稲作民俗の源流  Fork customs of rice growing in the world and Japan

  民俗の スケジュール  
下記のような会が発足しました。ご興味のある方にお知らせ頂ければ幸いです。
竹取翁博物館「竹取物語」語る会
<注意>予告なくイベントの内容日程など変更されることがあります。あらかじめご了承下さい

"かぐや姫の里”京田辺"                Taketori okina Museum
 
E 開館式
オープニング・セレモニー  竹取翁博物館
            
・博物館では、これからも皆様に愛されるNo1の博物館を維持してまいります
                (京阪奈学研都市、かぐや姫と町づくり・交流会) 
                                      

  
 
オープニング・セレモニー
@竹取翁博物館」開館
A設立目的
 
B.開館式プログラム
C.セレモニー 2012年2月1日
D.出演者紹介
E出版物販売
F.フェイスブック 
G ツイッター
H.かぐや姫クラフト開催

■生放送出演(KBS京都)

館長活動記録
・ 「隼人サミット」シンポ
「隼人サミット}出演
竹取物語シンポ司会
「竹取物語シンポ」出演!
京都府eラーニ(動画)
「南山城」シンポジウム
竹取物語を語る会
卑弥呼の邪馬台国
竹取翁博物館入館者
小泉「京都地名研究」
「稲作民俗」研究
「邪馬台国」研究
「除服伝説」研究
「大筒木出版」

その他HP 運用
■稲作民俗の源流
■『竹取物語』
■世界遺産
■スカイハイツ三山木

■海の世界
小泉ファミリー
世界見聞録


 京都府生涯学習スポーツ情報

京都府eラーニング塾
  「“かぐや姫の里”京田辺」(第1回〜第3回)

  京都府発見講座2012年3月26日(月)開始

低速(300kbps)高速(1000kbps・表示中)
動画のサイズは、動画右下ので調整できます
別ウィンドウで再生する( 低速 高速

日本最古の物語『竹取物語』。
“かぐや姫伝説”発祥の地とされるまちは日本全国に存在しますが、本講座では『古事記』をはじめとする数々の史料や出土品をもとに、京田辺とかぐや姫伝説のつながりについて解説します。
講師 小泉芳孝(日本民俗学・郷土史研究家)
提供団体 京田辺市
時間 27分00秒
 
NHKニュース報道されました。
その時の映像です。



 

   TOP>インターネット放送局>京都府発見講座>
 
・京都eラーニング塾「“かぐや姫の里”京田辺」(第1回)
  京都府発見講座 2012年3月26日(月)開始
 http://spogaku.pref.kyoto.lg.jp/movie_info.html?id=198 クリック放映中
・京都eラーニング塾「“かぐや姫の里”京田辺」(第2回)
  京都府発見講座 2012年3月26日(月)開始
 http://spogaku.pref.kyoto.lg.jp/movie_info.html?id=199 クリック放映中
・京都eラーニング塾「“かぐや姫の里”京田辺」(第3回)
  京都府発見講座 2012年3月26日(月)開始
 http://spogaku.pref.kyoto.lg.jp/movie_info.html?id=200 クリック放映中
       
      京都eラーニング塾
        講師 小泉芳孝


上記のインターネット放送「“かぐや姫の里”京田辺」
    (第1回〜第3回)

http://spogaku.pref.kyoto.lg.jp/movie_info.html?id=198&mode=slow
http://air.pref.kyoto.jp/bizlatweb/contents-information.do?id=D85sWm2Jdp8
http://spogaku.pref.kyoto.lg.jp/movie_top.html?cat_id=1
http://spogaku.pref.kyoto.lg.jp/movie_info.html?id=198 
   クリック放映中!!

 
 山本駅の碑

『竹取物語 現代考
   原文・注釈・現代語訳・解説付き


京田辺の史跡探訪 歴史散歩コース



※ご注意

 このビデオ収録は、2010年の10月頃撮影したものです。その後の調査により作者は空海説となり、かぐや姫の誕生シーンも「イエスキリスト」の復活とオーバーラップしているなど、博物館の研究員らによって解明してきております。
 故に、博物館にお越しになり常設展の冊子『竹取物語 現代考原文・注釈・現代
語訳・解説付き
』2012年2月1日発行(博物館のみで販売)をお読み頂きたく思います。
 その他、古事記1300年とも関連して、日本古代史のナゾが解明しつつあり。
現在では、「徐福伝説地」展や「卑弥呼の邪馬台国」展を開催していて場所が判明しつつあります。

   
講座は全て無料です。動画再生ソフトは、下記をクリックしてダウンロードしていただけます。(無償)

コース分けについて

竹取物語の原稿と写真   2010年5月28日 18:32  1回目講座@.pdf へのリンク 
Microsoft PowerPoint - 1回目〜3回目までの講座
1 
時の帝は、かぐや姫に宮仕えを断られ「竹取りの翁の家は、山本の近くにあるので狩りに行くような姿で姫を見よう」といわれた。その山本とは、『続日本紀』巻第五の和銅四年(711)条に
 四年春正月丁未 始置都亭驛 山背國相楽郡岡田驛 綴喜郡山本驛 
 河内國交野郡樟葉驛(以下略)
とあり平城京に通じる主要官道の都亭驛として綴喜郡に「山本驛」を新設されたことを伝える所である。ここに古代駅制の「山本駅」と言う駅家が存在していたことから京田辺が有力であると考えた。地元に保存されている『山城国綴喜郡筒城郷朱智庄佐賀庄両惣図』と『筒城郷佐賀荘全図』には、近鉄三山木駅の南に「大筒城佐賀冠者殿旧館地」と記されている場所があり近年の発掘により山本駅があった所と考古学上からも実証された。
 「大筒城(おおつつき)」は、継体天皇の「筒城宮」であり山城国のことで、京都府綴喜郡の「綴喜(つづき)」である。「冠者殿」とは、元服して冠をつけた男子で宮仕えした人である。この大筒城佐賀冠者殿旧館地が竹取翁の家のあった付近ではないかと思われる。
 日本全国に沢山存在する「山本」 と言うのは、「山の麓(ふもと)」 という意味であるが、『竹取物語』の出来た頃の本来の「山本」は御神体山の麓を指す。古くから信仰の対象となった京田辺市の甘南備山は、富士山に似た山で神仙思想溢れていて天女伝説を兼ね備えた地域である。甘南備山は、平安京の朱雀大路を決定する際に南の基準点とされていたことからも京田辺が有力であると考えている。

2 
 現存する『竹取物語』の最古本(天理図書館所蔵)では、竹取翁の名前を「さかき」とある。その他の本では、仮名の「さるき」を写字の際に意味を成さないため「さぬき」にしたということで「讃岐神社」とされているが、「さかき」説の方が古本に記されていることから採用した。
 翁の名前が「名をば、さかきのみやつこ(造)となむいひける」とあるところから 「さかき」(榊)つまり「神に仕え」「朝廷に仕える人物」を題材にしたと考えている。つまり半官半民の両方を受け持った人物であり「竹の呪力」をも兼ね備えた翁である。
 京田辺市三山木の『延喜式内佐牙神社本源紀』には、酒造用水を守護する男女二神の佐牙弥豆男と佐牙弥豆女の酒殿神がみられ、唐国から酒を造る曽保利と曽々保利という二人が渡来したと記されている。「佐牙(さが)」は「サケ」「酒」である。また興戸の延喜式内酒屋神社は酒を製造した場所とされ、三山木の山崎神社や飯岡の咋岡神社も酒に関係があり、「さか」は「酒」に通じていることから「さかき」であろうと思われる。


3 
 隼人は、六世紀頃に薩摩半島南部から畿内の各地に移住して大和朝廷のさまざまな儀式に奉仕した。大隅隼人と阿多隼人が京田辺市の大住に移住したのは、正倉院文書から確認することが出来る。これら隼人は、都(奈良・京都)を防衛したり朝廷や貴人の警護、諸儀式などに使う竹細工をし、さらに呪術として隼人舞を舞うなどしていた。物語の中で「かぐや姫」が羽衣を着て昇天する場面では、「隼人」が帝から遣わされた兵士として姫の屋敷を守る役目で登場している。
 隼人が移住した大住の延喜式内月読神社では、毎年秋の祭りで隼人舞が奉納されている。月読神社の祭神は、かつて神体山の甘南備山から月読神を降臨させ祭りを行っていたことから天孫降臨神話の伝承が見られる。竹の呪力と竹製品を作る技術の両方を兼ね備えた隼人は、月信仰の神仙世界を彷彿とさせ京田辺が竹取物語の里と言えよう。

4 
 我が国の最も古い歴史書とされる『古事記』上巻に、第九代開化天皇のひ孫「迦具夜比売命」の名を見つける事ができ、『竹取物語』の作者は、『古事記』に実在している人物の「迦具夜比売命」をモデルとしたと考えられる。この迦具夜比売は垂仁天皇の妃となり、その子の袁邪弁王なる御子の名も歴史の中に記載されている。迦具夜比売命の曾祖母の名を竹野比売(たけのひめ)、その父の名を「大筒木垂根王」とされていて「大筒木」の「筒」は竹、「垂根王」は「竹の根」で月を連想した王と言える。また曾祖母の名「竹野比売」も竹に通じている。
 一方、迦具夜比売命の父であった大筒木垂根王の「筒木」は、山代の継体天皇「筒城宮」に通じ、京田辺市に縁の深い人物であったと考えられる。『旧記 普賢寺之遺跡』によると、大筒木垂根王の古墳は、普賢寺御所内の山頂にある大居谷古墳だと記されている。
 以上の点から翁は山本駅長か、佐牙神社の太夫、大住隼人の関係者のどれかをモデルにしたと考えられる。


"かぐや姫の里京田辺竹取翁 博物館 芳泉作
   2012年2月オープン!!    (京阪奈学研都市町づくり・交流会)
      展示品:竹取物語の舞台となった山本駅跡や筒城宮、月読神社
           「かぐや姫」に関連するもの。日本や世界の民俗・考古資料等。
      特色:古民家を再生利用!! 土蔵や古材生かした内装!!
      設立目的: 国民の教育、学術、文化発展に寄与する。
Taketori okina Museum

 「開館式」ご案内竹取翁博物館開館式典
日時2012 2月1日() 9時 主催竹取翁博物館
場所610-0313京都府京田辺市三山木直田9-2
  9:00 開会のテープカット(本館内) 尺八演奏(三好芫山)
    開館の挨拶(館長、市長、来賓、吉田金彦様)
   ※前売チケット(人形劇・コンサート・入館料込500円) 
後援  京田辺市 ・ 京田辺市教育委員会
     まちづくり市民ねっと京田辺
     きゅうたなべ倶楽部・()バンネット・システム
協力団体人形劇団ぷくぷく・朗読の会萠え山城松明講社長松村
      宮本順三記念館かぐや姫の里を考える会 他
   本館の常設展 「京田辺『竹取物語』」「郷土史歴史散歩」「一休さん」
            「継体天皇の筒城宮」「竹取人形」「竹取物語の襖絵」等
   ・本館の特別展「作者は空海か」
  ・別館@「かぐや姫館」常設展
『竹取物語』
「劇の人形」「竹取物語襖絵」「茶道具」等

  ・別館Aの常設展土蔵「マスコミ一代記・生と死の民俗」
 
9:20  開館 招待者と来賓の館内見学
 
9:30 一般入場開始 
10:0011:00 別館@ 音楽コンサート 
  ・
尺八演奏
(都山流の三好芫山)「お祝いの曲」等
 
 
・ピアノ(松居利佳)と(高木一美)演奏「初恋」「宵待草」等
  ・
コラボ 都山流の三好芫山とピアノと歌
11:0011:50 別館@
人形劇(ペープサート)公演「竹取物語」 
           人形劇団ぷくぷく・朗読の会萠え
 人形劇と語りの竹取物語
13:00 
シンポジウム『竹取物語』  総合司会〜臼井
      基調講演、地名研究会会長(吉田金彦)姫路獨協大名誉教授・大阪外大名誉教授
       題名「京田辺の『竹取物語』発祥地説などについて」

13:30 シンポジウム   司会 小泉館長(日本民俗学・郷土史研究家)
   (報告者)曽根誠一(20 ) 題名「国文から見た『竹取物語』」(花園大教授
             玉井芳泉(10) 題名「『竹取物語』絵巻の制作について」(染色作家)

14:00 吉田金彦(専門国文)曽根誠一(専門国文)三好芫山 (尺八演奏家)玉井芳泉(染色作家)
16:00  終了  (16:05 スタッフ関係者立食パーティー)

竹取翁博物館場所:〒610-0313京都府京田辺市三山木直田10
     代表者小泉芳孝
  JR片町線「JR三山木駅」東へ徒歩3分  近鉄京都線「三山木駅」東へ徒歩2分
  
TEL・FAX 0774-62-2522 携帯 090−6961−9391
   HP http://taketori.koiyk.com/
 Mail koiy@leto.eonet.ne.jp
  ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。yk 
copyright(C) 1999 Yoshitaka Koizumi. Corporation Japan. All Rights Reserved
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平成15年度「公開例会」 京都地名研究会・第6回例会(南部会場)

<シンポジウム> メインテーマ「秘められた南山城の地名を探る」 

 

 山城は古くから文化の栄えた所です。京都地名研究会では、南山城における『記紀』や『万葉集』などの古代地名や人名について、研究者をお招きして「秘められた南山城の地名を探る」を開催することとなりました。このシンポジウムにより南山城の古代地名を明らかにすることにより先進的な地域であったことがわかるのではないかと考えています。

日本語と日本文化の起源を知るには、地名への関心が一つの大きな意味を持っています。文献の記録をもとに、土地の伝承に耳を傾け、南山城の古代地名を明らかにしたい。

 

開催日: 平成15年10月19日(日)

時 間: 午前10時〜16時30分 

場 所: 京田辺市立中部住民センター  メインホール(収容人員200人以上)

      〒610−0311京都府京田辺市草内美泥22−2 0774−64−8810

<交通アクセス> JR片町線 新田辺駅・近鉄京都線 新田辺駅下車

1.近鉄バスターミナルより 京阪宇治又は奈良交通バス(約8分)「草内口」下車すぐ

             草内行き8:30 9:00 9:30

2.JR新田辺駅より東へ徒歩約18分・近鉄新田辺駅より東へ徒歩約15分 

3.自家用車の方は、国道307号線 山城大橋の東側(駐車場30台)

   ■来聴歓迎(事前申し込み不用)、小冊子資料代:会員無料、非会員500円(当日徴収)

 

  10:00〜 10:10 総合司会:地名研究会 糸井道浩 (入口でシンポの質問用紙配布)

開会あいさつ:主催 京都地名研究会常任理事

                     共催 京田辺市郷土史会会長

【基調講演】 10時10分〜12時30分 

10:10〜11:20「神功皇后伝説のふる里を探る―南山城の“息長(おきなが)”の地名を手がかりとして―」

           塚口義信 堺女子短期大学 学長 (日本古代史・文化人類学)

11:20〜11:25  休 憩

11:25〜12:05「竹取物語ゆかりの筒木について」

小泉芳孝 京田辺市郷土史会理事 葛椏s放送(日本民俗学 郷土史家)

12:05〜12:30 「南山城の神社と伝承について」

石田天祐 日本語語源研究会 潟Mルガメシュ(幻想創作家 相撲史研究家)  

休憩12時30分から13時20分(昼食・シンポの質問用紙回収)

周辺食事出来る所少なく弁当持参して下さい。

 

【シンポジウム】 13時30分〜16時30分

 テーマ「秘められた南山城の地名を探る」      

冒頭コメント:

「つぎねふ山代と河内との関係」−地名から仁徳・継体の筒城行幸の跡を考える−

吉田金彦 日本語語源研究会代表 姫路独協大学名誉教授

予定パネリスト:塚口義信 吉田金彦 小泉芳孝 石田天佑 斎藤幸雄

シンポジウムの司会  古川 章

 

シンポジウムの予定項目    途中の休憩でシンポの質問用紙回収

1.神功皇后伝説と“息長”一族それに継体天皇「筒城宮」

2.南山城の古墳(椿井大塚山古墳・佐紀古墳群・飯岡古墳群)

山代の古墳出土鏡と被葬者は? 三角縁神獣鏡 神人車馬画像鏡

3.『古事記』に記す山代の地名・人名・祭神      
かぐや姫(かぐやひめ)大筒(おおつつ)木垂根王(きたりねおう)」「山代(やましろ)()大筒木(おおつつき)真若王(まわかおう)」「山代(やましろ)()()名津比(なつひ)()

山代(やましろの)内臣(うちのおみ)」「山代(やましろの)大国(おおくに)之淵(のふち)」「山代(やましろの)内臣(うち)之祖(のおや)

4.『竹取物語』にちなむ地名「山本」「筒城」「山崎」「甘南備山」「三室戸」など
5.山代の渡来人に関する地名について(酒・絹織物・鉄・発酵食品)
6.仁徳天皇「奴理能美の家と皇后磐之媛(いわのひめ)

7.山代・山背・山城、筒木・筒城・綴喜、山代川・和訶羅(わから)河・輪韓(わから)河・泉川(河)・木津川など

  質疑・応答 16時15分から16時30分

京都地名研究会事務局 綱本逸雄から連絡事項の報告 

閉会あいさつ:京都地名研究会から

懇親会:17時30分〜 事前申込者のみ

主催:京都地名研究会   

共催:京田辺市郷土史会 京田辺市社会教育課内 0774-62-9550 

後援:京田辺市教育委員会、葛椏s新聞社、京田辺市観光協会、かぐや姫の里を考える会、

協賛:関西元気文化圏参加事業 (「関西から文化力 POWER OF CULTURE」ロゴマーク使用)

 

問合せ先

○京都地名研究会事務局

○日本語語源研究所
           
600-8429 京都府京都市下京区御供石町360
         当会代表理事 吉田金彦(方)Tell&Fax 075-361-8812
 

○京都地名研究会 広報係 小泉芳孝

 

【基調講演の内容】

テーマ「神功皇后伝説のふる里を探る―南山城の“息長(おきなが)”の地名を手がかりとして―」塚口義信

 

古事記や日本書紀それに風土記などに記されている神功皇后伝説や息長氏、あるいは応神天皇や継体天皇などの古代天皇を研究している塚口義信氏から「古代山城南部の歴史」、特に「南山城の“息長”一族」についてお話ししていただく。塚口氏によると、神功皇后の系譜や伝承は、滋賀県坂田郡の息長氏が有力になる6世紀以前から山城南部の“息長”一族によって伝承されてきたものであり、この一族は息長帯比売の陵墓伝承のある、大和三大古墳群の一つとして有名な佐紀古墳群と深い関わりを有しているという。京田辺市にある普賢寺の山号は息長山であり、朱智神社の祭神「山代之大筒木真若王」(「山代」「筒木」に由来する名前)をはじめ神功皇后の系譜に山城南部の地名に由来する名が多く登場する。これは、山城南部の“息長”一族がこの伝承を語り伝えてきたからであり、6世紀初頭に継体天皇が筒城宮に来たのも、この一族と近江坂田郡の息長氏が継体を支援していたからである。

“息長”“綴喜”“高木”“綺田(かばた)”などをはじめとする南山城の地名を手がかりに、神功・応神伝承の謎を解き明かすとともに、4〜6世紀における山城南部の政治集団とヤマト政権(畿内政権)との関わりについて考察していただく。

塚口氏紹介−堺女子短期大学 学長、文学博士。1946年大阪府生まれ。専攻:日本古代史・文化人類学。関西大学第一高等学校・第一中学校教諭、関西大学講師など歴任。主な著書『神功皇后伝説の研究』(創元社)『ヤマト王権の謎をとく』(学生社)『古代王朝をめぐる謎』(学生社)『三輪山の古代史』(学生社)『三輪山の神々』(学生社)『古代天皇のすべて』(新人物往来社)など。

 

テーマ 「竹取物語ゆかりの筒木について」 小泉芳孝

 

京田辺市に伝わる伝承や社寺の本源記、それに個人が持っている古文書を見ていると。実に古く神代の時代のことが多く書かれている。

これらの内容が何時の時代に、どのように、どういう意図を持って書かれたのか今まで解からなかった。ところが最近、堺女子短期大学の塚原義信学長の著書『やまと王権の謎をとく』などを読んだ時、今まで何となく目にして来た地元に伝わっている伝承や、古文書などに書かれていることが私の頭の中で繋がり、『古事記』に記す山代(やましろ)()大筒木(おおつつき)真若王(まわかのみこ)」「大筒木(おおつつき)垂根王(たりねのみこ)」や、『日本書紀』に記す「筒木の韓人、名は奴理(ぬり)能美(のみ)」「仁徳天皇の歌と磐之媛の答歌」それに、その後の出来事などが私の頭の中で具体的なイメージとして浮かび上がってきたのである。

それとともに最近、京田辺市郷土史会で取り組んでいる『竹取物語』かぐや姫の里“京田辺”の『古事記』垂仁記に記す「大筒木(おおつつき)垂根(たりねの)王之女(みこのむすめ)迦具夜(かぐや)比売(ひめの)(みこと)」も架空の人物でなく「筒木」(筒城・綴喜)に居住していた人で、大筒木垂根王は筒木を舞台に活躍した実在の人物であったことがわかった。

また、延喜式内朱智(すち)神社の祭神や息長山普賢寺それに甘南備山、継体天皇の「筒城宮」などから、『竹取物語』ゆかりの筒木が山代地域において重要な位置を占めていることに気付いた。これらについて私なりの考えを述べてみたいと思います。  

小泉氏紹介−京田辺市郷土史会理事、葛椏s放送勤務。1947年京都府生まれ。近畿大学法学部法律学科卒業、佛教大学文学部史学科卒業、専攻:日本民俗学・郷土史。京都民俗学談話会会員、京都府立山城郷土資料館友の会。主な著書『稲作民俗の源流−日本インドネシア』(文理閣)。主な投稿『竹取物語“かぐや姫の里”京田辺』京田辺市郷土史会編・『京都民俗』京都民俗学談話会会誌・『筒城』京田辺市郷土史会報など。

 

テーマ 「南山城の神社と伝承について」 石田天祐

 

私は、南山城に関する記紀神話や万葉集それに祭神など言語学の分野から迫ってみる。現代の山城における地名は、古代日本語・やまとことば・中国語・古代朝鮮語・満州語などあらゆる分野の言語から分析しないと解明できない。各地の地名や人名それに祭神などについては、派生語や母音交替形・同音同義などから言語や語根を解読していかなければならない。

それらの中から南山城における各種神社の伝承について地名や祭神がどのようにかかわっていたのかお話しする。特に継体天皇や仁徳天皇と渡来人との関係や、歴史上は神話とされている神社の祭神など言語学から見た南山城の歴史を述べる。この地域は、歴史上かなり古くから栄えていたところであり一般の歴史書には記されていない。しかしここには古くから南方や中国大陸それに朝鮮半島から渡来人が住み着き神功皇后や息長足姫に関係する地名や伝承が残っている。

石田氏紹介−潟Mルガメシュ代表。1943年静岡県生まれ。京都大学文学部言語学科卒業、同大学院修士課程終了。相撲史研究家・幻想創作家。日本語源研究会・総合文芸誌「まほろば」編集長。著書『イグドラシルの言語学 −やまとことばの源流を尋ねて』『義留我(ぎるが)明主(めしゅ)の言語学 −続やまとことばの源流を尋ねて』(ギルガメシュ出版)・『忽然の人』(ギルガメシュ出版)・『マルドゥクの怒り』(ギルガメシュ出版)・小説集『風と馬と』(現代企画室)など。

 

【シンポジウム冒頭コメント】

 

テーマ「つぎねふ山代と河内との関係」−地名から仁徳・継体の筒城行幸の跡を考える− 吉田金彦

 

 京田辺市域の地名を調べて山代と山背の国名の由来を知り、奈良のほかに河内との関係が深いことを考えた。

そして枕詞ツギネフの意味も地名山代・山背の意味に即して決定することができる。伝承時代である仁徳天皇は、淀川・木津川を経て筒城入りした。また継体天皇は、河内の国から山越えで山背にやってこられた。それらは地名で推理することができるのである。

 吉田氏紹介−日本語語源研究会代表、京都地名研究会代表理事。1923年香川県生まれ。京都大学文学部卒業。専攻:国語国文学。京都府立女子短大教授、大阪外国語大学教授、姫路独協大学名誉教授。著書:『日本語語源学の方法』(大修館)、『古代日本語をさぐる』(角川書店)、『古代日本語を歩く』(弘文堂)、『京都滋賀 古代地名を歩く』T・U(京都新聞社)、「ことばのカルテ」(創拓社)、「埋もれた万葉の地名」(東京堂)など。

 

パネリスト 「流域をめぐる史跡・伝承」 斎藤幸雄

 

木津川をめぐる歴史や文学(古代〜近代)にこだわり、ロマンを求めてその伝承や史跡を探訪してきた。そういう中で多くの「南山城逃避行」現象を見いだした(古代より近世の徳川家康・熊沢蕃山にいたる)。磐之媛などもその一人である。市辺押磐皇子の遺児顕宗・仁賢天皇もそうだが、継体天皇もその視点で見ると面白いのではと思ったりしている。

また古伝承を、「水」を視点にしてとらえてみるのもその謎を探るうえで面白い。田辺の神功皇后不違池伝説、精華町の船長(ふなおき)伝説、山代大国之淵の娘(かに)戸辺(はたとべ)にまつわる亀石伝説、武埴安彦・忍熊王・莵道稚郎子等々。その背後に水系氏族の息長氏・和珥氏が介在、葛城氏や丹波の氏族もかかわる。

 専門研究家ではないので、南山城の歴史ロマンを楽しむ立場からシンポシウムに参加できたらと思っている。

斎藤氏紹介−緑と教育と文化財を守る会(城陽市)副会長、枚方文学の会会員、1937年旧満州国生まれ。京都教育大学第二社会学科卒業、大阪府公立中学・高校に在職した。専攻:日本中世史(平家物語)、著書:『木津川歴史散歩』(かもがわ選書)、『続・木津川歴史散歩』(かもがわ選書)、『やましろ歴史探訪』(かもがわ出版)。枚方文学の会会誌『法螺』に「木津川歴史散歩」を連載(今は宇治川に視点を移している)。また古典文学を読む三つのサークルに所属し、平家物語や太平記を読み続けている。

 

シンポジウムの司会  古川 章

 

洛南艸舎文庫『洛南艸舎手づくり消息』を主宰し、第43号を数える。京田辺市役所で37年勤務し、今まで『京都府田辺町史』『田辺町郷土史社寺編』『田辺町近代誌』『田辺町近世近代資料集』の刊行。京田辺市郷土史会の『筒城』などの編纂や事務局を担当した。

今回シンポジウムの司会を担当することになり郷土史の素晴らしい歴史を各分野の専門の先生方や郷土史家の方たちと共に研究できることを嬉しく思っている。

 

  「新しい視点と展開に期待」

 

南山城地方は、近畿の中心地であり、加えて関西学術研究都市として20世紀は脚光を浴びた。そのため開発も著しく進み、考古学の分野や市町村史誌の刊行による古文書類の発掘なども進んだ。しかし、21世紀は、大陸からの渡来人の足跡など、黒潮文化の解明を深めなければならないと思われる。こうしたとき「秘められた南山城の地名を探る」は、自宣を得たテーマといえる。

 バネラーの諸先生方の新しい視点として南山城のこれまでの南北軸文化に加えて、東西軸文化の幕開けにふさわしいシンポジウムであろう。

古川氏紹介−洛南艸舎文庫主宰。1937年京都府生まれ。立命館大学文学部卒業、専攻:日本文学。歌人・エッセイスト。主な著書『田辺郷土史なんやかんや』『南やましろの綴喜』共書、『京のかくれ話』(同朋舎)


「京都地名研究会」設立の主旨                                        
                                   京都地名研究会  代表理事 吉田金彦

 

 地名は固有名詞であり、普通名詞という二重性を持っている。
地名は、土地に関わりを持つ人たちの、様子を知ることが出来る。つまり、土地に付けられた名前であり、土地との関わりをもつ人達の固有の名前です。また、土地の関係を物語る媒介物である。
 地名の研究については、今まで歴史学、地理学、民俗学、国文学など、色々な分野から研究がなされています。この地名が新しい住宅開発などによって現在消滅の危機に瀕しています。全国の大字および小字の地名が、消え去っています。
 明治維新のときの廃仏棄釈にも匹敵すると言う学者の先生もいます。これら地名消滅の危機からすくうためにも、地名への強い関心を喚び起こす必要があります。最近、市町村合併の動きが出ていて、市町村の地名が焼失してしまいそうです。
 色々な知恵を出し合って祖先から伝わっている地名を残すように工夫して頂きたいものです。そうでないと一度なくなった地名は、二度と復活することがなく忘れ去られる運命になるからです。
 合併により市町村名や地域の個性や地域性が薄れて、愛着がなくなるという懸念があります。合併により名前が一部なくなるので、この機会に地域の歴史や伝統文化などを貴重な資源としての活用を図り、住民自らが主体となって魅力あるまちづくりを進めねばなりません。      平成14年3月1日

 

 

「京都地名研究会」発足にあたって                  

                                            「京都地名研究会」設立総会挨拶から   代表理事 吉田金彦 

                                                                        

新緑の良い季節を迎え、皆様、益々ご健勝の程、お喜び申し上げます。

本日はここに、京都地名研究会発足に当たり、御用も多々御ありの中を、態々ご来会賜りまして、誠に有難うございます。各地の先輩各位や、府下内外の多くの有志のご声援によりまして、漸く、会の出発できます事は、この上ない喜びであり、幸せな事として、同慶の念で一杯であります。

京都地名研究会なるものは、実は、今から十五年前の昭和六十二年に一度、設立された事がありました。その提唱者は京都市の郷土史家松本利治翁で、研究会もその六月に発足したのでしたが、氏は大作「京都市町名変遷史」の研究に取り組んでおられ、暫くの研究会も、氏の逝去と共に続かなくなりました。私共の非力から、氏の後を継続できなかった事は、とても残念な事でしたが、しかし十五年後の今日、振り返ってみて、その間が失われた空しい時間だったとも、思われません。開設五年の語源研究会で忙しくしていた私の研究内容は、その当時結構、地名がテーマになってもおりました。

昨年十月に川崎市で全国地名研究者大会、同じく十一月に京都で日本語語源研究会、共に創立二十周年を迎えて、それぞれに記念の大会が開催されました。同時スタート兄弟学会のような関係でもありましたから、全国地名を主宰なさる民俗学の谷川健一所長を迎えての語源大会は、大いに盛り上がりました。その折に谷川氏の強い要請がありまして、矢張り、京都にも地名の学会を、と言う声が燃え上がったしだいです。京都地名研究会の名が、ここに再び復活することになったわけで、思えば、谷川氏の激励の賜物だったと、厚く感謝しております。

語源研究者の中にも沢山の地名研究者が居られる。京都には大学人も多いし、歴史や地理の話題には事欠かない。京都府下一円を中心に、及ぶところ遍く広く、府市町村民挙って集まり、地名のことを勉強しようと言う事になりました。

地名は、其処に人が住んでいます。人が住み、暮らし、生産したり、遊んだり、そして死んでゆく所です。そんな大地に名付けして、地名を日常茶飯事に使っています。ですから、地名の主人公は住民です。私共は、すっかり慣れっこになって、ややもすると無限の恩恵を受けている大地を忘れがちな様に、此れ無しに暮らせない必需の地名の大切さを、忘れていませんか。主人公が呼んだ今までの名前を、いい加減にしていませんか、など反省しますと、地名の研究はとても深く、根本的に重要な事だ、そして同時に厄介な事だ、と考えられてきます。

地名は大地に刻まれた歴史だ、とよく言われます。それ程重要なのに、スローガンほど地名学が、現代日本の科学の中で、確固たる地歩を占めてはいません。重要性は認知していても、学問体系に沿わない為か、これを正面から取り上げる人が、きわめて少ないのです。地名研究は従来、地理学や歴史学、その他諸学の関連的研究として、また熱心な郷土史家達の努力によって、行われてきました。その成果は、今日、大きな地名辞典として幾つか出来ていますが、今の日本の大学に、地名大学や、地名学部・地名学科など聞いた事がありません。国際交流とか、学際研究とか、総合研究とか、色々に叫ばれてはいますものの、地名に着眼し、そこを基点に発信する着想は、まだ無いようです。

ただ嬉しい事は、近年、その閉塞状態を打開しようとして、環境学とか、地域学とか、そういう名で呼ばれる提唱が、あちこちで起こってきた事です。もう従来の学問の方法論では駄目だ、と言う事に気づいたのでありましょう。そして、私の立場から、口幅ったい事を言わせていただけるなら、更にもう一歩踏み込んで、それら環境学なり、地域学なりに、地名という言葉の視点を重視して、それを是非加えて欲しいと言う事です。言葉の視点から、歴史を見る、地理を見る、と言う事で、歴史や地理の真相に迫れる事が、案外に多いのではないでしょうか。専門の歴史や地理学者が、地名については誠に幼稚な意見であったり、誤解をしている例が少なくないのを見るに付け、遺憾に思うことがしばしばです。此れの責任は、現時点であえて言えば、国語学や言語学に於ける地名分野の研究の欠落にありと言えましょう。

以上のような反省に立って、諸学手を繋いで、同じ目線で等距離に、地名を対象として調査・研究し、その過程と成果を公表・普及させ、学習・教育にも応用してゆきたいと、考えます。

地名研究は、まず自分の足元から。そして、歩いていく先々の地名まで。懐かしい故郷の地名、旅先で見つけた珍しい地名、変わった名前や読めない漢字の地名など、ぐるりにある地名の謎に、挑戦してみましょう。そこから、きっと新しい知識が開け、ゆとりのある心が育まれていくと、思います。

地名は、寺社が文化財であるのと同じに、貴重な文化財です。日本の地名は、日本人の心のこもった<心的文化財>であります。大小に関わらず、有名無名に関わらず、どこの地名もみな文化遺産です。ですから、これの取り扱いには良く勉強して、取り掛かりましょう。その為にも、データを保存し活用する施設、地名資料館と言うようなものが、京都府には当然、必要になりましょう。

京都における地名研究は、ソフト面でもハード面でも、あらゆる分野にわたる重要な意義がありますが、全てこれからです。意義有る本日の発会に、ご来駕賜りました来賓、メッセージを頂きました各位、ご多用中をお集まりいただいた会場の皆様に、篤く感謝申し上げ、今後とも宜しくお願い申し上げます。                        

平成14年4月28日(日)現在 

京都地名研究会役員
【顧
  問】池田末則・上田正昭・梅原 猛・沢 潔・谷川健一・中西 進・森 浩一【代表理事】吉田金彦
【理    事】池田 碩・井上満郎・上谷正男・尾崎聖二朗・片平博文・金坂清則     ・加畑 昭・芝野康之・杉本利一・高橋聡子・竹田賢信・谷口隆捷・     寺田 敬・西尾寿一・藤田昌志・古川 章・前田 徹・山口富蔵
【常任理事】池田哲郎・石田天佑・糸井通浩・井上千恵子・梅山秀幸・
     小泉芳孝・
小林淳夫・角 菊彦・田上 源・綱本逸雄・真下美弥子

 

入会・問合せ先 

○京都地名研究会 代表理事
600-8429 京都府京都市下京区御供石町360
 日本語語源研究所
気付 吉田金彦

      Tell&Fax 075-361-8812 
 京都地名研究会 常任理事(広報担当)小泉芳孝

 

●年会費  年額3千円(正会員)。賛助会員1口5千円、家族会員1千円。

     郵便振替口座番号:00910-1-160705 加入者名/京都地名研究会

●会報発行(年1回)

  『地名探求』毎年4月発行(総会で配布)研究発表・研究論文など、原稿締め切り2月末
●通信発行(年数回)

    『都藝泥布(Tsuginefu)』「通信」会員向けニュース(例会前に発行)
●発表者募集要項
   1.例会発表の題と発表要旨を事前に事務局に提出。
   2.テーマは、地名に関するもので自由。
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 編集後記

 

 京都地名研究会の第6回例会は、特別企画による公開シンポジウム「秘められた南山城の地名を探る」を京田辺市で開催されることになりました。今回のシンポジウムは、南山城の歴史の謎に迫るべく南山城スペシャルとして神功皇后や継体天皇などの研究者として最先端を走っておられる堺女子短期大学の塚口義信学長やこの地域を研究しておられる京都地名研究会員をパネリストとしておこし頂きそれぞれ専門の分野から報告して頂くことになりました。

南山城には、かなり古くから渡来人によって先進的な文化が伝わり栄えたといわれています。特に筒木の原や普賢寺谷では、神功皇后や仁徳天皇それに継体天皇などが居住していたといわれ、記紀などに明記されています。また、今まで神話と言われていた大筒木垂根王や大筒木真若王それに迦邇米雷王などの時代においては、平安時代に作られた『竹取物語』に「迦具夜比売命(かぐや姫)」がいて実在の皇后であるなど最近興味ある発表が地元の郷土史会から報告されています。

この冊子は、メインテーマ「秘められた南山城の地名を探る」における基調講演とシンポジウムのレジュメ及び資料として作成いたしました。編集担当者としては、当初レジュメのつもりで取りかかったのですが、先生方の熱意により沢山の貴重な資料をご提供いただき立派な冊子(別冊1号)に仕上げることが出来ました。各先生方のご協力により貴重な研究資料を提供して頂きましたことを、この場を借りてお礼申し上げます。

 この冊子が南山城地域における歴史解明の為の資料として役立てることが出来れば幸いです。


      

 
竹取翁博物館場所:〒610-0313京都府京田辺市三山木直田10 代表者小泉芳孝
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