古事記』に記されているのを書き写しただけ!!で間違っている!! 故に書き直す必要がある!!等、長い間ばか者扱いされて来たのである。
  この竹取翁の居住地は「山本駅」の発見により、翁と姫の『古事記』に記されている命名の経緯から判断して、「綴喜」がモデル地であった可能性は、もう否定出来なくなり沢山の名誉教授から認められたのである。
 それらは、京都新聞社と京田辺市郷土史会が開催した講演会で文献学の権威である門脇禎二名誉教授が「垂仁天皇の后に「かぐや姫の命」」がいて京田辺市の元「綴喜郡」で継体天皇の「筒城の宮」があった場所であり、これらの人物は「実在していた」と明解に述べられたのであった。
 これ以来、否定説を盛んに述べられていた京田辺市の教育委員会の高野技師も自ら進んで「自分が解明し発見したかのように」述べ立てられたのである。
  この講演の時に門脇禎二名誉教授は、『古事記』に記されている開化天皇以下の登場人物の系図を示しながら「山代大筒木真若王」が「大筒木垂根王」と同系列にいるので「山代」は「山城」よりも古い書き方で継体天皇の「筒木の宮」の事であり、この京田辺市の事であると明解に述べられたのである。これにより二〇年の長きにわたって京田辺市郷土史会が述べてきた『竹取物語』の舞台が京田辺であることが全面的に認められるに事になったのである。

   三 作者は、弘法大師・空海と決定(NHKは紀貫之、その後に紀長谷雄?)
 
  『竹取物語』の作者が、翁と姫の名前から『古事記』を引用して付けられ舞台とされるのは問題であるという主張を述べられたのが花園大学の曽根誠一教授であった。
  
つまり、平安期において、正式の歴史書は『日本書紀』であり、「『古事記』が参看されることはあまりなかった」ようであると首長されている。
  これらの主張に対して、竹取翁博物館の本館を私費で建てられた小泉館長は、退職金及び今までにため込んだ金をつぎ込み、館長が死んだらこの「京田辺説」は、消えて日本初とされる竹取物語の舞台が「闇に葬り去られる」として数名の協力を得て一年間で建物と展示物それに『竹取物語考』『京田辺の史跡探訪』『マスコミ一代記』という三冊の五冊の本を完成させられたのである。
 その意気込みは、完成後の研究会に引き継がれ見事に花を開かせられた。
  小泉館長は、歴史学者の間では 『日本書紀』は誇張があり間違いが多いと指摘されていて、むしろ『古事記』の方が正しいといわれていると主張されているのである。
  そして、嵯峨天皇に慕われた弘法大師・空海の手で漢文で書かれたと発表されたのである。そして現存している『竹取物語』は元の漢文を女性にも読めるように「崩し字」に書き直した物であるという事を述べられた。一般にNHKが言っている『源氏物語』の中に記されている「絵合わせの巻」で「巨瀬の近江、作は紀貫行」とあるが、これは元の漢文を平安中期に女性にも読めるように「書き直された物」で「崩し字」で書かれた物が諸本として現存しているのである。 
 これらは、館長の説として竹取翁博物館に来られた方達に「作者は空海だ」と主張されていて、物語に出てくる不老不死の薬から「秦の始皇帝」が徐福に命じて「不老不死の薬」を探しに奄美諸島の徳之島へ来ていることを現地調査されて述べられている。
 
    四 かぐや姫の誕生は、イエスキリストの「復活」

一般に徐福が来た場所は、九州の佐賀県、本州の新宮・伊根、それに富士市などが主張されている。 しかし、小泉館長は竹取物語の不老不死の薬を探しに来た場所が、『竹取物語』の子安貝から南海の海で多く採取され「中国へ輸出していた」ことから、中国人がかなり古くから「東夷」は蓬莱山など三山のある奄美諸島の徳之島であることを徳之島へ調査に行き突き止められたのである。
  さらに、月でかぐや姫が罪を犯したので地上界に降ろされ、そして罪をつぐなう期間が終わったので8月15日に月から迎えが来て「月へ帰って行った」と述べられたのである。
 これらのことから、かぐや姫の誕生は、イエスキリストの「復活」という事が判明したので、小泉館長は急遽イスラエルのエルサレムを訪問された。そして、イエスが布教したイスラエルのガリラヤ湖それに『死海文書』が近年見つかった死海それに聖地エルサレムなどを見てこられた。また、イエスが生まれたベツレヘムの「聖誕教会」地下2階の光輝くイエスが十字架に付された場所や墓とされる洞窟にも行かれたのである。
  そして、イエスキリストは、「人間は全て罪を犯す、その罪の全てをイエスが背負って自ら十字架に貼り付けになって亡くなって行った」ということが本当だったことを確認されたのである。
  故に、イエスが自ら十字架に貼り付けになって「3日後に復活した」という事を、博物館に訪問された人達に述べている。そして、それが「かぐやや姫の誕生」であり、作者空海は、平安時代には表だっていえなかつたので『竹取物語』の中に封じ込めた事を述べている。
 このことが、かぐや姫の月での罪であり「かぐや姫の誕生」が「イエスキリスト」の復活であると言えるのである。これらは、博物館を自費で建設された時に常設展の冊子として制作した『竹取物語現代考』の中に入れ込まれているし、作者空海説についても記されていて既に述べられている。そして、これらをさらに裏付ける為に1年間に渡る博物館での勉強会の成果として空海が書いた『三教指帰』を読むことによって「あるいは…」を数回繰り返す手法が強調表現を表し、音楽的効果があること、それに『竹取物語』に出てくる世界・皇帝など色々な熟語や難題の品などか沢山見いだされることから空海説が決定したという事を述べてられている。
  一連のこれら作者像から、弘法大師・空海の出自を調べられていた小泉館長は、空海の母親の阿刀氏がシルクロード沿いのカザフスタンにいた原始キリスト教の「弓月君」であることを解明され発表された。
 さらに、この弓月君は、イスラエルあたりから来ていた陸のシルクロード沿いの原子キリスト教・ネストリユース派のキリスト教の信者であり、秦の始皇帝の父親も原始キリスト教の信者でシルクロード沿いのカザフスタンあたりにいた行商人から生まれていたことも判明したのである。

     五 不老不死から卑弥呼の邪馬台国が判明

 秦の始皇帝は、二メーターの大男で青い目をしていた事が判明している。また、秦の始皇帝の命令を受けて、蓬莱山を目指して徐福が最初に行ったときに「大魚がいて上陸出来ず射手が必要だと述べ不老不死の薬を持ってくることが出来なかった」と言い訳を述べたにもかかわらず徐福だけが助けられたのは、徐福が秦の始皇帝と同じ出自だったから殺されなかったと思われるのである。
 何故かというと、秦の始皇帝は、いずれ自分も死ぬので死んでしまうと一族みんな殺されてしまう。故に今の内に自分たちの子孫を繁栄させるために中国で理想郷と昔から言われていた東の恵比寿である「東夷」へ三〇〇〇人の「童男童女」と一〇〇人の「工人」それに「五穀」を持って『魏志倭人伝』に記す倭国へ送り込んだと言えよう。
 そうでなければ、不老不死の薬を取りに行くのに三〇〇〇人の優秀な童男童女は必要ないからである。
  そして、その四〇〇年後の紀元二三〇年頃に原住民と混血を繰り返して七万戸の卑弥呼の邪馬台国が「奄美諸島の徳之島を中心として誕生した」という事まで解明されたのである。
 勿徐、徐福の人達は、さらに南西諸島を北上して九州へ行き、さらに子孫が幾内や関東方面まで移動して行ったと考えられるのである。      おわり
 


筒木の天神社は、歌垣(求婚)の『竹取物語』に通じる「カガヤク」場所

筒木の天神社は、歌垣(求婚)の『竹取物語』に通じる「カガヤク」場所であるという事が京都学会の重鎮 吉田金彦名誉教授により明らかになったのである。『類聚名義抄』から解明
   YouTube
動画 http://youtu.be/qH-lA0qW0tY 
参照
 詳細を述べると筒木の京田辺市三山木は、竹取物語の舞台とされたところで、まさに、この京田辺市三山木地域は、世界遺産にふさわしい場所であると言う事が吉田金彦名誉教授の発表から見えてきたのである。
 そして、三山木高木の天神山に元あった天神社が、男女の歌垣をした場所で「求婚」を現していると発表されました。
 日本の語源学の権威であり地名学や『万葉集』にも造形の深い吉田金彦名誉教授が、三山木高木の天神社はこの地域が20数年前から地元の京田辺市郷土史会で古代史研究が続けられていて『古事記』に登場する「かぐや姫」が筒木に住んでいて「竹取物語の舞台」とされた所から見いだされてきたのである。
 

 これらに関する貴重な発表が、京都大学文学部開催の国文「第110 訓点語学会」で画期的な発表!!がなされたのである。詳細は、YouTubeそれにホームページで発信されている。
    京都学派の重鎮 吉田金彦先生、『竹取物語』の場所は京田辺市山本、作者空海に合致!!

         京大国文「第110 訓点語学会」で画期的な発表!!
     訓点語学会HP  http://www.kuntengo.com/happyo.html
    場所・日程2014.5.2513時半 於京大文学部 3講義室(吉田キャンパス内)
 
  京大国文「第110 訓点語学会」での吉田金彦先生発表からレジュメから。
    その研究発表内容によると題名は
     「名義抄「カガヤク(『求』の下に『糸』)」和訓のその後を追う
           ―原作竹取物語と天神山について―
  である。レジュメでは、竹取翁博物館の館長の小泉芳孝氏が、『竹取物語』の場所「山本」は地理的に有利であり適合地でもあることから真実性があると述べられている。
  『竹取物語』の作者・空海は東寺の
『類聚名義抄』歌垣をした場所として「求婚」というカガヤク」の字があり、竹取物語に通じる語源「光りカガヤク」と合致!!すると述べられた。
  
そして、京田辺市三山木高木の天神山と天神社が歌垣をした場所で「求婚」を現していると言うこと等の発表をされた。

詳細については、下記を御覧下さい。 
  110回訓点学会」で京都の重鎮 吉田先生が画期的な発表をされた。
  京大国文「訓点学会」B 『竹取物語』場所は筒木の山本と発表!
   【YouTube】京大国文「第110回訓点学会」
   @ http://youtu.be/98oAJl-5wFU 館長が名義抄発表を取材! 
   A http://youtu.be/IDqPkvEmw4M 『竹取物語』山本、作者空海
   B http://youtu.be/0s19NcmHOTs 『竹取物語』筒木の山本と発表!
   C http://youtu.be/8vu4RPjrk2Y 東寺の名義抄の発表直後に取材!
   D http://youtu.be/gy6QEh495Eo 総集編(名義抄・舞台・空海)
 この様に京大国文「第110回訓点学会」で京都の重鎮 吉田先生が画期的な発表をされたのである。
  さらに、吉田先生は、『竹取物語』の舞台 山本が地理的に適合地で有利、真実性があるとのべられ。
 「迦具夜比売命(かぐや姫)」の「竹取物語の舞台」は京田辺市であるという小泉氏の説に賛同しますと述べられた。
 また、『竹取物語』の作者空海は、東寺にあった『類聚名義抄』(日本最古の辞典)に「カガヤク」の字あり、作者空海作は漢文で書いたのでは!?と、述べられた。
「国際かぐや姫学会」と「竹取翁博物館」が取材 http://taketori.koiyk.com/
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筒木の天神社は歌垣(求婚)竹取物語に通じる「カガヤク」場所  (『類聚名義抄』から解明)2013.12.6
    YouTube
動画 http://youtu.be/qH-lA0qW0tY  

筒木の京田辺市三山木は、竹取物語の舞台とされたところで、まさに、この京田辺市三山木地域は、世界遺産にふさわしい場所であると、吉田金彦 
名誉教授が見えられました。そして、三山木高木の天神山と天神社をご案内させて頂きました。

 日本の語源学の権威である吉田金彦 名誉教授が、天神社は男女の歌垣をした場所で「求婚」を現していると発表されました。
 この地域では、20数年前から地元の京田辺市郷土史会で古代史研究が続けられていて『古事記』に登場する「かぐや姫」が筒木に住んでいて
竹取物語の舞台とされた所とされ有名になっている。
  

 京都学派の重鎮で語源学を長年続けられている吉田金彦さんは、京都大学の卒業論文で京都の東寺に残されていた『類聚名義抄』を研究され卒業論文に書いて研究を続けてこられた。そして、その成果を後輩の尽力で2013年5月に『古辞書と国語』臨川書店から出版された。
 この本の中には、竹取物語に通じる「カガヤク」という語源を「光りカガヤク」とされているが本来は「求める、さがす、求婚する」というのが元の語源の意味であると述べられ『竹取物語』で5人の貴公子が求婚に訪れることと深い関係があると述べられている。
 この『類聚名義抄』は、東寺にあった物で弘法大師・空海が開いた場所でもあり遣唐使で中国の長安へ行ったときに持ち帰り作られた可能性もある。 
 京田辺市にある竹取翁博物館の小泉館長は、竹取物語の作者を空海と述べていて、その場所も京田辺市で密教寺院が多くあり深く関わっているのではないかとみておられます。
 その三山木の場所に天神社があり、その天神川の横にある天神山には、かつて天神社があって古く弥生時代の高地制集落が現在も存在する所(卑弥呼の邪馬台国の頃の遺跡)から『竹取物語に登場する恋愛の場所であった』
という重要な地域となるであろうとされ話題になっている。
 
 「竹取物語かぐや姫サミット」には、かぐや姫美術館の山口館長さんが広島から参加頂きました。(上の写真右側)その時に7市町で「かぐや姫サミット」の地域間交流しているが、本命は京田辺市が発祥地だと断言された。
山口様は、京田辺舞台説を15年ほど前に聞いて見に来られ「きっちりとした説をお持ち」だとびっくりしてお帰りになられていた。
そのご縁で山口様が収集された「竹取物語の古本」の写真を今回の「サミット特別展示物」として提供して頂き会場で皆さんにみて頂きました。
 また、大阪・徐福友好塾主宰 代表鳥居貞義様(上の写真左側)からは、 「2周年おめでとう御座います。今後末永く続く為の基盤が出来たこととして誠に意義深いことと存じます。 (中略)  神話はどのような時代背景で生まれ、どのように伝搬したかが研究の対象となります。
 そのためには、竹取翁博物館のような施設が是非必要であり、それが民力すなわち、 民間人の力でできあがったことに敬意を表します。」
という丁重なメッセージを頂きました。
    (平成26年(2014)2月1日 天の川七夕星まつりの会 代表 大阪・徐福友好塾主宰 鳥居貞義)
 

             
「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/
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 追記
竹取翁博物館では、 国際かぐや姫学会を立ち上げ「かぐや姫サミット」を開催し、また京都地名研究会の名誉会長吉田
金彦先生の京都大学での発表により、舞台が京田辺の三山木であり、また博物館の小泉館長の「竹取物語の作者が
弘法大師・空海」の発表もあった。

 NHK文化センター講師が「文学の旅探訪」下見で「本格的な博物館に驚嘆」2014.5.21
 YouTube  http://youtu.be/lzzSf9oagP8 福山から第3回文学の旅「京都
(京田辺・大原野・大山崎)の探訪」
2014.6.22開催の下見で竹取翁博物館を訪問されました。

 新しい情報は、   2012年度より 国際かぐや姫学会「Top」 に偏向になりました。
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」「NET JATV放送」http://taketori.koiyk.com/
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ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。yk 

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竹取翁博物館2周年記念イベント(国際かぐや姫学会) 
「竹取物語かぐや姫サミット」盛大に開催!! 

    『竹取物語』の作者、不死薬、罪の謎を解く

の度、「竹取物語かぐや姫サミット」にご参加いただき有難うございました。 

皆様方のご協力で無事イベントを終える事ができました。

2月 1・2日の二日間に渡って行われた「竹取物語かぐや姫サミット」はいかが
でしたでしょうか。ご満足頂けましたでしょうか。

初日の「かぐや姫ゆかりの名所めぐり」や、2日目の「かぐや姫時代行列」と「基調講演」それに「シンポジュウム」と長時間に渡ってのサミット開催となりました。
 

名所めぐりでは、竹藪の中にある古墳を歩くに大変でしたけれど、クタクタになり悲鳴が上がったりしていました。しかし、小泉館長のユーモア溢れる解説に、ご満足頂けたでしょうか。

又、シンポジュウムでは、ご参加頂いた方から活発な質問などが出て会場は大変盛り上がり有意義なシンポジュウムだったと感じております。

 
 

皆さま方から出された疑問や質問に耳を傾け、今後の竹取翁博物館運営や研究に役立てたいと考えています。

 有難う御座いました。 竹取翁博物館 事務局一同 2014年2月4日


「竹取物語かぐや姫サミット」盛大に開催!!  2014.2.1〜2
この度、「竹取物語かぐや姫サミット」にご参加いただき有難うございました。
今年は、同志社大学生、銀行員、遙か遠くの「かぐや姫美術館」、徐福、邪馬台国、マスコミ、物語研究会、市民の会、市会議員、隼人保存会、人形劇団など多くの方達にご参加頂きました。 
お陰様で皆様方のご協力により無事イベントを終える事ができました。
 2月 1・2日の二日間に渡って行われた「竹取物語かぐや姫サミット」はいかがでしたでしょうか。ご満足頂けましたでしょうか。
 今年は、国際かぐや姫学会、奈良県除福研究会とともに「竹取物語かぐや姫サミット」として開催し、共催として、まちづくり市民ネット京田辺、きゅうたなべ倶楽部、ビオ多々羅、人形劇団ぷくぷく、朗読の会“萌え”恭仁陶窯、茶の湯 おりべ流窯元、他にもご協力頂きました。
 初日の「かぐや姫ゆかりの名所めぐり」や、2日目の「かぐや姫時代行列」と「基調講演「竹取物語の作者空海から除福・邪馬台国まで」それに「シンポジュウム」と長時間に渡ってのサミット開催となりました。
  シンポジュウムの基調講演では、「竹取物語の作者空海から除福・邪馬台国まで」と題したテーマで開催。
 1.益田宗児 奈良県除福研究会 会長「竹取物語の子安貝から除福・邪馬台国」 2.川野裕子 竹取翁博物館 研究員「竹取物語作者・空海の密教と聖書」 3.田金彦 地名研究会会長・姫路独協大学名誉教授「姫の"輝く"語源と意味」会場から活発な質問や発表もあり真下。
 

 1日目の名所めぐりでは、竹藪の中にある古墳を歩くのに大変でしたけれど、クタクタになり悲鳴が上がったりしていました。小泉館長のユーモア溢れる解説に、ご満足頂けたでしょうか。
 その模様は、YouTubeでアップしていますので御覧になってください。
「竹取物語かぐや姫の里」名所案内
  ■下記をクリックすると「YouTube」見られます。

@山崎神社(弘文帝死去跡)  http://youtu.be/pLx3WW4bUS8
A山崎神社(弘文帝死去跡) http://youtu.be/83pUWL2qUhQ
B延喜式内佐牙神社 http://youtu.be/IBbu2XcRx9s
C三山木廃寺(観音堂) http://youtu.be/-i1QWUR5YUI
Dトヅカ古墳(神人車馬画像鏡) http://youtu.be/cdDkVE7HmLY
E薬師山古墳 京田辺市 http://youtu.be/No4bUow9hHc
F飯岡車塚古墳 京田辺市 http://youtu.be/4jwBVGK-WVE
G飯岡車塚古墳 京田辺市 http://youtu.be/zaPm9W6YOiE
H天神社(歌垣) 京田辺市 http://youtu.be/4WbRA6F0bw4
I息長山普賢寺(筒木宮・十一面観音像) http://youtu.be/pyhYbXXjKeo
J延喜式内月読神社(隼人) http://youtu.be/QRoKCiYQVuA
K月読神社(神楽・神宮寺) http://youtu.be/wdYlKpnia6Y
L舞台の根拠 京田辺市 http://youtu.be/0i9sc4pMSfs
又、シンポジュウムでは、ご参加頂いた方から活発な質問などが出て会場は大変盛り上がり有意義な
シンポジュウムだったと感じております。
皆さま方から出された疑問や質問に耳を傾け、今後の竹取翁博物館運営や研究に役立てたいと考
えています。
 有難う御座いました。   竹取翁博物館 事務局一同   2014年2月4日

「国際かぐや姫学会」
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 「竹取物語の真実」かぐや姫の里京田辺を学び訪れるウオーキング開催 訪問2013年2月20日

 地元「ビオ多々羅」のオーナー田中さんが竹取翁博物館と共催で行う「竹取物語の真実」かぐや姫の
里京田辺を学び訪れるウオーキング開催の為にに博物館へ見えられた。

 

そして、博物館内を見学された。名刺には、工学博士と記されており博物館の周辺に文学博士は住んでおられるが、工学博士は知らなかったのでビックリした。

 開催内容については、 別紙を御覧頂きたい。

 田中さんがお住みの京田辺市多々羅は、鞴(ふいご)を表し製鉄や糸車の文化(絹織物)を伝えた地名でもある。
ある人は、かつで湖であり鉄の固まりが見つかっていないので「無かった」と話されているが、湖は石器時代?であり、2〜3メートルほど掘れば出土する可能性も大いにあるのである。

 また近くの同志社大学京田辺校地の丘陵地には、下司古墳がある。下司とは、下を司っていたことから、此の地にかつて住んでいた高貴な方(神功皇后・継体天皇・磐の姫)の古墳とも考えられる。特に継体天皇の「筒城宮」は、この付近であり、あとの2つも周辺にあったと思われる。

 ■「竹取物語の真実」かぐや姫の里京田辺を学び訪れるウオーキング の詳細は下記を御覧下さい。



都歴史ファンタジー「かぐや姫まつり」動画第2弾 竹取翁博物館 訪問2013年2月12日

「かぐや姫時代行列」第2弾は、下をクリックhttp://www.youtube.com/watch?v=CRVlQEHXJAY
出発した直後テレビ・新聞社の取材を受ける「かぐや姫時代行列」一行。
皆さん、行列には初めて大変楽しそうな表情が伺えます。竹取の翁はスカイハイツ三山木のオーナーで、地域活性化に貢 献されています。 

■動画第一弾は、下をクリックhttp://www.youtube.com/watch?v=TRhwt-QKtmI
のユーチューブで御覧になれます。 

「かぐや姫時代行列」茶席「山城かぐや流」芸能「かぐや舞」湯立て神楽・天宇受売命・天の岩戸開き、講演。竹取の翁はスカイハイツ三山木のオーナーです。
京都歴史ファンタジー「かぐや姫まつり」動画第一弾 竹取翁博物館 訪問2013年2月11日

「かぐや姫時代行列」茶席「山城かぐや流」芸能「かぐや舞」湯立て神楽・天宇受売命・天の岩戸開き、講演。竹取の翁はスカイハイツ三山木のオーナーです。

第一弾は、下をクリックhttp://www.youtube.com/watch?v=TRhwt-QKtmI

竹取翁博物館開館一周年記念イベントB
  かぐや姫時代行列
★キャッチフレーズ かぐわしの 君(きみ)の光を たよりにて 古里かへる 竹取の 開催2013年2月7日


竹取翁博物館開館一周年記念イベント”京都歴史ファンタジー”「かぐや 姫まつり」の時代行列
が午前10から盛大に開かれ、三山木周辺の竹取物語
ゆかりの地を豪華な古代衣裳を着た20人あまりの人達により練り歩きました。
 時代行列の参加者は、竹で作った幟を先頭に博物館前を出発し、竹取物語京田辺説のかぐや姫に登場する人達に扮した時代衣装を着て、手に登場人物の名前を記した「立て札」と錫杖や扇子、隼人の楯などを持ち練り歩きました。

 コースの所々では、館長から「かぐや姫ゆかりの地」である地名起源などの証拠の解説をしながら色鮮やかな時代衣裳を着て行列を繰り広げました。コースは、博物館本館→JR三山木駅→二叉交差点→近鉄三山木駅→寿宝寺→山本驛碑→古代山本里と山本駅遺址之碑→博物館別館の2キロを太鼓や銅鑼の音をならして歩きました。
 
 時代行列には、竹取物語に登場する人物や、それらに深く関係している地元の人物に扮した格好の古代服を身にまとい参加しました。この古代衣裳は、同志社大学きゅう田辺クラブから寄付して頂いた古代衣裳をはじめ、今年1月13日に聴覚障害者の方が「かぐや姫劇」をされた時の衣裳、隼人舞保存会を最初に立ち上げられた藤本冨雄(元郷土市会会長)さんからお声掛けして頂いて大住の隼人舞保存会からお借りした衣裳や刀・楯、さらには館長が中国やベトナム、タイなどで購入したもの、舞踊家の梅弥月さん縫製の冠頭衣などで1年前から準備していたものです。














行列に参加して頂いた方々…
 (敬称略)
 かぐや姫には梅弥月、竹取の翁には博物館の館長小泉芳孝、竹取の媼には奥真里子、かぐや姫の父親には武部 宏(元KBS京都アナウンサー)、貴公子に橋本茱吾ら5数名、隼人には「まちづくり市民ネット京田辺」代表の河内弘安ら2人、ススコリには郷土史家の古川章、神功皇后には「きゅうたなべ倶楽部」市民代表の有地叔羽、継体天皇には作家でギルガメシュの石田天佑、継体天皇の皇后には唯文砂子、仁徳天皇の磐の姫には地元の新納ゆかり、秦の始皇帝には博物館研究員の冨永次郎、日本人のルーツ少数民族アカ族女性には博物館研究員の川野裕子、徳川家康には唯氏の友人(70歳)ら総勢20数名が参加。 
 11時からは、地元山本地域に残る伝統文化財の芸能 「湯立て神楽」を「かぐや舞」の演者:梅弥月が披露、茶席「山城かぐや流」家元の小泉芳孝、茶匠 植村貞澄により「かぐや姫茶会」が開かれ華やかな雰囲気に包まれていました。
  午後1時からは。芸能「かぐや舞」演者: 梅弥月により「天宇受売命・天の岩戸開き」が太鼓や鉦のリズムに合わせて舞われ、神々の舞が技と心を未来へ導く饗宴となりました。最後には紙吹雪が舞い会場からは「お捻り」が飛び交っていました。
午後2時からの講演では、講師に石田天祐さんを招いてテーマ「古代史の虚実に
7ついて」と題したお話をして頂きました。石田天祐さんは、京都地名研究会理事
で総合文芸誌「まほろば」編集長 潟Mルガメシュ代表、
他に日本ペンクラブ、日本文芸家協会などの会員、京都大学の言語学科で30数
ヶ国語を学ばれた作家でもあります。現在、石田さんが筆を進めている日本古代史
論考「偽史倭人伝」は、「記紀」特に”日本書紀”の虚実に満ちた歴史記事の創作と虚構の哲学を論考し、解明する野心作」である。この講演会には、筒木の「竹取物語の舞台」説は正しく賛同する!と言って頂いている
姫路独協大学名誉教授、日本語語源研究会代表、京都地名研究会代表の吉田金彦
先生にも駆けつけて頂きました。 
 吉田先生は、『古事記』の「大筒木垂根王」と「大筒木真若王」の「筒木」は、継体天皇の筒木宮であり山城国のことである。また「迦具夜比売命(かぐや姫)」の「竹取
物語の舞台」が京田辺市であるという竹取翁博物館の小泉館長説に賛同して頂いている方の一人です。

【参考】
 吉田氏紹介−語源研究の第一人者。京都大学文学部卒業。専攻:国語国文学。京都府立女子短大教授、大阪外国語大学教授など歴任。姫路独協大学名誉教授。現在: 日本語語源研究会代表、京都地名研究会
代表理事。著書:『日本語語源学の方法』『古代日本語をさぐる』『古代日本語を歩く』『京都滋賀 古代地名を歩く』『ことばのカルテ』『埋もれた万葉の地名』他多数。
 この他に、地元郷土史家の藤本冨雄さん、「人形劇団ぷくぷく」代表の太田恵美さん、館アドバイザーの池平正治さん、元交通公社の英語ガイド広岡一さん、写真スチール撮影係で館広報の伊藤文雄さん、ビデオ(ユーチューブ)撮影係で和歌山から来て頂いた坂本英利さん、さらに京都新聞・産経新聞記者やケイキャット(ケーブルビジョン)のビデオらの取材もありました。また、市民ネットからの御菓子や1周年記念祝いとして京都中央信用金庫から「祝い酒」、さらに木津市鹿瀬山の青木さんから「柿ワイン」も提供して頂き、最後の祝宴に利用させて頂きました。
 この様に多くの皆さんの御協力により竹取翁博物館の1周年記念祝賀が、盛大に開催されましたことをこの
場でお礼申し上げます。有り難う御座いました。


イベント企画(案)  (2013年1月24日現在)

 竹取翁博物館開館一周年記念祝賀  
 
「かぐや 姫まつり」                    
   ★キャッチフレーズ
    かぐわしの 君(きみ)の光を たよりにて
                古里かへる 竹取の家

開催日 平成25年2月7日(木)
時 間 10時〜16時
開催場所 竹取翁博物館・竹取の家(別館@)「かぐや姫館」)
京都府京田辺市三山木直田10       http://taketori.koiyk.com/haku-ibento2.html
内容 茶乃湯(茶会) 特別展 講演 かぐや姫時代行列 かぐや舞
主 催 竹取翁博物館 0774-62-2522 
目 的 かぐや姫を迎へ、ともに物語し、古里京田辺をにぎやかに…。 
会 費 3000円  定員 先着順10名
  (時代行列 茶席 昼食 芸能 講演 博物館入館料付き)
順序
 2月6日(水)
  13時〜甘南備山から長寿・子宝授け・多宝「香具矢大妙神」
       (かぐやだいみょうじん)」を本館の「かぐや神社」に迎える儀式
 2月7日(木)
  10時〜 「かぐや姫時代行列」
     (かぐや姫・翁・媼・貴公子・帝・仁徳天皇・磐の姫・隼人・須須許理 他)



■問合せ 植村貞澄 0774-76-4731  →詳細はクリック
竹取翁博物館
場所:〒610-0313京都府京田辺市三山木直田10 
代表者小泉芳孝
JR片町線「JR三山木駅」東へ徒歩3分 近鉄京都線「三山木駅」東へ徒歩2分
 TEL・FAX 0774-62-2522 携帯 090−6961−9391
  Mail koiy@leto.eonet.ne.jp  http://taketori.koiyk.com/


かぐや姫迎え「初釜茶会」盛大に開催
          (於竹取翁博物館
) 
開催2013年1月5日                    

 初釜の茶会は、舞踊家・ビアニスと作曲家・笛製作兼演奏家らを招いて開かれました。
 出席者は、本館の展示とかぐや姫神社を参拝したあと、竹取の家(別館@)「かぐや姫館」で茶会を開きました。  
茶会には、陶芸家の植村さんが亭主になり、館長の作った赤茶碗や植村さんの茶碗、それに博物館に提供頂いた手作りの「竹の茶碗」でお茶を頂き、竹取物語やかぐや姫などの楽しい話をしました。湯を入れた竹茶碗に耳を近づけると、「かぐや姫のささやき」が聞こえることも全員で確かめと不思議現象を発見。
  
その後に、懐石を戴いてピアノ演奏や笛の演奏それに舞踊家・楳茂都楳弥月の「鶴亀」の舞もあり茶会も最高潮となりました。 
 
 出席者からは、大きな拍手が湧き、大変ユニークで楽しい茶会だったと絶賛。 
博物館の開館1周年を祈念して開催予定の「かぐや姫まつり」(2013年2月7日)の
「南無香具矢神の降臨」や「かぐや姫時代行列」「シルクロードの講演会」などの打合せをしました。 




【報告】
下記の講座は、1年間続けられ当初の目的りどおり一定の成果を上げました。
故に1周年を期に新たな発展目標を決めて、その都度勉強会や講師を招いての講演会を開催することに致しました。

〈YouTube動画〉竹取物語の舞台は京田辺
【日程】基本的に第1週目の金曜19:00〜21:00 
「竹取物語を語る会」の詳細!!
   題名『竹取物語を語る会』
    第1回目 2011年12月2日 19:00〜21:00
    第2回目 2012年1月13日 19:00〜21:00
    第3回目 2012年2月〜毎月第一金曜日 19:00〜21:00
【場所】竹取翁博物館本館 〒610-0313 京田辺市三山木直田10
【参加費、テキスト代】(1回のみ各200円)
      出版本『竹取物語 現代考』小泉芳孝著お持ちの方は無料。


【参考本】テキスト本4000円。(『竹取物語 現代考』定価6000円→5000円)  
【司会進行】池平正治(IM総合文化教育研究所所長)
【講師】小泉芳孝(館長)
【目的】本館は竹取翁博物館として展示する全てについて広い見地から多角的に調査・研究し伝統文化財としての京田辺の地を正しく理解しこれを広め、ふるさとを誇る心を育てることを目的とする。地域の市民らを対象に物語を読む会などを開き、地域交流を支援する。講師だけでなく、参加者からの話を交えた内容を中心に進めていく。
【応募方法】
   郵便番号、住所、氏名、年齢、職業、電話番号
   参加希望日 記入の上、下記へご連絡下さい。
   ホームページ http://taketori.koiyk.com/okina-hakubutu.html

   (メール)koiy@leto.eonet.ne.jp    (YEL・FAX)0774-62-2522
京都府内初の私設博物館「竹取翁博物館」開館

 “かぐや姫の里”京田辺
                                 竹取翁博物館 館長 小泉芳孝

 定年退職間際に体調が悪くなり、その後も冬眠生活をして世間からかけ離れた生活をしていましたが、このままではいけないと悟った私は今年二月頃、長年の懸案であった博物館構想で社会に還元できればと自宅をミニ博物館とすることにして準備していました。
 その後西隣の借地民家と三軒隣りの旧民家が手に入り、これらの古民家を生かした“竹取物語発祥地”京田辺にふさわしい“かぐや姫の里”京田辺「竹取翁博物館」というものを運営することとなりました。
 つきましては、今回、館の案内パンフレットを作成しました。

         http://taketori.koiyk.com/okina-hakubutu.html

「竹取翁博物館」の開館は、2012年2月1日ですが、プレイベントとして毎月各曜日に下記の口座を開館することにしました。
 @2011年12月2日の第一金曜日午後7時〜9時に「竹取物語を語る会」を同博物館で開催することにしました。
また
 A 第2金曜 午後7時〜9時「郷土史を学ぶ会」(予定)
 B 第3金曜 午後7時〜9時「一休さんを語る会」(予定)
 C 第4金曜 午後7時〜9時「継体天皇を語る会」(予定)
というように毎回のテーマを決めずに皆さんで語りあって気軽に参加できる会を発足することになりました。時々テーマにそったゲストの先生にもできましたらボランティアで来て頂いたりも考えておりますので、ぜひ上記のテーマでご興味のあるものがありましたらご参加頂ければ幸いです。
 当博物館は私設の博物館にふさわしいアイデアを募集しています。また、ボランティアスタッフも募集しています。学生、市民を問わず、
博物館の活動に興味や関心のある方!是非気軽にご連絡ください!


  詳細は、 http://taketori.koiyk.com/okina-hakubutu.htmlをご覧下さい。
       連絡先  電話・FAX 0774-62-2522    携帯番号090-6961-9391
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